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雑誌目次

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公衆衛生34巻7号

1970年07月発行

雑誌目次

特集 60年代から70年代へ 主張

公衆衛生活動の反省と展望—60年代から70年代へ

著者: 橋本正己

ページ範囲:P.386 - P.387

激動の10年--60年代--
 国連がdevelopment decadeとして,経済と社会の均衡ある発展を全世界にアピールした1960年代は,わが国にとっても正に激動の10年であった.60年安保にはじまり70年安保に至るこの10年は,60年(昭35)秋に発表された国民所得倍増計画に象徴されるように,高度経済成長政策によって50年代後半から顕在化した社会変動がいっそう加速され,生産力のめざましい伸長の半面で都市における過密の弊害と農山村における福祉の貧困が急速に進んだ時代であった.60年代のこのような特質は公衆衛生活動ないしは衛生行政に対しても,かつてない影響を及ぼした.まず戦後10余年の間に達成された伝染性疾患の制圧による寿命の延長と人口老齢化によって,公衆衛生の対象である国民の健康像,傷病像に質的な変化が急速に進行した.このような対象の変化は,当然のことながら新しい方法論の開発を要請するものであった.加えてこの時期の変化は,従来の都市化,産業化の未熟な時代とは異なり,それぞれの地域の諸特性がそのヘルスニーズに鋭く反映する傾向を強めた.すなわち公衆衛生活動は,二重の意味で新しい方法論の確立を迫られたといってよい.さらに公衆衛生活動にとってのきびしい条件は,公衆衛生に従事する各種の技術者の確保が困難となり,とくに保健所医師について典型的に示されているように若い世代が縮少したため職員の年齢構成の老齢化が進んでいることである.

衛生行政のトピックスを拾う

著者: 若松栄一

ページ範囲:P.388 - P.395

古典防疫から情報化防疫時代へ
 1960年代を通じて世間を騒がせた特記すべき事件としてコレラ騒動をあげることができる.エルトールコレラはセレベス島南部に限局する地方病と考えられていた.ところが,昭和36年にジャワに流行し,さらにボルネオのサラワクに拡がり,中国大陸に上陸してマカオ・ホンコンに発生した.37年にはフィリピンに大流行が起こり,翌年8月までの1年間に患者1万6千,死者2千人を数えるに到った.
 また台湾でも37〜38年にわたって全島の3分の2に及ぶ地域に流行し,患者383,死者24を出した.38年秋口から韓国釜山地区に爆発的流行が起こり2カ月の間に台湾の流行をしのぐ大流行になった.

労働衛生の変貌

著者: 三浦豊彦

ページ範囲:P.396 - P.401

経済の高度成長
 労働衛生の諸問題は,産業の発展,ひいてはその国の経済の動向に大きな影響をうけるものである.
 日本の生産活動を考えた場合,戦前においては最高の生産活動を示したのは太平洋戦争のはじまろうとしていた昭和14年(1939)のことであった.戦争中には生産は低下し,生産の最低値を示したのは,戦争直後の昭和21年(1946)のことであった.戦後は復興を第1に考えたので環境破壊なども余り気にかけないで産業復興に心がけた.そして朝鮮動乱を経て日本産業は復興の歩度をはやめたといってよい.

伝染病対策

著者: 金子義徳

ページ範囲:P.402 - P.405

 伝染病予防の1960年は北海道におけるポリオの流行にはじまったといっても過言ではない.60年8月にポリオ予防接種緊急措置要綱を行政措置として閣議決定したのにはじまり,1961年3月ポリオワクチンが定期接種とされ,同じ頃発生した九州のポリオ流行に対しても防疫対策本部が設けられた.1961年6月21日厚生大臣が談話を発表し,大臣の責任においてセービンワクチンの投与が開始された.いうまでもなく今日といえどもポリワクチンに関しては流行予測事業などを通じて研究活動はつづけられているわけであるが,極端な表現をすれば,ポリオをめぐる治療医学的諸問題は一挙に解決したともいえる.感受性者対策が疾病対策として第一義的意義を有することを証明したものであった.このことは伝染病予防対策における予防接種の役割を過大に評価する傾向さえ生んだが,しかし伝染病予防対策は伝染病予防法の骨子とする感染源対策,伝播経路対策とならんで感受性者対策も防疫対策として大きな役割をもつことをあらためて認識させた点において特記すべきできごとであった.しかし一方においては,伝染病予防対策は各論の時代に入り,これがやがてはポリオワクチンとは逆に,腸パラワクチン定期接種の廃止にまで発展したと考えたい.すなわち1960年代は伝染病予防の各論の10年であり,その成果が目下大臣の諮問をうけている伝染病予防法改正の背景をなしていくことを期待する.

