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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生31巻9号

1967年09月発行

雑誌目次

保健所活動30年史 主題 保健所—30年の発展のあとをたどる

保健所創設時

著者: 南崎雄七

ページ範囲:P.494 - P.498

 保健所という言葉が出てきたのは,私が昭和3年にゼネバのヨーロッパ農村衛生会議へ出席して以来日本で使われた言葉で,Health Centreの訳であった。それ以前に内務省衛生局で英国のChild Welfare Centreという言葉や,米国のChildrens Health Centreという小児健康センターなどを訳した際に衛生局ではこれを小児健康中心機関などと訳して公表されたこともあった。またこのヘルス・センターをどのように訳すべきかについて保健中心機関とか,保健署とか訳すべきであるという議論もあったが,保健所というほうがよいということになって今日では法律でも保健所ということで通ってきているのである。大正末期と昭和の始めには多くの医学者の人でも,保健所Health Centreについては知っている人は少なかった。というのは,Health Centreの文献を知らせてくれという要望が二,三の大学教授からもあったことでも明らかである。また内務省衛生局の法学出の文官でも,まったく知らない人もあったことは,内藤という文書課長が衛生局の指導課長に転任になった時,同僚から,"お前はヘルス・センターということを知っているのか。それを知らないと勤まらないよ"といわれたということを聞いたことがあることでも明らかである。
 このHealth Centreのことを最も早く知った法学出の人は湯沢三千男さんではないかと思う。

各種健康相談施設統合から保健所法の改正時代

著者: 楠本正康

ページ範囲:P.499 - P.503

 国民体力向上を主旨に保健指導綱の整備の時代
 昭和15年,日支事変の拡大とドイツ軍の進攻は,いよいよ世界戦争への危機をはらんできた。国内では,戦力を増強することが至上命令であった。そしてこの一環として,国民体力の向上が国の施策として大きく採りあげられ,体力管理が衛生行政の重要な課題とされていた。一方,全国的に保健指導を徹底して,国民の健康の底あげを期すことが強調されていた。このような新たな要請から保健所の任務はようやく重要視されるに至った。当時筆者は官房技監室に勤務していたが,保健所を中心として全国的な統一ある保健指導網を確立して,国民体力向上の基盤とする必要があると考え,まずその手はじめとして,
 (1)府県単位に保健指導の徹底を図るため,保健指導関係者をもって連絡会議を組織し,府県の保健指導計画を樹立すること。

昭和30年代の新しい展開

著者: 田波幸男

ページ範囲:P.503 - P.508

急激な経済情勢の陰にかくれた衛生対策
 昭和30年代から今日に及ぶ時期は,後世の歴史に特筆されるのではないかという気がする。そのように急速にめまぐるしく発展変化をした時期は史上めずらしいのではないかと思われる。ほとんどあらゆる人々がこの激しい変化にひきずりまわされ,政策もまた同様である。由来政府の施策は,はたからみるとのんびりしたもので,適時適切なる対策が行なわれるというようなことはあまりないし,いわんやあらかじめ対策を講じておくということはさらにない。初期の公衆衛生もコレラの大流行にいささか度肝をぬかれた結果発展したもので,以来事象のあとを追いかけている傾向が今日でもつづいているのであるが,客観情勢の動きが早いためいっそうこの傾向がつよくなっている。
 昭和30年代といえば,わが国の経済が史上空前の発展をとげた時期であった。30〜31年には神武景気という大好況が現われて,神武以来ということが盛んにいわれた。何でも神武以来であったが,34年になるとさらに岩戸景気という神武景気を上回る好況がやってきた。それに伴って今日さまざまな分野にみられているような状況がぞくぞくおこりはじめた。たとえば,急激な人口の都市集中,それに伴う上下水道問題,公害問題,所得格差,地域格差などなど。

回顧と現状 保健所とともに歩む

保健所生活18年で得たもの

著者: 小島武雄

ページ範囲:P.510 - P.513

ソビエトで公衆衛生に開眼
 私の保健所生活は18年にしかならず,それ以前の保健所については本とか先輩の話を聞いて察知するよりほかはない。戦前は健兵対策であり,戦後の数年はアメリカによる進駐軍の対策で,ほんとうに日本人自体による保健所行政はごく最近になってからであろうと考えられる。それにしても急激に目ざましい進歩発展をとげたものだと驚嘆のほかはない。
 私が保健所にはいった動機はソ連における抑留生活4年の体験からかもしれない。いまのソ連のことは雑誌や新聞などからしか知ることはできないが,昭和20年10月ソ連に抑留され,ドクターとして勤務して驚いたことは,治療面はともかくとして,いわば疾病の予防にひじょうにうるさいことであった。部屋の掃除がきたないとか,便所の消毒とか,炊事の問題とか,髪を刈れとか,爪が伸びているとか,とくにしらみの駆除についてはきわめてきびしかったことには驚かされた。しらみについてはその後猛烈に発疹チフスが流行し,たくさんの死者を出したことではじめてわかったのであるが,日本でわれわれが受けた医学教育はほとんど疾病の治療についてであり,その予防については何らの教育も受けていなかった。そこで,このような仕事は医者がやるものではないと考えていたので,環境衛生について科学的な認識を与えてくれたのはソ連の抑留生活のおかげであると考えている。

