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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生34巻9号

1970年09月発行

雑誌目次

特集 老人保健 主張

老人問題のなかの保健

著者: 山下章

ページ範囲:P.514 - P.515

多様化する老人問題
 老人問題は,単に高齢者の寿命延長や年金や施設への収容だけでかたずくものではない.老人の生活を安定させ,老年期を明るい生きがいのあるものにするところに主点があるはずである.昭和38年成立した老人福祉法にも「老人に対し,その心身の健康の保持および生活の安定のために必要な措置を講じて,老人の福祉を図ることである」といっている.
 ところで,老人を単に暦のうえの年齢だけで律するべきではなかろう.60歳代でも床につきっきりで自立のできない者もあるし,80歳過ぎてもかくしゃくとしている者もある.老人問題という起点は,肉体的にも精神的にも衰退し,社会的なあるいは経済的な弱者が多いというところにある.働けない老人の多くは不健康に端を発しているし,家庭生活への不適応も同様のことが多い.老人問題の根源は不健康にあることを主張するゆえんである.

日本の生活と老人の健康問題

著者: 佐藤徳郎

ページ範囲:P.516 - P.520

本稿は故佐藤徳郎博士の遺稿である.分担執筆「老人医学」のために執筆された論文で未発表のものである.同書は刊行が中絶したので,本論文を「老人保健」特集に含めて収載する.謹んで故博士の霊前に捧げる.(「公衆衛生」編集室)

老人医療と健康管理

著者: 小山路男

ページ範囲:P.521 - P.525

はじめに
 最近,老人医療に対する関心がとくに高まっている.多くの論争を巻き起こした結果,東京都が70歳以上の老齢福祉年金受給者の医療費を無料としたのは昭和44年12月からであった.また,その前後から,全国の市町村で国保加入者を対象として老人10割給付を行なっている事例が増加しつつある.
 このような一連の事実は,老人医療に対する社会的ニードがかつてないほど高まっていることを物語っている.医師でも公衆衛生の専門家でもない筆者が,あえて専門外の問題を考えてみたいのは,ことが医療保険さらには医療保障の根本にかかわるからである.周知のように,医療保険では抜本改正の大問題が関係審議会で審議中であるが,政府原案においても老齢保険制度の創設が重要な項目として取り上げられている.

在宅老人の諸問題—都市保健所における老人対策の展開とその歩み

著者: 磯典理

ページ範囲:P.526 - P.534

 我が国の人口構成は,かって,英国のたどった人口の老齢化と酷似し,かつ,そのスピードは早いといわれている.現代の社会構造や環境の変化のしわよせが社会的弱者である老人にどんなかたちできているかを解明するために,昭和38年から,
 都市老人の実態把握
 老人管理システムの確立
 保健所附属老人保健福祉センターの設立運営
 大阪市立城東老人福祉センターへの発展
 のようなかたちで作業を展開し,問題点を発見し,またそれに対処してきた.

老人の自殺と事故

著者: 村井隆重

ページ範囲:P.535 - P.541

はじめに
 老人の自殺は老人問題が漸く世人の眼をひくようになり,社会保障,社会福祉の面の立ちおくれが識者に指摘されるとともに,国際的に見ても高順位にあるためいまや一種の社会問題となっている.このかげにあって事故についてはあまり注目をひいていない感がする.
 昭和42年の死亡に就てみると自殺は男子65〜69歳で第10位,70〜74歳75〜79歳両年齢階級で第12位,80歳以上で第11位であり,女子はそれぞれの年齢階級で第10位,第11位,第14位,第11位を占めている 他方,事故は男子では65〜68歳で第5位,70歳以上各階級ではそれぞれ第8位,女子では各年齢階級それぞれで第6位,第7位,第8位,第8位を占めている.

