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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生44巻1号

1980年01月発行

雑誌目次

特集 80年代の展望—保健・医療・福祉

〈とびら〉80年代を迎えて

著者: 橋本正己

ページ範囲:P.5 - P.5

 70年代を送り,早くも80年代を迎える.筆者は戦後30余年を日本社会の激動の中で,一貫して公衆衛生の行政,教育,研究にとりくんできた一医学徒として,歳月の流れの速さとその間の社会と健康の移り変わりの激しさを改めて強く感じさせられている.
 国民皆保険の達成,日米安保,所得倍増計画に始まった60年代には,高度経済成長の半面で公害問題の激化,保健問題の質的変化,日常生活としての健康観の深まりなどによって,公衆衛生は在来のあり方を基本的に問われ,保健所再編成やコミュニティ・アプローチがとりあげられるとともに,医界では包括医療,地域医療の論議が盛んになった.

80年代における地域医療の展望

著者: 吉川暉

ページ範囲:P.6 - P.10

■はじめに
 1970年代を振り返ると,われわれにとっては,大分市の地域医療に新しい一頁を加えることになった大分市医師会立アルメイダ病院の誕生から今日までの10年であり,一昨年はさらに一歩進めた組織として,大分県地域成人病検診センターのオープンという意義の多い年代であったので,過去の出来事は一つ一つ明確に思い浮かべることができる.したがって,1980年代の展望も,それらの理論と実践活動の回顧の上に立った,願いをこめたものとして述べてみたいと思う.

80年代における保健所—北海道の保健・医療と保健所の構図

著者: 吉田憲明

ページ範囲:P.11 - P.20

■はじめに
 わが国は,1980年代を迎えるに当たって,政治的,経済的,社会的そして文化的にも,一大転換を迫られている.これは単に国内だけの現象ではなく,国際的視点からみても同様な認識であろう.しかし,これからどのような方向をたどるか,あるいはたどるべきかについては明確ではない.したがって,人は"不確実性の時代"とも呼んでいるが,あるいはまた"模索の時代"とも言えよう.
 北海道は「開発のための発展10カ年計画」を発表しているが,その中の重要な柱として,保健・医療・福祉の充実をうたっている.それは,"道民の誰もが,どこに住んでいても,最高水準の恩恵を享受できる"というのが目標だからである.われわれはこの目的を達成するために,力を合わせて努力しなければなるまい.

80年代における公衆衛生看護の課題—プライマリー・ヘルス・ケアの実践

著者: 小宮勇

ページ範囲:P.21 - P.26

■はじめに
 「保健所問題」で幕を明けた1970年代は,公衆衛生看護にとって「活動の基盤をどこに置くか」の検討を迫られた時代と言える.また,別の見方をすると,1960年代頃から「官僚保健婦」,「BG保健婦」などと評され,保健婦自身も「何とかしなければ」と悩み混迷していた中から,母子,成人,老人,精神,障害児,難病,公害,へき地医療,訪問看護などにともかく手足を動かして取り組み,さまざまな試みをした時代とも言える.筆者もその渦の中で右往左往する一人である.したがって,これから述べることは,現状確認の域にとどまり,1980年代を展望し得ていないかもしれないが,公衆衛生看護について討論する糸口になれば幸いである.

80年代の健康教育を展望する

著者: 村井孝子

ページ範囲:P.27 - P.33

■はじめに
 住民が健康教育と保健企画に参加することは,あらゆる段階において社会がとらねばならぬ責任である,とWHOの健康教育局から送られてきた資料に記されているが,教育そのものの意味を考え直すうえで味わうべき提言である.参加することは,受け身に動くことではなく,自分の意思を持っていること,目標と企画とを理解して,その中に何らかの役割をもって問題の解決に協力をすること,またニードの発見,企画の実践と評価までの過程を共有すること,などを含めている.そのためには,研究会も必要であるし,調査その他の活動の必要も生ずることであろう.少なくとも,それだけの枠はすぐ頭に浮かぶのである.健康原理が日常生活行動の基盤となるためには,諸方面の専門家の協力を得て,科学的基礎概念と具体的目標や実践指導法に対する専門の研究が必要である.健康教育学が独立した指導者養成機関を早急に持つことの意味は大きい.それから,民間にリーダーシップ(たとえば,住民の意思を代表しながら,部分的に役割担当ができるなど)のとれる人材を発見し,またボランティア・リーダーを養成することも必要であろう.諸外国ではこの方法が盛んである.「今(1937年)の英国民の健康は,1世紀を経て得られたものである.

