icon fsr

雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生41巻4号

1977年04月発行

雑誌目次

特集 プライマリー・ケア

プライマリー・ケアの歴史と動向

著者: 橋本正己

ページ範囲:P.230 - P.232

はじめに
 最近primary health care(以下,PHCと略記)の問題が,急速に国際的関心を集めつつある.WHOの刊行物にも,従来の保健計画やヘルスマンパワー問題をふまえて,ソ連のfeldsher,各国の中級医療従事者,community health center,また近刊 "Health by the People" など,PHCに焦点を当てたものがこの2〜3年とくに目につく.1976年WHO西太平洋地域委員会の技術討議の主題もPHCであった.この討議の中国代表には,気鋭のbarefoot doctorが2人参加して,その報告が注目を集めた.近頃,筆者の許には,東南アジア,中近東,アフリカ,ラテンアメリカの新興諸国からPHCの報告書が少なからず送られ,各国の担当者の来訪を受けることも少なくない.また国内的にも,昨夏,佐久総合病院での農村医学夏季大学は「第一線医学」を主題に展開され,昨秋,Life Planning Center主催の国際セミナーでも「医学教育とPHC」がとりあげられている.
 このように,最近のPHCへの関心は,世界の新興諸国において最も切実であり,爆発的人口増加と医療資源の絶対的な不足がその主要な動因であるにとは明らかである.

プラィマリー(ヘルス)ケア推進におけるWHOの動向

著者: 篠崎英夫

ページ範囲:P.233 - P.241

はじめに
 Primary Health Care(以後PHC)という言葉がWHOの決議の中でつかわれたのは,1975年1月に開催された策55回WHO執行理事会決議が最初である.
 WHO本部事務局長は「PHCとは,人々の健康状態を改善させるに必要なすべての要素を地域レベルで統合する手段をいい,それは,国家保健システムに組み込まれていて,予防,健康増進,治療,社会復帰,地域開発活動すべてを合む」1)と述べている.

プライマリー・メディシンの意義と課題

著者: 若月俊一

ページ範囲:P.242 - P.249

I.プライマリー・メディシンと私どもの第一線医学
 プライマリー・メディシンということが,最近強くいわれるようになってきたのは,非常にいいことだ.これは従来,私どもが農村医療の立場で,第一線の医療ないしは医学ということを強く強調してきたところと,まったく一致する.
 このアメリカのプライマリー・ケアを直訳すれば,「一次医療」であり,プライマリー・メディシンは「一次医学」ということになるのであろうが,私は従来の私どもの主張を含めて,あえて「第一線医療」ないし「第一線医学」と呼んでいる.その方が,日本の実情にあうと思うからである.一次とか二次とかいっても,概念的には理解できるが,アメリカやヨーロッパ諸国のように,一次と二次の医療および医学の体制があって,その間の機能分担と相互の連携がきちんとしている場合には,そのような用語もよく理解できるが,わが国のように,診療所と病院の機能分担さえ明確でない実情の中では,それは難しい.むしろ直截的に第一線,第二線というような分け方をした方が,語感としても直接的であり,また,この方向をおし進める運動の実践の立場からいっても,内容のある言葉のように思えるからである.

プライマリー・ケアと医学教育

著者: 日野原重明

ページ範囲:P.250 - P.254

まえがき
 プライマリー・ケアという言葉がアメリカにおいて用いられ始めたのは,今から10年余り前のことである.特に最近の数年来,この言葉は一般医療だけでなく,医学教育の卒前ならびに卒後の領域にわたって真剣に討議されるようになった.筆者は,1975年11月上旬にワシントン市で開かれたアメリカの公私立医学校の学部長会議に出席する機会を得たが,その際,学部教育においてもプライマリー・ケアが如何に大きな問題であるか,ということを痛感したのである.つまり,在来の医学教育を広範囲に組み直して,卒後地域においてプライマリー・ケアができるような医師の基礎を作ることが,アメリカ連邦政府およびアメリカの一般の地域住民の医学校に対する要望なのである.さて,プライマリー・ケアというのはどういう内容のものであろうか.

