icon fsr

文献詳細

雑誌文献

公衆衛生32巻1号

1968年01月発行

文献概要

特集 明治百年と公衆衛生

労働衛生百年史

著者: 三浦豊彦1

所属機関: 1労働科学研究所

ページ範囲:P.23 - P.29

文献購入ページに移動
はじめての産業医局
 明治政府が「富国強兵」「殖産興業」のスローガンを実現するために行なった努力は,まず軍備の充実,国内資源の開発,洋式機械工業の導入であった。このうち洋式機械工業の導入については官営の模範工場を設けて,外人技術者に技術指導にあたらせるなどの努力をはらった。こうした官営工場が明治4,5年頃からつぎつぎにできあがった。
 明治政府が輸出産業として生糸に着目し,新しい洋式製糸業の導入をはかることはとうぜんであった。富岡製糸所はこうして設立されたものである。この時招聘されたのが仏人技師のポール・ブリューナであり,明治5年7月上州の富岡(現群馬県富岡市)に製糸所ができた。フランス式の機械製糸所だったわけである。そしてこの製糸所では士族の娘たちが工女として働いた,というより機械製糸の技術を伝習したわけである。この富岡製糸所については,明治6年(1873)から7年まで働いた横田英子(後の大審院長横田秀雄,鉄道大臣小松謙次郎妹),後の和田英子が,当時を思い出して明治40年(1907)に書いた"富岡日記"によって,当時のありさまを知ることができる。

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1170

印刷版ISSN:0368-5187

雑誌購入ページに移動
icon up

本サービスは医療関係者に向けた情報提供を目的としております。
一般の方に対する情報提供を目的としたものではない事をご了承ください。
また,本サービスのご利用にあたっては,利用規約およびプライバシーポリシーへの同意が必要です。

※本サービスを使わずにご契約中の電子商品をご利用したい場合はこちら