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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生36巻7号

1972年07月発行

雑誌目次

特集 国際保健

保健計画Health Planningの国際的動向—WHOのdocumentsを中心に

著者: 橋本正己

ページ範囲:P.414 - P.419

 現代は情報化と計画の時代であるといわれる.これは戦後の産業高度化と経済開発の要請を契機として急激に発展したものであるが,公衆衛生・医療の領域についても決して例外ではありえない.その歴史が示しているように,公衆衛生・医療はそれぞれの時代の切実なのっぴきならぬ社会の要求に応えて発展してきた.しかしとくに第2次大戦後の人口老齢化,疾病・死亡パターンの変化,医療の社会化,医療の技術革新,病院医療の高度化,生活水準の向上,市民意識の昂揚などの諸要因は,先進諸国において例外なく保健医療の需要demandの急激な増大を招来した.またその半面,保健・医療の施設,ヘルスマンパワー,それらの財源など保健・医療の諸資源とその拡充には自づからの限界があるため,その需要と供給の間のギャップは増大し,各国において社会問題化していることは周知のとおりである.保健・医療分野への計画の導入は,実は高い理想を志向して積極的に行なわれたというよりは,このような社会問題の深刻化のなかから起こったものといえる.しかしこれを技術的に促進した強力な要因は,各種の新しい計画技法の開発とくにコンピューターの実用化であったこともまた否定できない.以下に最近における保健計画の国際的動向について,主としてWHOのdocumentsを中心に概観することとしたい.

母子保健の国際的動向

著者: 高石昌弘

ページ範囲:P.420 - P.426

 母子保健の国際的動向について愚考を述べる前に,まずカバーする範囲を限定しておきたい.
 こんにち,母子保健を広義に解釈する場合,小児保健の定義と同様に学校保健でとり扱う問題を含むことがしばしばある.しかし,公衆衛生活動を地域保健活動,学校保健活動,産業保健活動のように,活動の場によって規定する時,母子保健活動は地域保健活動の一環として,現実には学校保健の問題とは,きりはなして考えられることが多い.国際的にも,M. C. H.(Maternal and Child Health)はSchool Healthとは独立に論じられることが多いので,ここでは母子保健の範囲を狭義に解釈して話をすすめていきたい.ただし最近よくいわれるlife cycleを考慮した母子保健は当然,学校保健における保健教育との関連なしには考えられないので,この問題の重要性を忘れてはならないと思う.

中小企業衛生管理の国際的動向

著者: 久保田重孝

ページ範囲:P.427 - P.431

(1)
 中小企業の衛生管理の重要性.しかし,それにもかかわらず,これをすすめることの困難さ,そうした問題は,世界各国で多少とも共通の悩みとして古くから取上げられていたことである.
 実はわが国でも,日本産業衛生協会内に"中小企業衛生問題研究会"が設けられ,昭和38年以来昭和45年6月までに7回の全国集会が行なわれ,そこで当面の重要課題が討議されてきたのである.この研究会の創立の必要性を強く主張し,かつ現在まで世話人の役を引受けてこられたのは関西医大衛生学教室の東田教授で,氏は,第2回の全国集会のさいには"海外の中小企業衛生対策を語る"と題して,丁度この小文の表題に当たることを自ら述べてもいる.この意味では,この小文も東田教授に書いていただくのが最適ではないかと思うが,それでもなお,小生にお鉢が廻ってきたのは,おそらく国際労働衛生学会(The International Association on Occupational Health)(略称IAOH)の公認の小委員会の一つとして活動しているSubcommittee on Occupational Health Services in Small Industriesに日本から小生が委員として加えられたからであろうと推察する.

国際保健規則とわが国の外来伝染病対策

著者: 中野英一

ページ範囲:P.432 - P.438

 1971年1月,従来から施行されていた国際衛生規則(International Sanitary Regulation)が,国際保健規則(International Health Regulation)と更改されたが,この更改に至る諸般の考え方の推移,これに伴う諸問題およびわが国における国際保健に対処する関連諸施策の実状と今後の方向について纒めてみたい.本編は昨年10月東京において開催された第30回日本公衆衛生学会総会(会長:曽田長宗国立公衆衛生院長)の第4分科会シンポジウム,「国際保健規則の改正とわが国の外来伝染病対策」における発言および討論の要点である.

