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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生39巻2号

1975年02月発行

雑誌目次

特集 くすりと健康

薬務行政の課題

著者: 吉村仁

ページ範囲:P.68 - P.70

 厚生省薬務局においては,医薬品のほかに医薬部外品,化粧品,医療用具の生産,販売等について国民の保健衛生上の見地から必要な規制,指導を行うほか,麻薬,毒物劇物の取締り,化学物質の安全性の審査など薬事に関し広範な行政を所管しているが,本稿においては紙数等の都合から,医薬品に関連する行政について,当面する諸問題とこれに対する行政の方向を概観することとしたい.

医薬品の有効性と安全性

著者: 小澤光

ページ範囲:P.71 - P.77

はじめに
 現在わが国ではどのくらいの医薬品が流通しているかは大変関心のあるところである.
 くすりは新薬が出るかわりに古いものが消えてゆき,医薬学の進歩や,流行によって新陳代謝がはげしいものである.残念ながら昨年暮の統計がまだ出ていないので丁度1年前の昭和48年12月を調べてみると,製品の品目数が30,206ということである.

保健所と薬務行政

著者: 歌代吉雄

ページ範囲:P.78 - P.82

 薬務行政にあっては,保健所を設置する市が処理し,その市長が管理執行するものは皆無である.
 同様なことは,今般の地方自治法の一部改正による東京都23特別区への保健所事務事業の移管の際にもいえる,法令事務である毒物および劇物取締法に基く毒物劇物営業者等からの事故届出の受理,ジメチルエチルメルカプトエチルチオホスフェイトを含有する製剤・モノフルオール酢酸アミドを含有する製剤を使用する場合の害虫防除届の受理は元来保健所の事務であるが,これを除いて薬務行政で特別区へ移管予定のものは,薬事法に基く医療用具販売業の営業の届出およびその休廃止届の受理,薬剤師法に基く年末届および免許申請書の受理と知事への経由のみである.まさに九牛の一毛にすぎない.

薬局と地域保健

著者: 清水藤太郎

ページ範囲:P.83 - P.85

 なるほど私は大正の初年からこの問題に取り組んでいるが,米寿とかいう老齢になっても,今もってその志向が完成しない.なるほど薬局は今は全国に散在し,大学卒業の身で簡単に紹介者もなく民衆に接し,週に一,二回,家族の誰れかが薬局に行って,くすりや化粧品のアドバイスを受けている.そのアドバイスに金はいらない.すなわち薬局は,その地域の健康保持に重要な役わりを果たしている.
 薬は昔は,民衆が,山に狩りし,海に漁る間に,多くの草根木皮が病の治療に役だつ,特にある病にはある草木が効あることを発見して,それを不時の用に供するため貯えた,その貯えた所を,ギリシャ語でアポテケ(離れて置く所)といった.これがいずれの国においても匿者とは別に,専門に薬を収集,販売する「くすりや」となった.

配置薬と地域保健

著者: 室林貞一

ページ範囲:P.86 - P.90

 日本の医薬は,紀元前1世紀,西日本の弥生式文化が漢から青銅文化,鉄文化を導入した頃に,出雲民族によって端を発していると言われている.允恭天皇の御代に新羅から中国の本草学が伝来されてから,しばしば医術を導入すると共に種種の医薬も伝来されてきた.これらは朝延あるいは武家階級または僧侶などの手中にあって,待医とか藩医の間で研究発達したとはいえ,一般の大衆には比較的その恩恵が行きわたらなかったものと思われる.
 1670年代の延宝,天和年間は,いわゆる民間売薬の発生期ともいわれ,奈良西大寺の豊心丹,西の京の梅軸軒蘇命散,京都堀の肝凉丹,京都太子山の奇応丸,京都井上の目洗薬,京都雨森の無二膏,汗戸喜谷の実母散,近江正野の万病感応丸などはこの頃に発売されたものといわれている.徳川の歴代将軍は医薬を奨励したが,その取締は緩漫であったので簡単に民間に普及されたが,一方偽物も多くなってきた.これらに対処するため各製薬本舗では種々研究し,いわゆる一子相伝の秘薬を製造販売するという傾向を示した.

諸外国の医薬分業と地域保健

著者: 水野睦郎

ページ範囲:P.91 - P.95

昨年来の医薬分業気運
 昭和48年2月,短波放送を通じて武見医師会長は今後5年のうちに医薬分業を実施しようと,薬剤師に対して提言した.その後,8月に開催された中央医療協議会で医師の診療報酬の改訂について審議が行なわれたが,その際に,医師が処方箋を書く報酬である処方箋料を大幅に増額して,1回当り500円とすることとなり,10月1日より実施された.
 これまで医薬分業は薬剤師が主張し,医師側が反対し続けていたものだけに,この提言の裏に何か罠でもあるのではないか,と疑うなど,医師会長の真意をはかりかねる者のある一方,明治時代からの長年の悲願である医薬分業の達成の日は近いと単純に喜ぶ薬剤師もあり,かなりの混乱があった.

