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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生37巻5号

1973年05月発行

雑誌目次

特集 公衆衛生医師

新しい公衆衛生医師像を求めて

著者: 橋本正己

ページ範囲:P.292 - P.293

 公衆衛生活動の中心的な担い手として公衆衛生医師public health physicianの制度がはじめて確立されたのはイギリスである.その歴史はコレラ流行とともに古いが,これがM.O.H.としてすべての地方衛生委員会の必置の職員となったのは1872年であり,まさに100年の歴史を有するものといえる.その後公衆衛生医師が,各国の近代公衆衛生の歩みのなかで,その輝かしい発展の中心として大きな足跡を印してきたことは歴史が示すとおりである.
 しかしながら,第2次大戦後のドラスチックな社会環境と健康像・傷病像の質的な変化のなかで,公衆衛生活動はきびしい試練に当面してその真価を問われており,これは公衆衛生医師に対してもそのまま当てはまるものといえる.この事情は,発展途上国では異なっているが,先進的諸国では医師の専門分化が際限なく進んでおり,専門医は報酬や処遇においても一般医や公務員である公衆衛生医より遥かに有利であることも関連して,これらを志向する青年層の医師が激減していることは各国に共通している.これを克服するためにはもとより,身分,処遇,報酬,継続教育等を含む強力な総合対策が必須であるが,まずその前提として今日における公衆衛生医師の社会的使命と具体的な役割が,若い医師のこの分野への意欲をかき立て,医師のライフワークとして納得のいくよう明確にされることが何といっても必要である.

地域医療と公衆衛生医師

著者: 山口健男

ページ範囲:P.294 - P.300

地域医療,公衆衛生の意味
 地域医療と公衆衛生医師について論ずるに当たり,まず言葉の意味を明らかにしておく必要があろう.
 ここでいう医療とはいわゆる「医学の社会的適用」という広い意味に解し,疾病の診断治療から,対人保健に関する公衆衛生活動のすべてを包含するものと考える.ただし環境衛生の問題は除外することにする.地域については保健所問題懇談会の報告では,地区,地域,広域地域という使い分けをしているがここではそう厳密に考えず,住民の日常の医療がその地域内で完結するという一つの単位,常識的には現在の保健所管轄区域もしくはそれ以下の市町村レベルを指すものとしよう.

地域医療と公衆衛生医師

著者: 緒方盛雄

ページ範囲:P.301 - P.306

1.公衆衛生について
 時代の趨勢に伴い「公衆衛生」事業の重要性が強調され,またこれらは万人が認めるところであるが,「公衆衛生」という言葉の意味が漠然として,その解釈もまた人によって若干異なるところである.
 C. E. A. ウインスロー教授の定義によれば,「公衆衛生とは環境衛生の改善,伝染病の予防,個人衛生の原則についての衛生教育,病気の早期診断と予防的治療のための医療,看護事業の組織化および地域社会のすべての人たちに健康を保持するに足る生活水準を保障する社会制度の確立をめざす地域社会の組織的な努力を通じて病気を予防し,生命を延長し,かつ肉体的精神的健康と効率を増進することについての科学であり,技術である.」

環境保健における公衆衛生医師の役割

著者: 橋本道夫

ページ範囲:P.307 - P.314

1.失われた権威と指導性
 過去において,不衛生な生活環境のため各種の伝染病や乳児死亡が最大の公衆衛生の問題であった時代には医学や公衆衛生における医師達は,無知や貧困と闘いながら近代的な公衆衛生の道を拓いて来た.その中では医師の権威と指導性は確かに大きな役割りを果たして来た.現在でも結核や,急性伝染病や,伝統的な母子衛生の問題等の領域の範囲では医師は医学に根ざした権威と指導性を保っている.しかし現在多くの国民が関心をもっている環境保健の問題,たとえばPCBやBHCなどの人体影響や,大気汚染による慢性影響,水銀やカドミウムなどの重金属の慢性影響,航空機騒音の影響などの問題について医学や公衆衛生の医師は,市民や各種の分野の専門家などからの人間の健康に関する質問について,以前の公衆衛生の諸問題に対するような明快な権威のある答えをすることがほとんど不可能になっているといっても過言ではない.
 人々はただ心配して医師に問いかけるだけではなく,さまざまの理屈をならべてむしろ医学や公衆衛生に対する批判と攻撃すらも含めた態度に出てくる場合に遭遇することが多くなった今日の世の中においては,私は昔の医師のもっている権威と指導性は少なくともこの現実の環境保健問題の領域では失われたと思っている.