公衆衛生の胎動期を支えた保健所

著者: 水落守

ページ範囲:P.513 - P.515

戦中戦後当時のメモから
・昭和19年6月1日:厚生省の基本政策によって「国気健康保険指導対策要綱」が定められ,N県K郡K町にK保健所が設置され,管轄区域をK郡M郡の両郡とした。
・昭和19年10月1日:厚生省の保健施設の整理統合方針によりK郡K町にあった郵政省簡易保険相談所を併合する。

モデル保健所の思い出

著者: 荻村正男

ページ範囲:P.515 - P.517

杉並保健所生活7年半のはじまり
 昭和23年6月のある日,品川保健所勤務から杉並保健所衛生統計係長への転任の辞令をもってモデル保健所を訪れた日から,私の杉並保健所での7年半の生活が始まった。このように私はモデル保健所要員ではあったものの,真のstarting memberではない。私のほかにも,小河栄養係長もずいぶんおくれて着任している。当時保健所を担当していた都の酒井保健係長が進駐軍の命ずる条件にかなったmemberを各方面から引抜いてモデル要員を作っていたわけだが,引抜きかたも強引であるとそうとうたたかれたようである。しかし強引なのは酒井先生ではなく,進駐軍命令であったと思う。私のおくれたのも理由のあったことだったが,おもしろいことに,私の着任するまでの期間は,なんと厚生技官の某氏が係長をやっていた。いかにもあの当時らしい話である。さて着任して,はりきって仕事を始めたのだが,業務のほうは厚生省編さんGHQ提供保健所運営指針(われわれはバイブルと称した)に万事のっとって行なった。この指針はモデル保健所を標本として行なわれた講習会の資料を集録したもので,講師はいずれも連合軍総司令部,公衆衛生福祉部の各専門係官であった。これらの専門係官が必ずしもすべて専門家であったかはわからないが,この指針はなかなかりっぱなもので,いま読みかえしてみてもちゃんとした内容のものである。

保健所への批判は批判として……

著者: 小野田孝義

ページ範囲:P.517 - P.518

 本誌の読者の多くは保健所や公衆衛生のことについては,専門家であるか,そうでなくてもおよその内容は先刻ご承知のかたがたばかりと思う。だから,今日まで,わが国の公衆衛生行政で保健所が中心となって果たしてきた多くの業績について一つ一つの事例などを述べることや,筆者の限られた範囲の身辺回顧談などは抜きにして,いささか脱線するおそれもあるが,自分なりの勝手な随想,提言めいたことなどを述べて寄稿の責めをふせぐことにしたのであらかじめご了承いただきたい。

保健所を見つめて

著者: 箕田アサノ

ページ範囲:P.519 - P.521

「看護婦は勉強しないね」に発奮
 私は一度も保健所に勤務したことがない。それでいてたいへんに深い関係を長い間もちつづけてきたという意味でペンをとらせてもらうことにした。あるいはとんでもない見当ちがいな見方をしているかもしれないことをあらかじめおわびしておく。
 保健所法が制定された昭和12年ごろは,私は看護婦の資格をもってはいたが,不名誉な一結核患者の妻としてひっそりと庶民生活の苦労にあけくれていた。法律が新しく作られようがどうしようが,自分たちの生活に縁があろうなどとは思いもしない私であったわけである。昭和13年の早春,夫を見送り,生活をたてるためにふたたび看護婦として愛育会愛育医院の乳児哺育の仕事をさせていただくことになった。

保健所とともに30年

著者: 大利茂久

ページ範囲:P.521 - P.523

平戸保健所の臨時防疫員として出発
 その昔,青年部長といわれていた私も20年の歳月には抗し難く,今日ではおせじにも若いという人はいない。
 戦前,朝鮮に学び,満州で勤務していた私は,引揚地である長崎県平戸市のT医師会長から県立の平戸保健所勤務をすすめられたのがきっかけで,保健所なるものも知らないまま,その日の糧のために奉職したというのがいつわりのないところであり,それも臨時防疫員という名目で月手当700円也であった。所長はT医師会長で,職員は事務員2人,保健婦1人,小使のおじさん1人であった。

