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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生37巻6号

1973年06月発行

雑誌目次

特集 救急医療

救急医療と公的責任

著者: 小野恵

ページ範囲:P.364 - P.371

 医療を必要としたとき,とくに生命の危急に際するそれは,医療に占める救急本然の意義として高く評価される.
 医学的にいう救急処置は整備された施設内に集約され,国民死因の上位を占める脳卒中,心筋硬塞,交通事故等の傷病の,救急自動車で搬送される患者の占める率は決して高くはない.

外国と比較してのわが国の救急体制

著者: 岡村正明

ページ範囲:P.372 - P.381

 交通事故による負傷者のみでなく,急激に変化しつつある私達の生活環境の中で発生するさまざまの事故による犠牲者に,如何にして適切な医療を提供するかということは,一人わが国だけの問題ではなく,世界の各国それぞれにとっても重要かつ緊急の課題となっている.また,事故のみでなく,内因的な疾病であっても緊急に医療が望まれるものに対しても,例えば死因のトップグループを占める急性心臓疾患,あるいは緊急手術を必要とする腹部疾患等々,このような場合にも十分な医療が提供されることが望ましいことはいう迄もあるまい.
 一方,事故や急性の疾患は,その発生する場所,時間ともに何れもこれを予定することは不可能であり,このことは適切十分な医療をしかも限られた時間という厳しさの中で可能な限りすべての国民に平等に提供しようとすることとは逆に色々の面に渉って非常に困難な条件となってくる.

わが国の救急医療体制

著者: 塚本利之

ページ範囲:P.382 - P.390

 今日,わが国の医療問題を誰に尋ねても,それぞれの立場,立場から「好ましい」と答える人は恐らくいないであろう.確かに医療の問題は,こと生命に関わることのために,条件の設定が苛酷なまでに厳しく要求されるに相違ないが,それをさて置いても積年の宿痾といった問題点は多い.
 その一つに,文字通り緊急性の強い救急医療が,恰も医療全般の問題点の縮図の様に多くの欠陥,欠漏を指摘されている.そして,その性格内容も多面的で,多層的なものとなっている.それ故に対応すべき方策も種々と考えられるところであるが,公衆衛生の領域の中で捉えることが本筋であり,筆者に与えられた責任であろう.しかし,筆者が経験しているものは少なく,僅かに神戸市において地域保健(医療)の推進に伴う都市計画(マスタープラン)に多少とも参画し学び得た些細なものしかなく,準備された素養は乏しく,視野狭く思慮浅い謗は免がれ得ないであろうが,若干の私見を加えさせて戴きながら現実を見あるべき姿を考えてみたい.

東京都の救急医療機関整備の状況

著者: 木村政良

ページ範囲:P.391 - P.397

 救急活動は地域住民の生活活動の場に生じた突発不測の事故,傷病を救護するためにとられる社会活動であり,救急医療は地域社会に対するその地域の医師の責任において,遺憾なく行なわれなければならない.近年救急医療の需要は増加の一途を辿り,これに対応すべき救急医療体制の整備は急務となっている.
 昭和39年法改正により,救急医療対策の責任が,厚生省に移り,都道府県の段階では,衛生局(部)に行政上の責任が移された.救急病院等を定める厚生省令の公布を機会に,救急医療が大きく医師活動の一環として包含され,救急患者発生の際は,救急告示の有無にかかわらず,最寄りのしかるべき病院診療所において,治療を加えることが原則となった.救急医療を論ずる際この原則を忘れてはならない.

大学病院における救急医療と医学教育

著者: 織畑秀夫

ページ範囲:P.398 - P.402

 救急医療については戦後の自動車の普及と平行して社会的重要課題となっているが,これに対する施策に不十分な点が少なくない.しかし最近では交通災害による死者および負傷者が次第に増加しており,好むと好まざるにかかわらず,国民すべてが危険にさらされているわけで,正に交通戦争であって,これを安閑と見ていることは許されない.
 このように日本における交通災害の増加を見ても推量できるが,現実にみる交通災害は単なる一部分の損傷でなく,身体の各部の同時損傷を伴うので,脳外科,腹部外科(一般外科)胸部外科,整形外科および麻酔科といった広範囲の科の協力が必要となってきている.したがって,これら各科の横の連絡ないし各科の知識に通じた医師,その他のシステム化が必要となっている.

東京都における救急医療特に休日診療対策について

著者: 松井卓爾 ,   木下二亮

ページ範囲:P.403 - P.408

 救急医療一般医療をとわず,わが国の医療は主として医療機関の自発的対応と,所謂「医は仁術」という医師の善意と良識に支えられてきている.
 政府や地方自治体も,自ら経営する医療機関の経営には積極的であるが,地域の医療需要の変化に対応するに必要な医療機関の組織化,整備等については,甚だ消極的であり観念的である.

