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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生37巻1号

1973年01月発行

雑誌目次

特集 健康権

権利としての健康

著者: 北野博一

ページ範囲:P.4 - P.9

健康とは
 人間が生活して行く上で一番大切なものは,知的動物としての社会活動をするための種々の条件もさることながら,まず健康であることであろう.しかし自分が健康であるときよりも病気のときか体が弱ったときにしか,健康について考えないものであり,健康は一般に病気と対比されて論ぜられることが多いのである.しかし昭和45年の厚生省「保健衛生基礎調査」1)によれば,日本人の現代の意識は全年齢層を通じて「健康」こそ日常生活で最も重視すべきものとなった.またその理由としては「健康が人間生活の基礎をなすから」と答えたものが最も多くなっている.健康こそ本源的なものであり,人権の基本であると人々は経験的に認識したのである.
 健康という言葉を常に使いながら,改まって「健康とは何か」と問われると,簡単には答えられない.その人のおかれている現在の環境なり,年齢によって,その答のニュアンスはちがってくるだろう.ある人は「病気にならないこと」と答え,ある人は「死なないこと」というだろう.人間らしい生活ができる体の状態だとも考えられる.健康の概念は幅が広いものであり,変遷もある.

「健康権」についての一試論

著者: 唄孝一

ページ範囲:P.10 - P.14

 健康権という概念を,独立の熟したことばとしては耳にしたことは必ずしも多くない.そして今,健康権を唱導することに私はたしかにある意欲と使命感とを感じている.しかし,それとともに,この新しいターミノロジーのもとにまた「××権」を一つ加えることに,ある種のシュプレヒコールにあるあの空しさ,とまではいわぬにしても,こういう問題のとり上げ方の必要性に多少の懐疑心をすてきれないこともまた事実である.この二つの,少なくとも外見的には矛盾する自己反応を,ともかくもじっとふりかえりみつめてみよう,そしてさらにこの心象風景を生み出す客観的条件の考究に着手してみよう,これが本稿の趣旨である.
 端的にいって,健康権というとき,憲法25条を思い出さない人は少ないであろう.すなわちそれは「すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」ことを明記しているからである.これは生存権的基本権として注目され,単に法学界だけでなく法律実務上でも,いや国民生活一般の上でかなり論議されまたそれなりに機能してきた規定である.

「健康権」の歴史

著者: 下山瑛二

ページ範囲:P.15 - P.22

 はじめに若干の断り書きをしておかねばならない.ここに掲げた表題は,私自身の選択したテーマではなく,編集者から与えられたものであり,しかも,そのねらいは,「最近のイギリスの動きを中心として,健康を保持する権利を歴史的に概観し,わがくにの問題に言及する」という点において欲しいということであった.
 そこで第一に「健康権」という概念についてコメントを加えておきたい.「健康権」という概念は,現在の法律学界において,厳密な意味での法的概念として認められているとはいいがたい.憲法25条には「すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定されている以上,「健康権」という概念が法律学において使用されたとしても,何ら不思議ではないはずであるのにもかかわらず,「健康権」という概念は用いられてはいない.ここに法律学界の支配的な傾向と医学者・公衆衛生学者あるいは非法律家との意識の間に,若干の懸隔のあることを認めざるをえない.そのヘダタリは何によって生ずるのだろうか.きわめて概括的にいえば「権利」というものが,社会意識に根差していると同時に,きわめて法技術的に構成されねばならない要素を含んでいることに由来するといえるだろう.

