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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生44巻3号

1980年03月発行

雑誌目次

特集 第20回社会医学研究会総会報告

社医研20年の歩みと今日の課題

著者: 山田信也

ページ範囲:P.157 - P.158

 社会医学研究会は,わが国の高度経済成長の展開と破綻の20年の歴史と歩みをともにしてきた.この時代に,生活・労働の環境の悪化によって,多くの犠牲を強いられた働く人々や地域の住民が,重き病や死の瀬戸際から生存の基盤と健康を守る取り組みを始めた.公害,労働災害・職業病などの被害者の救済と予防の取り組み,乳幼児・身障者・老人医療,難病の救済などの公費医療の確立を求める取り組みなど,恐らく将来,振り返って見た時,この時代の国民の立ち上がりは,生存権確立の歴史的な画期と評せられるに違いないと私には思われる.この動きは,わが国の多くの分野の学問研究に大きな影響を与えた.公害問題に見られるような,政治,法律,経済,人文,社会や,理・工・農・医など,人文科学,社会科学,自然科学の幅広い領域での学際的な調査・研究,啓蒙の活動の展開は,その最も代表的な例といえよう.当然のことながら,わが社会医学研究会にもその影響は及び,発表された研究テーマにそれはよく反映している.

総会プログラム

ページ範囲:P.158 - P.159

〈要望主題Ⅰ〉大都市地域の社会医学的分析
  《座長》 朝倉 新太郎(大阪大・公衆衛生)
 山田 信也(名古屋大・公衆衛生)

要望主題Ⅰ 抄録—大都市地域の社会医学的分析

著者: 朝倉新太郎 ,   山田信也

ページ範囲:P.160 - P.182

Ⅰ−1.現代の大都市住民の保健問題
■はじめに
 現在,わが国の市部人口は全人口の75%を超えている.そのうち,いわゆる10大都市に住む人口だけでも全人口の20%を超えている.つまり,都市地域こそが現代の日本人にとっては主要な住み家なのである.したがって,農村社会が支配した時代では,都市は特定の機能を果たす国土の一部分と見なされ,都市化に伴って発生する種々の生活妨害や混雑現象もある程度免責されてきたかもしれないが,現在はもうそれは許されないことである.都市を本当に人間らしい暮らしができるところとして構築できるか否かということは,今後のわが国の保健問題の最大の課題である.
 ところが,よく知られているように,1955(昭和30)年代以降のいわゆる高度経済成長時代に爆発的に進行したわが国の都市化は,上述のような理念によって導かれたものではなかった.

要望主題Ⅱ 抄録—市町村保健センターと地域保健活動

著者: 小栗史朗 ,   山本繁

ページ範囲:P.183 - P.191

Ⅱ−1.市町村から保健所設置要求の運動を
 保健所法政令市を拡大していくには,理論的な面からの,政令市の意義,位置づけの検討も必要ではあるが,他方,個々の市(町村)の側から,市民の健康を守る責任を達成するためにも,保健所の設置の要求が具体的に提示されることが必要といえる.このためには,個々の該当する市において,保健所設置についての市民要求を集約するとともに,当該市において,保健所設置による財政負担の可能性を明らかにすることが必要といえる.ここでは,保健所設置の要求が市民側から表明された三鷹市の事例について報告しよう.

一般演題A1〜2 抄録

著者: 朝倉新太郎

ページ範囲:P.192 - P.195

A-1.加野太郎先生の業績
 医学博士,故加野太郎先生は岐阜県のご出身で,1923(大正12)年,東京帝国大学医学部をご卒業になり,昭和の初め,静岡県の富士瓦斯紡績小山工場医長として勤務された.
 そのときのお仕事が労働衛生史上,輝かしい業績をつくられたものであり,大阪大学衛生学教室の野村拓著の『医学と人権—国民の医療史』には,次のように先生の業績を紹介している.