アメリカにおけるプライマリー・ケア

著者: 紀伊國献三

ページ範囲:P.255 - P.259

はじめに
 アメリカ合衆国には,1974年の調査では,38万の医師が存在している.そのうち,一般医(General Practice)あるいは家庭医(Family Practice)と呼ばれる医師の数は,急激な減少の傾向にあるという.アメリカ医師会の調査によれば,1964年では,総医師数28万4,000人のうち一般医の割合は,25.5%に当たる7万2,400人であった.それが1974年には,38万の医師のうち5万4,000人の14.2%に減少したことが報告されている.このことは,若い新しい医師はほとんど一般医への道を選ばず,また古い一般医の数は,世代の交替とともに減少していることを物語るものであろう.医療の入り口をなすケアをこの特集でとりあげるように,プライマリー・ケアという表現が盛んになりつつあるが,この一般医の提供するプライマリー・ケアの重要性が,最近,アメリカのみならず,世界各国で叫ばれている.この点に関して,アメリカにおける動きを検討してみることとする.

西欧におけるプライマリー・ケア—イギリスを中心として

著者: 姉崎正平

ページ範囲:P.260 - P.265

はじめに
 筆者に与えられた論題は,「西欧諸国のプライマリー・ケア」である.しかし,一口に西欧諸国といっても多くの国々があり,ヘルス・サービスの形態にもちがいがある.一括して論ずるのは容易でない.そこで,筆者の見聞の限界および資本主義発達の歴史と医療社会化の歴史が長いイギリスを中心に,わが国の今後のヘルス・プランニングをも念頭におきつつ論じてみたい,
 概していえば,西欧においても,プライマリー・ヘルス・ケアは理想の域には達しているとはいえず,間題点をもっている.むしろそれらの間題点から学ぶべきかと思われる.ただ,スウェーデンの地方自治体を中心とした保健・医療サービスと,1974年におけるイギリスの国民保健事業の地域保健・医療サービスの統合化を中心とした改革の結果は注目される.特に両国に特徴的なのは,グループ・プラクティスないしチーム医療による地域社会でのプライマリー・ケアの拠点としてのヘルス・センター*1)の普及である.

ソビエト連邦におけるプライマリー・ケア

著者: 橋本正己

ページ範囲:P.266 - P.269

はじめに
 今日のソ連における保健システムは,革命以来60年に近い苦難に満ちた建設の努力によって形成されたものである.その現在の姿は,全人民を対象とした総合的な保健サービスの全国的組織化という観点から,なお多くの課題を今後に残してはいるが,2.48億の人口と2,240万km2(日本の約60倍)の広大な国土を対象として,世界的にみてきわ立ったstate health systemを示している.第二次大戦後に社会主義国となった東欧諸国も,現在ソ連をモデルとしたstate health systemを有しているが,それらに共通する最大の特色のひとつは,全土的なピラミッドを形成している保健システムにおいて,primary health careが,文字どおりピラミッドの基盤をなす構造として,その拡充整備に対して,政策的に最大の力点がおかれているところにある,といってよい.すなわち,近年,発展途上の諸国はもとより,先進的諸国においても,改めてprimary health careが重要な政策的課題としてとりあげられているのであるが,そのなかでソ連の場合は,すでにきわ立ったシステムが形成され,運営されて成果を収めている点で,逸することのできない貴重な実例であるといってよい.

東南アジア諸国におけるプライマリー・ケア—タイおよびマレーシアの農村保健サービスを中心に

著者: 黒子武道

ページ範囲:P.270 - P.276

はじめに
 最近,発展途上国における保健サービスの強化,特に農村地域や都市のスラム地区住民に対する効果的な医療,および公衆衛生サービスの提供システムへの一つのアプローチとしてprimaryhealth careの導入が提唱されている.主として,auxiliary health personnelにより提供される地区保健組織を意味するものであるが,もっとも,primaryというのは,通常用いられている第二次,第三次ケアに対応するものではなく,個人や地域社会の当面する保健問題を解決するための保健サービスの最初の段階(first level)の諸活動,というほどの意味であって,村落および地区レベルの保健所,または診療所における保健サービスに加えて,農村あるいは地区病院の関連サービスをも含むものと解されているようである.いずれにしても,束南アジア諸国においては,大多数の住民が農村地区に居住しており,これら住民に対する保健サービスの強化・拡充は住民の切実な要望であるばかりでなく,保健担当者の最大の課題となっている.本論文においては,東南アジア諸国,特にタイおよびマレーシアにおける農村保健サービス組織活動の進展とその現状について概説することにしたい.

