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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生31巻6号

1967年06月発行

雑誌目次

特集 地域保健活動と国民健康保険 焦点

国保の地域保健に果たした役割—国保の歴史をふまえたうえで

著者: 西尾雅七

ページ範囲:P.322 - P.327

 国保がかかえている特殊性ゆえに,あるいはわが国の医療制度の矛盾のために,国保の保健活動の成果を認めながらも,公衆衛生の立場から多くを期待できない現状について論及してみた。

国保のあゆみと現状

著者: 村浦公二

ページ範囲:P.328 - P.333

 他国に例のない皆保険を達成し広く布延されたわが国の医療保険である国保,その歩みを辿りながら現在直面している問題点を明らかにしてみた。

地域活動 各地にみる国保の地域保健へのとりくみ 北海道の場合

国保と共同保健計画

著者: 渡辺斉綱

ページ範囲:P.334 - P.339

はじめに
 筆者は現在の職場にくる以前に,ある市に勤め,初代の国保課長をつとめたことがある。その時に考えたことは,保健婦をどのように動かせるか,ということであった。そのために赴任一週間目から事務上の診察を手がけた。事務上の診察とは,性別・年鹸別・地域別に被保険者の疾病状況を明らかにすることから始まって,医療費の構造的実態までも踏み込もうとしたものであった。この結果を230頁ばかりの本にまとめて,およそ協力していただきたいと思うところには全部配布した。このことは議会から積極的な支援を得られる足がかりをつかみ,理事者も真剣に聴取されるチャンスも生まれた。このことは適切な予算の計上額になってあらわれ,地区診断を要する地域,家庭訪問の重点地域,その他各地域ごとに行なうべき目標が明瞭になってきた。
 いまから考えれば当り前のことであるが,10年前の国保では,こうしたことを行なうことはきわめて難事なことであった。

岩手県の場合

岩手国保のあゆみ—乳児死亡率ゼロをめざして

著者: 菊地武雄

ページ範囲:P.340 - P.344

岩手県の乳児死亡率
 第1表は岩手県の乳児死亡減少の既往5カ年の足どりである。表では昭和40年にはなかった,死亡ゼロ町村が,昭和41年では3町村,また1人死亡では8町村があり,昭和40年ごろにくらべて大きな躍進を遂げている。県下の市町村関係者は,"ひうえうま"の迷信による出生減が,死亡率にも及ぶであろうことを知ってはいる。しかしそれにもましてこのような成果に関心を注ぐ理由は,昭和32年に,県国保連がたてた"乳児死亡率半減運動10カ年計画"に市町村が足なみを揃えて,市町村自治体自体の保健活動を意識的に展開しつづけてきたためである。
 乳児死亡ゼロの記録は昭和37年沢内村に始まった。1年間のうち5カ月は2メートル余の積雪にとざされ,交通機関がマヒ状態となると,村内の店々では,日常の消費する物価は3倍から5倍にはね上るやら,隣りは急に遠ざかり,隣家に火事が起きてもそれを救う手だてはないという始末である。ことに問題なのは急病人の出たときで,なんらの術もなく,かずかずの悲劇をずっと繰返してきたのであった。

足利市の場合

保健文化都市の躍進に陰の力

著者: 近藤常次

ページ範囲:P.344 - P.350

市勢の概要
 当市は栃木県の最西南に位し,群馬県に境界を接し,北側はおおむね山地で,南側は平坦地である。その中を渡良瀬川が西から東に流れ,それに国鉄両毛線,国道50号線が並行して走り,人口15万余,古来から織物の生産に従事し,最近ではトリコット産業,機械工業などが主力となりつつある。農耕地は比較的少なく,わずかに南部地区に「いちご」「野菜」の出荷がある程度である。
 市制施行は大正10年,その後近隣町村を逐次合併し,昭和37年の最終合併でそれまであった足利郡は姿を消し現在の足利市となった。これを保健行政の面から見ると,一市一保健所というきわめて例の少ない姿が出現したことになる。

千葉県の場合

国保を支える保健婦活動の課題

著者: 森幸男

ページ範囲:P.350 - P.358

はじめに
 保健婦を中心とする保健施設活動は,国保被保険者の健康の保持増進を目的とするものであり,疾病の治療を行なう医療給付とともに国保事業の重要な支柱として,その円滑な運営に大きな役割を果たしている。しかしその現状をみると,保健婦の不足,活動内容の欠陥など当面する問題点は少なくなく,今後の早急な改善が必要となっている。
 とくに,国保被保険者は職業別には農業・漁業・零細自営業の従事者,所得階層別には低所得階層,年齢階層別には老齢者層など保健衛生水準の発展に取り残されたグループを多く抱えている。今後わが国の保健衛生水準が向上していくためには,これら後進グループに対して,保健婦活動を中心としたきめの細かい保健指導を強化していくことが不可欠の要件であり,今後の公衆衛生行政の重点もここに指向されなければならない。このような意味から,保健施設活動の改善充実に対する要請は今後いっそう強まっていくことが予想され,関係者の努力が期待されている。