地域開発と公衆衛生医師

著者: 仲井和雄

ページ範囲:P.315 - P.322

公衆衛生医師の行政上の立場(都の場合)
主事に任命する
医師の職務に従事することを命ずる

地域開発と公衆衛生医師

著者: 吉田克己

ページ範囲:P.323 - P.327

地域開発とは
 かつて池田内閣の下で,『高度経済成長』『月給倍増』などのかけ声の下で,全国各地で地域開発のブームが起き,『工業基幹都市』『新産都市』などのよび声に地方政治がふり回された時代があった.このような要求は今日でもなお形を変えて存在しているのであるが,かつての時代ほどの影響力は持ち得ないようになって来ている.
 勿論,地域の開発は,何らかの意味で,何時の時代においても,どんな社会体制の下においても存在し得るし,地域社会の重要な問題なのである.しかし,高度経済成長政策の下での,重化学工業中心の,極端な工業偏重の地域開発施策に対する反省は大きくなければないし,このような政策の下で,国民の税金による貴重な財政が,道路,港湾,工業用水などの工業基盤整備に集中し,保健,福祉,教育などのいわゆる福祉政策の貧困が捨ててかえりみられなかったことは大きな問題点である.

産業医

著者: 山本秀夫

ページ範囲:P.328 - P.332

労働安全衛生法の概要
 労働省では,昭和22年以降,働く人々の健康と安全をまもるため,労働基準法に基づく諸規則を整備し,じん肺法などの単独法を制定し,これにもとづいて監督指導をしてきたのであるが,産業社会における認識が十分でなかったこと,新たな健康障害についての配慮が不十分であったことなど,様々な原因が重なって,労働災害ことに業務上の疾病の増加が目立つようになった.(表1)
 また,労働基準法は労使間の枠でのみ規制が行なわれてきたが,有害物などについては流通段階での規制が必要であり,建物貸与をうける下請ほかの労働者に対する保護も考えるべきものがあり,特定の有害業務従事者で離職した者に対する健康管理も国が行なう必要があること,また,中小企業に対して技術的,財政的援助をすることの必要性など多くの諸問題を解決するため,表2に示すような事項を中心として,有識者による意見をとりまとめ,中央労働基準審議会の賛同をえて,国会に新しい労働安全衛生法案を提出し,審議をいただいたところ,昨年6月,昭和47年法律第57号として,ほぼ原案どおり,全党の賛成をえて成立し,本年4月から全面的に施行されることとなった.

学校医

著者: 高桑栄松

ページ範囲:P.333 - P.339

 学校医はいかにあるべきかということを考えてみると,それは学校医になにが期待されているかということであり,そのことは学校保健とはなにかということから必然的に帰納される問題であろう.そこではじめに,学校保健ということについて考える必要がある.学校保健は保健管理と保健教育という二つの柱から成り立っている.すなわち学校保健の充実強化は,学校における保健教育および保健管理の両者が両輪となって始めて達成されるものであることを意味している.この考え方は,学校保健について,学校医だけがその責任を負うということではなくて,これに関係のある人たちすべての協力によって推進されるものであることを示している.したがって,学校医の仕事は,児童・生徒についてその疾病を発見・治療し,これを予防するにとどまらず,さらにその健康の保持・増進に資することが期待されているのである.
 ともあれ,学校医の主たる任務の一つは学校健診にあると考えられているが,日本医師会主催の第3回全国学校保健・学校医大会が札幌において開催され(昭和47年9月),その際「学校健康診断の問題点と今後のあり方」と題するシンポジウム1,3)が行なわれた.ここでいわゆる北海道方式2)を中心として論議がすすめられ,現代に即応した学校健診についての具体的な展望が開かれたように思われる.

