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特集 医制100年
地方衛生行政と衛生教育の展開
著者: 小栗史朗1
所属機関: 1名古屋市千種保健所
ページ範囲:P.470 - P.474
文献購入ページに移動明治12年の全国的なコレラ大流行にあたり,長野県筑摩郡では流行を未然に防いだ結果,患者が1人もでなかった.同年11月15日の松本新聞の投書は次の通り衛生委員の市川量造と松沢求策を讃えている.「我ガ郷里諸君(市川・松沢を云う)ノ奮励汲々タル斯ノ如キヲ以テ,悪疫劇列ナリト雖モ,豈ニ威ヲ我筑摩郡ニ逞ウスルヲ得ベケンヤ.之レ即チ諸君ノ盡力其ノ効ヲ奏スルニ非ルヨリハ,安ンゾ能ク是ニ至ランヤ」と(括孤内は筆者註)1).
市川・松沢の努力は,松本新聞から当時のコレラ流行と対策の状況を詳細に解明している有賀義人によると,「愛民」の立場に立ったものと評価されている.「愛民」とは「該病毒ヲ予防シ,該病焔ヲ撲滅セシムルハ,各戸人々其予防並ニ消毒法ヲ衷心ニ会得施行セシムルニアラザレバ,容易ニ会得施行セシムルニアラザレバ,容易ニ行キ届カザルモノナリ.外ヨリ之ヲ強迫シテ特ニ法則ヲ以テ施行セシメントスルトキハ,太ダ難事タルノミナラズ,或ハ民情ヲ破リ云フベカラザルノ禍害ヲ醸成スルニ至ル」今回「コレラ予防訓」を各戸に配布することにしたが,これの普及徹底のためには「組長,伍長ヘモ篤ク協示致シ,愛民衛生ノ主旨ヲ貫徹セシメ候様盡力可取計」(同年9月10日付千葉県戸長宛通信文)にでてくる言葉である.
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