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特集 明治百年と公衆衛生
労働衛生百年史
著者: 三浦豊彦1
所属機関: 1労働科学研究所
ページ範囲:P.23 - P.29
文献購入ページに移動明治政府が「富国強兵」「殖産興業」のスローガンを実現するために行なった努力は,まず軍備の充実,国内資源の開発,洋式機械工業の導入であった。このうち洋式機械工業の導入については官営の模範工場を設けて,外人技術者に技術指導にあたらせるなどの努力をはらった。こうした官営工場が明治4,5年頃からつぎつぎにできあがった。
明治政府が輸出産業として生糸に着目し,新しい洋式製糸業の導入をはかることはとうぜんであった。富岡製糸所はこうして設立されたものである。この時招聘されたのが仏人技師のポール・ブリューナであり,明治5年7月上州の富岡(現群馬県富岡市)に製糸所ができた。フランス式の機械製糸所だったわけである。そしてこの製糸所では士族の娘たちが工女として働いた,というより機械製糸の技術を伝習したわけである。この富岡製糸所については,明治6年(1873)から7年まで働いた横田英子(後の大審院長横田秀雄,鉄道大臣小松謙次郎妹),後の和田英子が,当時を思い出して明治40年(1907)に書いた"富岡日記"によって,当時のありさまを知ることができる。
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