癌対策の現状と今後

著者: 瀬木三雄 ,   松山恒明

ページ範囲:P.406 - P.411

序言
 戦後のわが国における医学の進歩,公衆衛生の発展によって,急性および慢性の伝染性疾患による死亡が減少し,相対的に成人病死亡の問題がクローズアップしてきたことはよく知られている.特に最近高年人口の比率増大にともない,脳卒中,癌,心臓病などの成人病疾患に対する対策の樹立が要望され,また,医学,行政の両面より,種々の対応策が講ぜられている.筆者らはこれら成人病疾患のうち,特に癌について1960年代における各方面の対策を概観し,今後の対策のあり方を考えてみたいと思う.

成人病—循環器疾患について—1960年代の回顧とその評価

著者: 小町喜男

ページ範囲:P.412 - P.415

 1960年といえば,私どもの所属する大阪成人病センターが1959年9月に設立されて,ようやくその第一歩を踏み出した時にあたる.そして,そのセンターの設立第一期は,成人病のうちでも循環器疾患を中心として運営していた時期である.このことからもわかるように,60年代のはじめは循環器疾患対策が従来からの一部の研究的な動きとは別に,行政的にも具体的な対策に踏み出そうとしていた時期である.各都道府県でも,そのもっとも進歩的なところは,成人病センターを設立したり,主要保健所にセンターを附設したりした.また官公立病院にも高血圧センターが設けられた.さらに,わが国の各地の多くの保健所に心電計が配置され,地域住民を対象とした高血圧検診が実際に計画され,行なわれるようになってきた.このことからみる限り,まさに循環器疾患対策は順風を満帆に受けて勢よくすべり出していくようにみえた.そして10年たった.実際はどうであったろうか.
 1960年代を終った現時点では,循環器疾患対策は行政全般としてみた場合は,1960年のはじめのスタートの時と決してその位置を大きく変えていない.すなわち,スタートの時にもっていた問題の多くはそのまま解決されずに残り,また,循環器疾患対策として広く一般化されるという方向にはあまり進んでいない状態である.

精神衛生

著者: 小坂英世

ページ範囲:P.416 - P.421

 50年代の精神衛生を象徴するトピックスとしては,1950年に行なわれた精神衛生法の制定と,1954年末からはじまった薬物療法の導入があげられよう.
 前者は私宅監置の廃止・精神病院の整備を意図し今日の地域精神衛生行政の原型を打ち出した点で,後者はそれまでまったく無力であって診療と呼ぶことさえはばかられた精神科治療に光明をもたらした点で,いずれも精神衛生史上に特筆されるトピックスであった.

60年代の環境衛生行政のあゆみ

著者: 三浦大助

ページ範囲:P.422 - P.429

新しい環境衛生のれい明
 わが国の公衆衛生行政の中で,予防衛生はその歴史も長く,とくに伝染病予防対策は幾多の輝やかしい業績をあげてきた.これに対して,人間をとりまく環境条件の改善,あるいは快適な生活環境の造成などの環境衛生対策の分野に新しいれい明が訪れたのは,1950年の後半に入ってからであった.
 当時,環境衛生対策として,水道の普及や清掃事業,食品衛生の諸問題が相次いで行政体系の中に組み入れられた.なかでも,簡易水道の普及は,農山漁村の生活改善に画期的な役割りを果したことはよく知られていることがらである.

70年代の公衆衛生学に要請されるもの

著者: 東田敏夫

ページ範囲:P.430 - P.439

公衆衛生学が当面するもの
 70年代の公衆衛生の領域における研究活動に期待されるものは,いうまでもなく,60年代よりひきつがれている課題と,70年代に生起するであろう課題にこたえることであるが,ここでいう「公衆衛生領域における研究活動」は,その広汎な領域のなかから,主題にかかげられた「60年代から70年代へ」という歴史的現実をふまえるとき,憲法が規定する国民の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障すべき政府および地方自治体が,「社会保障,社会福祉」とともにおこなうべき「公衆衛生の向上および増進」にかかわるものに限定したい.
 国民の生活と健康をまもるべき事業の具体的実施は,法によって,一応はnational minimumな行政需要を,都道府県・市町村に「委任」し,それに必要な経費は「地方税」「地方交付税」「国庫支出金」制度によってまかなわれることになっている.

