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特集 環境汚染による健康被害者の救済 公害事例別にみた補償・救済の現状と問題点
四日市ぜんそく
著者: 吉田克己1
所属機関: 1三重大学公衆衛生学
ページ範囲:P.398 - P.402
文献購入ページに移動戦後の日本の大気汚染問題の原点となった"四日市ぜんそく"の問題は,昭和30年9月の閣議決定による広大な旧四日市海軍燃料廠迹地(国有地)の活用計画,すなわち,この旧海燃迹地を利用してわが国最初の大規模な石油化学コンビナートの発足が計画されたことに由来している.
この建設計画は順調に推移し,四日市市塩浜地区(塩浜東部コンビナート,図1参照)に,火力発電,石油精製,石油化学の一貫した石油コンビナートが操業を開始したが,それに伴って同地区での石油消費量は急速に上昇し,同コンビナート関連のみでたちまち100万トン(年間)を越えるようになった.ところが,当時の燃料重油にはほとんど硫黄分に対する配慮がなく,その硫黄含量は3%を越え,また,中には硫黄分が10%を越える未処理の廃ガスなどが使用され,SO2の排出量は年間7万トンを上回り,四日市全市では10万トンを越えるようになった.この大量のSO2およびそれから生じた硫酸ミストがコンビナート周辺の磯津,塩浜,三浜などの居住地区に降下し,特に冬季にはその風下に当たる磯津地区で,最高2.5ppmに及ぶ汚染を生むこととなった.
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