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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生42巻4号

1978年04月発行

雑誌目次

特集 公衆衛生院40年の歩み

公衆衛生院40年の歩みと展望

著者: 染谷四郎

ページ範囲:P.228 - P.231

I.公衆衛生院創立の経緯
 1920年前後から,ヨーロッパおよびアメリカにおいて,公衆衛生大学が相次いで設立され,公衆衛生専門家の教育訓練が行われるようになった.これによって公衆衛生の改善が行われ,公衆衛生の卒後教育の重要性が広く認識された.
 このような事情から,わが国においても大正12年の関東大震災の復興事業の1つとして,ロ財団(ロックフェラー財団,以下ロ財団)の協力により公衆衛生技術者の教育機関を創設しようとする企てが,大学および公衆衛生関係者の間で検討が開始された.しかし,ロ財団からの協力の申出でがあったにもかかわらず,国内の事情で実現するに至らなかった.

公衆衛生院における教育訓練の動向

著者: 長田泰公

ページ範囲:P.254 - P.259

I.創設以来の経過
 公衆衛生技術者に対する教育訓練が公衆衛生院において開始されたのは昭和14年,創設の翌年であった.以来約40年の間に,教育の体制や内容に幾多の変遷を経ながら,2万人近い修業生を送り出している.もとより,公衆衛生に従事する技術者の職種は医師,保健婦,獣医師,薬剤士,栄養士など多種にわたり,その学校教育における専攻分野もまちまちである.そのうえ,公衆衛生技術者に要求される資質は,時代によって大きく変わるため,教育訓練の内容も多岐にわたり,また時代に即応して変えられてきた.
 現在(昭和52年度)公衆衛生院が実施している教育訓練コースは表1に示すような6つの専攻課程(期間1カ年),2つの基礎課程(同3カ月),16の特別課程(同1カ月)になっているが,昭和14年開講以来の経過をみると,およそ4期に分けてその変遷をたどることができる.

公衆衛生院における研究の動向

衛生行政

著者: 西三郎

ページ範囲:P.232 - P.235

はじめに
 衛生行政に関する教育・研究は,国立公衆衛生院内では,衛生行政学部に限らず,広く関係学部において実施されている.とくに衛生行政の教育に関しては,衛生行政の各論を,それぞれの衛生行政の各論に関連深い学部が担当することが慣行となっている.このため,衛生行政における研究の動向を正しく把握するには,院内のすべての研究のなかから,行政に関連する報告にも触れなくてはならない.しかし,今回の報告は,衛生行政を狭く解釈し,衛生行政室の研究を中心としたものに限り,他の研究チームとの研究協力の実態を中心として報告しよう.
 まず最初に,衛生行政学の範囲について概説し,次いで各分野ごとの研究の動向を報告する.

疫学

著者: 重松逸造

ページ範囲:P.236 - P.240

はじめに
 世界的にみて,いわゆる古典疫学の発祥を,Panumのファロー島における麻疹流行の観察(1846年)1)やSnowのロンドンにおけるコレラ伝播様式についての報告(1854年)2)に求めるとすれば,これらの時期はそれぞれわが国の江戸末期である弘化3年と嘉永7年に相当する.ちょうど,蘭学が全盛期を迎えようとしていたが,もちろん疫学とはまだ縁の遠い時代であった.当時,イギリスでは既にRoyal Epidemiological Societyが設立されていた.
 明治に入って,ドイツ医学の輸入とともに,Epidemiologie(ドイツ語)という言葉も知られるようになった.明治22年(1889年)に森林太郎(鷗外)は,Pettenkoferの論文中に現われたこの言葉を "疫癘(えきれい)学" と訳し,富士川游は,その著『日本疾病史』(1912年)の中で "疫病学" と呼んだ.その後,疫理学,疫学,流行病学などの名称が用いられていたが,これがわが国ではじめて正式の研究施設名に採用されたのが東大伝染病研究所疫学研究室(主任・野辺地慶三)で,それは昭和5年(1930年)のことであった.

衛生統計

著者: 臼井竹次郎

ページ範囲:P.241 - P.245

I.statisticsと統計学
 統計学を英語で"statistics"という.この"スタティスティク"という言葉をはじめて使ったのは,ゲッティンゲン大学の政治学教授アッヘンヴァールだった(1749年).いわゆる国状学で,各国の領土,人口,産業などを言葉で説明しており,統計数字はほとんど使っていない.それがイギリスへ輸入されて,国状学の意味から次第に国家・社会の状態の数字による記述の意味に使われ,さらに生物現象や自然現象の数量的記述の意味にまで使われるようになった.
 幕末から維新には日本にも輸入されたが,スタティスティクを最初に福沢諭吉が"政表"と訳し,それから表記・綜記・形勢・国勢・知国・製表などいろいろな訳語が使われた.明治7年(1874年),箕作麟祥が"統計(学)"と訳したのがはじめで,次第にこれが使われるようになった*1)

