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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生35巻2号

1971年02月発行

雑誌目次

特集 沖縄の公衆衛生活動 座談会

沖縄の公衆衛生活動を語る

著者: 伊波茂雄 ,   玉城静子 ,   原実 ,   福地清行 ,   屋嘉勇 ,   山城永盛 ,   吉田朝啓 ,   崎原盛造

ページ範囲:P.72 - P.83

 沖縄では,72年返還をひかえ,本土との一体化の名のもとに,行政の再編強化が急速にすすんでいる.そのなかで,これからの沖縄の公衆衛生活動をどのようにしていくべきか,その現状と問題点についてお話し願った.

沖縄の風土病

著者: 吉田朝啓

ページ範囲:P.84 - P.87

 沖縄の風土病について述べる前に,風土病という概念を最小限度はっきりさせておく必要があろう.定義の広狭によって風土病の範疇に入る疾病の数が増減するからである.
 医学大辞典によれば,"ある疾患がその土地の地理的・気候的な種々の因子と密接な関係を持つて発生蔓延し,その範囲が地方あるいは互いに相にた風土を持つ地方に限られている場合に,その疾患の発生蔓延を地方病的流行といい,またこのような地方病的流行を起こす疾患を風土病または地方病という"とあるから,この定義に準拠することとする.しかし,この定義によって含まれる疾患群のうちでも,環境と疾患の因果関係についての解釈の仕方によって,"風土病らしさ"に濃淡の違いが生ずるので,ここでは私なりに風土病を最も狭く定義したときに浮かび上ってくるものくから順々に述べていきたいと思う.

沖縄における結核の実態

著者: 大城盛夫

ページ範囲:P.88 - P.91

はじめに
 1968年秋に,琉球政府厚生局は本土の昭和43年結核実態調査を行なった.沖縄で組織的な結核実態調査を琉球政府が行なったのは1963年についで今回が第2回目である.それより10年前の1951年〜1952年の2カ年にわたって,アメリカ結核予防会(ATA)の大平洋学術調査団が来島し,ペスケラー中佐が中心になって約1万人を対象に調査し,その結果をもとに今日のような保健所中心の在宅治療制度がつくられたことは周知の通りである.
 今回の調査の特異的なことは,最終判定,集計,解析を本土の結核予防会結核研究所に委託して,沖縄と本土の比較ができるように準備されたことである.

沖縄のライの現状と問題点

著者: 戸田圓二郎

ページ範囲:P.92 - P.94

 沖縄は沖縄郡島・宮古郡島および八重山郡島よりなり,それぞれ本島周辺に幾多の離島が存在する.沖縄では約500〜600年以前よりライ患者を離島に強制隔離したという伝えがあるのだから,本疾病は相当以前よりあったようである.近年になって外国より移入されたものではない.明治当初にはすでにところどころに隔離所があり,また患者コロニーも存在したと報告されている.
 1907年(明治40年)ライ予防法が制定された当時,すでに判明していた患者数は700名を越えており,沖縄県にもライ療養所設立の計画が立てられた.しかし1909年(明治42年)沖縄県議会は当局案を否決したので,療養所の設立は中断されたのである.その結果,沖縄県は第五区連合九州療養所(熊本)の管下にくみいられたが,実際には患者を療養所に移送することは困難であり,県下のライ行政は進捗しなかった.そこで1928年(昭和3年),再び県下にライ療養所を設立することが決められた.1931年(昭和6年)宮古本島に宮古療養所が開設された.1935年(昭和10年)当時,県当局の記録によれば患者数は約1,000名と報告されているが,実際には3,000名ほどと推定されていた.宮古療養所と同時に設立が計画されていた沖縄愛楽園は,その建設予定地の住民の反対運動のためにその開設は遅れ,1938年(昭和13年)に至り,現在地・名護市屋我地に開設をみたのである.

沖縄の環境衛生上の諸問題

著者: 新里芳雄

ページ範囲:P.95 - P.97

 従来の公衆衛生行政の大部分は伝染病予防対策を中心として進められており,人間が生活している周囲の物の衛生を通じて住民の健康の保持増進をはかるための環境条件の改善あるいは人間生活の基盤となる生活環境施設の整備については極めて不十分であった.近年都市地域への人口集中,産業の発達に伴う産業廃棄物の増大,ごみ,し尿の処理その他生活環境を悪化せしめる要因が多くなりつつあるが,これに即応する施設の整備は財政的な隘路があり遅々として進捗しない現状である.
 時代の進歩に伴う環境衛生上の問題は第1に技術の進歩,産業の発達による有害産業廃棄物による河川,海水の汚染,工場,事業場から発生するばい煙その他による大気汚染,放射能による海水,海底泥,海産物などの汚染,工場騒音,家畜家禽の多頭飼育による悪臭および汚水の排出,食品残留農薬,食品添加物などの問題がある.