周辺からの提言 保健所活動にこう期待する 労働衛生の立場から

"労働"と"健康"の問題にもっと目を向けよ

著者: 三浦豊彦

ページ範囲:P.524 - P.526

 人手不足に思う
 これまで労働衛生と保健所はあまり関係がない。両方がお互いに関心をもっていないということかもしれない。保健所のほうからいえば,この人手不足の折から,とても手が出せないというのが実情かもしれない。
 今年の4月に名古屋で開かれた第17回日本医学会総会の衛生関係6分科会連合学会のメイン・シンポジウムで,"日本における国民生活の変貌と健康一 その問題点と対策一"が曽田長宗公衆衛生院長の司会で行なわれた。

臨床医の立場から

臨床医と保健所を結ぶもの

著者: 毛利子来

ページ範囲:P.526 - P.528

奇妙な関係
 臨床医にとって,保健所は遠い親戚のような存在になっている。もちろん,保健所の仕事を理解しているし,その存在価値も認めてはいるが,とくに日常の診療には関係がないし,これといって注文をつけるほどの利害も有してはいない。せいぜい伝染病が発生したときと,健康診断や予防接種にかりだされたときに保健所を意識するだけで,そのほかの臨床活動は保健所なしにやっていけるのである。これは,わが国の臨床医学が治療に偏重しているためと,公衆衛生が臨床医学とは別の体系として成立した事情によるのであろうが,それにしてもたいへん奇妙なことといわなければならない。
 いうまでもなく,予防と治療とは本来この程度の接触ではすまされない共通のものをもっているはずである。実際にも,もっとオーバーラップする面があってとうぜんである。それがこのように疎遠のまますまされているということは,医学の停滞を示すものにほかならない。かつて結核対策では,予防と治療は分ちがたく結びつき,そうとうの成果をあげることができた。いまはそういった姿がうすれ,両者の力が拡散しているように思われる。伝染病対策は赤痢をはじめとしてとうぜん重要であるし,母子保健はもちろん成人病・精神衛生などの新しい分野の開拓も課題となっている現在,予防と治療は以前にも増して固く結びつく必要がある。

学校保健の立場から

保健所の協力を切望する

著者: 浅香催十郎

ページ範囲:P.529 - P.531

学校教育と保健所
 戦後20余年を経過した学校教育は,人間尊重の思想を根底とした民主主義理念のもとに行なわてきた。人間尊重はすなわち生命身体の尊重が根本基盤であり,学校教育の現場ではつねに身心ともに健康なこどもの育成を期して,各教科,道徳,学校行事,特別教育活動など,あらゆる面から努力が払われてきた。
 とくに学校保健は,安全教育とともに戦後著しい充実進展を示し,学校保健法,学校安全会の誕生で,力強く位置づけられたといえるであろう。

社会福祉の立場から

保健所と地域福祉活動の接点—とくに社会変動との関連で

著者: 三浦文夫

ページ範囲:P.531 - P.533

歴史の浅い地域福祉活動
 保健所活動が始められてから今年で30年とのこと,地域住民の保健と衛生のために,たゆみない努力を重ねてきたこの分野の伝統と経験の厚みを今さらのように感じる。ひるがえって同じく地域住民の生活と福祉の向上を目標とする社会福祉の行動体系――とくに地域福祉活動――を考えると,その歴史はかなり浅いと思われる。もちろん戦前でも,方面委員制度とか,セツルメント(隣保事業),農村社会事業などのすぐれた経験がないわけではない。しかしそれらは「点と線」のようなもので,「面」としての広がりと展開に欠けていたり,特定問題地域を対象とし,福祉に欠ける住民の援護に焦点が合わされていた。したがってそれらの活動は,現在問題になるような普通の地域における一般住民を対象として,その地域社会全体の福祉の向上をはかるものとは,若干異なった意味あいをもっている。
 もしこのような意味で,地域福祉活動を考えるとするならば,その活動が制度化されたのは,1951年の全国社会福祉協議会の設立にその契機をみることになるかもしれない。もっとも全社協の活動を仔細に検討すると,若干の例外はあるが,地域福祉活動の本格的な展開はさらに数年後のことである。したがってその経験と歴史は,たかだか10年前後ということになり,地域住民と結びついて,地域のヘルス・センターとして30年の歴史をもつ保健所活動に比較すれば,それはきわめて短いものである。

資料

保健所30年の歩み—おもなできごと

著者: 山本二郎

ページ範囲:P.534 - P.538

人とことば

新制保健所の発足—その頃の「メモ」から

著者: 奥野徹

ページ範囲:P.491 - P.491

 昭和23年9月29日,新制保健所に移行について所長会議の席にて内示あり。
 10月1日,午前10時都知事より知事室にて辞令をうける。なお12時まで都庁衛生委員室にて局長(小山)の訓辞を総務課長とともに聞く。帰所後午後2時,係長に新任の辞令を伝達,午後3時講堂にて全所員に開庁の挨拶をする。