災害時の救急対策—特に大地震などの災害に際して

著者: 二本杉皎

ページ範囲:P.409 - P.412

 わが国は,地形・地質・気象等の関係から,自然の猛威をうけやすく,古来水害・地震・火災等の惨事が数多く経験されており,最近でも,年々数千億の財産と万余の人命を奪っている.特に日本列島は,火山帯の上にのっているともいえ,地震国としても,世界の最たるものである.一番われわれの記憶に残り,また悲惨であったのは,関東大震災であり,当時の東京の人口300万で,二次災害を含めると,死者は10万人近かったといわれている.地震は,全く予期しない時に,突然と起こってき,その罹災範囲も広く,道路,橋,家屋,電柱等がこわれたり,倒れたりするのは勿論のこと,一番こわいのは,激動による破壊などのため,火災が多くの地点から同時に発生し,それが燃え広がって,大火災となることである.そのため,交通が制約され,または遮断されることで,救急隊の到着も困難となり,患者搬送も困難になるなど,幾多の困難を,のりこえて,救急医療をしなければならない.かかる災害時においては,人心も動揺しているので,平素から救急医療体制を確立し,十分な訓練がおこなわれていなければ,いざ本番という時には,なかなか間に合わないことになる.大阪でも消防隊を中心に,震災時の救急体制について,検討を加えられているが,成案をうる迄には,大変な仕事のように聞いている.

発言あり

母親の蒸発

著者: ,   ,   ,   ,  

ページ範囲:P.361 - P.363

過保護社会
 父が働き,母が家をまもり,子を育てる.それが人間形成に必要な基本的環境だと思つていた.社会の変動は父を無能にし,母を逞しくし,家庭の基礎を変えてしまった.母が強くなりすぎ,父親が蒸発した.母親が強くなったと思ったのは錯覚だった.女に孕らませれば父で,出産すれば母なのだ.家を考えず,子を思わない親では,蒸発はちっとも不思議ではない.
 夫の仕打ちに耐えかねて蒸発した母親が,「子供のことを一日も忘れませんでした」と涙ながらに語ったという記事のいかにそらぞらしいことか.

連載

沖縄の医療事情(3)

著者: 田中恒男

ページ範囲:P.421 - P.424

 SEAMHO(東南アジア医療開発機構)が発足して,いろいろ困難な問題を抱えながらも医療の国際化時代に一歩をふみ出した今日である.1972年末,フィリピンをふり出しにシンガポール,マレーシア,タイを駈足で見て廻っての卒直な感じでは,医療の国際協力という事業が,その国の文化風土と相まって成り立ってきた医療条件をいかに考慮するかという一事のみでも,相当に多くの検討が必要であり,決してバラ色の夢につつまれたものではないと考えられた.筆者の偽らざる感想では,今までわが国が,東南アジアでくり返してきた失敗を,医療面でもおかす危険をおそれざるを得ない.このことは別に機会を得てのべる積りでいるが,このSEAMHOの母体ともいうべきAMO(Asian Medical Organization)構想の一端として,沖縄の医療開発がすすあられてきたというアピールが,新左翼グループを中心として提示されていたことがある(たとえば1971年春,反医学総会時を頂点としたアピールを省みられればよい).そして今日でも,沖縄の学生運動,もしくは琉大保健学部に対する学生のアピールなどに引きつがれている.本稿では,国際化社会における沖縄の位置づけを,医療の面からふまえて考え,沖縄の医療文化との関連を求めて本論の結論としたい.

事例 母子管理・2

実施成績と考按

著者: 東京都武蔵調布保健所

ページ範囲:P.414 - P.420

1.集団健診と経過観察健診
1)乳児健診
 表1に示した3つの健診のうち,もっとも高い受診率(89%)を持つ.この理由の1つは,出生通知票(図1)を出したものにのみ通知しているためである.大方の保健所では人口動態の出生票から通知(図2)しているようであるが,これには住所の方書きや,団地の号棟番号の記入もれが多く,通知もどりが多くなり,また市役所経由のため入手迄に1月余の時間がかかる.出生通知票はこれらの欠点を補なう目的で,妊娠届の際,母子健康手帳と共に交付する官製ハガキであるが,提出率は70%と低い.残り30%には健診通知は行かないが,市の広報に健診日時を掲載してもらい,該当児は洩れなく受診するよう呼びかけている.そのためか,通知状戻りは3.3%と低く能率的である.
 アンケート返信は21%と,未受診率より高いが,受診していながら出すものが多数あるためである.どの程度重複しているかは調べなかった.

資料

地域保健協議会の運営

著者: 小松五郎

ページ範囲:P.428 - P.429

 医療の専門化とともに包括性,総合性が要請されているし,また公害による環境の急激な変化によって,各地域の特性に応じた予防と治療と社会復帰対策をたてていかねばならなくなった.
 特殊な遺伝病以外は疾病を予防し,健康を保持増進するのは栄養,休養,リクリエーション,労働などの生活技術と配分によるところが多く,地域医療はその住民の生活構造をはあくし指導することによって導入展開され,住民と医師との望ましい人間関係を確立することができる.