先進諸国の老人対策の教訓

著者: 吉田寿三郎

ページ範囲:P.542 - P.547

アメリカの老人対策
 1967年モントリオール博視察後,サンフランシスコを訪ねてHirschberg博士にあった.老人のリハビリテーションに関する,彼の「シンプル・メソッド」に興味をもったからであった.次々に老人問題を扱っている諸家を紹介され,2,3日の予定が10日にわたる長居をしてしまった.カリフォルニアは気候がいいので,老病弱者でも生きながらえて,高齢者も増しているとのことであったが,老人対策は調査研究の域をあまりでていないとみた.
 さる老人心理専攻のサイコセラピストにあってのことであるが,彼女は「電話による老人との対話」を通じて,情報を捉え措置する方法を試みていた.そして,なんとも致しがたい老人の情緒の乱れに苦しめられていた.日本人は,米国の老人がきわめて若やいだ服装をし,顔の皺のばしなどに余念のないのをよいことと受取っている.実のところは,老人とみられることは弱者とみられることであり,この自由主義経済社会では,弱者とみられれば淘汰をうけ易い.そこでなるべく若く見せようとしているのであって,深刻な努力のあらわれである.

老人保健—事例と感想

著者: 深瀬須加子

ページ範囲:P.548 - P.551

はじめに
 私たち保健婦の保健指導の対象は,従来から健康,不健康を問わず地域社会の一般住民を対象に行なわれているが,その内容は主として結核から母子保健と時代の流れにともない,社会需要を背景として変遷してきた.
 近年平均余命の延長,老年人口の増加に伴い老人問題が大きくクローズアップされてきた.欧米では老人対策が福祉国家のバロメーターといわれるが,我が国の場合,老人福祉法により無料検診など不十分ながらも徐々に老人対策はうちたてられてきたが,検診によって発見される身体的面での事後処置や長期の慢性疾患の在宅患者などの多くは放置されているのが実態であろう.また生活環境面から起因する不安,なやみ,苦悩など精神的なさまざまな問題も,老人の精神衛生上の課題として早急に取りあげなければならない.

人とことば

L. Phelps氏の衛生統計への貢献

著者: 渡辺定

ページ範囲:P.513 - P.513

 昭和10年頃,日本人の平均寿命は男子46.9年,女子49.6年と50年以下であり,当時世界で寿命の分っていた35カ国のうち26番目で,日本より短命の国はビルマ,インドなどの熱帯国であったのに驚いた.日本人は温帯に住み,医学も当時,世界水準だと自負していながら,どうしたことか,日本人の体質が劣っているのか,生活環境がわるいのかと当時の死因統計を首引きして調べたところ,結核死が多く,昭和14年にかけて増している.そこで,男女別,年齢群別に結核死亡率を調べようとしたらその2年以前までしかわからない
 発表が遅れる原因を調べたら,寄留地死亡を本籍地に直してから集計するためとわかり,随分うかつなことが行われているものと思った.第二次大戦後内閣統計局に衛生統計改善の委員会が設けられ,進駐軍の衛生統計方面主任のMr. L. Phelps(ヘルプス)が列席して「何か日本の衛生統計に苦情はないか」の質問に私は前述のことのほか沢山の文句を並べたら,翌日,GHQにちょっと来いの指令があり,ヘルプス氏から「お前は昨日21の文句をいったがも一度繰返して見よ」というので述べたところ,ヘルプス氏は死因統計などは所管を厚生省へうつす,死亡届は寄留地でやると断言されたが,私は困難だと思った.

私たちの保健所・22 岐阜県・大垣保健所

地域社会とともに

著者: 臼井治郎

ページ範囲:P.552 - P.552

 当所は大平洋戦争の末期,昭和19年10月に簡易保険健康相談所を母体として発足した.戦災で市の大半は10万石のお城とともに焼失したが,保健所は奇跡的に類焼をまぬがれたので,戦後の痘そう,発疹チフスなどの防疫に大いに活躍することができた.
 現在の庁舎は昭和25年に改築したものであるが,明年2月には冷暖房空調完備の総合庁舎に移ることになっている.新庁舎は70年代にふさわしい質的に充実した保健所活動ができるように,特に試験検査部門に意を用いて設計されている.

