icon fsr

雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生32巻2号

1968年02月発行

雑誌目次

シンポジウム 第1回地域精神医学会より 私の地域精神医学—どこで,どんな考えで,どんなふうにやってきたか

保健所,センターを中心とした地域精神衛生活動の展開

著者: 石原幸夫

ページ範囲:P.91 - P.98

はじめに
 地域精神衛生活動の目的は,地域社会全体が精神衛生の問題に対して理解や知識を高め,その問題に対処していける能力を向上することにある。すなわち,地域社会のなかで発生している精神衛生問題に対する予防対策を講ずるにとがその目的である。もっとも,ひとくちに予防対策といっても,発生予防から再発予防にいたるいろいろな段階が考えられ,かつそのうえに,対象が精神衛生問題である地域活動においては,その予防対策はいっそう複雑である。
 われわれは,昭和39年(1964年)以降,神奈川県の一定地域で,その地域を管轄する保健所を中心にして地域精神衛生活動を展開してきた1)2)。ここにその状況を報告し,あわせて地域活動のありかたについて考察する。

生活臨床を土台として—群馬県東村での活動

著者: 中沢正夫

ページ範囲:P.98 - P.103

東村について
 私の対象としている地域は,群馬県佐波郡東村(伊勢崎保健所管内)という人口1万弱の小都市隣接農村である。この村は徹底した農地解放が行なわれた歴史をもっており,最近では結核検診のモデル村として知られている。米作,養蚕を主とする営農形態をもち群馬県の平野部にみられるごく普通の農村である。保健婦は2人で業務別に分担している。村内の医療機関は内科を主とする診療所と,国保の直診だけであつたが,本年8月,10月と相ついで,精神科診療所が2ヵ所に開設された。最も近い精神病院は隣の伊勢崎市にあり,約5km離れている。

保健婦と患者家族を友として

著者: 小坂英世

ページ範囲:P.103 - P.106

 私が話したかったことの相当部分を,ただいま中沢さんが話してしまったものですから,またシンポジウムの進行に協力するためもあって,手短かに話させていただきます。

精神障害者家族会の進みかたについて—舞鶴家族会,乙訓肢体不自由児父母の会を例として

著者: 桑原治雄

ページ範囲:P.106 - P.111

はじめに
 近年,精神障害者家族会をはじめ,肢体不自由児親の会などの障害者家族会が多数各地で成立している。いずれも措置を等閑視されている障害者(児)の困難を社会に訴え,なんらかの対策を社会(主として行政)に求めようとする集まりである。これらの会の究極の目的は同じであろうが,活動形態,組織形態は多種多様である。組織形態,活動形態はその集団の目的を実現する実体であり,それゆえその形態の如何により目的を深めることもあればかえって損ねる場合もある。その集団も社会に働きかけていく方向と力を評価するためにも活動の形態そのものを吟味することが必要であり,これにより家族会の役割や意義が明確になる。
 家族会と名がつきさえすれば,すべて同一視して評価するのは誤りである。ここで精神障害者家族会を上述の視点からとりあげその進めかたを明確にしたい。

訪問指導と患者家族会の結成—鳥取県大山町での一開業医の実践

著者: 近藤務

ページ範囲:P.112 - P.114

はじめに
 私が100床の小さな田舎の病院を開業してから 9年になる。長い年月の間に,いろいろな体験を積み重ねたが,小さくともきめの細かい病院にすることが私の希望であった。早期に治療をすること,治療を継続すること,治療にともなういろいろな困難の解決に努力すること,これらの解決のためには,医師以外に専任の人々を当てなければならないことを痛感し,熟練した保健婦を選び,家庭訪問指導を計画し,昭和40年12月1日より活動を開始した。もちろん,私自身もできるだけ病院から離れて現場で行動したことはいうまでもない。

討論

著者: 岡田靖雄

ページ範囲:P.115 - P.118

 シンポジウムにひきつづき行なわれた討論でいくたの問題点が提出された。地域精神衛生活動の胎動期を支える重大な時期に集まった活動家からのさまざまな声を,司会者の一人岡田先生にまとめていただいた。

主題

地域精神衛生活動の展望

著者: 加藤正明

ページ範囲:P.66 - P.73

はじめに
 昭和40年10月,精神衛生法の一部改正によって,「精神衛生の第一線機関を保健所とする」ことが決められ,これに伴って従来の精神衛生相談所を精神衛生センターと改称して,精神衛生に関する技術指導機関とすることになった。以来3ヵ年を経過し,精神衛生センターの数もしだいに増加し,精神衛生活動に積極的な保健所も漸次増えつつある。しかし地域精神衛生活動の展開に関して,多くの問題や困難がある。ことに保健所における精神衛生活動をいかに進めるか,また進められるかという点について,なお種々の問題点がある。
 もともと,精神衛生法の改正の直接の契機となったのが,アメリカ大使の刺傷事件であり,警察庁から厚生省に対して,精神障害に対する届出義務が要求されたことが大きな契機となっている。日本精神神経学会ではそれ以前から精神衛生法の全面的改正によって,地域精神衛生の展開を意図してきたが,思いがけない事件に遭遇して精神衛生法改正が急にとりあげられ,一部改正という段階にとどまった。それは単的にいえば,警察による精神障害者管理という逆行的方向を排して,保健所および精神衛生センターによる地域精神衛生管理のネットワークをつくって,精神障害者管理を行なうということに目標がおかれた。

