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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生37巻3号

1973年03月発行

雑誌目次

特集 ONLY ONE EARTH

人類が生き残るためには

著者: 西川滇八

ページ範囲:P.151 - P.152

人口汚染
 快適な環境下で,十分な飼料をあたえてマウスを飼育していると,初めはさかんに繁殖する.しかし,何世代かを経てある限界に達すると食欲はなくなり,繁殖力も落ちてきて,マウスはやがて死滅するようになるという.
 人類にはかかる現象はおこらないであろうか.すでに地球上から姿を消した巨大動物たちは,一時代は繁栄していたが,やがて他の種族に征服されて消滅したということである.人類もまた,先進諸国においては一様に発育促進現象がみられており,体型も次第に大きくなりつつある.キリスト紀元の頃に2〜3億といわれた人口は,初めの1,650年間にようやく2倍の5億になったが,その後の300年間には5倍の25億にふえている.しかも,1950年に25億であった人口が,その後の20年間に11億もふえ,現在36億といわれている.年間5,500万人の増加で,自然増加率にすれば,人口1,000対22という高率である.わが国で優生保護法を改正して人工妊娠中絶を解放したベビィ・ブームの時期でも,21.6であるから,すさまじい繁殖力である.

環境と人間

著者: 島津康男

ページ範囲:P.153 - P.160

1.自然・生物・人類
 年々に気温の変動はあっても,冬がくればやはり寒い.太陽の光はたえずふり注ぐのに,地球がどんどん暖まりはしないのである.地球から宇宙空間ヘエネルギーが逃げて,入ってくる太陽エネルギーとバランスしているからである.この自然界の中に巧みにはめこまれたのが生物の世界であり,自然界と物質・エネルギーの交換を行なうとともに,内部では食う食われるの巧みな相互作用を行なっている.人類が生物の一員であることは確かなのであるが,その一方では生産という行為を通してむしろ脱生物を志しているようにみえる.
 自然界つまり地球の表面は有限なので,人類社会の急速な拡大は必然的に生物界と自然界とをともに圧迫する.そしてその反作用は生物としての人間の生存条件にはね返るのである.そこで 1)自然・生物。人類の各世界のはめこみ構造のゆがみをどのようにしてなくすか(環境保全)

人口の適度論から限界論,そして政策論への転換

著者: 黒田俊夫

ページ範囲:P.161 - P.166

国連人間環境会議と人口
 "人口爆発"という言葉が使われ始めてからもう10年にもなるであろう.一般にはジャーナリスティックな言葉として受取られがちであるが,少し過去にさかのぼって世界人口の増加の経過をみれば今日の増加率がいかにはげしいものであるかが分かるであろう.
 キリストの生まれた西暦元年の頃の人類は約3億と推計されている.これが約8億に達したのは1750年である.したがってこの期間の増加率はきわめてかんまんで,年率にすると0.05%あまりにすぎない。今日の世界人口の増加率は2.0%であるから,40倍の速度である.増加は次第に加速し始めてきたわけであるが,それでも今世紀の始めから半ば頃までの50年間はなお年平均増加率はせいぜい1%にすぎなかった.2%になったのは1950年以降であって,いっきよに2倍の増加率にはねあがった.この2%の年増加率がそのまま続くとすると世界人口は35年間で2倍になる.いいかえれば,1970年の世界人口36億3200万が35年後の2005年には75億を超えることになる.また,この増加率が100年間続くとすると世界人口は300億に近いものとなる.今日の増加率が昔から続いていたとすると,今日の人口になるためにはわずか1200年前に地球上にアダムとイブの2人がおればよかったということになり,人類の歴史は1200年ですんだという計算になる.