発言あり

公衆衛生医師,なぜふえないか

著者: ,   ,   ,   ,  

ページ範囲:P.289 - P.291

上医か,下医か
 中国の古い言葉に,下医は病を治し,中医は人を治し,上医は国を治す,というのがあるが,今の医師の職業選択は,できるだけ下医になるような方向へと進んでいる気がしてならない.
 職業選択というものには,どの時代でも,そのときの社会の姿が忠実に写されていると考えて差支えない.個人の適性とか,理念などというものは,むしろ2次的な要因としか思われないくらい,現実の職業選択は厳しいものである.大体において,医師養成コースをもつ大学を受験しようとするものが,人をいやし,人類を救おうとする熱意をもっていようがいまいが,また,医師としての適性(実際測定できるかどうかは別として)を有していようがいまいが,あるいは,相当に非道徳的・反人間的心情をかくしもっていても,このような個人の事情には一切かかわりなく,医師養成コースをもつ大学の受験倍率は社会的理由によって高いのである.もし将来,医師を職業として選んでも,他のどの職業とくらべても生活の安定に特に有利になるようなことがなくなれば,多分受験倍率は激減するであろう.つまり現在,医師になろうとしているものの多くは,医師になりたくて医師の道を選んだのか,はなはだ頼りない次第なのである.こう言い切ってしまうのは極端としても,入学の頃は明確でなかった医師の像が,教育の課程の中で定着して行くことも考えられよう.

対談

医療と経済

著者: 地主重美 ,   西三郎

ページ範囲:P.340 - P.347

 医療と経済についての発言は,経済学の立場からも医療の立場からも少ないように思われる.にも拘らず,健保の赤字とか,医療のシステム化導入などの医療関連産業の問題がクローズアップされている現在,医療のもつ経済的側面は論議されなければならない.人間の生存に係わり,患者と医師の信頼関係の上に成り立っている医療を一般商品と同様な市場機構の中で扱えるのか.また機器の導入はその信頼関係をゆがめることはないのか.今回は「医療と経済」と題して,医療のもつ経済的側面についてお話しいただいたが,公共サービスとしての公衆衛生と経済の問題についての論議の一助となればと思う.

教室めぐり・35 大阪市立大学衛生学公衆衛生学教室

地域活動に重点

著者: 大和田国夫

ページ範囲:P.348 - P.348

 昭和23年2月,大阪市立医科大学が開設され,それより1年後,堀内一弥教授の就任により,24年4月に衛生学公衆衛生学教室が開講された.本学は当時,医学専門学校から大学に昇格する際,大阪における「予防医学と公衆衛生」に重点をおいた教育と研究を行なうという特色によって,大阪市会の承認となった所であるから,公衆衛生学講座に関しては当初6教授の計画であった.しかし,創設時3教授1研究室(推計学)となり,さらにそのうちの医動物学と別個の教室とし,現在は2講座1研究室となっている.この2講座は衛生学公衆衛生学教室と呼称しているように,内容は講座であっても,教育,研究,その他のあらゆる業務(教室予算も含めて)はすべて一教室として協同運営を行なっている.したがって,備品,消耗品も協同で使用し,週1回の集談会も合同で開き,開講以来705回目の集談会を迎えるに至った.また教室員の少なくなった現今,両講座が協力して種々の調査活動や公衆衛生活動に当たっている.しかし,研究分野は両講座で別かれ,故堀内一弥教授を主任とする講座は,労働衛生学を主力とし,工業中毒,ことに鉛中毒,有機溶剤中毒の予防,最大許容濃度の設定に関する研究をはじめ,特殊健康診断や各種工場における実態調査を実施して,労働者の健康維持に貢献するとともに,研究成果をあげている.

