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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生36巻10号

1972年10月発行

雑誌目次

特集 コミュニティ・ケア

コミュニティ・ケア—公衆衛生・医療・社会福祉の進路

著者: 橋本正己

ページ範囲:P.612 - P.613

 本来コミュニティ・ケアという概念は,施設ケアinstitutional careに対するものとして,精神医療や老人福祉などの分野で意識的に用いられるようになったといってよい.すなわち精神医療については,よく知られているように,監禁custodialから開放open doorに,さらにコミュニティ・ケアへと進展している.これは1950年代の向精神剤の開発によって大いに促進されたものではあるが,これに先立ち,イギリスでは1920〜30年代にかけて従来の施設収容中心のあり方が反省され,施設は単なる収容・隔離が目的ではなく,治療・訓練・教育の場として把えられるようになり,さらに治療は施設内のみでなく,コミュニティにおいても行なう必要のあることが明らかになって,外来クリニック,各種の訓練・教育のための施設が設けられるようになったのである.ところで今日コミュニティ・ケアの発展に最も力を入れている国はイギリスであろう.イギリスでは1963年に保健省の青書(10ヵ年計画)として"保健と福祉:コミュニティ・ケアの開発―イングランド・ウェールズにおける自治体の保健福祉サービスのためのプラン"が発表され,これによってコミュニティ・ケアという用語は一般に普及定着してきたようである.

精神医療分野のコミュニティ・ケア

著者: 石原幸夫

ページ範囲:P.614 - P.620

精神医療におけるコミュニティのとらえ方
 医療の分野におけるコミュニティ・ケアを考える場合,コミュニティをどのような立場でとらえるかという問題は避けてとおることのできない重要な問題である.医療のなかでも,とくに新しい分野である精神医療の場合には,この問題は一層重要である.わが国では,コミュニティという言葉はそのまま「地域」という言葉に置き換えられて使われているが,このコミュニティを医療との関連で古くから取りあげているのは,いうまでもなく公衆衛生の領域である.
 公衆衛生ではこの「地域」について,「歴史的・社会的なまとまりと共通性を有する一定のlocalityであり,広い意味での英語のcommunityに相当するものといえるが必ずしも単一の地理的な拡まりを意味するものではなく,いわゆるcommunityの成層化の観点から弾力的な考え方が必要である1)」とのべている.地域とは必ずしも単一の地理的な拡まりを意味するものではない,という点に注目しなければならないのであるが,公衆衛生におけるコミュニティについては,まず地域単位としての意味あいが,伝統的にきわめて強いようにみうけられる.

老人保健とコミュニティ・ケア

著者: 磯典理

ページ範囲:P.621 - P.627

 人が成熟し死滅してゆくように,一つの時代やある社会体制というものも移り変ってゆく.昆虫が脱皮するごとく市民は適合しなくなった社会体制をぬぎすてて新しい殻を形成してゆく.その時変革がおこり滅びてゆくものと新しく興るものとの軋轢矛盾は当然生じてくる.
 農耕民族としての長い歴史に培かわれてきた家庭保障制度も核家族になってぐらつき始め,今後の老人の生活は社会保障における年金によって保障されなければならなくなってきている.最近,老人の間にも老人としての権利要求の声が一部ではおこりつつある.