国連人間環境会議と環境権

著者: 加藤満生

ページ範囲:P.167 - P.170

国連人間環境会議の意義と成果
 さる昨年6月,スウェーデンの首都ストックホルムに世界112カ国の代表を集めて国連人間環境会議が開催され,公害先進国といわれるわが国から大石長官をはじめとする政府代表のほか民間代表として,多数の学者,公害患者,市民が参加したことは記憶に新しい.
 日本弁護士連合会は,公害を国民の人権問題としてとらえ,その防止絶滅のために積極的に取組んできた立場から,とくにこの会議の意義を重視しかねて提唱してきた「環境権」を会議でアピールするために10名の公式代表団を派遣することになり,私もその一員として参加した.

環境における長期微量汚染の人体に及ぼす影響

著者: 原田正純

ページ範囲:P.171 - P.175

 人類は有史以来,さまざまな中毒と直面してきた.中毒の最初の被害者は研究者であった.新しい物質,技術の開発の途上で多くの研究者が中毒になった.ついで,その生産課程では多くの労働者が中毒にかかり(産業中毒)そして今日,それは食物汚染や環境汚染を通じて一般の人々に中毒を多発させてきている(それを,われわれは公害病などという奇妙な呼び方をしているが).しかし,水俣病(メチル水銀中毒),カネミ油症(PCB中毒)などで示されるようにそれらはその原因となるべき物質の多量の急性の汚染による中毒が多かったのである.そういう意味では環境や食物経由の中毒とはいえその発生基盤は産業中毒と相似点も多かったのである.しかし,今日,われわれの環境は多種の毒物の微量な汚染が不気味に進行している.今後,問題になる中毒,また最重要な課題として注目しなければならない問題は長期微量汚染の人体に及ぼす影響である.しかも,その対策は今から手をつけはじめなくてはならなく,それが十分に危険だと立証されたときでは遅すぎるのである.1972年6月のストックホルムでの環境会議でもそのことが切実に感じられ,各国の学者の中にもその問題に関して一種の焦りさえも感じられたのである.微量汚染に関する問題を考える1つの材料として私は水俣病に関してレポートしてみることは無意味でないと考える.

対談

環境保全

著者: 橋本道夫 ,   田中恒男

ページ範囲:P.176 - P.185

 環境汚染,環境破壊が益々激しくなっている昨今,環境保全の施策は喫緊の問題である.自らの利益追求を廃した,人々の健康維持増進を目指す立場からの,さらに地球全体という視点での施策がなされなければ,地球の滅亡も単なる危惧に終わらないであろう.
 今回は,約2年間に亘りOECDに出向され,昨秋帰国された橋本道夫氏を迎え,まずヨーロッパ諸国の環境問題へのアプローチの姿勢と理念を緒に,「公害先進国」日本のとるべき姿勢等々,「環境保全」と題してお話しを伺った.

発言あり

私の日本列島改造論

著者: ,   ,   ,   ,  

ページ範囲:P.145 - P.147

人間尊重の理念を貫け
 食うものも満足にえられない時代は,食いものを探すことだけで精一杯である.食いものが直接手に入らない貨幣経済の時代は,銭をうることが他の何よりも優先する.なりふりかまわぬ経済優先政策,これは飢餓者の論理である.
 かつて飢えていた人間が,やがて食に満足し,次なる欲望に目を向ける.ごちそうを平らげ,目のさめるような服を着て,神から授った足を捨て車に乗る.捨てられるものは全部捨てる.消費経済万能.これは成金者の論理である.

公衆衛生の反省・1【新連載】

「公衆衛生の反省」は行なわれているか?

著者: 曽田長宗

ページ範囲:P.148 - P.150

 筆者は,昨1972年12月15日,国立公衆衛生院を最後に,役人としての公衆衛生活動からしりぞくことになった.医学部の学生時代から,半世紀余りの間,社会医学,公衆衛生の分野で,何らかの仕事をさせて貰ってきたので,これから役人をやめても,あるいは止めたればこそ,役人のからに捉われない,自由な社会医学,公衆衛生活動に,一層精進しなければならぬ,とも思っている.
 たまたま,編集部の方から,思い出すままに,今後の公衆衛生,社会医学の進め方につき,読者,とくにお若い人達に,多少なりお役に立ちそうなことを書き連ねよとの要請をうけたので,年寄りの愚痴に陥る恐れを懸念しながらも,筆をとらせて頂くことにした.