事例 母子管理・1【新連載】

乳児管理の体系

著者: 東京都武蔵調布保健所

ページ範囲:P.349 - P.355

 当所は昭和44年4月,調布市15万,狛江市5万を所管として新しく設立された保健所である(図1).区部に隣接する住宅都市として,比較的自然環境に恵まれた地域であり,人口の急増,それに伴う出生の増加(表1,2,3)さらに住民の保健所設置要望の理由などから,母子管理の充実と各種衛生監視,特に食品衛生監視の科学化を重点として業務を推進してきた.
 このうち,母子管理の充実については,たまたま厚生科学研究費補助による「地域保健計画情報体系に関する研究」に参加し,情報管理に関する研究の機会を得,それを契機としてこのことの重要性についての理解と関心が職員の間に深まり,目標の推進への大きな原動力となったことは幸であった.

わが研究所

東京都立衛生研究所

著者: 辺野喜正夫

ページ範囲:P.356 - P.357

 沿革 東京都立衛生研究は,昭和24年3月5日,公衆衛生の向上発展に寄与するため,公衆衛生に関する調査研究,衛生行政に必要な試験検査および東京都衛生局所属の技術職員の技術的指導訓練を行なうことの3つの使命をおびて誕生した機関である.
 もともと,都道府県にはかなり古くから公衆衛生関係の試験検査機関があって,活動をつづけていたのであるが,特に東京都においては,明治35年に設置された衛生試験所,明治39年設置の衛生検査所,細菌検査所,明治41年設置の獣疫検査所および昭和21年設置された血漿研究所と製薬研究所があった.これらのうち衛生検査所,細菌検査所および獣疫検査所は,もとはといえば警視庁の所管で出発したもので,衛生試験所は東京市時代に設立されたものであるが戦争前後の行政改革の所産として東京都の所管となったものである.

資料 健康に関する権利規定・5

社会の進歩と開発に関する宣言(社会開発宣言)

著者: 西三郎

ページ範囲:P.358 - P.359

 国際連合は,その創立当初において,社会経済の開発発展をはかるには.経済成長さえすれば社会の発展も自ら達せられるという考え方であった.しかし,1950年頃より生活水準向上の社会面に注目し,その向上のためには,経済,社会の両面から相互に発展調整されるべきであるとされ,1952年には第1回世界社会情勢報告がなされた.1956〜1960年は経済的,社会的開発問題の相互依存が強調された.
 1960年に入り,ケネディ米国大統領の提案に端を発し,「国連開発10年(The United Nations Decade)」が1961〜1970年とされ,経済の自立開発と均衡のとれた社会開発実現のための総力を結集することが目標とされた.WHOは,公衆衛生計画を通じて援助を行ない,長期計画による医療専門家の養成,医療施設に対する資金の増額により保健対策の完壁を期することが望ましいとされた.

日本列島

「い」は「いのちあってのものだね」—丸山博教授(大阪大学)退官記念会

著者: 長谷川泉

ページ範囲:P.339 - P.339

 阪大衛生学丸山博教授の定年退官記念講演会が3月17日午後1時半から大阪中之島日生ビルで開かれた.衛生学上の業績だけでなく森永ヒ素ミルク問題など広い社会医学的実践をつみ重ねて来た教授の退官を記念するつどいであるだけに各方面から多彩な顔ぶれが集まった.「恐るべき公害」の著者宮本謙一氏は,にせものを嫌う科学者としての丸山教授の商品公害研究への示唆を紹介したほか,ペテイの都市問題研究に触れ,さらに設立予定の自治体問題研究所や大阪から公害をなくす会の会長としての丸山教授の今後に期待する旨を講演した.丸山教授の指導によって医学史研究会を推進している小松良夫氏は,丸山教授の人間像の裏面構造からの考察を交えながら,結核問題にとりくむにいたったいきさつなどを話された.
 丸山教授はそのあとを受けで,当日配布された「大阪大学医学部衛生学教室のあゆみ」を手にしながら,福原義柄・石原修・梶原三郎教授をへて今日に及んだ衛生学教室のあゆみを回顧し,退官記念オムニバス衛生学七話を,市民にも公開の講座として「言うことで自分の責任を重くする」いわゆる遺書の心境を語った.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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