社会福祉とコミュニティ・ケア

著者: 副田義也

ページ範囲:P.628 - P.634

 1969年9月,東京都社会福祉審議会は「東京都におけるコミュニティ・ケアの進展について」という都知事の諮問にたいする答申を行なった.これは,コミュニティ・ケアという概念が,わが国の社会福祉の領域における公的組織によってもちいられた最初の例であった.これを契機として,今日まで,コミュニティ・ケアへの注目は加速度的に増してきている.各地方自治体の福祉行政を担当する部門,各地域の社会福祉協議会などの民間組織において,それぞれ行政・運動のありかたを決定するさいに,コミュニティ・ケアの発想を採用する例は多くなっている.そのかぎりでは,さきの答申は,大きい影響力をもったといってよい.
 しかし,その答申におけるコミュニティ・ケアの概念は,概念としてかならずしも完全のものではなかった.すなわち,その規定は複数の解釈を許す曖昧さをいくつかの箇所でもっていた.さきの審議会を構成する委員たちのひとりとしてはたらく機会をあたえられた私は,自らの経験にもとづいて,その概念規定の不十分さは,大部分は,その時点で審議会にあたえられていた諸条件からしてやむをえなかったものであるとおもう.それは,一般的にいえば,知的領域において野心的な最初の試みが避けることのできない,いくつかの小さい躓きである.

ソーシャル・ワーカーとコミュニティ・ケア

著者: 阪上裕子

ページ範囲:P.635 - P.638

ソーシャル・ワーカーのコミュニティ・ケア観
 「施設ケアにはどうしても限界があり,さりとて従来の居宅ケアにも欠点がある.ここで新しい概念として"コミュニティ・ケア"の必要性が論議された.」(日本ソーシャル・ワーカー協会第9回関東ブロックセミナー第一分科会(都市化と福祉サービス)の報告--同セミナー報告書,東京ソーシャル・ワーカー協会,1971. p. 19)
 この一文には,ソーシャル・ワーカーがいま「コミュニティ・ケア」ということばをどう把えているかがきわめてあざやかに表現されている.この分科会に集まったソーシャル・ワーカーたちは,たとえば子どもの養育障害,心身障害者やねたきり老人の介護問題などを,都市化により家族とコミュニティの役割が変化するなかで深刻化し顕在化している問題として位置づけている.そしてこれらのニードに対応する福祉サービスのあり方として,「施設,福祉機関には棄民的機能,隔離主義の要素が多分にみられる.収容しっぱなし,飼い殺し,劣等処遇的性格を強く残すことを反省すべきだ」(同書p. 19)とする.一方,居宅保護は,日本の社会事業史のなかでは,保護の方法というよりむしろ保護の不在ないし家族その他への押しつけによる保護費用の節約の方法であったし分野によってはいまもその性格をもちつづけているのが実情であるから,「さりとて従来の居宅ケアにも欠点がある」といわざるをえない.

公衆衛生看護とコミュニティ・ケア

著者: 小林富美栄

ページ範囲:P.639 - P.642

看護の対象者
 看護の目標は健康の保持,増進および健康を回復しようとする人びとを援助することである.健康に障害がある人に対して治療が行なわれる病院・診療所では,健康回復を目標に,現状よりは,より高い健康レベルに達しようとする看護の対象者へのはたらきかけがなされる.医療機関内,特に病院にいる健康障害者にもいろいろな段階で,生活をしている人間としての健康状況がある.急性期で,生命の危険度が高い患者から,損なわれていた機能が正常に近くなりつつある段階,まったく他人の援けに依存して生活しなければならないレベルから完全に自立して療養生活をしている段階,自分の健康問題についてまったく認識できないレベルから,問題をつかみ看護者と目標を共有して入院生活をしている段階の人々などがありこの諸段階が複合している状況をもっている入院者個々人の看護の必要性に対応することが医療機関内における看護である.ここでは,対象が健康障害を自ら認識し,主体的に障害を克服し,健康を獲得する方向で,対象の健康状況に応じて計画された看護が行なわれる.看護者としては,特定の人に対する健康上の支援が,ある一定期間で終えんするものでなく,一貫した健康計画を対象者自身がもち,それを実践することを援助できる--看護の継続性の一側面--体系が保健・医療サービスのシステムにのせられることを悲願としている.

衛生教育とコミュニティ・ケア

著者: 橋本善彦

ページ範囲:P.643 - P.646

 「コミュニティ・ケア」特集号の中で標記のような題を分担することになったが,ここではその理論や考え方をのべるのでなく,筆者が神奈川県で約10年間「くらしの中の公衆衛生実践運動」と称する独自な衛生教育活動を展開してきたので,その紹介を中心としながら,以下本題にふれさせていただくことにする.

