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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生44巻12号

1980年12月発行

雑誌目次

特集 救急医療計画

救急医療体制

著者: 荻野淑郎

ページ範囲:P.822 - P.828

■はじめに
 交通事故などによる負傷者の搬送および医療の確保をはかるために出発したわが国の救急医療対策は,昭和38年の消防法改正による搬送業務の制度化,翌年の厚生省令による救急病院等を定める事柄などであった.
 その後,交通事故による死傷者も,昭和45年をピークに年々減少の傾向をたどりつつあったが,一方,急激な人口移動の影響を受けた都市部における医療需要の増大,人口構成の高齢化に伴う,いわゆる成人病に関連する救急疾患の増加,あるいは核家族化の進行による,特に小児疾病に対する認識や応急処置の伝承の欠如など,さまざまな要因がもたらした現象として,休日や夜間におけるこれら一般の医療の救急医療に占める割合が大きくなってきた.

救命救急センターのシステムと役割

著者: 大塚敏文

ページ範囲:P.829 - P.833

■はじめに
 近年,救急医療の社会的ニードが高まり,厚生省をはじめ各地方自治体の努力と,また一方では日本医師会や各地区医師会の積極的な相互協力により,救急医療に対応すべく施設の設立,整備が着々と進んでいる.東京,大阪などの大都市から全国の中小都市に至るまでかなりの数にのぼる救急医療施設が開設され,診療を開始しており,既設の救急医療機関とともに,救急患者に対する診療体制はますます充実してきている.特に従来問題提起されていた休日や夜間の救急患者に対する休日夜間診療所や,心肺危機を伴う生命に危険のある極めて重篤な救急患者に対応する救命救急センターが24時間態勢で治療に当たっており,専門医不在や設備不十分などの理由で,しばしば話題となっていた"タライ回し"を昨今ほとんど耳にしなくなったことは喜ばしい限りである.
 しかし一方,現在に至るまで,わが国のほとんどの医科大学,医学部においては,救急医療に関する教育に対し,卒前あるいは卒後教育の課程で系統的な救急医療の講義はもとより,実地修練の場さえ与えられていないのが実情であり,各地の救命救急センターをはじめ救急医療機関の医師は,実地診療に当たり当惑することが多々あるのではないかと考える.

中毒センター

著者: 鈴木健一

ページ範囲:P.835 - P.841

■はじめに
 われわれの周りには,医薬品をはじめ家庭用薬品,農薬,工業用薬品,ガス類などさまざまな種類の化学物質が氾濫しており,これらのものを知らず知らずの間に,または誤って,あるいは意図をもって摂取したり,これらに接触したりしたために起こった中毒が,かなりの数に達していると考えられている.中毒は発見や手当てが少し遅れると,時には死や廃疾をもたらし,またそれほどでないにしても,周囲に無用な経済的・精神的負担を強いるものである.また結果的には中毒に発展しないような乳幼児の誤飲事故であっても,母親は心配のあまり子供を連れて病院に駆けつけることが多く,その際,救急車を利用することもしばしばである.
 欧米では早くから中毒コントロール(治療と予防の組織的活動)が重要視され,各地に中毒センターと呼ばれる施設が設けられてきた.そして今では,これらのセンターはそれぞれの国または地域の救急医療体制と密接に関係しながら活動することが,常識のようになっている.

広域救急医療情報センター

著者: 中森寛二

ページ範囲:P.842 - P.846

■はじめに
 救急医療の問題は,"タライ回し"の言葉にいい表わされるように,社会的な問題であるとともに,現在の日本の医療が直面する多くの困難な問題を包含する医療体系全般にかかわる,極めて重要な問題である.
 近年の救急患者の傾向をみると,交通事故以外の急病患者の増加が特に都市部において目立ってきているので,行政当局においても,医師会においても,休日・夜間に発生した急病患者に対する医療を確保するため,休日・夜間診療所の整備をはかったり,在宅当番制をしいたり,内科系以外の科でも全県で当番医を決めたりして,どこかで応需体制が整えられているような態勢をとろうと考えている.