論稿

いわゆる難病の概念とその対策の問題点

著者: 宇尾野公義

ページ範囲:P.186 - P.192

 いわゆる難病なる名称は医療に従事する側よりもむしろ患者友の会などが医療福祉を願い,病因の究明や医療費の公費負担などを訴えて国や地方自治体などに呼びかける場合に用いられていたが,それがいつの間にか一般的名称となってしまった.つまり①原因が不明である,②適切な治療法がなく,死亡率が高い,③長期慢性経過をとり,後遺症を残す,④療養に高額の費用がかかり,患者や家族の物心両面の負担は大きい,などの諸条件を有する場合に一応難病としてとり扱われるように思う.
 現在医学は第1健康増進医学,第2予防医学,第3治療医学,第4リハビリテーション医学と漸次発展してきたが,難病対策は福祉行政とからんで正に第5の医学として頓に重要性を増しつつある.

公衆衛生における重症心身障害とは何か

著者: 丸田秋男

ページ範囲:P.193 - P.198

 今日はすべての社会現象において変貌の過程にあるといえる.このような激動する社会の強い流れは,私たちの生活に多くの悲劇を生んでいる.
 地域人口移動に置きすてられた寝たきりの老人,生活環境の変化に耐えられずみずから生にそむくもの,人間関係の失調が生む子殺し,親殺し,ガン・スモンといった疾病現象の変化,無医地区に泣く農山村の人々,公害にむしばまれる生命の危険,医療を受けられない不安など私たちの健康をおびやかす悲劇は多い.

資料 健康に関する権利規定・3

米州人権宣言・米州人権条約とヨーロッパ人権条約

著者: 西三郎

ページ範囲:P.212 - P.213

 第2次大戦後,人権の問題が,国際的な問題となり,国際連合において,人権宣言,人権条約の採択,署名が行なわれるとともに,地域的にも取りあげられている.すらわち,米州機構,欧州理事会,アフリカ会議などにおいて,人権宣言,人権条約を制定または検討が進められている.
 米州においては,1945年1月「戦争と平和の問題に関する全米会議」で,人間の国際的権利義務宣言草案の検討が要請され,1946年全米法律学会議等を経て,1948年ボコタで開かれた第9回全米会議で世界人権宣言に先がけて「人の権利および義務についての米州宣言」が採択された.その序文に「人間の基本的権利は,特定国家の国民であるという事実により変るものでなく,その人間の人格の属性に基づくものである」が故にこの宣言を採択するとし,その前文は世界人権宣言第1条とほとんど同じ内容である.「あらゆる人間は,自由で,尊厳と権利について平等のもとに生まれ,生まれながら理性と良心とを授けられており,お互いに兄弟としてふるまうべきである」から始っている.前文の他,第1章権利,第2章義務,全38条よりなっている.しかし,その後,人権条約の署名までに約20年を要し,その条約も発効にはいたっていない.

栄養調査に関する一考察

著者: 佐伯芳子 ,   佐伯篤 ,   庄司武志 ,   辰己栄三郎

ページ範囲:P.199 - P.205

栄養調査の意義および目的の変遷
 栄養調査が終戦直後の食糧欠乏時に食糧援助の根拠とその結果を見出すためにはじめられたことは周知のとおりである.それゆえ調査対象を集団として把握し,結局は日本全体の状態をみいだすことを目的とした.
 これが発足以来現在までに果たした役割は大きく,国民栄養改善上また問題提起や方針の決定などにきわめて役立った.