「健康権」と社会保障

著者: 小川政亮

ページ範囲:P.23 - P.30

 社会保障という言葉は,通常,制度的には,狭義には①社会保険,②児童手当のような無拠出制で,かつ資産調査のない所得保障ないし,③生活保護のような扶助的保障を総称するものとして,また広義には,狭義のそれに公費医療・公衆衛生および社会福祉(児童・老人・障害者などに対するいわゆる社会福祉サービス)までをも加えたものの総称として用いられている.このような意味での社会保障は,われわれが誰しも人間らしく生きる権利,憲法25条の表現によれば,健康で文化的に生きる権利を有する以上,これまた,当然に権利として要求しうるものでなければならないはずである.
 それでは,権利としての社会保障のイメージにふさわしい社会保障制度とは,どのようなものであろうか.この点で,働く者の立場からみて大いに参考となるのが1953年ウィーン国際社会保障会議採択の社会保障の基準・原則を発展させて1961年モスクワ第5回世界労組大会で採択された社会保障憲章であることは,周知のところであろう.

資料 健康に関する権利規定・1【新連載】

世界人権宣言

著者: 西三郎

ページ範囲:P.31 - P.32

 健康に関する権利についての論議が,国内のみならず,多くの国においても行なわれ,健康に関する権利の一つとして.「人間環境宣言(Declaration on the Human Environment)」が,1972年6月16日ストックホルム第1回国連人間環境会議において採択されたこともその一の論証といえよう.このように健康に関する権利が規定されてくるまでには,おびただしい努力,それも血を流すようなたたかいによって得られてきたもので,このことは日本憲法第97条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は,人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって,これらの権利は,過去幾多の試練に堪え,現在及び将来の国民に対し,侵すことのできない永久の権利として信託されたものである.」(・・・点筆者)の規定にも明記されている.
 人権のなかに,健康に関する権利がうたわれるまでには,長いみちのりがあり最初に自由権的人権が宣言された.その最初のものとしてアメリカの独立戦争のあと,1776年6月12日「ヴァジニアの権利宣言(The Virginia Declaration of Rights)」,などアメリカにおける植民地の権利宣言,さらに7月4日アメリカ独立宣言(Declaration of Independence of the United States of America)」があげられる.

発言あり

健康・不健康

著者: 三宅浩次 ,   木下安子 ,   西正美 ,   松島松翠 ,   児島美都子 ,   ,   ,   ,   ,  

ページ範囲:P.1 - P.3

不健康の損失を算出せよ
 健康をどのように考えるか,という問題は,健康の定義から始まって,多くの未解決な点を残している.WHO憲章の健康の定義にしても,使われている言葉そのものが,さらにもっと正確に定義されなければならないものばかりで,まだ納得できる定義とは考えられない.その他に,どのような定義が果たして皆を承認させうるだろうか.このような定義上の困難にもかかわらず,人々は健康という概念を暗黙のうちに心の中に抱いている.つまり,健康に関しては学者たちがどうのこうのというよう先に,現実がそこに存在しているのだ.健康問題をもっとなんとかしてくれ,という民の声に対して,健康という怪物はまだ未確認物体なので,もう少々お待ちいただきたいなどといっているその筋のお方はいないと思うが.
 さて,ここでは健康を定義したい気持を抑えながら,未定義のままで先へ行くこととする.健康の問題は本来個人の事象に属することであり,公衆衛生学がたとえ集団レベルの健康問題を論じても,結局は公衆一人一人の健康問題に還元されることを目指しているといえよう.以上のことをふまえた上で,次に集団レベルの健康を考えてみよう.集団レベルではできるだけ多数の人々が,健康を保持増進させる施策の恩恵にあずかることが望ましい.その施策をどのように決定するかは,その施策の経費,資源(人的,物的な)などの投入と,その施策による効果との損益勘定が基本となろう.

対談

生と死

著者: 宮本忍 ,   田中恒男

ページ範囲:P.40 - P.46

 これまで衛生従事者にとって「死」は遠い問題としそ扱われてきたのではないだろうか.たとえば,老人病がふえ,在宅療養の老人がふえたといっても,現実に患者の看護をし,死に至るまで見とった保健婦は非常に少ないのではなかろうか.いわんや保健所医師,職員をや.しかし,ここで死の問題を認識することで,医療の進め方,保健活動の進め方に大きく寄与するのではないだろうか.
 本号より,田中恒男(東大),西三郎(公衛院)の両氏を聞き手に,以後,環境保全,医療経済,住民運動などの現代的なテーマを中心に各回ゲストを招いて,隔月,話し合っていただく予定.