グラフ

トウキョウ '72—ゼロメートル地帯

ページ範囲:P.607 - P.608

発言あり

コミュニティ

著者: ,   ,   ,   ,  

ページ範囲:P.609 - P.611

現実に存在するが,行政当局が要求するようなコミュニティは存在しない
 これはもちろん日本の話である.外国ではどうなっているか,よく知らない.
 コミュニティについては,いろいろの説明がある.固定しなものでなくて,「動く地域社会」といううけとめ方をしている.したがって,地域的な「場所」,および同じ考えをもって共同に動く「多数の人々」と考える.

特別連載

沖縄の医療事情(1)―その形成過程と現状【新連載】

著者: 田中恒男

ページ範囲:P.655 - P.658

 第2次大戦終結後,二十有余年を経て,沖繩はようやく米国の支配から脱することとなった.これが沖縄にとって,真の解放であったか否かについては,多くの論議があり,本土復帰が沖縄にとって何を意味するものであるかは,これからの歴史の中に語られるべき事柄であろう.筆者は,昭和46年4月末から同47年2月に至る期間に,合計4カ月を公務のため在琉し,沖縄の諸事情について多少の情報も得,若干の自論を形造ることがあった.その一部については,すでに発表したが1)2)その基調は大和文化圏といわれるより,むしろ黒潮文化圏とでもいうべき,独自の文化や価値体系の中に,沖縄を位置づけるものでなければ,沖縄を論じたことにはならないとするものである.
 この見解には多くの異論もあろうし,とくに行政担当者からの反論もあるかと考えるが,米国の統治期間に米国自らが沖縄の近代化に失敗したこと,少なからぬ業績を医療面でも沖縄自体で(その文化背景を前提として)つくりあげてきたことなどから,一応の妥当性はありうるかと考えている.

特別寄稿

光化学スモッグのメカニズムと東京における現状

著者: 大平俊男

ページ範囲:P.659 - P.665

 光化学スモッグは1940年代にロスアンゼルスにおいて植物被害という形で初めて現われ,1950年代にいたって眼刺戟などの健康障害がロスアンゼルスの人々を悩ませるようになった.また,わが国ではオキシダント常時測定結果からみて,東京においても光化学スモッグが存在することが以前から指摘されていた1)が社会問題化するようになったのは,1970年7月18日の立正高校事件からである.
 光化学スモッグに関する基本的な反応理論についてはHagen-Smittらによって,ある程度のことが解明されており,わが国においても柳原らによってスモッグチャンバー実験などが行なわれ2),基礎的な光化学反応理論が確められている.しかし実際のフィルードにおける光化学スモッグでは,反応理論どおりに説明できない現象があり,2次汚染が1次汚染に比べて複雑であることを現わしている.

資料

群馬・栃木県境を跨いで太田・足利市に発生した腸チフスの流行例

著者: 腸チフス中央調査委員会

ページ範囲:P.666 - P.670

 1971年10月,群馬県と栃木県の県境を挾んで対峙する太田市と足利市にほとんど同じ時期に腸チフスの患者が14名発生した.その原因菌のファージ型を検査したところ,すべて同じE1型であった.発生時期の一致と,発生場所の関係と,原因菌のファージ型の一致とから,当然同一流行であると判断し,両県の間で協同調査が実施され,腸チフス中央調査委員会の斡旋もあって調査は進行した.しかし,その流行の原因はついに明らかにすることができなかった.ただ若千の考察が提出されたに留まる.以下はその調査の記録である.