高知県土佐市における腸チフス流行

著者: 腸チフス中央調査委員会

ページ範囲:P.206 - P.211

 高知県土佐市においては1970年以降腸チフスの流行が目立つ.1970年11月10日発病,同月16日診定の患者1名につづき同年12月に1名,翌1971年1月には3名の保菌者が発見され,同じく2月にも患者1名の発生を見た.以上6名の内5名から分離されたチフス菌はただちにファージ型別に供されたが,すべてK1型であることがわかり,明らかに一つの系統に属することが示唆された.この型がわが国で分離されたのはこれが最初であることもあって,その経過が注目されていた.ところが,ひきつづいて同年2月に1名,3月に4名発生した患者からの菌はD1型であることがわかり,流行は複雑な様相を呈するに至った.その後同年8月にもD1型菌による患者が1名発生した.
 調査の結果,以上の患者・保菌者のうちD1型菌によるものはすべて同市立市民病院に何らかの関連をもつものであることがわかった.前半のK1型流行とこのD1型の流行との関連が鋭意究明されたが,特に両者を結びつけるべき事実の浮び上らないまま,K1型の発生は終熄した.一方,D1型による流行は1972年にも尾を引き,2月から3月にかけて4例の発生を見るに至った.これらのいずれもが同病院に関係しており,明らかに施設内集団発生の様相を呈している.

わが研究所

名古屋市衛生研究所—地域実情を積み重ね方式で調査

著者: 土平一義

ページ範囲:P.214 - P.215

沿革
 昨今衛生研究所の検査調査研究の能力が認められにわかに脚光をあびてきた感があるが,この衛生行政の縁の下の力持ち的存在の研究所の歴史は当所においては意外に古いものである.すなわち当所は大正13年,当時人口67万800人であった名古屋市に衛生試験所として城東病院(現在の東市民病院)の一角に設置された.当初は細菌検査が主体であったと思われるがその後昭和9年に今市の中心地である栄町近くに移転し11年には医学試験部,理化学試験部,栄養指導部,健康指導部,産業指導部の5部制となり衛生各分野の試験,研究,指導の体制をとった.さらに戦時中の昭和19年7月には中村区に新庁舎を建設し現在の名称の衛生研究所となっている.現在の都道府県の衛生研究所が発足したのはほとんどが戦後であるが当所はその数年前に早くも研究所として発足している.さらにその時点では指導部,試験部,研究部,製造部を設け在来の試験,指導の他にワクチン製造といった戦時下の要請に答えるとともに研究部を設け研究の実をあげようとした.終戦後の昭和23年に全国各都道府県に1つの衛生研究所という厚生省の方針によりいわゆる三局長通達が出され地方衛生研究所の性格が明示された.そこで当所もそれに倣って組織を医学試験課,理化学試験課,生活衛生課と改めた.

日本列島

交通警察官の血中鉛—北海道/石狩支庁管内保健所連絡会議開く—北海道

著者:

ページ範囲:P.175 - P.175

 マイカーなど自動車の増加に伴い北海道においても主要都市で排気ガスによる大気汚染が問題となっているが,この排気ガス中の鉛の影響について北大医学部斎藤助教授らにより,第31回日本公衆衛生学会(於札幌市)で報告された.
 調査は,昭和46年10月,道警のパトカー,白バイの乗務員203名を対象に,大都市(人口100万以上札幌)中都市(同5万〜20万未満=小樽,室蘭,苫小牧,岩見沢,千歳,江別,滝川,夕張)小都市(同5万未満=余市,倶知安,伊達紋別,静内,浦河,門別,赤平,芦別,栗山,三笠,美唄,砂川)の三つに分類し,おのおの血中鉛量の測定を行なった.同時に全血比重,細管ヘマトクリット値,血球中S-AL A-D活性測定も行なった.この結果,大都市勤務者の血中鉛量は小都市に比べて有意に高く(危険率1%)また,中都市との比較でも危険率5%で同様の結果が得られた.都市別に比較すると,中・小都市の平均値はいずれも8〜9μg/dl程度であるのに対し,大都市札幌(検査対象115名)では最高31.1最低4.5平均10.14μg/dlであった.また中都市のうちでも小樽は(同9名)最高16.5,最低6.6,平均11.39ug/dlであり,千歳(同4名)で最高最低平均と平均値は本札幌に比べ高くなっている.これは,小樽では空気が停滞しやすい地形であり,千歳は航空機の排気ガスの影響によるものとみている.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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