講座

生態学序論(5)—生態系はいかに変化しているか

著者: 手塚泰彦

ページ範囲:P.33 - P.38

5.人類活動と生態系の変化
 前回までの4回にわたって,生態学とはどのような学問であり,どのような対象について研究が進められてきたかをかけ足で紹介してきた.一口に生態学といっても,その対象とする内容は広範なものであり,個々の分野に立ち入って考察する余裕はなかったが,これまでの考察から,生物的自然—生態系—は,われわれ人間と同様に,生きているものであり,われわれ人類もこの大きな生き物の部分にすぎないということを,ある程度,理解していただけたと思う.
 生物学の諸分野のうち,分子生物学がミクロの分野の極であるならば,生態学はマクロの分野の極である.マクロの学問にはミクロの分野では直面しないような研究上の困難さがある.生態学は古くて新しい学問である.解決しなければならない問題が山積している.

人にみる公衆衛生の歴史・20

社会医学研究会の活動家3.小宮山新一(1905〜67)—地域保健の先駆者

著者: 川上武 ,   上林茂暢

ページ範囲:P.48 - P.49

 医療制度のゆきづまりを打開するものとして地域保健が叫ばれるようになってきたが,その内容となるとあいまいである.治療,予防,リハビリなどの分野をいかなる原則で結合させるのかは明らかではない.
 そのなかの予防をとってみると,治療偏重のなかでたえず軽視されてきた.とりあげられる場合にも戦前は軍事的要請が先行したために,予防は住民の関心をひくことなくおわった.しかし,終局的には体制運動の一環をになわせられたにせよ,困難な状況のなかで住民の側にたとうとする保健関係者の努力がうまれてきていたことも事実である.ここではその一人として,小宮山新一の生涯をとりあげてみよう.

研究

三陸住民の循環器管理成績の検討

著者: 土屋真 ,   佐藤タエ子 ,   千葉きくみ

ページ範囲:P.54 - P.59

 脳卒中発現頻度は東北地方に高率に認められ,かつ漁村より内陸部農村に高く地域差がある1)が,高血圧および脳卒中対策は漁村においても重要な課題である.われわれは三陸沿岸の漁村唐桑町の住民に対し循環器検診を行ない,ことに昭和41年以来作成された検診票兼管理カードを役場に置いて循環器管理を行なってきた2)
 同町では昭和46年4月現在,40歳以上住民のほとんどに当たる3,171名のカードが作成され,シグナルを見ながらの町保健婦の指導もどうにか軌道にのっている.しかし一方,進行性で自覚症が少なく高齢者に多い循環器疾患管理の困難性を痛感させられる.今回はこのカードを中心にしてまとめた成績の検討を行なったので報告する.

ねたきり老人の実態調査と評価法(第1報)—東京都東村山市の事例について

著者: 佐久間淳

ページ範囲:P.60 - P.65

はじめに
 1)調査の目的
 この調査は,東京都東村山市における福祉施策のもっとも重要な一つである「老人福祉」行政のいままでの成果を分析し,あわせて今後のあるべき方向を把握する,という二つの意味をもっている.
 これを具体的にみれば,老人がどのような実情におかれており,どのように扱われているかを客観的に捉えることである.さらには,どのように扱われたならばもっともよいかを各分野について専門的に分析し,実際的なcareの立案,策定の基礎資料とするものである.