関連機関の沿革と活動

国際衛生教育ユニオン

著者: 山本幹夫

ページ範囲:P.439 - P.441

 国際衛生教育ユニオン(The International Union for Health Education,IUHEと略)については,昭和45年に本誌の「衛生教育の転換」という特集で書いたことがある1)ので,すでにご承知の方も多いと思うが,国際的な保健活動の中で最も大切な一側面である衛生教育に関する専門的国際機関であるので,皆様に十分に知っていただく必要があるし,この機関が主催して来年パリで開催される第8回の国際会議の模様なども含めて知っていただくことが,発展途上国と比較して組織の上などでおくれているわが国の衛生教育の充実のためにもきわめて大切であろう.

東南アジア医療保健機構(SEAMHO)

著者: 白幡友敬

ページ範囲:P.441 - P.443

 当初AMCO(アジア医療協力機構)と仮称され,その後AMO(アジア医療機構)と改められさらに去る2月初旬の関係国専門部会でSEAMHO(東南アジア医療保健機構)と呼ばれるようになった.この新しい地域医療協力国際機関の構想は,すでに5年ほど前からわが国においては発足したものであるが,迂路曲折を経て,今春,東京で開催された東南アジア経済開発閣僚会議の作業部会で取上げられ,日本を含む関係9ヵ国の間でほぼ基本構想がまとまってきた訳である.
 わが国の開発途上国に対する医療協力は,すでに昭和41年以来,いわゆる2国間方式と呼ばれる方法で,アジア,中近東,アフリカ,中南米の各国に対し,今日までに40億円以上の資金を投入し(無償援助),各種の医学医療センター,巡回診療,調査団派遣,医療器材,薬品などの物資援助の形で行なわれてきたが,資金や物資による援助もさることながら,医療協力にたずさわる専門家の派遣,あるいは開発途上国からの研修生の受入など人材に関する協力に関しては,並々ならぬ努力を必要としており,今後も益々困難を加えてくる問題と考えられている.他方,先進国側から開発途上国に対する協力事業が,経済開発から社会開発へその重点が移行しており,特に医療協力事業を強化する必要ありとの考えが,わが国政界筋からも唱えられるようになってきた.

東南アジア教育閣僚機構と熱帯医学および公衆衛生学計画

著者: 三井源蔵

ページ範囲:P.443 - P.445

 The Southeast Asian Ministers of Education Council略してSEAMECと呼ばれる東南アジア教育閣僚会議は,1965年11月にその第1回総会がタイ国の首府バンコックで開催された.この時にインドネシア,ラオス,マライシア,フィリピン,シンガポール,タイおよびヴェトナムの7ヵ国が原加盟国として登録されたが,1971年1月にカンボディアがクメールの国名で加わっているので現在では加盟8ヵ国とされている.
 SEAMECは第1回総会以来毎年1回加盟国のいずれかの地で開かれていることになっているが記録によると,第2回は1966年11月にマニラで,第3回は1年置いて68年2月にシンガポールで,第4回は69年1月にジャカルタで,第5回は70年1月にクアラルムプールで,第6回は71年1月にサイゴンで,第7回は72年1月ヴィエンチャンの予定で回を重ねてきた.

国際看護交流協会

著者: 永野貞

ページ範囲:P.445 - P.448

 国際看護交流協会すなわち財団法人国際看護交流協会(The International Nursing Society, INC)についてその誕生までのいきさつ,現在行なっている事業そして計画を語る機会が与えられたのでその実態を述べたい.

グラフ

トウキョウ '72—みどり—ある種の貧困

ページ範囲:P.409 - P.410

発言あり

国際保健活動と日本人

著者: ,   ,   ,   ,   ,   乾死乃生 ,   須川豊 ,   鈴木尚夫 ,   箕輪真一 ,   吉田健男

ページ範囲:P.411 - P.413

その伝統のせいである
 「発言あり」とすれば,先ずこのテーマについてである.
 日本人は,国際保健活動に参加することが少ないという前提を考えているようだが,果たして近頃も少ないかどうか,筆者は調べたことがない.また,少ないとすれば,保健活動のみでなく,すべての活動が同じではないか.しかし近時は,経済活動はそうでないのではないか,という疑問がある.交際できる条件があれば,東洋は歴史的に礼節を尊ぶ国がらであり,とくに日本人は,義理人情に弱い.それにもかかわらず国際的に交際できなかったとすれば,歴史的な背景が,原因の一つであると考えざるを得ない.