80年代における医学教育の展望

著者: 中川米造

ページ範囲:P.34 - P.38

■はじめに
 1970年には医学教育施設は46校でった.この数字は,第二次大戦中に急造された医療教育施設を戦後整理して新制大学を発足させて以来,20年余りそのままの数である.1960年には国民皆保険が達成され,医療需要が急速に増加したにもかかわらず,医学校の新設はなかった.わずかに,各学校あたりの入学定員を増やして糊塗してきたにすぎない.医師不足が各方面から強く叫ばれ,新設認可に踏み切ったのは1971年,そして9年間で医学教育施設数は76に達した.80年代に入ると,無医大県は全くなくなる.
 そして,現在の入学定員を続ける限り,1980年度で6,840人,1986年度からは毎年8,280人の医学部卒業生が生まれることになる.

80年代における環境保健の展望

著者: 橋本道夫

ページ範囲:P.39 - P.45

■はじめに
 まず80年代の位置づけを考えてみよう.50年代は第二次大戦の荒廃からの復興が中心となり,60年代は経済成長を目指した開発の年代であり,この時代に公害,労働衛生,消費物資などに伴う,環境と健康にかかわる問題が一斉に顕在化した.70年代は経済成長の歪みに目覚めた時代となり,後半にはアラブの原油供給削減やドル・ショックなどによる国際的な経済の停滞の中で,先進工業国における環境公害に対する高まりは大勢として冷却されたが,一方,第三世界の勢力が急速に高まり,未開発こそ環境問題の重要問題であるという動きが強く開発途上国から主張された.72年のストックホルムにおける国連の人間環境会議と,そこでまとめられた「人間環境宣言」は,これを最も明瞭に示している.日本では70年代の後半に公害,労働衛生,消費物資をめぐる嵐のような社会的・政治的な動きが起こり,60年代の末までは汚染者の天国の時代であったのに対し,70年代に入るや一転して汚染者の地獄の時代となったが,厳しい対応によって70年代後半には危機的状態をやっと切り抜けることができた.しかし,不況や失業,財政難等の厳しい社会的・政治的情勢の中で,70年代の後半には冷却された世相となった.そこへエネルギー危機と,スリーマイル島の原子力発電所の事故という新たな問題が表面化し,今日,これらの問題に直面しつつ80年代を迎える状態にあるといえよう.

80年代における海外医療協力のポイント—他国に学ぶ謙虚さ

著者: 佐藤智

ページ範囲:P.46 - P.51

■はじめに
 1970年代までの日本の「海外医療協力」は「持てる国」から「持たざる国」への援助であった.その根底に「日本が開発途上国にしてあげるのだ」という姿勢があったことは否めない.現在,日本と他国間との援助・協力をみるとき,近視眼的な日本の利益を重んずる協力や,両国間の形式を整えるための彌縫的援助が残念ながら眼につく.
 1980年代を迎えるに当たり,われわれは「海外医療協力とは何か」を自ら問い直さなければならない.そして地球上に住む四十数億の人類の健康のために,相互が協力することの意味と具体的な方策を追求してゆかねばならない.