アフリカにおけるプライマリー・ヘルス・ケアの現状

著者: 翁廷雄

ページ範囲:P.277 - P.282

I.序言
 アフリカ大陸あるいは広義のアフリカは,住民の人種,風俗,文化などの相違により,サハラ砂漠以北のアラブ人種の住む地域と,サハラ砂漠以南の黒人種,いわゆるアフリカ人の住む地域に大別され,普通ただアフリカといった場合,それはアフリカ黒人の住むサハラ砂漠以南の地域をさす.アフリカの国々は英語を話す国とフランス語を話す国とに分けられるが,各国の習慣および経済状況の相違にともない,衛生施設にも各国の間にいくらか相違がある.

連載 図説 公衆衛生・4

世界およびわが国における人口問題

著者: 安西定 ,   高原亮治 ,   川口毅

ページ範囲:P.223 - P.226

 第二次世界大戦後における,世界的規模の人口爆発とよばれるような激しい人口の増加は,人類史上初めて経験することである.すなわち,世界の人口は1950年には約25億人であったが,1960年に30億人,1970年に36億人に達し,そして,1975年には約40億人に達したものとみられる.さらに人口は引き続き加速度的に増加し,22世紀の初め頃には123億人にも達するものと推計されている.
 このような急激な人口の増加は,社会,経済,教育,文化の多方面にわたって深刻な影響を及ぼすとともに,食糧,資源などの面から人類の破滅をきたすという,危機的な事態を生み出していくであろうと考えられている.

発言あり

プライマリー・ケア

著者: ,   ,   ,   ,  

ページ範囲:P.227 - P.229

コミュニティー・ケアとプライマリー・ケア
 保健・福祉の分野では,近年,コミュニティー・ケアということが盛んにいわれるようになっている.その概念はいまだ必ずしも統一,確立されていないが,精神障害者,身体障害者,老人等,何らかの援助を要する人々に,彼らを地域社会に住まわせたまま,必要な社会的サービスを提供しようという考え方である.そのサービスには,ホームヘルプ,訪問看護,給食・入浴サービスのほか各種の医療,福祉施設におけるサービスが含まれる.そして,これでは地域住民の直接・間接の役割が強く期待されている.ここでの問題の一つは,用意すべきサービス・プログラムの充実とともに,その実施体制(delivery system)にあるといえる.医療でいうプライマリー・ケアのもつ問題にも,このシステム上の問題があるように思われる.
 ここ3年,難病患者の医療・生活問題と社会福祉的対策のことを勉強してきたが,彼らのもつ問題は,重症患者の場合もさることながら,たとえ軽症であっても積極的な医療の対象からはずされて,居宅で苦痛・不安・孤独と戦っている患者の場合にも深刻である.治療方法がなく,入院の意味がなくなっている患者も,医学的管理や看護を必要としている.しかし,多くの患者にそうしたケアは届けられていない.それは,彼らが積極的に医療機関の戸を叩かないからではなくて,ケア体系の不備によるところが大きいようだ.

見聞記

アメリカの辺地医療—リビングストン・コミュニティ・ヘルスサービスの例

著者: 宮原伸二

ページ範囲:P.283 - P.287

はじめに
 日本では,辺地医療・無医地区の問題が社会問題化して久しい.にもかかわらず,とくに東北地方においては,無医地区はむしろ増加の傾向にすらある.医師が在住する地区であっても,台湾や韓国の医師を招聘して,問題の解消をはかっているところが数多く見られる.
 今回,私は単身渡米して,約40日間にわたり,アメリカの辺地医療や予防医学の実態を見る機会を得た.アメリカの辺地医療も,ここ10数年来危機が叫ばれてきているが,国がその根本的な解決策である医師確保に力を入れて,National Health Corps(全国保健部隊)という制度をもうけ,辺地や貧民街への医師派遣の大きな力になっている.この制度を利用して無医地区を解消し,住民の主体性に基づいた幅広い医療活動を行っている市(アメリカでは人口に関係なく,すべて市とよぶ)を数日間にわたり見聞してきたので,紹介する.