沖縄の公衆衛生看護事業

著者: 金城妙子

ページ範囲:P.98 - P.106

 沖縄の公衆衛生看護事業は歴史的に浅いということだけでなく,本土の保健婦事業に比べて大きな特徴があります.本土復帰が確実となった今日沖縄の公衆衛生看護事業のあり方については当事者のわれわれはもちろん,本土の関係者にとっても大きな関心が寄せられていると思います.したがって沖縄の公衆衛生看護事業がどのように組織され,その実際活動がどのように行なわれているかを紹介し,特に本土のそれと異なっていると思われること柄について申し述べたいと思います.紙面の都合で充分な説明はできませんが関係者の方がたに少しでも参考になれば幸いであります.

沖縄の公衆衛生の展望

著者: 伊波茂雄

ページ範囲:P.107 - P.116

行政
 1.琉球政府と市町村
 沖縄は米国の統治下にあったので衛生行政は当然のことながら米国の影響を受けて発達してきた.しかし貧弱な風土であるため,その影響はあくまでも沖縄現地での現実に即した米軍人の考えに基づく指導と命令というかたちであって,米国の公衆衛生のシステムを真似たという意味ではない.
 終戦直後,廃虚と化した沖縄へ,海外からの引揚者が相ついで帰還して人口は増加し,食糧事情の悪化に伴なう栄養不良状態の増加,環境衛生の悪化,昆虫の繁殖などによって,マラリア,フィラリア,結核,日本脳炎などの伝染病は流行して死亡が増加した.そこで,占領軍が真先に実施したことは昆虫駆除業務と,疾病対策である.そのために無政府状態にあった1946年当時,地区衛生課と地区病院が設立されてそれぞれの業務を開始した.当時は全医師は個人開業は認められず病院勤務を命ぜられ,あたかも医療公営のごときものであった.この2つの組織が後日,政府立保健所および病院の母体となったのである.

沖縄の保健婦からの手紙

著者: ,  

ページ範囲:P.117 - P.118

 (注)この手紙は,昭和45年5月より勤務しているT. が,前任者のS. に勤務の状況報告,意見,指導を求めるために送った最近の手紙の一部を紹介するものです.なお,駐在地区の人口約3,000です.T. は,昭和45年に保健婦学校を卒業した人です.この手紙にあるような農村へき地のなかで把えた問題はあまりにも大きくかつ複雑で一概にはアドバイスができないというのが関係者の意見でした.読者のなかから適切なアドバイスが得られれば幸に存じます.

グラフ

一体化のなかの自立をもとめる

ページ範囲:P.65 - P.68

沖縄の公衆衛生活動
 72年,本土復帰を目前にして,沖縄はいま多くの問題をかかえている.毒ガス移送,コザ暴動,さらには米軍撤退にともなう自衛隊の進駐など,流動化の波は否めない.このような社会情勢のなかで,公衆衛生活動はどのように沖縄住民の健康を保証しようとしているのか.戦後25年,ほとんど米軍に依存していた公衆衛生がひとり立ちし,かつ住民の健康増進に積極的にとり組むためには忍耐強い努力が必要とされてきた.そのひとつひとつの成果の上に,沖縄としての主体制を確保し,かつ前進的な本土との一体化を模索する沖縄の公衆衛生活動を紹介しよう.

発言あり

森永ヒ素ミルク中毒事件—公害と科学者の役割

ページ範囲:P.69 - P.71

後遺症を長く追求せよ
 生後1年未満の乳幼児,つまり,その多くが,それだけを栄養源とせざるをえない乳児に致死量に達するヒ素(その他の毒物,いわゆる第2リン酸ソーダとして原料に投入されたもののなかにはバナジウムも入っている)を含むミルクを2〜3カ月にわたって与え続ければどうなるか.その解答は誰も正確には知らない.しかし,かならずなんらかの根跡を止めるであろうと考えるのが医学的な常識というものであろう.すくなくない数の医学者はそう考えた.岡山県で編集された公式記録にも,「成人後の再判定を要す」とか「長期観察が必要」という考察を付しているものがある.患者の親たちも,せめて学齢期までの医学的監視を切望した.
 それが,わずか1〜2分の「精密検診」で後遺症なしと判定された理由はどこにあったのか.そのように簡単な精密検診の基準をつくった小児科学の6人の権威者たちの企業への密着姿勢は,疑うまいとしても疑わざるをえない.これはこれとして大きな問題であるが,一般論として考えられると,今日といえども,まだ充分に克服しきっていない医学的認識の停滞性ないし小児病的性格を重視しなければならない.大事件であった.激烈な症状であった.原因が判明した.そして,それ以後急速に表面的症状は消退した.それで後遺症はないと自らも安心し,それを患者にも納得させる.これは19世紀的医学が依拠する急性病モデルによる認識なのである.