談話室

保健所活動によせて

著者: 西尾雅七

ページ範囲:P.492 - P.493

〔Ⅰ〕
 わが国で保健所活動が開始されたのが昭和12年だから,ちょうど今年で30年を経たわけである。この間昭和22年には保健所法の全面改正があって,今日の保健所でみられる活動が開始され,また公衆衛生施策は国(厚生省)で企画され,都道府県(衛生部局)を通じて保健所にまで流されてきて,ここで実施されるという衛生行政の一貫した体系がつくりあげられた。なお昭和35年には人口密度,産業構造などを考慮してより効果的な活動を求めて保健所の型別の再編成が行なわれ,それとともに保健所の基準や職員の定数が定められ今日に至っている。
 敗戦以来今日までの間に国民の保健状態が著しく改善されてきたことは,衛生統計によく示されていることであるが,この国民保健の著しい向上によって国民の疾病構造は急激に変化し,死亡率の低下と出生率の顕著な低下によって,わが国で人口の老齢化が急速に進行する気配を示しており,それに伴い国民保健のよりいっそうの改善には,わが国の医療制度そのものを根本的に検討する必要に迫られている。また高度経済成長政策が強力に推進された結果,公害問題,大都市およびその周辺地域への人口の加速度的な集中による住居および環境衛生上の問題,さらには交通災害の激増といった問題などが都市とその周辺に発生している。

グラフ

衛生統計のできるまで—厚生省統計調査部の活躍

ページ範囲:P.489 - P.490

最近の厚生関係統計類はますます多くなり,かつ複雑さをきわめている。衛生統計だけでも8種を数え,それらの一つ一つにぼう大な人員と機械が働いている。公衆衛生活動の指標となり,活動の基本ともなる諸統計がどのようにしてできるのか,昨年11月新装なった厚生省統計調査部の仕事を追ってみた。(くわしくは本文52頁を参照下さい。)

衛生統計のできるまで

著者: 宇都二朗

ページ範囲:P.540 - P.541

 国民の健康を維持し増進させるための施策としての公衆衛生行政は,保健所,市町村などの地域社会を集団として活発な活動を展開しているが,その地域社会における集団の公衆衛生活動の指標となり,推進力の基本となるものは,集団を測定し診断する衛生統計であるといえよう。人口動態調査における出産,死亡,死産,婚姻,離婚の状況や,それから得られる死亡率,平均余命など,また国民の傷病量や傷病の質(傷病名)などを調査する患者調査や,国民健康調査,医療の受給状況を調査する医療施設調査や,医療従事者調査および保健所の活動状況を把握するための保健所運営報告など,厚生省統計調査部では種々の衛生統計調査が実施されている。
 ここでその衛生統計のできるまでを順を追って述べてみよう。

特別寄稿

町立八丈病院建設の理由とその運営その1

著者: 乗木秀夫

ページ範囲:P.542 - P.546

 昭和39年春,八丈町の町立(国保)診療所に医師が不足したことから,町長,助役,国保課長などが,医師招聘の行脚に出て,本学にも足を止めたことからこの話が始まる。
 当時,本教室はその年の始めから,茨城県猿島町で猿島奇病とさわがれた伝染性肝炎の爆発的流行に足をふみ入れ,北海道根釧地区に派遣していた教室員まで引揚げて動員して,その撲滅に懸命のときで,その余裕もなかった。しかし,町当局者の話を聞いているうちに何かしっくりしないものを感じた。

厚生だより

第55特別国会で成立した厚生省関係法律案の概要

著者:

ページ範囲:P.509 - P.509

 第55特別国会は,157日間に及ぶ会期を終えてさる7月21日に閉幕した。この国会は,健康保険特例法案を中心に会期終了間際までもめ続けたが,最終日に至って各法案の審議が急テンポで進み,結局同国会に提出した厚生省関係法案16件のうち,公害対策基本法案など12件が成立,2件が継続審議となった。
 (1)同国会で成立した法案のうち公衆衛生関係の法律案の概要は次のとおりである。

ニュースの焦点

医師法改正案の問題点

著者: 林正秀

ページ範囲:P.548 - P.548

 インターン制度の積年にわたる矛盾は,今年に入り医学生の熾烈なインターン拒否斗争となって爆発したのはよく知られているとおりである。これが政府をしてついにインターン制の廃止という法改正を余儀なくさせ,この度の医師法改正案の国会提出となった。改正案の問題点は後でのべるとして,その内容をまず次にみてみる。

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新聞に拾う

ページ範囲:P.549 - P.549

衛生行政関係
 薬価を不当水まし 健康保険法等特別法案の質疑で追及。(6日,朝日・朝)
 発足できるか,新臨床研修制 医師法改正案の中身と問題点。(8日,朝日・朝)

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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