調査報告

鹿児島県三島村・十島村の保健医療と分娩介助者の実態

著者: 華表宏有

ページ範囲:P.288 - P.296

はじめに
 わが国の離島における保健医療の諸問題を考える場合,まずその実態を把握することが前提であることはいうまでもない.本稿で取り上げる鹿児島県三島(みしま)村と十島(としま)村の合計10の有人島は,本土との交通事情がきわめて悪く,関係者の間では,"離島中の離島"として昔からよく知られていた.
 幸いにして筆者は,1976年5月および9月に,加治木保健所が両村の結核集団検診を実施した際同行して,はじめて,これらの島々を訪れることができた.これによって筆者は,両村の無資格分娩介助者の実態を調査するとともに,全般的な保健医療問題についても,その一端を知ることができた.本稿においては,まず三島村および十島村の概況を述べ,ついで筆者が現地に赴き,関係者との面接からえた知見などを基礎として,両村のへき地診療所と医療担当者,救急医療体制,国民健康保険,保健所活動および分娩介助者の実態について報告する.

日本列島

第28回北海道公衆衛生学会—札幌

著者: 吉田憲明

ページ範囲:P.249 - P.249

 立冬もすぎて雪霙の降る札幌の市民会館で,11月18日(木),19日(金)の2日間,第28回道公衆衛生学会が開催された.
 昼の総会で次期開催地は小樽市に決まり,小樽保健所長の藤田先生が会長就任の挨拶をされた.

広東住血線虫症について—沖縄

著者: 伊波茂雄

ページ範囲:P.265 - P.265

 11月24日那覇市内で,琉大保健学部宮城一郎教授を学会長とする第29回日木寄生虫学会南日本支部大会で,沖縄県公害・衛生研究所の安里龍二氏は,アフリカマイマイやナメクジなどに宿る広東住血線虫の感染経路等について発表した.
 その発表によると,昭和45年以降,これまでに見つかった広東住血線虫症患者は11人で,内訳は,経口感染6例,経皮感染1例,不明4例となっている.経口感染した6例はいずれも「ナメクジを食べたら喘息が治る」「アフリカマイマイは腎臓病に効く」などの言い伝えを信じて,生で食べたケースであり,このうちアシヒダナメクジを食べたのが3人,アフリカマイマイ1人,カエルを食べたのが2人いた.感染ルート不明4例があるのに注目し,従来の感染ルート以外のルートについて研究したところ,アフリカマイマイの場合,それ自身を傷つけない限り広東住血線虫がわき出すにとはないが,ナメクジでは死後数時間以内に同虫がわき始め,24時間後には感染幼虫の半数以上がわき出すことがわかった.このことから,野菜に付着したままナメクジが死ぬと,わき出した同虫が生野菜に付着し,それを生で食べることによって,人間に感染する可能性があると考えられる.また,広東住血線虫は水中でも9日間は生存し,生水を飲んでも感染することがありうると発表した.

長良川河口ぜき問題の動向—岐阜

著者: 鈴木大輔

ページ範囲:P.276 - P.276

 中部地区,特に岐阜県では長良川河口ぜき問題が,県政・司法および住民運動の場で,重大な局面をむかえている.河口ぜき問題の動向は,中部圏の経済発展と自然環境の命運を左右するとまで言われている.
 問題の長良川は,岐阜県郡上郡の奥地にある大日岳(海抜1,709m)に源を発し,約160kmの流長で濃飛平野を走り,伊勢湾に入る.水質,流量とも抜群で,源流から河口までほとんど人工の手を加えないで自然に近い形で残っている.あゆ,あまご等,あるいは,鵜飼で遍くその名を知られる清流である.

今月の本

加藤 正明 著『社会と精神病理』—環境と個人との間の精神医学的問題を体験を介して,追究,解析する

著者: 岡上和雄

ページ範囲:P.300 - P.300

 今世紀の再度にわたる大戦は,広範な人々に特殊な生き方を強制し,そにかしこで極限状況をもたらしたが故に「人間とは何か」という古き問いをなまなましく再生させた.精神医学に及ぼしたインパクトもまた格別なものがあり,今日の社会精神医学の位置もこの"ふし目"を抜いては考えにくい.
 人も知る国際人である著者は,この分野においても著明な碩学であり,すぐれたオピニオン・リーダーである.昨今,わが国でもかなり普遍化したことばとなった地域精神医学,デイ・ケアの概念の導入,実践のパイオニアであったことも,周知のことであろう.