講座

「環境保健」の提唱(2)

著者: 長田泰公

ページ範囲:P.124 - P.127

 前回筆者は,従来の環境衛生が変革を迫られている最大の理由は,環境破壊の急激な進行と,それによる健康被害の拡大にあると述べた.そして「環境保健」の確立のためには,人間—環境系の全体を新しい視野に立って把握しなおす必要があると書いた.そのためにはまず,現在の環境破壊がもたらしている健康被害の実態を正しく認識することから始めなければなるまい.

症例による老人の精神医学—老人の神経症

著者: 金子仁郎

ページ範囲:P.128 - P.131

 老年期におこる精神障害の原因としては,単に生物学的な退行萎縮によって脳の器質的障害すなわち痴呆をきたすだけでなく,個体をとりまく社会的心理的環境によっても,神経症や,機能的精神病といわれる退行期うつ病,妄想病などをもきたすのである.したがって,このような老人精神障害者を理解するためには,老人の身体的な病気,脳神経の老化のみならず,老人をとりまく家族環境,対人関係,職業,経済などの社会的心理的側面をも調査しなければならない.以下,老人にみられる精神障害の種々を症例を中心として解説する.

私の意見

いま必要な3つの衛生教育

著者: 津田順吉

ページ範囲:P.119 - P.120

 「衛生教育の転換」(本誌10月号)をよむ.この『公衆衛生』という雑誌は,うすっぺらで執筆陣も少ないと思われるのに看板どおりパイロットという感じがするし,その特集が時を得ているように思われて田舎者には有難い.これまでの衛生教育は総論という意味では国民にわかるように説明されていたと思うが,各論となるとばらばらだったように思われる.私はこの特集の読後感として必要な教育を3つほどあげてみたい.

根をおろす医師会活動

東京都練馬区医師会—保健所の対人サービスを援助

著者: 正木英世

ページ範囲:P.120 - P.121

 最近,地域医療ということがクローズアップされているが,われわれの医師会はこれをどのようにうけとめているか述べてみたい.
 従来,公衆衛生学というものは人間の健康福祉の保持増進のため自然科学的に人間の生存により適した生活環境を実現していくということであったようであり,Hatchの図1を借用するとAの部分をその活動範囲としていたことになるが,それにサブクリニカルな,はっきりした症状を呈していない人たちの健康管理(B)までを含めて,community medicinあるいはsocial medicinといっているようである.われわれはそれを逆に考えて,従来われわれがあずかっていた治療部分(C)に加えて(B)の部分までを含めて,われわれ医師会の担当すべきものではないかと考え,このような形の地域医療の中心とすべく,当区医師会医療検査センターを昭和43年以来整備しつつあったが,本年度に至り総額約2億の建設費でほぼその完成をみるに至った.この医療センターは各地の医師会臨床検査センターが従来会員の共同施設として患者治療のための中央検査室の役目を果していただけのものであったのを発展させ,地域住民の健康管理までをも行ない得るよう各種の設備例えば,集団用胸部X線車,集団用消化管X線車などを加えたものである.

人にみる公衆衛生の歴史・1

長与専斎(1838〜1902年)—衛生行政の反動化のなかでいかに住民を守るか

著者: 川上武 ,   上林茂暢

ページ範囲:P.122 - P.123

 国民は衛生学の復権を心からのぞんでいる.公害・労働災害・職業病は,日をおって増加し,マスコミにとりあげられぬ日はない.都市の空・川・海はすでに死滅しているに等しく,このまま放置するならば,やがて日本の自然を破壊しつくしてしまうにちがいない.いまや,公害との闘いに日本民族の命運がかかっているといっても過言ではないであろう.
 ところが,公害との闘いに,医学・衛生学はまったく立ちおくれてきた.もっぱら,闘いは,市民運動にまかされている.疾病の性格からみて治療医学が無力なのはいうまでもないとして,ほんらい,その予防をにない,理論的・技術的基礎をつくる衛生学がいかなる役割をはたしてきたか.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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