健康に関する権利規定・6

精身薄弱者の権利宣言

著者: 西三郎

ページ範囲:P.430 - P.431

 国際連合は1945年10月24日,人類の最大の希望である戦争の惨害から将来の世代を救い,人権と基本的自由を尊重することを奨励し,経済的,社会的進歩を達成すること,そして国家間の行動を調整することなどを目的として誕生した.国際連合の憲法ともいうべき国連憲章(Charter of the United Nations)は,米国のサンフランシスコにおいて,50ヵ国の原加盟国により,同年6月26日調印,採択されたもので,その後1963年修正以降何回かの修正を経て現在に致っている.
 国連は,その目的の一つである人権について,憲章第1条に「人権および基本的自由の尊重を助長奨励することについて国際協力を達成すること.」と掲げ,さらに第13条第1項に,国連総会は,「経済的,社会的,丈化的,教育的および保健的分野(…health fields)において国際協力を促進すること,ならびに人種,性,言語または宗教に関する差別のない,すべての者のための人権および基本的自由の実現を援助すること.」と規定しています.なおさらに第9章経済および社会的国際協力の部において第55条で,第13条等の規定を促進すること,第10章経済社会理事会の部において,第62条第2項で,勧告することが出来るよう規定している.なお機構として,経済社会理事会が基本的人権の擁護について責任をもち,その機能委員会の一つである人権委員会が担当している.

私たちの保健所・36 北海道・岩見沢保健所

結核対策—古く,新しい課題

著者: 斎藤雍郎

ページ範囲:P.413 - P.413

管内概況
 北海道の中央,空知地方は穀倉及び産炭地帯であり,その集散地岩見沢は東北以北最大の操車場をもって栄えていたが,減反と閉山によって周辺市町村の人口減少甚だしく,そのあおりを受けている.
 当所は全道52の保健所のうち45の道立保健所の1つとして,昭和19年に設置され,26年A級指定,同年美唄・砂川両保健所の設置により,管轄区域は岩見沢市・三笠市・栗沢町・月形町・北村となり,35年からR3,型として現在に至っている.管内面積945km2,人口は昨秋13万を割った.

根をおろす医師会活動

札幌医師会・夜間急病センター運営委員会

ページ範囲:P.426 - P.427

設立の動機および目的
 私ども札幌市医師会々員は,郡市医師会の本来の使命は地域社会に密着した医療に従事することにあるとの認識に立ち,早くから年中行事の一環として老人の無料精密検診を実施し,さらには昭和36年より日曜日・祝祭日の昼間の休日当番医師制度を自主的に運営して参りました.しかしながら夜間の急病患者を,制度として受け入れる態勢は皆無に等しく,開業医の善意を頼りに放任されていました.その結果,患者は徒らに時間を費して数軒の病医院の扉を叩き回ることとなっていたのが古くからの実情でした.ところが昭和39年消防法の改正により災害救急病(医)院が生れてからは,ここに夜間の内科系急患が殺到するようになり,本来の災害救急業務に支障をきたし,各施設とも困惑しているとの痛切な叫びが挙がりました.
 昭和44年の春,札幌医師会館改築の案が具体的になった時点において,この夜間の内科・小児科系の急病患者に対処する施設を会館の中に取り入れてはどうかという構想が生れました.日本,否世界にも前例のない事業なので,この計画を結実させるために,実に2年間の営々たる努力が払われました.1千名会員ならびに行政当局への啓蒙と説得,建築資金の捻出,内部施設の検討等々,幾多の難関を突破して,昭和47年1月15日,漸くこの夜間急病センターは誕生しました.

日本列島

「あすの札幌を描く」都市計画座談会—札幌市/栄養改善法制定20周年大会—宮城県

著者: 吉田

ページ範囲:P.425 - P.425

 札幌市では,すでに昭和65年を目標年次とする「札幌市長期総合計画」を策定して,これにもとづいて都市建設を鋭意進めているわけであるが,特に北方風土にふさわしい快適な生活環境と高度の都市機能をもったユニークで魅力あふれる都市づくりを実現するためにはどうすべきかということで,その手がかりを得たいと,昭和47年11月9日,札幌市パーク・ホテルに,三鬼陽之助(経営,経済評論家)八十島義之助(東大教授)黒川紀章(社会工学研究所長)恒松制治(学習院大教授)の諸氏を招き,市当局は伊藤俊夫氏(北大名誉教授)を司会にお願いして座談会を開催,招待者には市幹部,市会議員ばかりでなく,市在住の経済会その他の名士を網羅して招待したが,会は盛会の裡に終了した,
 私もいささか都市計画などに興味をもっているので出席したので,その印象記を書いてみる.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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