研究

ポラロイドフィルムのX線胸部間接撮影への応用—読影医師の立場から

著者: 水原完 ,   橋本美知子

ページ範囲:P.464 - P.468

 わが国における結核対策は,結核予防法の制定,住民検診制度の公費負担化,ついで結核患者管理システムの確立といったこの20数年の流れは,大きく前進した.全国的にも結核発生は下降カーブをたどり,多発地区とされていた大阪市内1)でも10年前と比べると,り患率は半減している.昭和40年代にはいって残っている重点問題としては,high risk groupがあげられ,結核病学会でもしばしばシンポジュームが行なわれ,また昭和44年には,今後の日本における結核の予想をシンポジュームとしてとりあげられた.全国結核実態調査結果2)から,全国的には結核は西日本に多く,それも大阪市・神戸市・九州北部に集中し,性別には男子,年齢階層別には高年層に,社会階層別には小企業従事者・低所得層・浮浪者などに片寄っており,これら未受診者層に対する施策の実行が望まれている.
 大阪市では,かつて高い結核り患率を示していた数地区(城東区・大淀区など)もあったが,昭和32年以降の住民検診を軸とした地域活動の結果,さきに10年間の反省と実績から,住民検診高率受診継続地区での結核激減という好結果の報告3)をした.そのさい指摘したごとく,high risk groupとして,市内22区のうち浪速・西成両区を中心とした単身労務者や無宿者・浮浪者などの問題が,未解決のものとして残存している.

地域における中年期脳卒中の実態と予防対策

著者: 新井宏朋 ,   水野武昭 ,   湊正 ,   野尻雅美 ,   本木正勝 ,   市原龍子 ,   中村てい

ページ範囲:P.469 - P.473

 わが国の脳卒中対策の重点目標は中年期脳出血の防止である.厚生省が昭和44年から脳卒中死亡率が全国平均の2倍以上の市町村12県131地区で実施中の脳卒中予防特別対策も,これを目標としている.
 わが国の脳卒中対策の研究は最近10年間,特に,その疫学と集検方式の研究に関しては長足の進歩をとげた.今日のこされているのは中年期における脳出血の発症をさらに高齢な段階にまで大幅におくらせるための健康管理体系を確立する行政学的研究であろう.著者らは先に静岡県一農漁村住民1,421名の5年半にわたる脳卒中の追究成績によって,集団検診における眼底撮影が脳卒中の予知にきわめて有用であることを報告した1)

資料

農村における成人総合集団検診に関する意識調査

著者: 柳沢文憲 ,   吉川一彦

ページ範囲:P.454 - P.458

 農村における住民の健康に対する意識は現在どうなっているかについて,成人の総合集団検診をおこなってきた農村において,「集団検診に対する関心」を通してアンケート調査をおこなってみた.集団検診と健康教育が両輪となってすすむことによって農村における住民の疾患予防,健康意識向上への関心は高まる.

ある発生のパターンをとる腸チフス広域流行の分析と考察

著者: 腸チフス中央調査委員会

ページ範囲:P.459 - P.463

 腸チフスはわが国においては元来散発あるいは局所的に多発,流行を起こす疾患である.家族に集積し,学校に発生し,ある店舗を中心にしてその周囲,周辺に患者の多発を見る.そしてまれに一町,一市に若干の患者が散布する.
 近年衛生環境の改善に伴い,腸チフスの患者が多発集積する場合は概して共通経路感染である.その共通経路がかなり拡大するときには時として全国的に広範な患者の多発を見ることがある.

事例

保健所乳幼児クリニック実施の一方策

著者: 棚橋幸雄 ,   豊吉たず ,   古田ひさゑ

ページ範囲:P.466 - P.467

 保健所乳幼児クリニックを実施する場合,受診者が時間的に集中したため混雑をきたし,適切な指導が妨げられることのあるのは,都市型保健所では往々に遭遇する悩みではないかと考える.
 当保健所では,この問題解決の方法として,従来乳幼児クリニックとして一括実施してきたのを,昭和44年5月から,4ヵ月児,1歳児,3歳児健診および育児心配ごと相談にきりかえ実施するようにした(表1).