追悼

舘林宣夫先生を悼む

著者: 橋本正己

ページ範囲:P.297 - P.298

 戦後10年余に亘って,本誌の編集委員を担当された舘林宣夫先生が,3月2日逝去された.昨年2月,石垣純二氏の逝去の際には,友人として葬儀委員長を務められ,お元気にみえたが,その後間もなく病を得て入院され,薬石効果なく遂に不帰の客となられたことは,誠に痛恨のきわみというほかはない.
 先生は,長野県下伊那郡の出身,昭和13年3月東大医学部を卒業,警視庁防疫課に1年在籍の後,同14年4月厚生省に入られ,昭和42年9月環境衛生局長を退官されるまで,文字どおりその生涯を国の衛生行政の発展に献げられた.一見いわゆる秀才タイプではないが,その発想はつねに斬新奇抜であり,また喰いついたら絶対に離さないところがあった.いわば激動の時代にふさわしい人材であり,先生はその才幹を衛生行政の発展にフルに活かされた.昭和20年代から30年代初期にかけて,石垣純二,豊川行平,佐藤徳郎の諸氏とともに本誌の編集に当たられたが,いずれ劣らぬ俊英,論客であり,その頃の編集会議は喧々諤々,夜の更けるのを知らなかったといわれる.育ての親に人を得た本誌は,誠に幸運であったというべきであろう.

豊川行平先生を悼む

著者: 西川滇八

ページ範囲:P.298 - P.299

 3月8日(火)午後,豊川先生が午前10時過ぎに急逝されたとのお報せを受けて凝然とした.先生は一昨年来,産業医科大学学長予定者として,産業医大設立財団の理事に就いておられ,大変御苦労をなさっていたことや,昨年がん研病院で手術を受けてから駒込病院で受療していたことは承知していたものの,こんなに早く亡くなるとは夢にも考えていなかった.その後,聞くところによると,腹水が溜り苦しくなったので前日再入院されたが,心臓発作で急逝されたとのことである.
 先生との出合いは,筆者が東大医学部衛生学教室に入った昭和19年のことである.当時はまだ兼任講師として,週に何回か夕方になって研究室にお見えになり,研究室のS先生やH先生と研究上のことばかりでなく,色色と懇談されていたことを覚えている.やがて終戦を迎えると,本務の技術院を辞めて専任講師として毎日出仕されるようになった.当時,医学部長や伝染病研究所長として,忙しい日を送っておられた主任教授の田宮猛雄先生を補佐しておられ,進駐米軍との折衝などについてもよく教室に意見を具申しておられたようである.田宮教授が定年退官され,羽里彦左衛門教授が着任されてからも,よく教授を援けて教室の教育研究を指導する傍,ラジオドクターや日本医師会の仕事を引受けて対社会的活動にも参加されるようになった.

--------------------

用語欄

著者: 橋本正己

ページ範囲:P.232 - P.232

▶ヘルス・プロフェッショナル health professional
 医師を筆頭に,4年制大学卒以上の医療・公衆衛生分野の専門職業人を国際的にこう呼んでいる.最近のアメリカ合衆国の例では,医師,歯科医師,薬剤師,獣医師,正規看護婦など7職種をこのカテゴリーに入れている.しかし,一般教育の年限や大学入学の資格も国によって一様ではないので,これも便宜的な分類に過ぎないといえる.これらのうちフォーマルな卒後教育を修了したものを,key professionalと呼ぶこともある.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

雑誌購入ページに移動

バックナンバー

icon up

本サービスは医療関係者に向けた情報提供を目的としております。
一般の方に対する情報提供を目的としたものではない事をご了承ください。
また,本サービスのご利用にあたっては,利用規約およびプライバシーポリシーへの同意が必要です。

※本サービスを使わずにご契約中の電子商品をご利用したい場合はこちら