母子保健

著者: 林路彰

ページ範囲:P.246 - P.249

I.はじめに
 わが国の母子保健に関する研究は,かなり古い歴史をもっている.研究の基礎になる死産,出生,乳児死亡などについて,その数を把握できるようになったのは,明治13年(1880)からである.明治16年には年齢階級別死亡数から乳幼児死亡を論じた最初の論文が,「大日本私立衛生会雑誌」に発表されたと伝えられている1).さらに,明治32年からは中央集計にもとづく近代的な人口動態統計が始まっている.それによると,明治から大正にかけて,わが国の乳児死亡率は出生千対150以上という著しい高率が続き,しかも,乳児死亡が全死亡数のほぼ4分の1を占めているという異常な状態にあった.
 大正5年内務省に保健衛生調査会が設けられ,各地で乳児死亡についての社会衛生調査が行われるようになった.また,乳児死亡原因の検討から必然的に早産や先天弱質児出生の防止,すなわち妊産婦対策に目が向けられ始めた.一方,高い乳児死亡率に象徴される貧困生活を防ぐための産児制限運動が,大正11年のサンガー女史来日を機に始まった.当時の多産多死から最近の少産少死へ移り変わる過程には,それぞれの時代の人口問題や社会経済問題が大きなかかわりをもっていたことを忘れてはならない.

環境保健

著者: 鈴木武夫

ページ範囲:P.250 - P.253

はしがき
 人の健康と環境との関係の探究は,古くから行われていた.衛生学は,もともと人と環境との関係を健康や疾病との観点から研究し,実践を行って来たものであるともいえる.この場合の環境は,SCOPEの分類によるところの,物理・化学環境,生物環境,社会経済環境,そして自然環境を含むすべての環境のことである.最近の一般的表現でいえば人間環境のことであり,広範囲にわたるものである.したがって,公衆衛生の研究のすべては,環境全般との関係で説明し得るものである.
 しかし,現在の日本で環境保健といえば,非常に狭い範囲の問題を取り扱うようになっている.いわゆる公害現象,すなわち環境汚染と人の健康との関係,さらにはもっと狭く,環境汚染によって生じた健康障害を取り扱うものとさえ解釈される場合がある.国際的に通用する言葉である"Environmental Health"と比較して,わが国の環境保健の内容はあまりにも狭く考察されていると思うのである.

座談会

公衆衛生院の現状と課題

著者: 松井武夫 ,   宍戸昌夫 ,   阪上裕子 ,   野家美夫 ,   松田朗 ,   山下章

ページ範囲:P.261 - P.270

 山下(司会)公衆衛生院40年と言いますと,松井先生は公衆衛生院とともに40年の歴史を歩んでおられますので,まずいちばん最初のころのお話をお願いいたします.

連載 図説 公衆衛生・16

国民の健康に関する意識と行動

著者: 安西定 ,   柳川洋 ,   高原亮治 ,   川口毅

ページ範囲:P.221 - P.224

 人の健康状況を把握するには,専門家による健康診断や体力測定によって客観的にとらえる方法と,本人が主観的にどのように感じているかをアンケート等によりとらえる方法とがある.とくに,質問形式によって把握された健康状況は,本人の健康を表わし,また健康意識が本人の健康状況を左右する場合もある.
 いずれにしても,健康状況と意識には密接な関係があることは,古来多くの研究者によっていわれてきたことである.

発言あり

公衆衛生と学位

著者: ,   ,   ,  

ページ範囲:P.225 - P.227

勇気を出して主張したい
 今月の「発言あり」のテーマを編集室からいただいた時には眼をこすってこれを見直した.「公衆衛生『学』と学位」ではなくて,よくよくみても「公衆衛生と学位」である.雑誌「公衆衛生」では「公衆衛生」を「公衆衛生学」の同義語として慣用しておられるのかどうかは知らないが,年をとって意地が悪くなり,憎まれ口をたたくことに快感を覚える昨今であるので,思い切ってひねくれ根性を丸出しにして意見を述べてみたい.ただ気になることは,この欄はとく名であって(これも私の気に入らないことの一つであるが),そのために,他の分担執筆者に多少なりとも御迷惑をかける結果になるのではないかということであるが,それは許していただきたい.
 私はそもそも,学位廃止論者である.ただし,それを積極的に実現しようとする情熱と勇気を欠くため,結局は消極的賛成者の立場をとるという,情ない状態なのであるけれども.だから,私は,学位廃止の信念を通しておられる人をみると,心の中で,その人に喝采を送り,その勇気に絶大の尊敬を払うのである.

