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特集 戦後30年の公衆衛生と私
行政畑を歩んだ私の30年
著者: 山口正義12
所属機関: 1労働福祉事業団 2結核予防会
ページ範囲:P.558 - P.559
文献購入ページに移動第二次世界大戦終結後,最初に私が取り組んだ公衆衛生上の問題は,数百万に上る海外からの引揚者に対する検疫業務である.その中でも特に強く印象に残っているのは,浦賀におけるコレラ検疫である.昭和21年2月5日付で引揚援護院の検疫課長を命ぜられて間もなく,4月の初めに南方からの引揚船の中にコレラ患者が発生しているとの情報が入った.連合軍総司令部の指令によって,従来の海港検疫法では考えられない船内停留や病院船の方式がとられ,患者が発生した船の同船者はその日から2週間は上陸を禁止され,しかも衛生状態の悪い船内に閉じ込められた人たちの中からは,次から次へと患者が発生するため,結局なかなか上陸は許されず,一時は浦賀沖に引揚船が群をなし,引揚者が数万人を数える海上都市ができ上がった.
現在とは比べものにならない国内の環境衛生の状態を思えば,GHQの採った措置には理はあったかも知れないが,懐かしの故国を眼の前に見ながらその土を踏むことができず,船内で亡くなられた人々のことを考えると,断腸の思いである.
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