私たちの保健所・23 千葉県・習志野保健所

地域総合保健計画をめざして

著者: 沖山鐐三郎

ページ範囲:P.553 - P.553

コレラを契機として創立
 当所は東京から東へ25キロ圏内に,東京湾に面した習志野市にある.管内には他に八千代市があり,U4(都市)型の保健所である.昭和39年8月末,あと1カ月余で国民待望の東京オリンピックが開催されんとしているさなか,まことにこつ然と習志野市内にコレラが2名発生した.東京には近いし大さわぎとなり,習志野市の名は一躍有名になったものである.その後地元両市長,両市民の保健衛生に対する強い関心は,地元に保健所を新設することを強く希望し,また保健活動の成果をあげるために,昭和43年4月1日習志野保健所が開設された次第である.以来2年になり,職員は33名である.敗戦まで"軍隊のマチ"であった習志野市は昭和29年約3万の人口で市制を施行したが,東京などからの流入人口でふくれあがり,本年3月,3倍強の9万5千人となり,今後もますます膨脹する勢いである.八千代市は5万9千人で,管内人口15万4千人である.

教室めぐり・20 徳島大・公衆衛生学教室

医学教育に抜本的国策を

著者: 福井忠孝

ページ範囲:P.554 - P.554

教室の沿革
 昭和29年2月徳島大学医学部に公衆衛生学教室が開設され初代の教授に私が任命された.昭和29年9月には同医学部に学位審査権が与えられ,さらに新制大学院が昭和30年に設置される運びとなった際に公衆衛生学教室の看板は一時衛生学教室と書き変えられたが,昭和32年正式に公衆衛生学講座の設置が文部省で認められるにいたり,再び公衆衛生学教室の看板をあげることになった.昭和29年教室開設とともに最初の教室員として酒井(現厚生省保健所課長補佐),本藤(現今治市本藤外科病院長)の両君が助手として入局,夏には高尾助教授が就任し,教室の陣容はようやく整った.その後助教授は現在の三好助教授にかわり,助手も研究の完成につれ幾人となくかわっている.

資料

老人のケアーに関する事例調査と考察

著者: 阿武喜久子 ,   山下祥子 ,   滝浪智子 ,   山本聡代 ,   宇都野澄子 ,   柵原節子 ,   小曽根絢子 ,   中村伊美子 ,   和田邦子 ,   町本昭成 ,   山名文子 ,   稲垣隆司 ,   小林亨祐 ,   小野恵

ページ範囲:P.556 - P.562

はじめに
 わが国の人口構造は,少産少死という先進国形態へ移行するに伴ない,急速に老齢化した.その結果65歳以上の人口が全人口に占める割合は昭和30年5.3%,40年6.3%から50年には7.9%,70年には12%前後になると推計されている1).さらに国民の生活様式の変革と向上および人口の都市集中,工業化の進展は核家族化を助長し,高齢者世帯が最近の10年余で2倍以上に増加した2).他方,公衆衛生の向上や抗生物質などの技術開発により死亡率は逐次低下し,昭和42年には訂正死亡率5.4となって世界でも低いグループに仲間入りした.これにしたがい,平均寿命も徐々に伸びて,昭和42年には男子68.9歳,女子74.2歳3)と欧米諸国の水準に達した.死因についても感染症などに代わって,いわゆる成人病に起因する死亡が高位にとどまって動かないこと,これは老人がなんらかの疾病をもったまま生活しているのではないかと想像される.
 昭和44年度厚生白書に指摘されているように,1970年代に向かう国家の新しい課題としても経済成長に取残されがちな階層,とくに高齢者が生きがいのある余生を送るための施策が,国家の繁栄への大きな条件の1つとして人間尊重の立場からも強調されなければならない.