人とことば

疫学調査は犯罪捜査より難しい

著者: 落合国太郎

ページ範囲:P.385 - P.385

 昔は,公衆衛生といえば,食中毒,伝染病,結核,性病,寄生虫病対策くらいのものであった.しかし,今では食品だけでも,果物や野菜の害虫駆除に用いる消毒用の農薬,チクロをはじめとする食物に添加される各種の甘・調味料までにおよび,有機水銀による消毒種じゃがいもの市販に至っては,わたしは想像も及ばなかった.
 最近になっては,水質汚染,大気汚染,駆音に至るまで公衆衛生の重要課題であり,さらには母子衛生,精神神経病,ガン,高血圧,動脈硬化等々数えれば限りがない.

私たちの保健所・19 北海道・旭川保健所

交通整理を要するURI型

著者: 清水敏

ページ範囲:P.440 - P.440

 保健所事業の紹介 管内には自然美に恵まれた大雪山系層雲峡をはじめ天人峡,生駒別温泉,雄大な十勝岳に抱かれた白金温泉などの観光地を有する関係上伝染病及び食中毒の予防を重点に従業員の健康管理,観光地の清掃美化,施設の衛生管理の向上など地区衛生組織の協力のもとに,観光地衛生対策の推進を図っているが,幸いにして赤痢については昭和32年以降,また食中毒については昭和42年以降1件の発生もなく,安心して利用していただける観光地となっている.
 業務については管内の町村は道内でも恵まれた財政事情にあり,管内保健婦も70名が充足されていて各種対策も徹底しており,公衆衛生のレベルは道内でも高い方であるが,旭川市については都市の性格上諸事徹底を欠くうらみがあり,一昨年から「健康を守る婦人のつどい」を全市的に結成し,結核一般住民検診率の向上,母子衛生対策の徹底,本年から「異常児を生まない運動」などを取り上げ組織的活動によって対策の向上に努力し逐次成果をあげている,さらに当所として紹介したいものに旭川精神衛生協会の活動がある.

私たちの保健所・20 兵庫・赤穗保健所

地域の歴史と開発展望のなかで

著者: 鳥谷虎一郎

ページ範囲:P.441 - P.441

 管内状況 管内を国道2本国鉄2本が通り,新幹線も工事中,一市一町.赤穂市は兵庫県の西南端瀬戸内海に臨む人口47,000の静かな地方都市.古くから義士と塩の町として知られ,戦後は観光も一枚加わって来訪者も多く神戸から2時間の行程.いわずと知れた元禄の義挙四十七士を生んだ浅野家の城どころ.
 塩田の変遷はまた著しい.昔からの入浜式は戦後流下式にかわり,最近はイオン交換樹脂膜法に切りかわり,労力は極度にはぶけ,面積は2千分の1で事足りることになった.700ヘクタールに及ぶ塩田跡の臨海地帯のうち約300haは恰好の工場立地となり,今や工業都市に生れかわらんとしつつある.それにつけても公害は今後重要な課題である.市当局も慎重に数年前から予測調査を行ない,また近くは240万キロという尨大な発電所の進出申出について学術委員会に諮問しており,小生も委員の1人として公衆衛生の立場から見守っている.上郡町は山陽本線本県の西端駅.人口17,000.県下で唯ひとつ残ったまだきれいな川,千種川の中流に位し,鮎のシーズンには腰までつかった鮎掛け姿が散見する.やや疎に傾く.