講座

生態学序論(3)—生物群集をとりまく環境

著者: 手塚泰彦

ページ範囲:P.647 - P.650

4.生物群集をとりまく環境
 前回は生物群集がどのように構成され,また群集の構成員の間にどんな相互作用がみられるかを考察した.今回は生物個体または群集とそれをとりまく無機的環境との関係について考察してみたい.
 無機的環境のうちで,生物にとってもっとも基本的な物質,すなわち,生物を直接とりまき,生物がそれとの間で物質の交換を行なっている環境物質は媒質(medium)と呼ばれる.具体的にいえば,生物をとりまく媒質は大気と水と土壌の3つである.このうち,土壌は厳密にいえば媒質ではない.土壌中には多くの生物が生息しているのであるが,彼らを直接取りまき,また彼らが物質を直接交換しているのは土壌中の空気と水であって,土壌粒子は機械的に生物を支えているにすぎない.このような物質は基層(substratum)と呼ばれるのであるが,土壌は大気,水とならんで,生物圏(biosphere;地球上で生物の生息している空間をいう)を構成する三大空間の1つであるので,ここでは便宜上媒質の1つとみなしておこう.

根をおろす医師会活動

宮崎県医師会—近代的仁術としての活動

著者: 平嶋尚文

ページ範囲:P.651 - P.651

 医学専門団体として,その機能を十分に発揮した地域社会活動,これこそ現代における仁術だという原田県医師会長の根本理念の下,わが宮崎県医師会は,地域医師会とともに一丸となって,精力的に活動を展開,次第に,みのりを見ている.
 予防接種,学校医として保健活動,日曜祭日の在宅医師などは,各地区医師会が独自の方法で実施している事項なので,ここでは本県医師会として,最近実施している2,3について紹介する.

人にみる公衆衛生の歴史・18

社会医学研究会の活動家—1.その系譜

著者: 川上武 ,   上林茂暢

ページ範囲:P.652 - P.653

 社会医学は衛生学・公衆衛生学にとって自己批判の原点である.資本主義が発達して矛盾をふかめるにともない,衛生学もあらためて内容の検討をせまられるにいたった.
 すでに,ドイツ衛生学より社会衛生学の分化をみ,フランスにおいて社会医学の誕生をみていたが,わが国でも,医学・医療を社会との関連でとらえようとする,新しい動きが登場してきた.その最初のにない手が東大社会医学研究会の医学生・青年医師である.

私たちの保健所・35 沖縄県・宮古保健所

評価された宮古方式

著者: 砂川恵徹

ページ範囲:P.654 - P.654

 管内概況 日本の八百余の保健所のうち,南から2番目の保健所で,宮古本島を中心に,八つの島々からなりこれらを総称して宮古群島という.
 宮古群島は北東から南西へ連なる琉球列島のほぼ中間にあって,北緯24度40分から25度0分,東経124度40分から125度30分の間に位置している.島全体がおおむね平坦で低い台地をなし,山岳部は少なく野原岳の106.9mが最高峰である.ほとんどが隆起サンゴ礁を母岩とする琉球石灰岩からなり,砂岩と沈泥状の沈板岩が重なり合ったブロックで形成されている.宮古島も離島僻地の例にもれず過疎化の傾向にあり十年来年々人口の減少が目立つ.管内に六つの市町村があり総人口は約7万人である.そのうち農家人口が約65%で,主要作物はサトウキビである.台風銀座といわれるくらい毎年台風が多く,また強い時には1959年のごとく秒速85m以上の強風が来襲する.また干ばつなどによる被害も多く,農業の近代化合理化が叫ばれながら,灌漑施設なども十分でないため,農家の生活は豊かにならない.また四面海に囲まれているため水産業も盛んで特にカツオ節が製造されている.

日本列島

第5回保健衛生大会開かる—岐阜県

著者: 加藤

ページ範囲:P.620 - P.620

 7月24日午前11時より岐阜産業会館文化ホールにおいて第5回岐阜県保健衛生大会が開かれた.公衆衛生の向上を志す人々が一堂に会し「みんなで守るみんなの健康」を目標に,県民の自主的な公衆衛生活動の推進をめざして本大会が開催されたものである.
 知事表彰,公衆衛生協議会長表彰につづいて大会宣言がなされ,午後から体験発表がおこなわれた.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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