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婦人労働(6)
著者: 嶋津千利世1 原田二郎2
所属機関: 1群馬大学教育学部 2杉野学園女子大学短期大学部
ページ範囲:P.42 - P.45
文献購入ページに移動前にもふれたように,初期の女工はよく聯合=団結したらしい.というのは,『明治文化全集』第15巻に「工場巡覧記」というのがのつていることはすでにかいたが,そのなかの「鐘が淵紡績会社」の項にも「寄宿舎には…初めは各県別に女工を寄宿せしめたけれども,兎角聯合の弊あればとて今は各県混交(ごたま)ぜに入るることとせり」(253ページ)という記述もあるからである.おなじ書のエー・シビル署名の文中には,鐘紡の女工が教育をうけたこともなく,またうける機会もなかったので「不平苦痛あるも,之を言ひ現はすの道を有せず,獣類の如く無言に之を堪へ忍ぶべきものたるを明にせり.」(289ページ)とあるが,不平不満をいわないのは教育がなかった,という主体的理由ばかりではなく,資本の奸計によって「聯合の弊」をとりさられたからでもある.当時の女工たちには--世間一般にも--まだ身分観念が頭脳に固くはりついており,階級意識はまったくなかった.また,いわゆる国家観念もなく,団結の靱帯となるものは同郷=おくに意識だけだったのである(この当時発行された書物などに○○県人何某などと印刷されたものをしばしばみかける)。したがって各県混交ぜにするということは,同種のものが異国人同志となり,団結どころか日常の話題も共感もなくなってしまったのであろう.
こうして孤立化された女工たちは,たちまち戦闘能力をうしなってしまったのである.
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