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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生36巻3号

1972年03月発行

雑誌目次

特集 老人の福祉と保健 対談

老人対策の施策と理念

著者: 山口新一郎 ,   山下章

ページ範囲:P.146 - P.151

 山下 最近,老人問題についてマスコミでも大部取り上げられておりますし,行政関係でもどうやら取り上げるようになったと思います.一方,老人はますます増加の傾向でありながら,家庭でも社会でも途方にくれているという状態だと思います.
 私たち保健のサイドにおるものも,老人には問題がたくさんあると思う.その問題を洗ってみると,やっぱり肉体的,精神的に弱者であるというところにすべての問題が帰着してくると思うんです.現状では,山口さんがやっていらっしゃる福祉の面だけ出ておるんだけれども,その中に保健という役割もかなりあるんじゃないか,やらなきゃならないことがたくさんあるのでないかという気がいたします.

定年後の老人

著者: 平井常雄

ページ範囲:P.152 - P.158

第3の人生への暗い谷間
 65歳,これが老人福祉法にいう老人です.ところが「わが国では男子の定年々齢を55歳とする事業所が63.2%とその大部分を占め,60歳以上に定めている事業所は2.3%と少なく,特に65歳以上に定めているのは14.5%ときわめてまれである」(昭和45年版労働白書より)といわれているように55歳になると大部分の者が老人として職場から追われるようになります.
 55歳になると職場では老人の名のもとに第一線より退かなければならないのに社会福祉面では65歳までは,何ら見るべき抜本的救済保障制度が用意されてなく放置され放しという現状といっても過言ではないのです.55歳から65歳のこの谷間をどう埋めるかが大きな問題なのです.

孤独な老人

著者: 米林喜男

ページ範囲:P.159 - P.165

 1963年に老人福祉法が制定されてから10年近くの歳月が流れたが,この間にはたしてこの法律が目的とする老人に対して,その心身の健康の保持および生活の安定のために必要な措置が講じられ,老人の福祉がはかられたであろうか.また多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として敬愛され,かつ健全で安らかな生活が保障されているであろうか.いまだ残念ながら答えは"否"といわざるをえない.数多くの統計は,老人の交通事故死や焼死の増加を物語っており,死後何日もたってから遺体が発見される"孤独死"も激増している.また,老女の自殺は世界一であり,老人ホームの収容率は世界の最低水準をいく.また,一人住まいの老人の数は鳥取県の総人口を上まわり急激な勢いで増加している.寝たきり老人の数も全国で約40万人と推定されるなど,老人を取りまく環境はあまりに暗い.加えて,新民法が方向づけた核家族化が今日ではもはやとどまることを知らぬ勢いで進行しており,価値体系の急激な変化と相まって,こどもが親を扶養する"私的扶養"は急速に崩壊しはじめている.今や,老人核家族は好むと好まざるとにかかわらず自前主義でいかざるをえない状況に追いやられている.さらに,厚生省をはじめとする数多くの行政機関や学術団体の調査報告もそろって今日の老人がかかえているさまざまな種類の不安を明らかにしている.まさに現代社会における老人達は"灰色の孤老"になりつつあるといってもよいであろう.

ねたきり老人とひとり暮らし老人

著者: 永田幹夫

ページ範囲:P.166 - P.172

問題点とその背景
 今日,老人問題がいかに重大化しているかについてはすでに多言を要しまい.
 わが国の老人は,そのほとんどすべてのものが生活上の大きななやみをかかえ,不安をいだいているといってもよい情況におかれているのである.

