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特集 高知県の公衆衛生活動
風土と県民性—僻地とイゴッソウ
著者: 山本大1
所属機関: 1高知大学文理学部
ページ範囲:P.678 - P.680
文献購入ページに移動古い話だが,奈良時代に石上乙麿という人がいた.容貌が立派で礼儀正しく,秀才で学問を好み,とくに和歌がたくみで非のうちどころのない男性であった.この人がこともあろうに時の権力者であった藤原宇合の妻の久米連若売と通じたため,土佐へ流されることとなった.天平11年(739)のことであるが,このとき宇合は死んでいるので未亡人とできていたわけである.配流にあたって乙麿と乙麿の妻のよんだ歌が『万葉集』巻6にのっているが,土佐へ流されるのは大変なことで,何とか早く帰ってきてほしいとの思いを託した哀切の歌調が心をうつ.その歌詞の中に「天離る夷辺」「遠き土佐道」という言葉がよみこまれている.また『懐風藻』にみえる乙麿の伝記にも「南荒に飄寓す」と書いてある.つまり土佐は都から遠い夷辺の地で,南海というより南荒の表現がふさわしい土地として都人から意識されていたのであった.
この事件のあったときから15年前の神亀元年(724)に,重罪人を流す遠流の国が定められた.伊豆・安房・常陸・佐渡・隠岐・土佐の6カ国である.佐渡・隠岐の島国はさておき,東国を除いて西国では土佐だけが遠流の国となっており,南荒の国といわれたのも当然であった.それだけに流人たちはたえがたい思いをいだいて謫居の日々を送ったことであろう.
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