新春随想 1980年

健康管理と健康教育の完全達成,他

著者: 富田好夫

ページ範囲:P.52 - P.56

 岩手県沢内村は秋田県境に近い,日本一の豪雪地帯として知られている.これに加えて,あまりにも貧困であることと,病人が多すぎることが重なって,乳児死亡率が1,000人に対して80人前後と,岩手某が日本一乳児死亡率が高かったのに,さらにそのうちでも沢内村が最高の死亡率を示した.
 時の村長・深沢氏が,"住民の生命を守るために私の生命を賭けよう"という固い決意のもとに始められた救貧救病対策が見事に実を結び,20年後の今日において乳児死亡率ゼロの快記録を樹立し,今もなお地域保健体制の確立と前進がつづけられているということは,まことに見事である.

講座

癌の免疫療法

著者: 古江尚

ページ範囲:P.66 - P.69

■はじめに
 癌細胞は生体に寄生したものであり,したがって,生体にとっては異物である.生体は癌細胞を異物として認め,異物として対処する.
 癌細胞には癌に特異的な抗原,あるいは癌に関連のある抗原があって,これが生体の免疫系を刺激し,生体が反応していることが,いろいろの免疫学的手法で確かめられている.そして,このような現象が癌の免疫療法の重要な理論的基盤のひとつになっている.ただしかし,癌細胞はもともと正常細胞が変異して発生したものであり,したがって,癌細胞と正常細胞の差が少ない.抗原性が弱く,それに対する生体の反応も弱いということが,癌の免疫療法をむずかしくしている大きな理由である.つまり,癌を免疫療法だけでコントロールしにくい,ということである.

臨床から公衆衛生へ

脚気

著者: 橋詰直孝

ページ範囲:P.62 - P.63

はじめに■
 脚気はかなり古くから知られている疾患で,特にわが国では,徳川時代に白米を食べるようになった江戸で流行し,"江戸わずらい"と呼ばれていた.明治になっても脚気の原因がビタミンB1(以下,B1と略す)欠乏にあると結論されず,感染説,中毒説などが出回って,脚気は国民病として恐れられていた.大正12年には脚気で約27,000人の死者を出している.しかし,その間に多くの研究により脚気はB1欠乏が主因であることが結論され,脚気で死亡する者は激減し,食糧事情が良くなった今日では,脚気発症すら稀なことであると思われていた.
 ところが昭和49年,第15回日本神経学会総会で,若年男子を中心に下肢浮腫を伴う多発性神経炎の数例の報告があった.その後も各地から同様な症例の報告があり,初めは脚気とは断定されず,なにか新しい疾患単位ではないかと考えられ,かつて議論されたように感染説や中毒説も出現した.しかし,これらはすべて脚気であることが後に判明し,過去の疾患と考えられていた脚気が再び注目されるに至った.

研究

高血圧の発症に関する都市住民の10年間のCohort Study

著者: 鏡森定信 ,   成瀬優知 ,   岡田晃 ,   金川克子 ,   山内清子 ,   鈴木祐恵 ,   川西徹郎 ,   井沢宏夫 ,   莇昭三 ,   奥田治爾

ページ範囲:P.70 - P.75

Ⅰ.緒言
 わが国の脳心事故の発生のrisk factorとしては,その頻度および脳心事故発生のメカニズムからみても,高血圧が最も重要であると考えられている1)2).筆者らは40〜59歳の都市住民を対象に昭和38年以来,循環器疾患のcohort studyを行ない,高血圧の発症要因および高血圧と他の循環器疾患のrisk factorとの関連を高血圧の発症例について経年的に検討するとともに,これらの高血圧の発症例のその後の高血圧の進展を予防するために,保健指導についても継続的に実施してきた3).脳心事故の予防を目的とした高血圧対策をより有効なものとするためには,本態性高血圧の発症をより早期に把握し,血圧の調節を行なうことは勿論,これと同時に他のrisk factorの併発も予防する必要がある.
 本研究は,一般に本態性高血圧の発症の時期である成人層のまだ血圧の動揺がみられる初期の高血圧について,これらのことを目的として行なわれたものである.したがって,本研究の成績は,今後の本態性高血圧の早期における対策の確立に資するものと考えられる.