特別養護老人ホームの老人

著者: 前田甲子郎

ページ範囲:P.173 - P.177

 日本人の平均寿命の延長もここ2,3年は足踏み状態となり,一方,老人医療費の無料化運動は急速に全国に拡がり,47年には国の施策としてとりあげられるに至った.一方,いわゆる「ねたきり老人」という語句で代表される在宅長期臥床老人は実態調査から40万余といわれ,しかもその対策の立遅れを指摘するかのごとく,中風老人の焼死,孤独な老人の死後約1カ月発見などが時々新聞紙上の話題となっている.この対策として,国は老人福祉法に特別養護老人ホーム(以下単に特養と記す)をとりあげ,多くの問題を含みながらも急速な発展をなし,すでに全国1万余の収容人員迄に整備されるに至った.しかしながら一方,最低基準に協力病院の協力と,医務室,訓練室の設置が義務づけられながらも,いわゆる老人病院の未発達,健康保険制度の矛盾,看護の困難性も加わり,医療陣の消極的な参加などから,その実態は老衰末期の世話ホームで,一種の姥捨山にすぎないという批判すら聞かれるに至った.この特養の諸問題の医学的な観察を,名古屋市厚生院を中心に行なったので報告する.

座談会

日常活動のカベを乗り越えられるか

著者: 日月公子 ,   大工原秀子 ,   江口福 ,   三田寺おとめ ,   阪上裕子

ページ範囲:P.178 - P.185

 この座談会は,本号掲載の山口,山下両氏の対談をふまえて,日頃老人と接しておられる保健婦およびホームヘルパーの方々のご意見をうかがった.異なった行政管轄のもとで十分な交流のないままに老人という同分野で活動される現場,その交流を阻害しているかと思われるたて割り行政の厚い壁.問題点の山積しすぎている現状のためか,会は延々2時間以上にも渉ったが,ここではその一部を集約して掲載した.

研究

定年退職勤労者の健康調査—某地方自治体の場合

著者: 坂田澤司

ページ範囲:P.195 - P.198

 これまで勤労者の成人病対策は法制定がおくれているにもかかわらずここ10数年来急速に進められ,ことに大企業,中企業におけるこれらの保健対策は循環器疾患を手がかりとして胃集検へと進展し,さらに人間ドック的方法にまで発展がみられている.一方,ひるがえってこれら勤労者の定年退職後の保健管理状況をみると,主としてこれらの人々が直接企業と結びつかない理由から,かえって障害の多い退職年齢後は残念ながらおろそかにされほとんど手がつけられていない.私はこの点に着目し某地方自治体の恩給および年金受給者1235名を対象として生活環境調査とコーネル医学指数調査(以下CMIという)をアンケート方式により実施したのでその概略について説明してみたいと思う.

グラフ

トウキョウ '72—遊び場—追いたてられる子ども

ページ範囲:P.141 - P.142

 かつて,そこには空地があった.子どもたちは,相撲をとり,ボール投げに興じ,縄とびをして,夕暮れになると「ご飯ですよ」という母親の声とともに自宅の夕餉についていた.ある日,突然,ジャンパーを着た大人たちがやってきた.測量器具を駆使して空地の広さを測り,手にした白地図の上に「ここに空地あり」と色鉛筆で真赤に染めた.翌日,子どもたちは学校から帰ると,ランドセルを畳の上に放り出して,空地に走った.そこには立ち入り禁止の看板が立てられ,屈強な大人たちが出人りしていた.子どもたちが,自分の場所が奪われていくと気づくのは遅すぎた.それから数日後には万里の長城のようなコンクリート造りの高速道路ができ上がり,自動車が列をなして走っていた.このようにして子どもたちは空地を奪われ,自分たちの領地を喪っていった.きょうも,子どもたちは自分の空地を探し求め続けている.

発言あり

安楽死

著者: ,   ,   ,   ,  

ページ範囲:P.143 - P.145

死の選択権は誰に?
 生命,それは誰のものであろうか.いうまでもなく,その人自身のものである.しかし,もしその生命が危うくなった時,その帰結を決めるのは,一体誰なのか.この問題は医療の中では,毎日直面することであり,きわめて古く,そして常に新しい問題なのである.西欧キリスト教的発想においてすら,このことはゆるがせにできぬ問題となりつつある.
 昨年,渡辺淳一氏が,小説現代で提起した,死の選択をめぐる決定権が医療にありうるのか,という問題は,小説の中であるが故に余り論議をよばなかったかもしれないが,社会政策のある程度ととのった北欧諸国においてさえ,重要な論点となっている.近代医学技術の進歩は,たしかに迫りくる死を,一時遠のかせたという功績をおさめた.しかし,病者の悩みや家族の苦しみを救うものではなかった.今日でも,末期がんの患者に何も施療しないでくれと,医師や看護婦にすがる家族は後をたたない.

