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特集 沖縄の公衆衛生活動
沖縄のライの現状と問題点
著者: 戸田圓二郎1
所属機関: 1琉球政府立沖縄愛楽園
ページ範囲:P.92 - P.94
文献購入ページに移動1907年(明治40年)ライ予防法が制定された当時,すでに判明していた患者数は700名を越えており,沖縄県にもライ療養所設立の計画が立てられた.しかし1909年(明治42年)沖縄県議会は当局案を否決したので,療養所の設立は中断されたのである.その結果,沖縄県は第五区連合九州療養所(熊本)の管下にくみいられたが,実際には患者を療養所に移送することは困難であり,県下のライ行政は進捗しなかった.そこで1928年(昭和3年),再び県下にライ療養所を設立することが決められた.1931年(昭和6年)宮古本島に宮古療養所が開設された.1935年(昭和10年)当時,県当局の記録によれば患者数は約1,000名と報告されているが,実際には3,000名ほどと推定されていた.宮古療養所と同時に設立が計画されていた沖縄愛楽園は,その建設予定地の住民の反対運動のためにその開設は遅れ,1938年(昭和13年)に至り,現在地・名護市屋我地に開設をみたのである.
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