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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生38巻9号

1974年09月発行

雑誌目次

特集 医制100年 対談

医制100年にあたって

著者: 曽田長宗 ,   橋本正己

ページ範囲:P.452 - P.463

 橋本 曽田先生,今年は明治7年に医制が公布されまして満100年になるわけですが,考えてみますと,当時医制の課題であった日本の医療とか医学という問題は,100年間にないほどのむずかしい局面に立たされているように思います.医制をいま見直してみますと,誠に気宇壮大で,当時の先達の人たちが,ああいう困難に満ちた状況でこの問題に取り組んだわけですが,医制100年というこの機会にぜひもう一度よく味わってみる必要があると思いまして,先生のお話をおうかがいすることにしました.

明治初期のわが国医療制度の確立に貢献した人脈—岩佐純・相良知安・長与専斎の事蹟を中心にして

著者: 菅谷章

ページ範囲:P.464 - P.469

 西洋医学の採用が国の方針として正式に打ち出されるようになったのは,1868年(慶応4年,同年9月8日に明治と改元)2月典薬少允高階筑前介が西洋医学御採用方について進言した建白書1)がそもそものはじまりである.
 この建白書において高階筑前介は,皇威顕揚のために,西洋医学を根幹とする医道を確立すべきこと,医学所・医病院・癲狂院を緊急に設立する必要性を強調し,貧窮者には特別な医療の途=医療保護のための施薬救療の途を講ずべきこと,あわせて行旅病者に救療の方法を講ずべきことを建白したのであった.この建白書が機縁となって翌月の3月7日,西洋医術差許の御沙汰がくだり,太政官は即日,自今わが国の医術は西洋医術に準拠すべき方針を決定し,つぎのような布告を発したのである.

地方衛生行政と衛生教育の展開

著者: 小栗史朗

ページ範囲:P.470 - P.474

衛生委員と防疫
 明治12年の全国的なコレラ大流行にあたり,長野県筑摩郡では流行を未然に防いだ結果,患者が1人もでなかった.同年11月15日の松本新聞の投書は次の通り衛生委員の市川量造と松沢求策を讃えている.「我ガ郷里諸君(市川・松沢を云う)ノ奮励汲々タル斯ノ如キヲ以テ,悪疫劇列ナリト雖モ,豈ニ威ヲ我筑摩郡ニ逞ウスルヲ得ベケンヤ.之レ即チ諸君ノ盡力其ノ効ヲ奏スルニ非ルヨリハ,安ンゾ能ク是ニ至ランヤ」と(括孤内は筆者註)1)
 市川・松沢の努力は,松本新聞から当時のコレラ流行と対策の状況を詳細に解明している有賀義人によると,「愛民」の立場に立ったものと評価されている.「愛民」とは「該病毒ヲ予防シ,該病焔ヲ撲滅セシムルハ,各戸人々其予防並ニ消毒法ヲ衷心ニ会得施行セシムルニアラザレバ,容易ニ会得施行セシムルニアラザレバ,容易ニ行キ届カザルモノナリ.外ヨリ之ヲ強迫シテ特ニ法則ヲ以テ施行セシメントスルトキハ,太ダ難事タルノミナラズ,或ハ民情ヲ破リ云フベカラザルノ禍害ヲ醸成スルニ至ル」今回「コレラ予防訓」を各戸に配布することにしたが,これの普及徹底のためには「組長,伍長ヘモ篤ク協示致シ,愛民衛生ノ主旨ヲ貫徹セシメ候様盡力可取計」(同年9月10日付千葉県戸長宛通信文)にでてくる言葉である.