講座

婦人労働(8)

著者: 嶋津千利世 ,   原田二郎

ページ範囲:P.191 - P.194

 肉体的・精神的荒廃 「本邦ニ於テ工人ニ関スル調査少ナキハ甚ダ遺憾トシタル所ナリ,然レドモ明治43年,44年ノ両年ニ渉リ〇〇〇ニ於テ工場衛生ニ関スル調査ヲ進陟シ女工ノ健康状態ニ関スル報告ヲ集輯スルヲ得タルヲ以テ茲ニ本邦工女ノ健康状態ノ趨勢ヲ明ニスルヲ得タルハ吾人ノ喜悦スル所ナリ」とかきだす石原修の「衛生学上ヨリ見タル女工ノ現況」は1913年12月30日に発行された.もうすこし緒言から引用してみよう.
 「本邦工業ニ従事スル工人ハ現在80万ヲ超エ中女工約50万ヲ算シ実ニ其ノ6割強ヲ占メ居レリ,其ノ女工タルヤ年少者甚多ク発育時代ニアル未青年者約30万ニシテ本邦女工中ノ6割ヲ占メ居レリ,彼等若年女工ハ本邦工業ノ重要ナル支持者タリ,彼等女工ノ健康ニシテ不良ナランカ労働力ヲ減殺シ工業ノ発達ヲ阻害シ又延イテ出産率ヲ減少セシメ生児モ亦健全ナルヲ望ムハ難キトスル所ニシテ為ニ国家ノ繁栄ニ少ナカラザル影響ヲ与フルモノタルヤ誣言ニ非ルナリ,女子竝未成年者ノ工場生活ハ其ノ健康上ニ容易ニ悪影響ヲ及ボシ得ベキハ先人ノ説ク所ニシテ何人モ異議ヲ称ヘザル所ナリ,又本邦工業ハ追年隆盛ニ向ヒ工人ヲ要スル事益々多ク従テ女工ヲ要スルコト又多シ,工場生活ノ健康ニ及ボス影響大ナランカ国家ニ及ボス悪影響益々大ナラントスルナリ,之ヲ以テ女工ノ健康状態ヲ調査スルハ頗ル緊要ナル所ナリトス」.

資料

腸チフス・パラチフス管理報告—1968・69年の管理カードによる情報の分析

著者: 腸チフス中央調査委員会

ページ範囲:P.199 - P.204

 腸チフス・パラチフスに関する情報を全国的な視野でとりまとめ,分析して,その防疫に役立てようという目的で,1966年11月以降患者管理カードの提出を求めてきたが,今回は1968年および69年分の集計結果を報告する.
 腸チフス管理カードは,患者および保菌者が,隔離入院加療を受け,その隔離解除退院のとき作成されるもので,発生時に作成される発生報告カードとともに,腸チフス・パラチフスの管理のための重要な情報源となっている.

人にみる公衆衛生の歴史・11

国崎定洞(1894〜1937?)—社会衛生学より革命運動へ—1.衛生学者"国崎"

著者: 川上武 ,   上林茂暢

ページ範囲:P.186 - P.187

 忘れられた衛生学者,国崎定洞.日本の社会衛生学の先駆者でありながら,その生涯と仕事はながく抹殺されてきた.直接影響をうけた数少ない衛生学の大家の思い出のなかから,"国崎"の存在が,現代に復活するまでにはながい年月を要した.その原因としては,国崎が衛生学者として意識的に人民の立場にたち学問のなかにマルクス主義的方法をとりいれ,生涯にわたって反体制的行動に終始したことが第一にあげられよう.
 さきに,われわれは国崎の著作・関係者の証言をもとに彼の生涯を復原したが(「国崎定洞—抵抗の医学者」1970,勁草書房),国崎こそ医者のなかではもちろん,当時の知識人としての本格的にマルクス主義に接近したごく初期の人である.医療史のみならず現代史のうえでも先駆的役割をはたしていることも明らかになってきた.公害問題をはじめ,衛生学者の世界観がきびしく問われている今日,国崎の生涯がわれわれになげかけている意味を考えてみたい.