小田原市の場合

乳幼児対策を重点的に

著者: 轟秀雄

ページ範囲:P.358 - P.361

小田原市の概況
 小田原市は神奈川県の西南部に位置し,箱根外輪山の東斜面と酒匂川下流の足柄平野に広がり,南は相模湾に臨み,面積は105.36km2。人口約145,000人,気候温暖で風光明媚で交通の便はきわめてよく,神奈川県の県西における産業・文化・教育・交通などの中心地として,また観光・福祉都市として発展の一途をたどっている。
 とくに大磯-小田原間の西湘海岸バイパス,厚木-小田原間有料高速道路など幾多の道路建設は,東海道新幹線の小田原駅停車とともに市街地の様相を大きく変えつつある。

保健婦は訴える

つねに活動に科学性をもたせて

著者: 小原かつ子

ページ範囲:P.363 - P.364

 私が国民健康保険の保健婦として仕事をするようになってからまる9年になる。保健活動の方法というのは時代の進歩とともにとうぜん変わっていくべきものであろうが,過去の私の経験から得た結果では,国保のレセプトや集団検診の結果状況がいつも仕事の起点となった。たとえば歯科疾患が医療費の上位をしめているということになった場合には,この対策として何をやればよいかと考える。まず資料をできるだけ多くあさる。その次に積極的に保健所長や専門医,大学衛生学教室を訪れてさらに知識と方法を確実に自分のものとする。これが大切な下準備である。これが十分に行なわれているかどうかで仕事の成果が決まる。歯みがきの衛生教育ひとつするにしても,話の内容が豊富であればいつのまにか人の心をつかんでいるものである。国保の保健婦は不勉強でいてはとても仕事にならない。
 さて次には理論と知識を実施にうつす対策をたてる。同じく歯科対策については,
 ①幼児には乳歯対策としてフッ素塗布を年2回行なう。
 ②永久歯対策としては就寝前の歯みがきを衛生教育によって行なう。
 ③全身栄養が歯の保健に及ぼす影響について教育しおやつ作りの講習会をする。

医療行為に悩んだ8年間

著者: 岩間秋江

ページ範囲:P.364 - P.365

 私は過去8年間辺地で医療行為を行ない多くのかたがた,多方面の機関からはげましやご批判を受けた経験をもっているので,当時を思い出し,とくに現在でも辺地で行なわれているであろう保健婦の医療行為をどのようにして解消すべきかみなさまとともに考えたいと思う。
 昭和27年,私は静岡県と山梨県境の1,500名の稲子部落に,助産の道具と小外科器具を背負って赴任した。天子岳に通じる川にそって16キロにわたり農家が点在しているうなぎの寝床のような部落である。私が赴任する以前はお産は取り上げばあさんの手で行なわれ,病人は衛生兵あがりの人が注射したり薬を与えてその場をしのぎ,重病人だけ戸板で部落から町までかつぎ出す。このような現状の部落に助産もできる保健婦が来たので,部落民は医師のかわりに病人のことはなんでも解決してくれるのが保健婦であると信じたのである。赴任した夜からひきつけた子どもに起こされ処置をしてほっとしたところに腹痛患者で呼ばれ,帰って来たらお産の家から迎えが待っている。これが稲子での第一歩であった。夜10時から朝の6時までは電車がないので部落民の生命は私の手にゆだねられている。お産後の出血,胃痙攣,乳幼児のひきつけ,脳溢血の発作,事故による外傷,マムシにかまれる。

