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文献詳細

雑誌文献

公衆衛生32巻8号

1968年08月発行

文献概要

人とことば

取り越し苦労だったか

著者: 水島治夫1

所属機関: 1九大・公衆衛生

ページ範囲:P.259 - P.259

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 かつてわが国で帝国主義・軍国主義が幅をきかせていた時代には,大なる人口は大なる国力を示すと考えられ,多産多子が奨励され,多子家庭は国家に貢献するところ大なりとして,表彰されたりした。しかし領土がせまいので,過剰人口が憂えられ,人口問題とともに食糧が重大問題とされた。しかも大戦で領土を失い,引揚げにより人口は増し,人口問題はいっそう深刻になった。
 戦争により延ばされていた結婚は増し,夫婦生活は元のようになり,当然出生は急にふえ,ベビーブームが起こった。しかしわが国では,出生抑制策がとられ,ベビーブームは長くつづかず,出生率は急激に下がった。その下がり方は,他に例がないほど急激で,人びとの目を見はらせた。この出生率の急低下とともに,人口学的に出生力を示す指標とされている人口の再生産力が,いちじるしく下がった。生殖期にある1,000名の女が,平均して1,000名の次代の女を生めば,人口の再生産率は1.0で,人口は現状を維持できる。しかし,それが1.0以下では赤字で,人口は縮少する。わが国では1956年に純再生産率(女の生残率を勘定に入れた率)が1.0を割り,赤字になり,翌年から連年赤字がつづき,1961年には0.90まで下がり最低記録を示した。この状態が永続すれば,日本人口は1代(約28年)ごとに10%ずつ減少するわけで,この問題に関心をもつ人びとをひどく驚ろかせた。

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1170

印刷版ISSN:0368-5187

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