教室めぐり・18 熊本大・公衆衛生学教室

研究成果を行政に反映させる努力を

著者: 野村茂

ページ範囲:P.442 - P.442

教室の沿革
 明治4年,熊本にマンスフェルドを迎えて開かれた医学校からは,緒方正規,北里柴三郎のような公衆衛生の先達が育っているが,その後,熊本におけるこの領域の教育の充実したのは比較的に遅い.医専当時(明治37年〜大正14年)には緒方門下の国光勉造教授や,横手教授についた中島秀一教授らが細菌,衛生学を講じ,医大昇格(大正11年)後は,昭和16年に小栗一好教授によって衛生学講座(現在は入鹿山教授)の開講されるまで,細菌学の大田原豊一教授が衛生学講義をも担当していた.
 公衆衛生学講座は昭和22年,新潟大,東大などとともにその設置が認可され,昭和24年7月,山田秀一教授によって開講された.同教授は,年来の研究課題であるウイルスおよびリケッチア症の血清学的診断に関する研究をすすめ,とくに,流行性腺熱,ブルセラ症など,熊本地方の感染症の疫学的研究を行なったが,病を得られ昭和28年退職された.後任教授には,京都大学から喜田村正次助教授が迎えられた.同教授は,農業県である熊本の新しい公衆衛生学的課題として農薬とくにパラチオン中毒の本態と予防,治療に関する研究をすすめた.また,昭和28年頃から,当時奇病とよばれた,水俣市周辺に発生した原因不明の中枢神経系疾患(水俣病)の多発していることを知って,これの疫学的調査を実施し,その原因究明のための多くの実験的研究を行なった.

学会印象記

第43回日本産業医学会総会(徳島)の印象

著者: 川森正夫

ページ範囲:P.443 - P.446

 久しぶりの徳島行,おりから万博の混雑と高知国有林の見学,さらに金沢の衛生学会に回るなど,列車と船の乗りつぎも複雑でスケジュールが立たぬまま,はじめて飛行機に乗る.支給旅費は片道の飛行機代でとんでしまうから,その後1週間は自腹で行動しなければならない.学会出張は公的なものか私用なのか,国民全体のための研究教育能力再生産のため・次代の医学を背負う医学生の教育のためなどの公的性格をもつものではないか,個人の趣味や成功のための業績発表の場所ではあるまい.
 学会長福井教授のあいさつに「最近の産業の特徴として,新製品の生産には努力されるが,でき上った製品ならびにその生産過程が人体に及ぼす危害については必ずしも十分に検討されることなく,……その結果いろいろの中毒や職業病の発生をみる危険性があり……新産業に従事する労働者は,いわゆる体をはっての労働ということにもなります」と産業界の現状を受けとめ,なお「本医学会は,労働者の健康を維持増進することを目標として研究発表を行ない,討議し,対策が検討される学会です」と労働者の生命と生活を守るという産業医学会の使命を明らかにしておられる.あたりまえのことであるが,ひかえ目ながら産業医学研究者の良心の証言であり,今回の産業衛生協会定かん改正の意図も,従来あいまいであったこの辺の目的を明確にしていこうとする人たちの努力のあらわれであろう.

厚生だより

BCG接種定期化に関する研究について

著者:

ページ範囲:P.447 - P.447

 BCG接種が,結核発病ならびに結核死亡の防止に極めて大きな効果をあげていることは明らかであり,実際,わが国では広範囲に行なわれ,結核予防に対する貢献は大きなものであった.最近BCGの阻止効果がかなり長期にわたって持続するものであることが次第に明らかにされつつあり,英国医学研究協議会から発表されたものがその代表的なものであり,現在欧州各国においても定期接種が行なわれている.このようにBCGの発病阻止効果が,ツベルクリン・アレルギーのいかんにかかわらず,長期間持続するものであれば,BCG接種は定期化することが可能になる.わが国のBCG接種は,現在全国民(一般住民については29歳以下)を対象にツベルクリン反応検査陰性・疑陽性のものに対して毎年実施されているが,定期接種化されると,BCGの免疫効果の持続期間にあわせて,接種年齢や接種間隔などをきめて接種されることになる.すなわち現在の予防接種法に規定されている定期予防接種(種痘,ジフテリア予防接種など)と同じ考え方になる.BCG接種定期化の利点と考えられるのは,結核予防事業の効率化ということである.接種対象者の年齢がしぼられることにより,接種の重点化が行なわれ,現在のように29歳以下の全員を対象とするよりははるかに有効な接種計画が立てられ,接種率は向上し,免疫持続期間内の再接種がなくなり,結核予防の効率が促進されることは明らかである.

北から南から

岐阜市北保健所管内の地区組織希望の2年目を迎える

著者:

ページ範囲:P.395 - P.395

 岐阜市北保健所管内では,昨年度来,地区住民が手をたずさえて健康増進運動を推進する機運が高く,すでに常盤,七郷の両組織が確かな足どりで2年目を迎えた.
 北保健所では,特定地区を集中的にモデル化する考えはなく,いわば管内全域を大岐阜市のモデルに育てる気概をもって組織化を働きかけているが,さしずめ常盤,七郷の先発地区は,他のひな型としての意義をもつものといえよう.さて注目の常盤,七郷だが,4月上旬,いち早く新年度の活動方針をうち出した.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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