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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生34巻8号

1970年08月発行

雑誌目次

特集 秋田県の公衆衛生活動 グラフ

脳卒中追放をめざす—秋田県の公衆衛生活動

ページ範囲:P.449 - P.452

 冬は雪に閉ざされるここ秋田県は,わが国経済の飛躍的な発展からややもすればとり残されがちであった.戦後結核が死亡率第一位を示していたが,日本一の米どころをかかえているせいか,現在では脳卒中が多い.脳卒中死亡率も全国第一位がつづいている.
 結核に対しては,昭和40年,民間の結核予防婦人会が設立され,撲滅に大いに貢献した.

座談会

地域保健協議会の設立と公衆衛生活動

著者: 吉本冨雄 ,   黒川一男 ,   石川芳男 ,   鷲谷嘉兵衛 ,   木村亮蔵 ,   小玉秀雄 ,   鈴木尚夫 ,   武田暢 ,   堀江友男

ページ範囲:P.454 - P.468

 秋田県の公衆衛生活動は,これまでの保健所を中心とした国,県,市町村という一方通行的行政の方向を打破しようとしている.
 これまでの結核予防婦人会の輝かしい経験から,自主活動に対する意欲が盛り上がっている.5年前から秋田県医師会は県民の健康管理を行なおうと地域保健活動をとりあげ,昭和43年には,医師会,市町村,保健所3者による合同会議がもたれ,地域保健協議会が設置された.そこで地域保健協議会の設立の経過,問題点などを3者代表により検討していただいた.

農村の生活と地域保健活動

著者: 立身政一

ページ範囲:P.469 - P.473

 秋田県は北海道,新潟につぐ米産県で,東北地方の中で最も水田単作農村の多い県である.それはあるいは地質的,地形的および気候的条件によってしいられた結果かも知れないけれども,そこに住む農村人の生活を当然のごとく規制しているといってよい.即ち,すべての生活が米に依存することになり,農家でありながら野菜さえも買わねばならない.そして,稲作専門であっても耕作反別が決して大きくないために,その農家生活には常に経済的貧困というものが基盤となってきた.そのためか,昭和の初頭における医療組合運動がどの県にもまして活発にしかも全県的組織をもってなされ,その頃,設立された医療機関がそのまま戦後においては厚生連病院として存続しているのである.したがって,ここでは県南穀倉地帯の横手盆地を対照地域としたわれわれの病院(平鹿総合病院)のことに限って述べるが,このことは各地区によって多少の相違はあるとしても一応全県的に敷衍して考えても差しつかえない.

健康意識の今昔談

著者: 児玉栄一郎

ページ範囲:P.474 - P.477

 私に与えられた題名は「秋田県民健康意識の今昔談」である.健康意識とは裏を返せば病感の有無ということになる.病感は,つまり自己の意識内に健康の違和を感じた場合であろう.私はかつてこの問題について調査をしたり研究をしたりしたことがないが,これに関連した卑近な例について述べ,併せて未来への映像を描きたいと思う.
 人は老いてますます盛んになることは数少なく,一般に加齢とともに疾病の多くなることは周知の事実であり,この場合自己の健康意識がうすれていくことは間違いないことと思う.疾病で死亡しない限り人は老いていくが,「老衰死」なる診断名(A136)が堂々とWHOの統計にあることは,病感なしに死亡する場合であろうか.それとも医師は当該者に疾病を認め得ずして下した診断名であろうか.それとも老衰という診断には,壮年者ならば軽い症状であって当然死因とは認められない故に諦めたものであろうか.私はこれらのことについて,ひとつは高血圧,脳卒中を中心に,ひとつは老衰死の統計を中心にのべていき,健康感には自己ばかりでなく地域社会の無視できないことを述べて大方の批判を仰ぎたいと思う.

生活環境の改善

著者: 武田暢

ページ範囲:P.478 - P.480

 秋田県における生活環境の改善をはかるため特に重点としてとりあげている面についてその概要を述べたい.