医学教育

著者: 中川米造

ページ範囲:P.475 - P.479

 日本の近代的医学教育の始めは,明治3年(1970)にドイツ人教師招聘についてプロシア公使と協定書をとりかわしたとき.または,ミュルレルとホフマンが実際に来日して授業を始めた4年とするのが一般的であるが,今年がちょうど100年になる明治7年(1874)8月に布達された「医制」も,行政とかかりあう医学教育のある側面を考える上で興味ある素材である.
 医制第1条には「全国の医制ハ之ヲ文部省ニ統フ」と書かれており,第2条は「医制ハ即チ人民ノ健康ヲ保護シ及ヒ其学ヲ興隆スル所以ノ事務トス」とある.医制とは,いうまでもなく医療保健行政に関する基本法である.これが文部省の所管としていることが興味がある.さらに,この医療行政の中に,上の第2条にみられるように,医学振興行政また医学教育行政を含めているということも注意を呼ぶ.事実,医制76年のうち,21条が医学および教師の規定にあてられており,比重がかなり重いのである.もっとも医制自体はほとんど空文に近く,実施されたのは,そのうちの僅かの条文だけであり,文部省の医療行政所管も,翌年には内務省に移管され,医学教育は文部省に残ることになったのであるが,何故,医療行政の中に医学教育行政を位置づけようとしたのか,それが,空文となっただけに,その背景となる思想を探りたくなる.

医療制度と医療技術

著者: 川上武

ページ範囲:P.480 - P.485

医療制度の2つの側面
 資本主義社会では医療制度は2つの側面をもっている.第1は医療技術的側面(a)であり,第2は社会経済的側面(b)である.医療・保健は医療従事者(その中核としての医師)と病人・国民の間の技術的関係(医療行為)と社会経済的関係(経済行為)の上に展開されている.医療制度がa,bの独自の体系から制約をうけると同時にa,bの間にも被制約性がある.aは医師1人の場合から医療チームによって遂行される高度の技術にいたるまで,その展開形態は多様である.bも狭義の医療制度(b1),医療保障(b2),医薬品・医療産業(b3),医学教育(b4)を含むが,ここで問題になるのは主としてaとb1の関係であるが,医療制度の構造からして,b2またはb3との関係もさけて通ることはできない.この関係は現在の医療制度の原点である開業医と患者の上に最も単純な形であらわれている.患者は開業医に医療行為を期待し,開業医はその代価として患者から診療報酬を受けとる.医療行為と診療報酬の間には一定の営利的関係がある.国民皆保険の達成(昭和36年)により診療報酬の支払い方式に建前として完全に社会化されたとはいえ,開業医と患者との間の営利的関係の本質は不変である.この関係は開業医(私的医療機関)に特有なものではなく,公的医療機関においても例外ではない.

資料・医制—(明治七年八月十八日文部省ヨリ東京都大阪三府へ達)

ページ範囲:P.486 - P.490

別冊医制先以三府ニ於テ施行可致御許可相成候処従来之習俗素ヨリ一時難被行事情モ可有之ニ付著手之儀ハ現今緊要之条件ヲ採摘シ其都度可相達候条順次行届候様厚ク可致注意此旨相達候也
 但各地ノ流弊ニ因リ難閣事件ハ統テ医制之旨趣ニ基キ 将来ノ目的ニ帰宿致条様其条件ヲ掲ケ著手之都度可伺 出事

発言あり

医制100年

ページ範囲:P.449 - P.451

医権を国民の手に
 医制100年と聞けば,同じようにほぼ100年を経過した諸制度を思う.近代日本が全体として一世紀を経過したのだから,思い浮かぶことは数限りない.
 そのなかで,ひときわ鮮明に浮び上がるのは,医制100年に対する学制100年というテーマである.ここにもまたいくつものサブ・テーマが存在しようが,以下の一点だけを考えたい.それはいわゆる「医権」と「教育権」の伸長・変動の対比である.