研究

環境汚染の総合評価に関する一試案

著者: 西田耕之助 ,   石川義紀 ,   鈴鹿孝 ,   佐々木雅一 ,   上田順一 ,   山口和朝 ,   服部定治

ページ範囲:P.563 - P.572

はじめに
 国民生活審議会1)は,わが国の生活環境の整備が著しく遅れているうえに経済の高度成長に伴う環境の劣化が著しく,国民生活の安定向上に由々しい問題を提起している.それゆえ各種の公害をはじめとする生活障害の対策を応急策から予防策へ転換させるべきであると主張し,生活環境改善の窮極は①安全で,②健康的で,③能率的で,④快適な生活の場の実現であると述べている.しかし,わが国の現状はこの4条件で総括される望ましい生活環境2)とまさに対照的な姿となりつつある.すなわち,これまでのように都市の発展と生活水準の向上が対応する関係は成立し難く,むしろ都市公害と呼ばれるさまざまの生活阻害が常態化している.また,住民側では「マイホーム主義」に象徴されるごとく近隣とのゲゼルシャフトが崩れてしまっており,これらのことから創造的で人間性に溢れた都市像への発展が全く閉されようとしている.これにたいして種々の打開策が各方面で叫ばれているが,多くは応急策に他ならず長期的展望に立脚した抜本策の推進はほとんどみられない.このようなところに積年のわが国施策ならびに国民性の特色が窺われ,将来の禍根となるであろうことは否定できない.都市環境の抜本的改善においては望ましい都市像の明確化もさることながら,各都市の特殊性にもとづく現状把握と居住者の意識をも含めた生活環境としての適正な評価が大前提となることは当然である.

厚生だより

鉛による大気汚染の防止対策について—牛込柳町鉛害事件と関連して

著者:

ページ範囲:P.573 - P.573

 自動車時代の到来とともに,自動車排出ガス中に含まれている「鉛」で,環境大気の汚染がおこり,やがては人体にも悪影響を与えるのではないかということは,大気汚染の原因となっている浮遊粉じんに含まれている金属,例えば,マンガン,クロムなどとともに,関係者の間では十分予測されていた.厚生省はじめ各関係機関では,その防止対策を進めるうえで必要な各種の調査研究を進めてきた.
 そこへ降ってわいたのが東京都新宿区牛込柳町の鉛害事件であった.この事件は,東京都文京医療生活協同組合医師団が牛込柳町交差点周辺の住民62名の健康診断を行なったところ,そのうち13名は鉛関係作業従事者が,鉛中毒者として業務上の疾病としての認定基準のひとつすなわち血中鉛量が60μg/dl以上あったことなどの成績を新聞記者団に発表し,自動車排出ガス中の鉛をその原因としたことに端を発している.この医師団の発表は,各方面に大きな衝撃を与えるとともに,マスコミのキャンペーンとあいまって,鉛害防止対策を早急に強力に推進することが現下の急務であるというふんいきが広く醸成されてきた.

モニターレポート

「森永ヒ素ミルク中毒事件」その後の動き

著者: 青山英康

ページ範囲:P.574 - P.574

委員会設置の動き
 昨秋岡山で開催された日本公衆衛生学会において報告されて,マスコミの注目を浴びた「森永砒素ミルク中毒」については,日本公衆衛生学会にその疫学調査と対策に関する専門委員会が設立され,また,岡山,大阪,奈良,徳島などの地区にもそれぞれ検診および研究班が結成されるなど,そのため活発な取り組みが認められた.
 このような状況の中で,厚生省は昭和44年度の予算を用いて,岡山県に後遺症の有無を臨床的に調査する委員会を設立することを明らかにした.

北から南から

第28回日本公衆衛生学会の準備進む

著者:

ページ範囲:P.547 - P.547

 去る5月30日今秋名古屋で開催される第28回日本公衆衛生学会の開催準備に忙しい学会総会事務局の運営,企画両委員会と,日本公衆衛生学会に設置された,学会の「あり方委員会」との合同委員会が,愛知県庁において開催された.両委員会からこれまでの討議および作業の進行状況の報告があった後,岡山で開催された第27回日本公衆衛生学会における警官導入問題についても活発な討議がなされた.
 第28回総会では,シンポジアムの企画,運営に当って,各職場,各職種の代表からなる世話人が構成され,シンポジアムごとに選ばれたこれら世話人グループが,さらに関係の職種の人達を招いて意見を聴取する会合が既に数回となく持たれたことが報告され,学会の民主化への意欲を示していた.その成果は,今秋の学会において示されるであろう.一方第27回日本公衆衛生学会における事実経過の報告書が「若い公衆衛生従事者の集い」事務局から「学会を告発する」と題して全国に幅広く配布されており,学会民主化の声は非常に高まっているといえよう.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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