医学教育における救急医療

著者: 織畑秀夫

ページ範囲:P.847 - P.850

■はじめに
 救急医療が医療の原点であるということは,生命を重視することが医学の原点であることと同じ意味をもっている.しかし,現実の社会においては救急医療とは,1人の生命を最高に重んずるところから発生する実体といえる.この事実は,医療を実践する医師によって行なわれることではあるが,同時にそれを支援する社会一般の人々の実践によっても左右されるものである.
 あまり遠くない昔,奇形の子供が生まれると,産院の部屋の隅に寝かされたままで,自然消滅を待ったという語り伝えは,決して嘘とは思えない.このような社会の中では,医師の立場は甚しく苦しいものである.しかし,止むを得ず,子供のためでなく,父母・祖父母・親戚のためにそれを行なう医師がいたわけである.

今日の救急医療の実態と現場教育のポイント

著者: 岩井浩 ,   兵頭正義

ページ範囲:P.851 - P.855

■はじめに
 近年,日本の平均寿命は飛躍的に伸長し,昭和53年には,男が73歳,女が78歳にまで伸びた.
 同時に発表された厚生省の『国民衛生の動向』によると,日本人の3大死因は,1位が脳血管疾患,2位が悪性新生物,3位が心疾患となっている.これらが,日本の最近の総理大臣,佐藤栄作氏,池田隼人氏,大平正芳氏を襲った疾患であることは,注目に値する.ところが,これらの疾患に対する根本的治療法は,いまだ発見されていない.したがって,現場医療者として,人間の生命をさらに伸ばそうとすれば,上記3疾患以外の死因に注目しなければならないと思われる.

救急隊および救急隊員のあり方

著者: 山田高治

ページ範囲:P.856 - P.862

■救急業務の拡大
 消防機関が法律にもとづいて救急業務・活動を行なうようになったのは古いことでなく,昭和38年4月15日,東京オリンピックに対応して始められたもので,それまでは各市町村が任意で行なってきた.この法律にもとづいて39年3月3日,消防庁長官通達で実施基準による整備(これは主として救急車を配置しなければならない人口基準に基づく市町村の指定・拡大)態勢によって,10年余を経てきた.その折,救急隊員の受けるべき教育内容は示されたが,従であった(教育期間に示されただけで,その内容手当をどうすべきかを示さなかった.表1).
 救急の定義は,法律上,消防が火災現場で救出作業をするrescue serviceとは区別し,搬送業務(ambulance service)であり,その範囲は事故負傷者を対象とするもの(accident)で,すなわち現象原因が救急主体で,救急とはaccidentとemergencyより成るものである,との定義によって出発したのではなかった.

日立市の救急医療—地域包括医療の視点から

著者: 小川清 ,   藤沢博 ,   岡田正勝

ページ範囲:P.863 - P.867

■はじめに
 日立市では救急患者のタライ回しはないと,以前から市民が評価してくれています.かといって,日立市に特別の救急医療システムがあるわけではありません.AB会員を問わず,会員各自が地域医療体制の重要性を認識し,協力し合って活動しているところに自ずからシステムができ,救急医療もその一環であるにすぎません.
 日立市は,昨54年に市制40周年を迎えた,人口20万3千の重工業都市です.農業県茨城の中に,鹿島臨海重工業地帯とともに太平洋沿岸にポツンと存在しています.

朝霞市の救急医療—"朝霞方式"

著者: 上野恭一

ページ範囲:P.868 - P.871

■夜間救急医療——"朝霞方式" とは
 1.診療時間は午後10時から午前零時までの2時間で,日曜,祝日,休日,年末年始など官公庁の休日は休診としている.
 2.あくまでも応急診療に徹し,投薬は頓服薬程度にとどある.

青梅市の救急医療

著者: 野村有信

ページ範囲:P.872 - P.875

■はじめに
 東京都の西北端に位置する青梅市は,人口97,300人の小都市である.東部は市街地開発が急激に進み,公共団地の建設とともに人口流入が激しく,西部は農山村部で,人口移動が少ない.
 市民の強い要求によって,昭和49年7月に年中無休24時間診療体制を備えた青梅市大門診療所が設立された.この設立を境にして,青梅市の救急医療体制は大幅に充実され,患者のタライ回しなどの医療に対する住民不安は,半ば解消された.行政が市民の要求に応えて救急医療体制を確保したことは,当時は画期的な健康行政として,注目を浴びた.したがって,昭和49年7月以後の青梅市の救急医療の主軸は,この青梅市大門診療所に移った.