寄稿

徒然草と養生訓—長生き論によせて

著者: 秋山房雄

ページ範囲:P.510 - P.511

命長ければ恥多し
 命あるものを見るに,人ばかり久しきはなし.かげろふの夕を持ち,夏の蝉の春秋をしらぬもあるぞかし.つくづくと一年をくらすほどだにも,こよなうのどけしや.飽かず,惜しと思はば,千年を過すとも,一夜の夢の心ちこそせめ.住み果てぬ世に,みにくき姿を待(ち)えて何かはせん.命長ければ辱多し.長くとも,四十にたらぬほどにて死なんこそ,めやすかるべけれ.
 編集の方から長生きについて何かといわれて,最初に思い浮べたのは,この徒然草(第七段)の一節であります.しかし,同時に,つぎのような貝原益軒の「養生訓」のことばも考えられたのです.

研究

過疎地帯における脳卒中予防効果

著者: 関龍太郎 ,   小谷勉 ,   富田すみ ,   藤田悦子 ,   飯塚なおみ ,   内藤閑 ,   岩田佳代 ,   多田学 ,   山根洋右

ページ範囲:P.499 - P.504

 日本の高度経済成長政策の影響をうけて,農山村は,過疎現象が進行し,地域住民の経済,生活,教育,医療,文化などあらゆる面に著しい影響があたえられている.著者らは過疎地帯の住民の健康破壊の実態と健康をまもる運動について愛媛県南予の例において,あきらかにしてきた1〜5)
 一方,脳卒中による死亡が近年,首位をしめ,その対策の重要性は数多くの研究者によってあきらかにされている6〜12)

地域における循環器検診に関する研究—7年間の追跡検診後の住民の意識と行動

著者: 山内清子 ,   鈴木祐恵 ,   大井久美子 ,   藤牧渡 ,   莇昭三 ,   鏡森定信

ページ範囲:P.505 - P.509

 昭和40年以来,城北病院の診療圏である浅野校下で,毎年夏に日循協方式に準じて循環器検診をおこなってきた.また検診の結果,高血圧症と判定された者や,外来の高血圧者を対象として高血圧患者会をつくり,その外来治療および生活指導等にとりくんできた.
 今回,このような検診や成人病に対する検診対象者の意識および今後の検診に対する態度を知る目的で,アンケート調査をおこなった.

海外印象記

公衆衛生活動の展望を求めて—特に予防接種と環境衛生について岐阜県職員海外研修に参加して

著者: 鈴木大輔

ページ範囲:P.495 - P.498

 第2回岐阜県職員海外派遣制度に応募し,約1カ月間にわたり,ヨーロッパの5カ国(6都市)で研修を受ける機会を得た.
 この研修制度は,県単独の制度として昭和47年度から発足したばかりなので,参考とする実績が少なく,恵那保健所の河村勲男氏と2人だけで多忙な業務の合間に研修計画を立案しなければならず,2人とも海外は初めてのため,雑務的な諸手続と準備にかなりの時間がとられた.

最近の話題から

食品添加物の安全性

著者: 今堀彰

ページ範囲:P.491 - P.494

 昨年来,食品添加物の一種である殺菌料AF-2(Furylfuramide)の安全性をめぐって,遺伝学者を中心とする環境変異原研究グループによる問題提起があり,マスコミもこの問題を大きく取り上げて世間一般の強い関心を呼んでいる.現在,生活環境内に意図的あるいは非意図的に導入されている多くの化学物質の安全性総点検が各分野で要請されており,その代表例として食品添加物の安全性再検討がAF-2問題を契機としてclose upされている.
 戦後食品の生産流通機構に著しい変化があり,加工食品の生産が急増している.加工食品の普及は国民の食習慣にも大きな変革をもたらし,食品の多様性,保存性,簡便性が要求され,この要請に答えるため食品添加物の種類と使用量は急激に増加している.

日本列島

がん集検疾患発見成績—札幌市

著者: 吉田憲明

ページ範囲:P.509 - P.509

 札幌市では,昭和48年4月1日以降,市民のがん集検について,北海道対がん協会に委託して実施しているが,この程その成績(昭和48.4.1〜49.3.31)がまとまって,送附されて来たので瞥見報告する.
 尚一般住検については,毎週保健所前,又は人員確保,予約された地区に検診車が出張,職域に於ては,その職場と対がん協会との交渉において検診したものである.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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