村民から学ぶ姿勢で

著者: 小林幸子

ページ範囲:P.365 - P.365

 春の暖かい風が頬をなで,土の匂いがさわやかに感じる今日このごろ,村のなかをバイクで走りながら私は一年前これと同じ状態で味わった緊張した気持をはっきりと思い出す。保健婦としてはじめての任地を戸数509戸人口2,327人という小さな農山村を選び,ふきのとうの出ている畔道を歩いたときから,夢中で過した一年がはやくも過ぎようとしている。一年保健婦に語る何ものもないと思うが,この一年をふり返って私なりに感じたことを述べ,自分への反省と先輩の皆さまのご批判を仰ぎたいと思う。
 「よそもの」でありながらも生来の楽天家であり,みずから選んで農村にはいった私にとって,この一年間は実に収穫の多い年であった。新米保健婦としてせいいっぱいやったつもりではいるものの,私が村の人たちから学び得たことのほうがはるかに多い。この一年は村を知ること,住む人の生活そのものをつかむこと,に終始した。村,部落に特有の風習,習慣,人間関係,感情,意識など,いままでの私の生活のなかにはあまり無かったことを多く見聞した。これらは封建制度下の残物と生活のなかから生まれた知恵で,良きにつけ悪しきにつけ今後の私の仕事に対して大きな影響を与えると思う。またこれらをうすうすながらも理解できたことは,働きかける糸口をつかみえたのではないかと思う。こうした昔からのものと一方消費生活の発展に伴って年々変わっていく農業構造とが雑居しているのが今日の農村であろう。

人とことば

国民健康保険法制定についての想い出

著者: 広瀬久忠

ページ範囲:P.313 - P.313

 当時の社会局:2.26事件が勃発した直後,私は社会局長官になった。当時の社会局は,社会改良の気分に燃えていて,2.26事件のような不祥事が起きた原因は,国民の心の中に欝積した不満があったからであって,これを一転させるためには,どうしても社会改良の施策を,一つでも多く実施しなければならない,という考えであった。そして,この施策の一つが退職積立金法であり,他の一つが国民健康保険法案であった。ところが,両法案ともに当時の保守派に属する側からの批判は実に峻烈を極めたものであって,われわれ社会局員を「赤だ」とさえ罵しったものであった。

対談

地域保健活動と国保

著者: 橋本正己 ,   大坂多恵子

ページ範囲:P.314 - P.321

 国民保健の向上に寄与することを目的とし,なおかつ社会保障的な意味あいを強くもっている国民健康保険が,発足から長い歴史を経て常に前進へ力強く歩みつづけてきたことは高く評価されてよい。ところが,一方公衆衛生の発展とは,必ずしも歩調をそろえ両者が協力し連携を保ちながら保健活動を進めてきたとはいいがたい。この現状に対してお互いがもっと深く理解し合い,両者共存の形で国民の生活の中に幅広い活動の根を下ろしていく必要がありはしないだろうか。この対談がその橋渡しの役割を演じられれば幸いである。

ニュースの焦点

新潟水俣病事件の教訓

著者: 斉藤守

ページ範囲:P.370 - P.370

 新潟水俣病事件の発端は,新潟大学医学部で一名の患者がその症状からアルキル水銀中毒症と診断されたことに始まる。それは昭年40年1月のことである。
 水俣病は昭和29年から水俣地方に発生し,最初細川一博士らによって原因不明の中枢神経疾患として報告され,その後昭和31年8月に熊本大学医学部内に研究班が作られた。武内教授は最初の4例の病理所見から本態として中毒性脳病を考え,また自然発病は猫,からすその他の水鳥にも見られ,水俣湾産の魚貝類の投与により実験的に猫などに水俣病の発病が認められ,中毒性神経疾患であることが確認された。

厚生だより

わが国水道の現況と将来

著者:

ページ範囲:P.362 - P.362

この10年間に給水人口は2倍に増えた
 昭和41年3月末現在で,全国の水道による給水をうけている人口は約6,800万人,総人口の69.4%の普及率となっている。これは31年3月末の普及率32.2%の2倍を超え,この10年間における水道の普及は著しいものがある。しかし,現在なお水道施設をまったく持たない市町村が10%弱(3市・177町・152村)あり,水道普及に地域差のあることを示している。
 現在水道法では給水人口が5,000人を超すものを上水道,100人を超し5,000人以下のものを簡易水道,寄宿舎や社宅など特定の人だけに給水する100人を超すものを専用水道といい,いずれもその水は,水質規準に合致し,一定の塩素消毒を常に施すよう法に定められている。現在上水道は1,416施設,簡易水道は14,131施設,専用水道は3,283施設あるが,これらの他に各上水施設に,浄水を供給することだけを行なっている,水道用水供給事業というものが15施設ある。

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新聞に拾う

ページ範囲:P.371 - P.371

社会保障関係
 日かげの保育所に太陽を東京保育問題連絡協議会の三月例会から。(1日,赤旗)
 心身障害児教育に5万人がおきざり 東京都の学齢期の障害児の85%が義務教育さえうけていないという実情。(1日,赤旗)

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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