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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生40巻2号

1976年02月発行

雑誌目次

特集 保健計画—組織と運営を中心に

保健計画の動向と課題

著者: 橋本正己

ページ範囲:P.76 - P.77

 Health Planning保健(医療・公衆衛生)計画が,各国政府の切実な政策的関心事となったのは1960年代以降であり,これは国連が開発10年 "Development Decade" の第1期として,経済と社会の均衡ある発展の推進を全世界にアピールした時期であった.WHOが創設以来,とりわけ1960年代以降,保健計画の推進にさまざまの努力を払ってきた経緯については,すでにしばしば本誌上でも紹介したところである.
 最近10余年の間に,保健計画については計画技法の進歩とともに,真剣な試行錯誤の中から世界の諸国は多くの貴重な経験を集積してきた.そのアプローチは,それぞれの国の社会的,政治的諸条件を反映して一様ではなく,いわゆる "pragmatic approach" からsystems analysis的な "scientific approach" までさまざまであり,これらの特質,長短等については,WHOの刊行物に興味深くまとめられている.また最近では,保健の問題が初期の頃の経済発展の手段ないしは関連要因としての位置づけから,しだいに経済社会発展の本来の目的としての位置づけに深まりつつあることが注目されるが,最近の世界的な不況とインフレの中で,その前途はきびしいものとなっている.

米国の保健(医療)計画

著者: 青山松次

ページ範囲:P.78 - P.87

はじめに
 昭和43年に日本医師会は医療保険制度の抜本改正に関する意見1)を発表し,翌昭和44年には医療総合対策2)を発表した.その後医療保険制度の抜本改正の基礎となる医療制度の改革が注目され,そのために医療基本法の制定も政府部内で進められ,数次にわたる原案の発表があった.これらの中に含まれた新しい考えの中に医療(保健)計画があった.これは国および都道府県の医療計画を法制化するものであって,医療制度の中に新しいシステムの考えを導入しようとしたものであった.
 幸か不幸か,医療基本法は日の目を見ていない.したがって医療(保健)計画の立法化も実現していない.

イギリスにおけるHealth Planning—National Health Serviceの新しいCommunity Health Councilを中心に

著者: 三友雅夫

ページ範囲:P.88 - P.98

I.NHS再組織とCHCs
 コミュニティ保健協議会〈Community Health Councils=CHCs〉は,その性格からして,1973年の国民保健サービス改造法〈National Health Service Reorganisation Act,1973〉の規定によって1974年4月からはじめられた消費者諮問協議会〈Consumer Consultative Councils〉のことである1).このCHCsは,国有産業における消費者協議会〈Consumer Council〉をモデルとしてつくられたといわれている2)
 CHCsの "諸規則" は,法定文書〈Statutory Instrument〉として1973年7月31日に発表され3),手引書として "ガイダンス" が1974年1月に保健社会保障省〈DHSS〉によって発行された4)

地域医療計画の現状と課題

著者: 福渡靖

ページ範囲:P.100 - P.105

はじめに
 医学と医療技術の進歩に伴い,医療の専門分化が進行しつつある.また,保健衛生環境の改善による衛生水準の向上も著しい.これらの結果,国民の死亡原因ならびに疾病構造の変化,平均余命の延長がもたらされ,国民の医療に対するニードも変わってきている.こうした中で,一般診療の増加と高度な特殊医療技術の進歩と普及がみられ,量的にも質的にも医療需要が変化しており,医療機関も行政組織もこの需要への新しい対応を求められている.
 厚生省は,昭和48年度に,医学,システム工学等の専門家からなる医療情報システム検討会を設け,地域医療システムを含めた医療情報システム開発の基本的方向の検討を始めたのである.これは,質・量ともに増大している国民の医療需要に応えるには,限られた医療資源の有効な活用を図ることが肝要であり,そのためには,コンピュータを中軸とする情報処理技術,映像伝送技術,医用電子技術等を応用して医療情報システムを開発し,医療のシステム化を進めることが極めて有効であるとの考えからである.

地域医療計画の進め方

著者: 松本啓俊

ページ範囲:P.106 - P.117

まえがき
 近年,医療計画という言葉はいよいよ汎用化されようとしている.
 医療計画とは,とりもなおさず,医療サービスの受益者に対する適正な提供計画である.

医師会病院を軸とする地域医療計画

著者: 杉田肇

ページ範囲:P.118 - P.124

はじめに
 最近,日本で行なわれた2つの国際学会を簡記して,この稿の導入としたい.
 「ApolloとSoyuzが宇宙でドッキングするという歴史的な日(1975年7月18日)に,国際OR学会で講演するのは誠に光栄であります.私は九州の片田舎の一開業医であります.