根をおろす医師会活動

秋田県医師会—今後の公衆衛生的需要に対応すべく

著者: 斎藤敏昭

ページ範囲:P.47 - P.47

 昭和43年7月,地域における保健環境衛生計画を推進するための地域の拠点としての役割を果たすため,全県11地区にわたり(保健所管轄地域ごとに)地域保健協議会が医師会の主唱により設置された.そしてそれは地域保健協議会を軸とする一連の組織を地域保健活動の推進母体としようとの理想であったし,また地域保健業務の市町村における自主的活動の向上を計ることもその目的にはあったのである.
 このような地域保健活動の飛躍的気運が醸成されつつあった時,県においても県民皆検診事業が着々と企画立案せられ,昭和46年に県民皆検診事業をすすめるため,全県民の健康計画を樹立する機関として各界トップレベルから成る県民健康会議の結成を見るに到ったのである.

研究所総点検

愛知県衛生研究所

著者: 井上裕正

ページ範囲:P.50 - P.51

沿革
 組織機構:明治13年12月,警察部に細菌検査所,衛生試験所の2施設が設置された.この2施設は,その後約60年間は同部の所管であったが,昭和18年4月に内政部に,昭和21年11月には衛生部に移された.昭和23年10月,厚生省から示めされた地方衛生研究所設置要綱(昭23.4)に基づき,上記両施設を統合し,衛生研究所として発足した.
 当所発足当時の組織は,庶務部,細菌部,化学部,食品部,病理部の5部で,職員数は24名(事務系7名,技術系17名)であった.

海外の施設

マサチュセッツ精神衛生センター(アメリカ)

著者: 篠崎英夫

ページ範囲:P.52 - P.53

 昭和40年の精神衛生法一部改正によって,わが国にも,各県に1つの割合で,精神衛生センターが誕生しつつある.この精神衛生センターなるものは,その名称からいっても,従来の精神病院よりはずっと明るい感じを与えるが,その機能がいかなるものであるべきかについては,センターのスタッフの中でも論議のあるところであり,ましてや,一般の人々には,はっきりしない存在であろうと思う.私自身,このような職場に勤務して3年目になるが,純粋の医療機関でもないし公衆衛生機関でもないので日頃苦労している.そんな折,昨年,マサチューセッツ精神衛生センターへ研修の機会を得たので,ここで,本家本元の精神衛生センターとは,どんなものなのか紹介したいと思う.

資料

岩手県大船渡市における腸チフスの流行

著者: 腸チフス中央調査委員会

ページ範囲:P.66 - P.71

 昨今のわが国における腸チフス発生状況を通覧するに,冬期において比較的広範な地域に及ぶ流行が毎年繰返されていることに気づく.そしてその要因としては牡蠣が検討の対象となることがしばしばである.本委員会はすでにこの種の流行を本誌上で紹介し1,これに対する対策が腸チフス防疫上焦眉の急を要することを指摘した.ここに紹介する流行もまた同じ範疇に属するものと考えられるふしがある.
 流行の中心舞台は岩手県南端に位する小都市大船渡市である.同市では1970年1月に3名,3月に1名の患者が発生し,その内3名から分離された菌がすべてB2型であることから,明らかに一つの流行に属するものであると想定され調査がすすめられた.しかし原因をつきとめるには至らなかった.その後は1971年4月に1名(B2型),8月に1名(疑似)の患者発生を見るにとどまり,小康を得ていたが,本1972年の1月に入るやB2型菌による患者の発生が相つぎ,3月未には患者数は十数名におよび,ふたたび注目を集めるに至った.

日本列島

山形県における公害(1),他

著者: 堀岡

ページ範囲:P.22 - P.22

 山形県は,豊かな自然環境に恵まれた,山紫民明の地として知られています.しかしながら,近年,急速な経済の発展に伴って水質汚濁,大気汚染,悪臭,騒音・振動,重金属およびPCB汚染など,深刻な公害問題が提起されるようになってきました.
 以下に,本県の(1)水質汚濁,(2)重金属汚染,(3)大気汚染などの公害の実態について,順次その概要を記述します.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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