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SEAMHO(東南アジア医療開発機構)が発足して,いろいろ困難な問題を抱えながらも医療の国際化時代に一歩をふみ出した今日である.1972年末,フィリピンをふり出しにシンガポール,マレーシア,タイを駈足で見て廻っての卒直な感じでは,医療の国際協力という事業が,その国の文化風土と相まって成り立ってきた医療条件をいかに考慮するかという一事のみでも,相当に多くの検討が必要であり,決してバラ色の夢につつまれたものではないと考えられた.筆者の偽らざる感想では,今までわが国が,東南アジアでくり返してきた失敗を,医療面でもおかす危険をおそれざるを得ない.このことは別に機会を得てのべる積りでいるが,このSEAMHOの母体ともいうべきAMO(Asian Medical Organization)構想の一端として,沖縄の医療開発がすすあられてきたというアピールが,新左翼グループを中心として提示されていたことがある(たとえば1971年春,反医学総会時を頂点としたアピールを省みられればよい).そして今日でも,沖縄の学生運動,もしくは琉大保健学部に対する学生のアピールなどに引きつがれている.本稿では,国際化社会における沖縄の位置づけを,医療の面からふまえて考え,沖縄の医療文化との関連を求めて本論の結論としたい.
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