漢方薬と近代医薬

著者: 升水達郎 ,   坂本守正

ページ範囲:P.96 - P.100

 近代医薬と漢方薬を同一の視点から比較し論ずる事は,その基本的考え方1)を異にしているため大変に難かしい.
 近代医薬も,その出発は,草根木皮から出発したのであるが,18世紀における,Wöhlerによる無機物からのureaの合成2)が端緒となって,有機化学の研究が進み,1858年Virchowが著した「細胞病理学」,Pasteur,Kochらによる,細菌学の業績により,薬物の作用点を,より根源的なもの,例えば細菌への直接作用といった,研究への方向を取るようになった.Sertürnerは阿片からmorphineを抽出し,その後のalkaloid研究の基礎を作り,多くの天然物成分とその誘導体が商品化するに到った.さらにEhrlich・秦によるsalvarsanの創製(1909年)は,化学療法剤の研究へと進み,その路線は現在の抗生物質の製造に及び,多くの感染症を治癒せしめた.

発言あり

くすりと健康

著者: ,   ,   ,   ,  

ページ範囲:P.65 - P.67

誤った理解が患者指導の障害に
 第一線の診療を担当する医師として,患者を指導する場合,苦心することのうち最も多いのは,医師の選択と検査やくすりに対する誤った態度である.
 次に,くすりに対する患者の様々な姿を例示してみよう.

研究

農村婦人における貧血発生の諸要因—縦断研究の成績を中心として

著者: 大和田国夫 ,   田中平三 ,   植田豊 ,   伊達ちぐさ ,   津江裕子 ,   須永寛 ,   沢田清子

ページ範囲:P.101 - P.106

 農村婦人の貧血が,公衆衛生上の重要課題として取上げられ,その研究も数多く報告されている.しかし,いずれも横断研究(cross-sectional study)であり,したがって,貧血の頻度を表現するのにも有病率(prevalence)が用いられている.そこで,著者らは,農村婦人の貧血の実態を動的に観察するために,縦断研究(longitudinal study)を実施し,貧血の有病率の1年間の変動を考察し,更に,発生率(incidence,後述してあるように,貧血という疾病の性質上,発生率を検討することは実際には不可能である)への接近を試みた.
 著者らは,先に,新潟県新発田市A地区に在住する婦人を対象として,横断研究を実施し,これに基づいて農村婦人における貧血発生の諸要因についての報告をした1).しかし,一般に,病気がなぜ発生したか,その発生要因を考究する場合,一番適当な疾病頻度を表わす尺度は発生率である2).本論文では,A地区において1年間の縦断研究を行い,既述のように,貧血の発生率への接近を試みたので,この成績から,農村婦人における貧血発生の諸要因を検討し,あわせて,既述の横断研究の成績に基づいた分析結果1)と比較した.

毛髪水銀の蓄積に関する疫学的検討

著者: 長田伊三夫 ,   浅見英男 ,   大谷誉 ,   磯村久男 ,   大野純暉 ,   城戸省二 ,   長島章夫 ,   井上裕正 ,   高島一良 ,   太田秀夫 ,   恩田祐行 ,   児玉博和 ,   山田直樹

ページ範囲:P.107 - P.110

 つとに,わが国は世界最高の水銀汚染国といわれ,大気・水質・土壌・食品など生活環境の多くは水銀汚染の影響を多分に受けているともいわれている.その汚染母体となっているものは,従来から全国的規模で田畑に撒布された有機水銀系農薬による土壌汚染であり,これが農作物など食品汚染の形態で,わが国民の体内蓄積量を有意に高度化してきたとする定説が強かった.
 昭和48年3月,熊本大学医学部10年後の水俣病研究班から報告された水俣病その後の経過は,医学・行政・社会の関心を再び水質汚濁にむけ,魚介類を通して国民の健康不安を国内各地に伝ぱんしたまま,こんにちに至っている.このように,水銀による環境汚染の実態が更めて重要視されるに伴い愛知県でも,魚介類に含まれる有機水銀摂取による体内蓄積が問題化し,一般住民に水銀不安を与えているのでこれに対処するため,毛髪内に含有の水銀濃度を測定し,毛髪水銀の実態把握に努めたところ,若干の知見をえたのでその結果を報告する.

