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文献詳細

雑誌文献

公衆衛生35巻2号

1971年02月発行

文献概要

特集 沖縄の公衆衛生活動

沖縄のライの現状と問題点

著者: 戸田圓二郎1

所属機関: 1琉球政府立沖縄愛楽園

ページ範囲:P.92 - P.94

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 沖縄は沖縄郡島・宮古郡島および八重山郡島よりなり,それぞれ本島周辺に幾多の離島が存在する.沖縄では約500〜600年以前よりライ患者を離島に強制隔離したという伝えがあるのだから,本疾病は相当以前よりあったようである.近年になって外国より移入されたものではない.明治当初にはすでにところどころに隔離所があり,また患者コロニーも存在したと報告されている.
 1907年(明治40年)ライ予防法が制定された当時,すでに判明していた患者数は700名を越えており,沖縄県にもライ療養所設立の計画が立てられた.しかし1909年(明治42年)沖縄県議会は当局案を否決したので,療養所の設立は中断されたのである.その結果,沖縄県は第五区連合九州療養所(熊本)の管下にくみいられたが,実際には患者を療養所に移送することは困難であり,県下のライ行政は進捗しなかった.そこで1928年(昭和3年),再び県下にライ療養所を設立することが決められた.1931年(昭和6年)宮古本島に宮古療養所が開設された.1935年(昭和10年)当時,県当局の記録によれば患者数は約1,000名と報告されているが,実際には3,000名ほどと推定されていた.宮古療養所と同時に設立が計画されていた沖縄愛楽園は,その建設予定地の住民の反対運動のためにその開設は遅れ,1938年(昭和13年)に至り,現在地・名護市屋我地に開設をみたのである.

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1170

印刷版ISSN:0368-5187

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