発言あり

省エネルギー

著者: ,   ,   ,   ,  

ページ範囲:P.1 - P.3

広義の省エネルギー計画
 オイルショック以来,省エネルギーが叫ばれて久しい.狭義の省エネルギーの効果は,物価の高騰もあいまって,政府のかけ声どおり僅かずつではあるが,それなりにあがっているようである.しかし,身近な問題に目を転じると必ずしも十分ではないようである.
 現代の日本人,とくに「消費は美徳なり」に合わされて育ってきた世代の人たちには,もっと"もったいなさ"を理解してもらう必要があるように思われる.食物しかり,燃料しかりである.現在の日本が豊かすぎて,些細な出費増は収支のバランスからして,痛痒を感じさせないのであろうか.さらに,自腹と関係のない公共の施設・器物の省エネルギーとなると,全くお寒いものがある.一例を挙げよう.官公庁などでエレベーターの基数の使用制限を行なっているところは多い.しかし,利用する側では,乗りこむと後に続く者があろうとなかろうと,無頓着に,すぐスタートしようとする.ほんの数秒の我慢ができない.この辺の教育も必要ではなかろうか.

保健・医療と福祉

精神障害者の社会復帰をめざして—愛知県立城山病院での経験

著者: 垂石啓芳

ページ範囲:P.58 - P.59

はじめに■
 昭和41年4月,愛知県立城山病院にPSWとして勤務した私は,今年の3月,同病院を退職するまでの13年間,特に慢性分裂病患者の社会復帰活動に取り組んできた.この間,精神障害者の社会復帰は,精神医療を取り巻く社会的環境およびスタッフの充実と努力に大きく左右されることを痛感した.以下,これまでの経過を振り返ってみたい.

目で見る衛生統計 国際比較

12.総合評価

著者: 大森文太郎 ,   小田清一 ,   藤崎清道 ,   石塚正敏

ページ範囲:P.60 - P.61

 これまで11回にわたって保健・衛生・福祉の諸指標を駆使して衛生水準の国際比較を行なってきたが,今回はその締めくくりとして総合的な評価を試みてみたい.
●WHOの示した衛生水準の3クラス分類(表)に従い,何項目かを選んで各国のhealth statusを評価することにする.前回までの評価法は,先進諸国との相対評価であったが,今回は絶対評価的な面が加味されるわけである.これまで比較の対象としてきたアメリカ,イギリス,フランス,スウェーデンの各国およびわが国ともWHOの評価法では,すべての項目でAクラスの評価を受けているが,それ以上の細かい評価は現時点では難しい.たとえば乳幼児死亡率を取り上げても,数値の改善がある限界点にまで至れば人種的な差や(わが国のように)新生児死亡と後期死産の区別の曖昧さなどが強く影響するようになり,純粋に衛生水準を表現する指標とはいえなくなってくるからである.

学会だより 第11回日本老年学会総会から

シンポジウム「老人医療と福祉の問題点」

著者:

ページ範囲:P.64 - P.64

 昨年10月5日午後,老年医学会,老年社会学会などと平行して,第11回日本老年学会総会(会長=金子仁郎阪大名誉教授)が,大阪市の毎日ホールで行われた.会長講演および特別講演3題とシンポジウム1題がその内容であるが,本稿では金子仁郎・岡村重夫(大阪社会事業短大)両氏の司会の下に行われたシンポジウム「老人医療と福祉の問題点」について,そのあらましを紹介する.
 まず「ねたきり老人の問題点」と題して奈倉道隆氏(大阪社会事業短大)は,京都市堀川病院の居宅看護部が行った訪問看護評価の資料をもとに,寝たきり老人のうち50%の者が実際には歩行できるにもかかわらず寝たきりになっているという実態を紹介,寝たきりとなっている要因として,家族の介護力の減少,なにごともスピード化の激しい最近の生活環境に対する老人の不適応,老人の役割の減少,80%の老人が定期検診を受けているにもかかわらず,その医療内容は注射と投薬のみで,リハの適応となる老人について,リハが行われているケースが20%に過ぎないことなどを挙げ,病気は治らなくても生活環境の改善を考える医学の必要性を強調した.また25%の老人は完全寝たきりで,失禁・痴呆を生じており,これらの老人に対しては入浴サービスなどの訪問介護,ボランティア活動,老人福祉施設などでのケアが行われているが,行政のタテ割体制の弊害を打破することが必要であると述べた.