研究所総点検

大阪府立公衆衛生研究所

著者: 古野秀雄

ページ範囲:P.188 - P.189

沿 革
 大阪府では行政目的の衛生学的試験検査の体制がはじめてできたのは明治13年のことで,同年12月各府県警察部に衛生課が創設された時に,行政上必要な細菌検査などを処理する検査室を同課に設置されたのが始まりである.降って昭和21年衛生部の創設によって翌22年5月同部の所管に府立細菌検査所なるものが設置され従来の業務を引継いできた.
 昭和24年,地方庁の衛生試験研究機関を整備するよう厚生省三局長からの通牒にもとづき,同年10月10日この検査所を主体に臨床検査,血清検査,獣疫,食品衛生などの部門を整備して府立衛生研究所が設けられ,27年には製品,水,医薬品などの検査を担当する化学試験課を増設,いわゆる地方衛研として,行政目的の試験検査とともに,公衆衛生上の諸問題に関する調査研究も行なわれてきた.

教室めぐり・30 福島県立医科大学公衆衛生学教室

深い県衛生行政との関わり

著者: 辻義人

ページ範囲:P.190 - P.190

 本教室は昭和28年4月に,初代桑原教授が着任したことから始まった.桑原教授は北大井上善十郎教授の薫陶を受けられた方であるが,同門の私を助教授として伴い札幌から移ったのであった.桑原教授は5年間在任の後に北大工学部衛生工学科教授として札幌に帰られ,助教授であった私が教授に昇任し現在に至っている.
 教室の現在の研究の流れは,大別すると3つに分けることができる.その第1は民族衛生学的研究であるが,その源流は桑原教授時代にあるといえる.すなわち昭和29年に福島県の秘境といわれる桧枝岐(ひのえなた)村の調査を行なったのが,隔離集団の民族衛生的研究の嚆矢である.最近交通が盛んになるにつれて,隔離状態が失われつつあり,これに伴い貴重な資料が失われつつある.したがって,今のうちにこの研究を続けておく必要があるといえる.この考えのもとに,桑原教授離任後も県内各地に残存する隔離地区の調査が続けられ,現在は山形県に及んでいる実情である.隔離地区の調査にからんで,遺伝形質の遺伝子頻度と血族結婚との関係など,人類遺伝学的研究が進められるようになり,さらに染色体異常の発生に関する因子の追求にまで及んできている.本学臨床各科にて染色体異常が疑われる時,その核型分析は本教室が受持つ形になっているほどである.

学会印象記

生かしたい本学会の成果—第30回日本公衆衛生学会

著者: 青山英康

ページ範囲:P.205 - P.209

 評議員会の席上で一人の教授が,本学会のマンモス化を評して「他の学会と違って公衆衛生学会の印象記を引き受けるような者は,良識のない者だ.一人で全学会を聞くことはもちろん見ることさえできなくなっている」と発言している.
 事実わずか3日間の会期に1日は総会に,残る2日間で7会場に分かれ6つのシンポジウム,2つの特別講演,一般演題が368,自由集会さえ当日準備されたものを含めると10会場である.

日本列島

森永ひ素ミルク中毒被災児に対する精密検診結果—京都市,京都府/20歳前後のSEX・TEST—岐阜市

著者:

ページ範囲:P.172 - P.172

 京都府および京都市は,昭和45年9月以来,森永ひ素ミルク中毒の被災児に対して,疫学調査および精密検診を実施して,被災児のもつ,生活および健康上の諸問題の実態を把握すべく,努力をかさねてきました.
 なお,実際的な調査および検診については,京大・公衆衛生学教室の西尾雅七教授を会長とする「森永ひ素ミルク中毒追跡調査委員会」(会員以下18名)の企画にもとづき,京都府および京都市の全保健婦による訪問調査(疫学調査)と12病院における精密検診に分けられる.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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