論稿

放射能公害と放射性廃棄物—その防止対策としての処理処分を中心に

著者: 堀岡正和

ページ範囲:P.111 - P.116

 わが国における原子力利用・開発は,当初から安全性第1を主義として,地道な研究と真剣な努力が払われ,原子力発電をはじめ放射性同位元素の利用など,広い分野において着々進展を示している.
 ところで,放射性廃棄物の処理処分の問題は,原子炉の安全性の問題とともに,自然環境あるいは生物圏の破壊などの放射能公害の可能性をかかえ,なお多くの未解決の困難な問題を残している.

日本列島

沖縄県の結核概況

著者: 伊波茂雄

ページ範囲:P.77 - P.77

 第2次大戦後の沖縄の結核事情は極めて深刻な状況にあったので,昭和23年米国民政府と沖縄民政府は結核対策の第一歩として,沖縄北部東海岸にある金武村に100床の結核療養所を設置し,結核患者の収容治療を開始した(この結核療養所は現在450床の国立療養所となってる).また,昭和26年には保健所が設置され,結核在宅患者の治療,管理および保健所の公衆衛生看護婦(現在の保健婦)による療養指導が行なわれるようになった.昭和29年には「結核予防対策暫定要綱」が制定され,医療費の一部公費負担が行なわれた.
 この制度は当時の結核対策の推進に大きな役割を果したが,不備の点もあったので,昭和31年10月に結核予防法を制定し,予防と治療に要する費用はすべて琉球政府の負担とすることになり,結核対策は本格的に進められるに至った.昭和30年には保健所に検診車を配備し,集団検診を実施するとともに,公衆衛生看護婦による在宅患者訪問指導も強化され,この保健所による結核の外来診療と保健婦(すべて県職員)による在宅療養指導の制度は,日本復帰後も存続している.最近の結核患者状況は次のとうりである.

沖縄における麻薬禍

著者: 伊波茂雄

ページ範囲:P.85 - P.85

 沖縄県は,太平洋戦争終了後,米国のアジアにおける戦略上の要地として占領が継続され,各種の軍事基地が整備されてきた.昭和47年5月15日に沖縄県が日本復帰した際には,本県の陸地総面積の12.80%が基地に占有されている.この面積は在日米軍基地全体の面積の58.75%を占め,さらにそこにある米軍専用施設は全体の45.86%,一時使用施設は66.7%となっている.この米軍基地に在る軍人および軍属の数も多数で,海外への往来,特に東南アジア方面への往来も頻繁である.
 このような状況が,沖縄における麻薬禍に大きな影響を与えている.すなわち,海外特に東南アジア各地からの麻薬の密輸入が,我国の法律の及ばぬ基地の特殊性と,その特権を利用して行なわれ,また,組織を通じて巧みに搬入と密売がなされている.麻薬事犯の取締りは沖縄県警察本部,厚生省麻薬取締官事務所,米軍捜査機関などがあたっているが,事犯の大半が外国人であること,米軍基地や組織を通じて巧妙に行なわれていることなどの理由で,その捜査,取締りと根絶は困難を極めている.

沖縄県のらい病事情

著者: 伊波茂雄

ページ範囲:P.119 - P.119

 沖縄県におけるらい患者新発生数は昭和43年には144人,昭和44年97人,昭和45年84人,昭和46年87人,昭和47年70人,昭和48年56人となっており,昭和49年は10月末現在で67人の新患が発見されている.昭和47年で全国新発生と比較してみると,発生総数115人の60.9%を占め,しかも他都道府県で発見された45人のうち5人は本県出身者であり,全国で最も高い感染地となっている.人口10万対で罹患率をみると沖縄県7.28人に対し,全国平均0.11人となり,約70倍となっている.
 昭和49年10月末現在新患届出数67人のうち男42,女25,年齢別では0〜14歳が7,15歳以上が60となっている.病型でみると,L型19,T型42,B5,I1と,L型が28.4%を占めている.L型は昭和47年の33.9%,昭和46年の32.8%よりは少くなっている.

第9回健康を守る県民大会分科会「献血で結ぶ人の和社会の輪」—宮城県

著者: 土屋真

ページ範囲:P.95 - P.95

 さる49年11月仙台市にある県民会館に,公衆衛生団体連合会をはじめとする各団体や一般県民約1400人が集まり,分科会や表彰式などが盛大に行なわれました.
 4分科会のテーマは「住民ニードと健康管理のしくみ」「衛生害中駆除の今昔」「結核とのたたかいは続いている」「献血で結ぶ人の和社会の輪」などで,パネルディスカッションやシンポジウムが熱心になされました.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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