日本列島

「健康を守る母の会」ブロック研修会—宮城

著者: 土屋真

ページ範囲:P.26 - P.26

 県内6ブロックでの研修会の1つとして,昭和54年8月22日,県北築館町にある粟原建設会館の会場いっぱいに138名の婦人が集まり,「宮婦連健康を守る母の会築館ブロック研修会」が開催されました.宮婦連健康を守る母の会は8年前に発足し,積極的な活動を行なっている,熱心な婦人団体です.この会の活動については後日,紹介したいと思います.
 仙台での中央研修会のあと毎年地方研修会が行なわれていますが,当地での主催者は栗原郡10町村婦人で構成されている「築館ブロック健康を守る母の会」であります.後援には県医師会,(財)県対がん協会,栗原郡町村会がなっていて,県教育事務所が世話役をしました.栗原郡は県婦人会の発祥の地と言われるだけに,婦人会活動も活発な地域であります.よい指導者に恵まれているとも言えます.

狂犬病予防の現在的意義(?)—京都

著者: 山本繁

ページ範囲:P.38 - P.38

 先日,小学生に保健所のイメージを質問すると,「犬の注射をしてもらうところ」,「のら犬をつかまえるところ」が返ってきた.保健所活動の不備および不徹底を反省するとともに,保健所における狂犬病予防業務の,暗い,前近代的一面のみが住民に受け止められている実態を見る思いがした.そのうえ,動物愛護の精神を強調するなかで,「保健所に犬を引き渡すことは,"死"を意味する」,「犬やネコが保健所で殺されている」事実を直視して,犬などを保健所に引き渡すな,と住民に呼びかけている新聞記事(地域の,小新聞ではあるが)を読むに至って,改めて,狂犬病予防対策,犬害対策は曲がり角にあると認識した次第である.
 そんな折,京都府では,ペット犬の急増に加えて,登録手数料.狂犬病予防接種料のアップが直接的背景になって,登録犬,狂犬病予防接種済犬の減少が顕著になりつつあることを憂えて,狂犬病予防法第4条第1項あるいは第5条第1項の違反者には警告書を発行し,場合によつては警察署への告発を行なってもよいという指示が出されたので,保健所長としては大変驚いているところである.

沖縄の女性は強し!

著者: 伊波茂雄

ページ範囲:P.69 - P.69

 昭和50年地域別生命表をみると,沖縄県の男性の平均寿命は0歳で72.15(全国10位),20歳で54.03(同じく3位),40歳と65歳ではそれぞれ1位となっている.これに対し,女性は0,20,40,65の各歳を通して全国都道府県第1位を示している.特に0歳の平均寿命は78.96と断然長く,2位の神奈川77.89を1年以上引き離している.
 さらに,毎年9月15日の敬老の日に100歳に達する老人の数をみると,沖縄県が人口10万対で,ここ数年間連続日本一となっているが,その100歳の老人の大部分が女性である.出生率についてみると,昭和52年においては全国平均人口千対が15.5となっているのに対し(昭和53年概数で14.9),沖縄県は20.2(昭和53年概数で19.1)となっており,次いで多い埼玉県の17.3(昭和53年概数では滋賀県の16.5)を断然引き離している.

随想

はじめて知らされたこと

著者: 園田真人

ページ範囲:P.57 - P.57

 朝おきてみると,左の膝が痛い.とくに曲げるときに,はりさけるような痛みを感じる.昨夜までなんともなかったのにと,いろいろ原因を思い出そうとするが,わからない,そういえば,昨夜ビールパーティーに出て,いささか酔って,車からおりるときに,どこかで打撲したのかもしれない.
 膝蓋骨の上部を押してみると,一部分に圧痛点がある.打撲傷,全治1週間と自己診断をした.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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