人にみる公衆衛生の歴史・15

山本宣治(1889〜1929)—性科学の確立と無産者運動

著者: 川上武 ,   上林茂暢

ページ範囲:P.452 - P.453

 わが国の産児制限運動は,戦前の"うめよ殖せよ"の人口膨張政策のもとでは,きびしい弾圧をうけてきた.運動をすすめる側も,非専門家が多く,国民の産児制限を必要とする事態の改善されないこととあいまって,活発な宣伝は,かえって怪しげな器具・薬品の販売を助長する結果ともなった.これに対して,生物学の立場から性科学の知識にもとづく産制運動をあざしたのが山本宣治である.

研究所総点検

国立栄養研究所

著者: 大磯敏雄

ページ範囲:P.450 - P.451

 現在の国立栄養研究所が,諸外国の同種研究所に先駆けて創設されたのは,すでに50年の歳月を朔る.すなわち,大正9年(1920),当時は内務省の所管として,その年の9月17日に,「栄養研究所官制」が公布されたのに始まる.
 当時は,明治以来,わが国民に広く流行してきた脚気禍からもまだ抜け切らず,その上結核も蔓延のきざしがあった頃で,識者からは,つとに日本人の体格が欧米人のそれに比較して,著しく劣ることが指摘され,それには,日本人の日常の食事が大いに関係するものであろうから,これを改むべきであるとした意見の出ていた頃であった.

教室めぐり・32 弘前大学公衆衛生学教室

"開かれた大学"の機能

著者: 臼谷三郎

ページ範囲:P.449 - P.449

 本講座は昭和34年4月に開設され,長崎大から中村正先生が着任され教室を主宰せられたが昭和42年8月,再び長崎大衛生学教室主任として転ぜられたため筆者が後任を命ぜられて現在にいたっている.
 開設当初は,いまだに笑い草になるのだが,市内の有名な文房具屋の店員が,請求伝票の宛先に"口臭衛生学様"と書いて持参したくらいだから,この方面の知識水準は推して知るべしであった.市民からは便所の汲取り依頼や鼡とりの相談をうけたりして奇談,珍談がたえなかったのである.さし当たり保健所の分家が大学にできたくらいにうけとられていたらしい.それが最近になると公害ブームのためか,保健所では納得のいく答がえられないからという前置きで,飲料水中のMnの意義や,残留農薬の許容量の算定方法などという高度な知識について問合せがくるようになった.世の進歩の速さに驚かされるとともに,日々に新たな情報を的確にとらえ,これを社会に還元しなければならない責務を痛感させられている.

日本列島

伊是名島のレプトスピラ症—沖繩県/第4回岐阜県栄養士研修会開催さる—岐阜県

著者: 伊波

ページ範囲:P.468 - P.468

 沖縄におけるワイル病の発生は,戦後2〜3年ごとに1例の届出がなされでいるが,1967年には4例の届出があり,しかもそのうち3例は沖縄本島西北海岸の沖合いにある伊是名島で発生した.さらに同島からは68年,69年に各1例,70年に2例,71年に2例と引続き発生したので,琉球政府厚生局では,同島を主管する名護保健所,公害衛生研究所とともに,同島におけるワイル病の実態調査を行なった.同島は伊是名村一村からなり人口3279人758世帯で半農半漁,島内にはネズミが多く生息している.調査団は鼠族間のレプトスピラの浸淫度とともに,住民の血清学的調査も行なった.血清学的検査方法はSchuffner-Mochtar法に準じ,抗体価100倍以上を陽性とし,抗原は現地で捕獲した鼠より分離した株(L. pyrogenes-Izena株)を用い,その他,無作意抽出した426の血清については.L. pyro-Izenaのほか秋疫A,秋疫B秋疫C,L. canicola(Hond. Ut. Ⅳ),L. icterohaemorrhagiae(内田を用いて検索した.その結果(1)被検件数2385例についてみると,①L. pyrogenes(Izena)に対する陽性率は,37.6%.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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