脳卒中予防ヘスタートをきつた秋田県の公衆衛生活動

著者: 鈴木尚夫

ページ範囲:P.481 - P.487

 未開発の時代のあるいは地域の公衆衛生は,よく「啓蒙」という言葉が用いられ,住民は何も知らない,おろかであるという立場に立って,事業がすすめられてきた.東北地方の日本海岸の1つの県である秋田県は,もう未開地ではないし,1970年代は,近代意識に目ざめた人びとの新しい時代であることを心に銘じて,公衆衛生活動をすすめてゆくべきであろう.行政の権力で,強制的に,「施策」という名前の「ほどこし」を,民衆に与えるのではなく,憲法第25条に明示されてある国民の生存権を保障するために,秋田県民の1人1人が自発的に健康を守ろうとする要望に応える機構を,整備してゆかなければならない.
 秋田県は,もう未開地ではないと意気込んでは見たものの,その実状をみると,地理的条件などから,医療体系の有機的整備が充分であるとはいい難い.昭和42年末における,都道府県の医師数および,その人口10万対の比率は,秋田県は,人口10万対79.3という医師の比率で,下から第3位である(42頁参照).

医療施設の整備と人員の充足

著者: 小玉秀雄

ページ範囲:P.489 - P.497

医療需要の現状
 本県における医療需要は,年々急激に増加している.
 例を国民健康保険者の年間受診率でみれば,この10年間で2倍の増加(表1)を示し,延び率においては全国平均を上回っているとともに,疾病構造の面でも,医学医術の進歩や産業構造の変化などの影響を受けて,細菌性疾患などが減少したかわりに,循環器疾患や中枢神経系血管損傷などの,いわゆる成人病関係の受診が増大してきている(図1).

人とことば

衛生民度

著者: 永田捷一

ページ範囲:P.453 - P.453

 時代は,まさに70年代に突入した.経済発展においては,国民総生産では,世界第1位のアメリカに追いつき,ついに追い越すだろうと刮目されている.にもかかわらず,経済民度,ないしは生活民度は世界の第20番目以内に食い込むことは至難であろうといわれてもいる.
 それにも増して,衛生民度の向上発展は至難なことのように思われる.国家社会の衛生状態の進歩発達改善には,第1に国民の自覚と第2に法による規制であるが,その重点は第1の国民の自覚に待つべきは火を見るよりも明らかである.そのためには,衛生教育の徹底強化が叫ばれなければならない.私のいう衛生民度の向上発展は,取りもなおさず衛生教育の徹底強化にあると考えるからである.

講座 地域保健活動・3

保健補導員組織との連携による健康対策事業の推進

著者: 大峡美代志

ページ範囲:P.498 - P.503

須坂市の概況
1.地勢
 須坂市は長野県の北東部に位し,千曲川をへだてて県都長野市に接続し,東は白根,浅間などの高峯を背に,南に菅平高原を控え,西は善光寺平をへだてて飯綱,戸隠に対しはるか日本アルプスがのぞまれる.地勢は東南から北西に向ってゆるやかな傾斜をなし,ほぼ円形にまとまっている.この自然の河川を利用して古くから生糸の町として,遠く諸外国まで知られたが,時代の変遷にともない近年は,電子工業が盛んになり,経済指数の64%を占めている.また信州りんごの主産地として全国に知られている.
 海抜379m,面積48.12km2,東西12.3km,南北13.1km

海外の医学教育

ドイツ民主共和国の医学教育

著者: 後藤稠

ページ範囲:P.505 - P.508

 DDR成立後の医学教育および医療,あるいは保健制度(Gesundheitswesen)の変還は複雑多岐を極めたようである.陋固かつ整然たるかつてのドイツ医学・医療の慣性を押し止め,その向きを変えることは容易ではなかったと想像される.しかし,ここ数年来の経過をみると,問題の社会主義的制度とその実効とは,政治・経済諸事情とともに,年毎に着実にその根を下し形を整えていっているように思われる.