東京都の精神科救急

著者: 小林暉佳

ページ範囲:P.876 - P.880

■はじめに
 東京都では救急医療体制を一次(急病初療と救急初療),二次(専門的治療すなわち入院,手術)および三次(重症患者のための高度特殊専門治療)に分けてこれまで実施してきた.実施主体は一次の急病初療のみ区市町村であり,それ以外はいずれも東京都であるが,上記すべての救急医療は都医師会委託事業であり,都医師会の全面的協力のもとに運営されている.一次・二次救急医療は平日と休日の昼間において医療需要の多い内科,小児科,外科の3科を中心として実施し,三次救急医療は救命救急センター4カ所と救急医療センター6カ所で毎日実施し,24時間体制整備を行なっている.
 一次・二次および三次救急医療のほかに比較的医療需要の少ない特殊救急として,脳神経外科,新生児・未熟児,精神科,心臓・循環器救急医療等についても休日の昼夜間における体制を整備し,今後さらに熱傷,中毒についても救急医療体制の整備を進める予定である.

発言あり

しらみ

著者: ,   ,   ,   ,  

ページ範囲:P.819 - P.821

"沈黙の春"に蠢くもの
 農薬,殺虫剤,防腐剤,洗剤の効力は,衛生害虫,有害微生物に革命的な激減の様相をもたらした.空腹としらみは,戦争という食糧ならびに衛生の暗黒時代の一断面でもあった.終戦とともにDDT,BHCの出現によるその薬効には,目をみはったものである.殺虫剤の進歩と衣・食・住の生活環境の改善,化学肥料や水洗便所の普及,じん芥処理の改善によって,衛生害虫は著しく減少した.
 こうした薬剤の多量の使用が,彼らに「ザマアミロ」の大見得をきったのはよかったが,人間様にはねかえってきた.複合汚染,残留農薬,合成洗剤のゆくえは,……虫も声なく,鳥も泣かない"沈黙の春"が地球に,人類に訪れるのではないか,と…….

人と業績・6

マックス・フォン・ペッテンコーフェル(1818-1901年)

著者: 小栗史朗

ページ範囲:P.884 - P.885

 ペッテンコーフェル(Pettenkofer, Max von)は,19世紀医学界の最大級の巨人の一人であり,衛生分野に実験的研究を導入した先駆者であるのみでなく,「衛生学を,生命のすべてを包括する哲学とみなしていた」(ルネ・デュボス).彼は,パステールらの病原菌発見後も,「しし座の流星」(ウィンズロー)の如く,瘴気学説の最後の焔を燃やし続け,孤立化して自殺しはしたが,その生態学的取り組みは,健康の医学を先取りしていたと評価できよう.

講座 臨床から公衆衛生へ

自然気胸

著者: 武野良仁

ページ範囲:P.886 - P.887

はじめに■
 公衆衛生学の領域では,自然環境とか自然保護といった言葉がしばしば用いられる.当然,ここにいう自然とは天然自然(nature)の意であり,一般に好ましい状況をさしている.
 ところが,同じ自然でも肺の急性虚脱である自然気胸となると,これは少し趣を異にするといわねばならない.元来,自然気胸はspontaneous pneumothoraxの和訳であって,この「自然」はむしろ「自然に」「ひとりでに」といった意味の自然なのである.しかし,spontaneousにもof one's own accord,unrestrainedのほか,natural,voluntaryのような義もある.したがって,spontaneous pneumothoraxを自然気胸と訳したのも,あながち誤りと断定することはできない.ましてや,かつて肺結核華やかなりし時代,人工気胸術が盛んに行なわれた頃にしてみれば,この人工に対して自然という字句を当てる方がむしろシゼンというものであろう.当時は自然気胸はすべて結核によるものとさえ考えられていた.自然気胸を考える際,このような時代の変遷を知ることも興味がある.