綜説

「病人家族」の生活過程に関する一考察—役割構造の動態的分析方法を中心として

著者: 小田利勝

ページ範囲:P.271 - P.276

はじめに
 人間の基本的な生活単位が家族であるかぎり,個人の心身の異常現象は,家族という基礎的集団の営みとは無関係ではありえない.病気と家族との関連を主題とする研究は,こうした認識の基にすすめられてきたといえるであろう.そうした研究のあるものは,家族生活のある種の側面が病気をひきおこすといった,いわば家族病因論的研究1)であったり,逆に,病気が家族集団へ与える影響と結果の解明2),さらには,家族の保健・医療機能の重要性を説くもの3)であったり,というように,3つに大別して整理することができる.こうした観点は,発病のメカニズムを明らかにし,疾病予防・治療に関心の重点をおく医学・医療関係の領域と,人間の行為,社会集団に焦点を合わせる社会学との双方から提起され,研究されてきた.そして,今日では,病気と家族の相互影響という点では,医療関係者と社会学研究者の間に,十分な関心の一致がみられるように思われる.小論では,こうした研究業績を踏まえて,とりわけ第2の観点,つまり,家族員の発病が家族生活に与える影響のメカニズムと家族がそうした問題にいかに対応するか,という点を考察する際の分析枠組を,仮設的に素描してみたい4)
 ところで,国民の有病率が上昇し,疾病構造の中で成人病をはじめとする慢性疾患の占める比率が高まっている今日,病気が家族に影響を与える度合は以前にも増して大きいであろうことは,予想に難くない.

留学記

ロンドン公衆衛生学校に学んで

著者: 石川信克

ページ範囲:P.277 - P.281

 筆者は1974年9月から1976年9月までの2年間,ロンドン大学附属衛生熱帯医学校(London School ofHygiene and Tropical Medicine,略してLSHTM)にて社会医学のコースをとる機会を与えられ,英国における最近の公衆衛生の卒後専門教育の一端を経験したので,報告したい.

日本列島

出生(シュッセイ)か,出生(シュッショウ)か

著者: 園田真人

ページ範囲:P.240 - P.240

 第18回日本母性衛生学会(会長・塩島横浜市大教授)が10月20,21日に横浜市でおこなわれ,出席することができた.
 この学会は,母性衛生に関係がある職種の人たちでつくられているため,演題も多種多様である.一般の演題も,妊婦の管理,感染症,母乳栄養,母親および父親教室,母子保健,新生児,周産期,分娩,里帰り分娩,性教育,月経,産褥,家族計画と多彩な題の発表がおこなわれた.会場をうめつくした参加者の大部分をしめている保健婦,助産婦,看護婦たちの知識の向上にとって,最良の学会だと感じさせられた.

肥満と保健所の仕事

著者: 園田真人

ページ範囲:P.249 - P.249

 この数年来,日本公衆衛生学会の演題の中で「肥満」がとりあげられるようになった.
 たしかに,日本人より20年以前に肥満しはじめたアメリカ合衆国の統計をみると,標準体重のものにくらべて,肥満者は心臓病,糖尿病,肝硬変症,虫垂炎,胆石症による死亡率ははるかに高い.

岐阜県保健医療対策協議会

著者: 井口恒男

ページ範囲:P.260 - P.260

 岐阜県では昨年夏,「県民の健康を確保増進するため,保健医療需要等の地域特性に対応した地域保健医療体制の確立とその推進を図る」ことを目的として,岐阜県保健医療対策協議会を設置した.10月末には第1回の会議を開催し,協議会のなかに,当面の緊急課題である救急医療とへき地医療のための専門委員会をそれぞれ設置し,調査・研究活動に入っている.12月初めには,第2回の会議を開催し,救急医療対策専門委員会から,1次医療,2次医療,救命救急センター,救急医療情報システム等について,また,へき地医療対策専門委員会からは,地区健康センター,保健婦活動の充実,巡回による総合的検診制度,へき地中核病院,へき地診療所,へき地歯科診療体制,救急患者輸送体制,健康情報の把握,医療情報伝送システム等,それぞれ提出された具体的項目について協議され,今後の調査検討事項として了承された.今後,各専門委員会はこれらの事項について,逐次研究討議されていくことになるが,第2回の協議会では,保健婦活動の強化,初期医療における民間医療機関の重要性,住民に対する教育活動の強化なども強調されており,専門委員会においても重要な討議事項となろう.
 地域医療計画の立案や実施に際しては,地域の需要や供給状況の把握や保健医療に関連する各関係者のコンセンサスが必要となろう.

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用語欄

著者: 橋本正己

ページ範囲:P.259 - P.259

▶School of Public Health
 大学課程で異なった諸科学を修めた者を対象に,学際的,系統的な卒後教育によって,公衆衛生の指導的人材を養成する方式は,1910年代からとりあげられ,このための総合的教育・研究の機関として,その後世界各国に普及したのがSchool of Public Healthである.このためそれらは,アメリカのハーバードやジョンス.ホプキンス等に典型がみられるように,公衆衛生大学院大学として組織されているものが大多数である.WHOはこれを"公衆衛生の研究およびコミュニティに対するサービスに加えて,公衆衛生の各種の問題の理解に不可欠な課題と,それらを取り扱うために必要な概念,組織,および技術をカバーする1学年以上にわたるフルタイムの課程,またはこれと同等のものを提供し,かつそれが,公衆衛生における正規の資格を求める医師および関連職種のメンバーに対して開放される適切な諸施設を備えたひとつの機関である"(Wld Hlth Org. techn. Rep. Ser., 1961, No. 216)と定義している.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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