教室めぐり・19 札幌医大・公衆衛生学教室

細胞レベルから集団レベルまでの観察

著者: 岡田晃

ページ範囲:P.509 - P.509

 教室の沿革 札幌医科大学は,旧道立女子医学専門学校を基盤として昭和25年4月1日に開学されたが,その後10余年間公衆衛生学講座は設置されなかった.昭和35年4月に北海道衛生部長,総務部長などを歴任され,当時防衛庁衛生監であったわが国衛生行政の先達の一人である西野陸夫先生が札幌医科大学事務局長に就任され,その努力の故か漸く設置の運びとなり,翌昭和36年11月6日に初代教授として西野陸夫先生が選任された.実質的な開講は翌昭和37年に始まるが,同年6月に福島県立医科大学助教授であった私が助教授として赴任し,机と椅子だけのがらんどうの中で歩みを進めた.したがって公衆衛生学教室としては全国でも最も遅く設置されたところに属するわけであるが,やがて現在旭川市衛生部長となっている勝俣哲男先生が講師として陣容に参加し,設備も次第に拡充された.
 昭和42年3月,西野陸夫教授は停年退職され,後任として岡田が教授に任ぜられ,早いものでやがて3年になろうとしている.現在助教授1,講師1,助手3,非常勤講師4,研究生12,研究補助員1という構成になっている.

私たちの保健所・21 秋田県・大館保健所

地域保健活動の推進に意欲

著者: 猪野達夫

ページ範囲:P.510 - P.510

 保健所管内 大館は県北部に位置し,奥羽山脈と出羽山脈と出羽丘陵の間を流れる米代川流域に形成された広大な盆地にあり,国立公園十和田,八幡平への玄関口として,また地下資源開発により全国産銅量の約50%にあたる黒鉱地帯の中心として活況を呈している.
 管轄区域は大館市,比内町,田代町,で人口約10万6千人,大館市は7万8千人で秋田杉の銘柄で知られた木製品工業を中心に比内町,田代町の農村地帯を背後地として発展している.

厚生だより

母子栄養指導の確立について

著者:

ページ範囲:P.511 - P.511

 わが国の妊娠婦と新生児死亡が欧米諸国に較べてなお高率であることの一因に妊娠婦の栄養欠陥がある.妊娠婦および乳幼児の栄養状態は戦後国民の食生活が豊かになるにつれ,かなり著しい改善がみられたが,最近の社会生活の変貌による食習慣の変化や女性の職場進出と労働過重は母性としての健康の低下や乳幼児の肥満や虚弱などをもたらし,由々しい問題となっている.
 これまで母子の栄養指導の指標としては,昭和34年度に策定された「日本人の栄養所要量」が使用されてきたが,最近のめざましい栄養学の進歩や一般国民の体位向上,その他栄養指導の基礎となる諸条件の変化などにより,厚生省栄養審議会は昭和44年9月にこの改定を行なった.これに際して厚生省では児童家庭局長ならびに母子衛生課長より母子栄養の指導の確立のため次のような内容の通知をだした.(昭和45年2月20日,児発第68号,児母衛第3号)

北から南から

岐阜県精神衛生協会—春の講演会開催/産業医学会レポート

著者:

ページ範囲:P.473 - P.473

 岐阜県精神衛生協会では去る4月24日(金)午後1時半から歯科医師会館において,春の講演会を開催した.今回は名古屋大学名誉教授,愛知学院大学教授,大西誠一郎先生をお招きして,"現代家庭と子供の問題"について2時間余にわたり,有意義なお話をきいたがその要旨は次のとおり.
 家庭というものを考える場合,夫婦があり子供と同居していることは昔からあるわけだが,その機能,意味あい,働きなどは昔とくらべ現在では相当変ってきている.例えば衣服についても,昔は母が,はたをおり反物をつくり,それをぬって子供にきせ,子供の成長を喜びながら母の子に対する期待,子の母に対する気持など,家庭の中で結びあえる機会があったが,今はそれがない.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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