大学とフィールド

二県一医大から一県一医大へ,そして今日—〈鳥取大学医学部衛生学教室・公衆衛生学教室〉

著者: 渡辺嶺男 ,   石沢正一

ページ範囲:P.888 - P.889

●はじめに
 生理学教室,細菌学教室,生化学教室などから派生した時代の衛生学教室は,出自の色彩がはっきりしていた.戦後,衛生関係の講座が2講座以上となり,新設の大学医学部,医科大学が増えたこともあって,衛生学教室ならびに公衆衛生学教室が土着のものとして,固有の思考方式をもって活動するようになった.また,その活動が,大学対地域という図式ではなく,地域の草の根運動にブレーンとして,または直接に推進活動を行なうといった事態となった.
 鳥取大学医学部は,昭和20年に設立された米子医学専門学校を母体とし,昭和23年に昇格した米子医科大学を経て,26年に鳥取大学医学部となった.キャンパスは,初期の校名が示す通り,鳥取県米子市に所在する.昭和50年には看護学科と衛生技術学科との合同による医療技術短期大学部が,米子市にできた.

学会だより 昭和55年度日本医療社会事業全国大会

医療福祉の制度化をめざして

著者: 皆川修一

ページ範囲:P.892 - P.893

 昨年の北海道大会(昭和54年5月25〜26日,札幌市,大会テーマは「医療福祉活動の成果と課題」)につづいて合年度は,東京・飯田橋の労音会館において,「日本医療社会事業全国大会」を,日本医療社会事業協会(会長=児島美都子),東京都医療社会事業協会の主催,東京都・全国ならびに東京都社会福祉協議会の後援で5月23〜24日に開催した.
 近年(昭和48年以降),当協会では,関東近辺とそれ以外の都道府県をそれぞれ1年度交替で開催地にしてきている(48年—東京,49年—名古屋,50年—仙台,51年—東京,52年—広島,53年—横浜〔創設25周年記念大会〕,54年—札幌,55年—東京につづいて,56年—鹿児島,57年—静岡を予定している).

日本列島

精神障害者の社会復帰活動「めざめの会」—宮城

著者: 土屋真

ページ範囲:P.828 - P.828

 「めざめの会」が生まれて10年になる.昭和46年12月,県北の築館保健所を会場に精神障害者らのクリスマスパーティーが開催され,フォークダンスや病気の経験などの話合いが行なわれたのが,最初の集まりになった.現在では参加者は増え,県内各地の広範囲に及んでいる.今回は,この会の活動について紹介しよう.

がん死亡,第1位—沖縄

著者: 伊波茂雄

ページ範囲:P.850 - P.850

 9月1日から「がん征圧月間運動」がスタートした.がんに関する正しい知識の普及をはかり,早期発見,早期治療によってがんを征圧して健康の保持増進につとめることとし,がんに関する講演会,映写会,検診などが計画されている.
 沖縄県におけるがんによる死亡は,昭和52年から死因別死亡のトップとなっているが,昭和54年においても総死亡5,066人の19.9%にあたる1,007人が,がんで死亡し,死因のトップとなっている.全国レベルではこの割合は22.7%となっているが,死因別には2位であり,トップは脳卒中の23%となっている.沖縄県におけるがん死亡率(人口10万対)は92.3で,全国平均135.6の68%しかない(ちなみに,人口10万対の総死亡は沖縄が464.5で,全国平均597.3の77.7%である).

随想

死霊

著者: 園田真人

ページ範囲:P.883 - P.883

 ——息子たちよ,わたしも今度は助からんような気がする.わたしは,この世の中で悪いことをしたことがないから,死んでも思いのこすことはない.けれども,ひとつだけ心のこりがある.それは,この前してくれたオハライのことじゃよ.
 胃癌も方々に転移がおこり,手術不能となったお婆さんは,悪液質になった癌特有の顔をむけて,息子たちに話しはじめた.

本の紹介

—春白 斎・重田 定義 監訳— 『プログラム学習による疫学入門』

著者: 西川滇八

ページ範囲:P.875 - P.875

 本書はF. David Fisher著 "An Introduction to Epidemiology, a prograrnmed text"(Appleton-Century-Crofts, New York)の翻訳書である.医学教育の改善が叫ばれて久しいが,その実情は一向に変わることのできない状勢である.それは教育に利用できるResourcesの開発が遅れているためである.
 本書は元来,米国における医学部専門課程の1年生および2年生が疫学の専門用語や方法を理解するために書かれた.これがCarriculum編成の時間的人員的隘路を克服するために,極めて有用であると考えられる.訳者自身が本書を医学部学生の教育に実際に利用して効率的であったと述べているが,筆者も恐らく適切な教材であると考えて推薦する次第である.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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