西和賀地域保健調査会の10年

著者: 加藤邦夫

ページ範囲:P.125 - P.133

I.はじめに
 西和賀地域保健調査会が昭和40年に設立されてから11年目をむかえる.その間,この会は任意団体として地域保健(医療)のオピニオンリーダーの役割と実績をつみさねてきた.そして自らその「あり方」を評価して,昨年4月にこの会は任意団体から町村の附属機関である諮問機関に脱皮,変革をし,第1年目の経験をつみはじめている.今回は主にこれらの組織と運営について紹介したい.

保健計画における専門家の教育訓練—国連・アジア開発研究所のワークショップを中心に

著者: 橋本正己

ページ範囲:P.134 - P.138

はじめに
 国の保健計画National Health Planningが,各国政府の切実な関心事となった1960年代の初期以来,WHOは従来の努力を発展させて主題の推進に積極的な努力を傾け,各国はそれぞれのとりくみによって真剣にこの課題にとりくんできた.その実態は文字どおり試行錯誤の観が深いが,最近10余年間の各国のきびしい経験の中から生まれた重要な認識は,政策決定における恣意性を排除するために,政策決定者に対して幾つかの代替策とそれらの長短を提供するplanningは,政治的環境の如何を問わず価値あるものであり,したがって保健プランナーは,保健政策の策定に重要な役割を演ずる,ということである.国の保健計画に関する教育訓練については,60年代の後半以降WHOの各地域事務局レベルで,会議,セミナー,訓練コースの実施など積極的な努力がなされており,日本の属する西太平洋地域WPROにおいても1968年以来,毎年3カ月のコースが開かれ,日本からも毎回1〜2名が参加している.この主題については,1969年秋,WHOの国の保健計画に関する専門家委員会が開かれ,その報告書が"Training in National Health Planning"(WHO-techn. Rep. Ser.,No. 456,1970)として刊行され,ガイドラインが示されている.

発言あり

休日・夜間診療

著者: ,   ,   ,   ,  

ページ範囲:P.73 - P.75

三すくみの現状打開を
 今,一番困っていること,解決を迫られていること,と聞かれたら,夜間診療問題をイの一番に挙げなければならない.それほど頭を悩ませているのが,この夜間診療といえるだろう.
 診療側も,患者も,行政も,救急隊も,誰も彼もが困っていて,しかも完全な解決策がないところから,マス・コミにいくらたたかれ騒がれても,三すくみ,八方塞がりになって動きがとれなくなっているのだ.

研究

地域医療・地域保健のあり方をめぐって—ことに無医地区における健康管理の問題点

著者: 川井啓市 ,   林恭平

ページ範囲:P.139 - P.144

 理想的な無医地区の健康管理の対策は,官公立の医療施設を中心としない限り,現在の医療政策・保険制度のなかではありえないが,問題の焦点は,その方法論は別として,この無医地区の医療・健康管理を官公立を主体とした病院が担当するのか,または保健所を中心として成り立ってゆくのかであり,十分の,真剣な討論が必要となろう.
 しかし,この無医地区の定義には問題があり,現在のように半径5km以内に医師がいない場合をさすのも必ずしも妥当ではない,現在,私たちが健康管理を行っている村落もそうであるが,無医地区の判定には道路行政も関係し,自家用車の普及率とその医師を訪れる時間,しかも一般内科医general physicianにゆくまでの時間で相対的に規定されるべきものであろう.

追悼

石垣純二先生の死を悼む

著者: 舘林宣夫

ページ範囲:P.146 - P.147

 石垣純二氏は,神戸一中から八高理甲を経て東大医学部に入り,昭和12年卒業と同時に公衆衛生に身を投じた.
 始めは当時国の公衆衛生の重点の一つであった体力増強の仕事をしていた.

追悼

著者: 橋本正己

ページ範囲:P.147 - P.147

 1月30日朝,ちょうど出かけようとしたとき,テレビのニュースが石垣純二氏の訃を報じた.病状が思わしくないことは承知していたが,これほど早く亡くなられるとは思っていなかったので大きなショックを受けた.一瞬在りし日の先生のことどもが脳裏をよぎって粛然とした思いに襲われた.
 日本における医事評論の草分けとして残された足跡,そのヒューメンでラジカルな活動のかずかずはよく知られるとおりである.しばしば逆説的で明快な説得力のある論陣は、特に私ども公衆衛生にとりくむ者にとって,常に大きな励ましであり,愛の鞭でもあった.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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