精神衛生法改正とその後の動向

著者: 岩城栄一

ページ範囲:P.74 - P.79

はじめに
 昭和40年に精神衛生法の改正が行なわれてからすでに2年余を経過した。あまぐるしく動く現代社会のテンポからすればすでに旧聞に属するといわなければならない。それをあえて乞われるままにこのような標題で筆をとったのは,この法改正が15年ぶりの大きな改正であったということだけでなく,そこにうち出された新しい施策――それは今回本誌が企画された特集「地域精神衛生活動」に密接に関連するのであるが――の展開はまさに今後の課題であるからである。

座談会

保健所の精神衛生活動

著者: 田畑実 ,   辻本隆 ,   北田章 ,   見沢修己 ,   橋本正己 ,   山下章

ページ範囲:P.80 - P.89

 精神衛生法改正以来の地域精神衛生活動の一連の動きのなかで,各県あるいは保健所でどのように展開されてきたのか。一つのありかたとして,ここに経験と抱負を語っていただいた。

資料

昭和38年度精神衛生実態調査とその意義

著者: 進藤隆夫

ページ範囲:P.119 - P.121

 昭和29年度の調査から9年目に行なわれた38年度の精神衛生実態調査は四つの大きな意義をもつ。第1は精神障害者数の全国推計を行ない,有病率を病種別,性別,年齢別で明らかにしたこと(第1表)。第2は社会の変化と精神医学の画期的な進歩が精神障害者の実態にどのような変化をあたえたかを明らかにしたこと。第3は精神障害と社会的経済的因子との関係を明らかにしたこと。第4は精神医学の進歩が有効な地域精神衛生対策と結びつけば精神障害者の社会復帰を多大に促進する可能性があることを明らかにしたことである。
 まず第1の点からのべると精神障害者の全国推計は総計で124万,そのうち精神病は57万,精薄は40万,その他は27万であった。ここで精神病には精神分裂病,躁うつ病,てんかん,脳器質性のものなどが含まれる。精薄には白痴と痴愚が含まれるがろ鈍は含まない。その他は精神病質や神経症などが含まれる。性別では男で1.41%,女で1.18%で男に多かった。年齢別では原則として高年齢ほど有病率が高かった。10〜19歳では精薄が61%,精神分裂病その他が22%をしめたが,30歳台では精薄が22%,精神分裂病その他が48%をしめた。60歳以上では精神分裂病その他が12%,脳器質性精神障害者が60%をしめた(第1図)。

グラフ

ここまできた精神医療

ページ範囲:P.63 - P.64

 現在わが国には130万人にもおよぶ精神障害者がいるといわれ,彼らの治療,後保護の問題はとり残された大きな社会問題となっている。ながらく不治と考えられていた精神病患者に対して,戦後著しく進歩した精神医療は,通院治療など生きた社会の中での治療の比重を増大し,さらに昭和40年の精神衛生法の一部改正などによって,地域に根を下ろした精神衛生対策が確立されつつある。これらの足跡の一部をグラフで追ってみた。

人とことば

精神衛生の歴史

ページ範囲:P.65 - P.65

精神衛生のはじまり
 わが国で,はじめて精神病に関する記載がなされたのは,奈良朝時代文武天皇の大宝元年に制定された「大宝律令」の「医疾令」中にある。これによると癲(てん)狂を注釈して,癲とは今日のてんかんをさし,狂は精神病をいうとしている。

厚生だより

精神衛生センターについて

著者:

ページ範囲:P.123 - P.123

 昭和25年に,従来の精神病者監護法(明治33年法律第38号)および精神病院法(大正8年法律第25号)が廃止され,精神衛生法(法律第123号)が制定されるとともに,同法第7条の規定により精神衛生に関する相談指導および知識の普及を図るため,都道府県・政令市は,厚生大臣の承認を得て精神衛生相談所を設置することができることとなった。当時は名称独占の規制があったが,昭和29年同法の一部改正により,その規制が削除されて,誰でも任意に精神衛生相談所を設けることができたため,公立精神衛生相談所とその他に区別された。公立精神衛生相談所は,昭和40年6月現在全国で54カ所が設置されていて,一部を除いてはほとんどが保健所に併設されていた。
 昭和40年6月の法改正により,相談事業を第一線機関である保健所で行なうにととした。従来の精神衛生相談所を廃止して,都道府県は新たに精神衛生センターを設置することとなった。

モニターレポート

中学生の「一日保健所長さん」/"沖の島よ"私の愛と献身を

著者: M・K

ページ範囲:P.89 - P.89

 保健所法成立30周年と岐阜市の保健所設立20周年を記念して岐阜市中央,南,北保健所は,11月15日同市内の中学生による「一日保健所長のつどい」を開いた。保健所が市民生活に一番密着した仕事をしているにもかかわらず,若い世代に仕事の内容がよく理解されていないことから,中学生に保健所の仕事を知ってもらうのがねらいであった。
 この日は午前9時から同市内16の中学校から男女の代表17名が中央保健所に集合,不破中央保健所長のあいさつを聞いたあと,同所長から平岩竜雄君ら17名に保健所長,各課長,保健婦長を命ずる辞令がわりのリボンがわたされた。このあと全員が中央保健所を見学して,各部所に分かれ仕事についた。

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

雑誌購入ページに移動

バックナンバー

icon up

本サービスは医療関係者に向けた情報提供を目的としております。
一般の方に対する情報提供を目的としたものではない事をご了承ください。
また,本サービスのご利用にあたっては,利用規約およびプライバシーポリシーへの同意が必要です。

※本サービスを使わずにご契約中の電子商品をご利用したい場合はこちら