一般演題A-3〜6 抄録

著者: 山下節義

ページ範囲:P.196 - P.199

A-3.地域の特殊性と乳幼児健診のあり方
 1975(昭和50)年の保健所の特別区への移管は,地域に合致した身近な保健サービスの提供が,その目的の一つであった.荒川保健所においても,この目的に沿って職員による種々の努力がなされてきたが,1歳6カ月児健診の実施もその実践の一つである.1977(昭和52)年4月から厚生省通達に先がけて1歳6カ月児健診を開始するようになったのは,次のような背景によるものである.当時,乳幼児健診に従事している職員の検討会で,下記のような問題点が指摘されていた.
 (1)荒川区には家族労働に依存した自営業が多く,このため子供に十分目が届かず,親の育児態度に起因する発達のおくれが目立つ.

一般演題A-7〜10 抄録

著者: 二塚信

ページ範囲:P.200 - P.203

A-7.プライマリ・ケアの理論と実践--東京都三多摩の実践活動から
 プライマリ・レベルの活動を中心とした,新しい医療の展開を実践している日野,東村山をはじめ東京各地で試みられている活動を通じ,プライマリ・ケアの理論として次の原則を示す.

一般演題B1〜3 抄録

著者: 木下安子

ページ範囲:P.204 - P.208

B-1.准看護婦制度の実態と諸問題
 准看護婦制度問題は制定当時よりさらに複雑な問題へと深化し,社会医学上無視できない状態に達したと判断するとともに,看護婦問題にも共通することを指摘し,問題提起をする.
 就業者数とその推移,准看護婦の配置状況については図1,2を参照されたい.

一般演題B4〜7 抄録

著者: 乾死乃生

ページ範囲:P.209 - P.213

B-4.パーキンソン病患者の就労保障と移動の援助
■目的
 パーキンソン病患者は,全国に5〜10万人いると推定されている.発病年齢は40〜50歳代の働き盛りに多く,就労者に発病すれば職業中断となりやすい.1975(昭和50)年に東京都神経科学総合研究所(神経研)で行なった調査でも,就労者は発病前に比べてその後では1/3に減少していた.本研究は,パーキンソン病になって13年を経過したが,本人の就労継続の意志が強いため,家族,職場の労働組合の支援を受け,働き続けている事例に関する報告である.難病患者の就労保障のための施策を検討するうえで重要な示唆を示すものである.

一般演題B8〜9 抄録

著者: 中川武夫

ページ範囲:P.214 - P.215

B-8.疾病運動から地域運動へのアプローチ
 運動歴の比較的古い筋萎縮症運動は,いち早く全国運動において治療研究費と,国立療養所内に専門ベッドを獲得するに至ったが,厚生省は東京地域に対して医療機関の多いことを理由に,筋萎縮症ベッドの東京設置の意思なき見解を示してきた.
 そこで東京の患者組織は独立した団体として,全国運動とは異なる独自の運動を展開し,スモンの団体との共闘により,東京レベルでの神経系の研究所と病院建設を実現した.また他方では,各難病疾患の団体が連合することで運動の強化を図るべく,全国・東京両レベルでの難病運動の創始に参加した.

自由集会Ⅰ〜Ⅳ抄録

ページ範囲:P.216 - P.220

Ⅰ.私の生きてきた時代と「医療の社会化」--曽田長宗
■曽田長宗先生講演要旨
 私が大学(東京帝大医学部)を卒業したのは1926(昭和元)年で,在学中からだんだんと世の中が窮屈になっていましたが,1928(昭和3)年最初の普通選挙の直後,3・15,翌年が4・16の共産党大弾圧という時代でした.私も大したことはやっていないのにこの風に吹き飛ばされて留置場をたらい回しされた揚句,脚気熱が出て釈放され,郷里で静養しているうちに台湾へ行かないかという話があって,1930(昭和5)年の1月に台湾へ渡りました.
 もともと私は新潟県柏崎の在の,雪深い村に生まれました.父は済生学舎を出た開業医で,私はその長男であったので,父のように,病気に苦しむ人,困った人に尽くすのが自分の天職だと思っていました.しかし,自宅に奉公に来ている看護婦や女中たちの実家の様子はそういう私にもよく見えていました.

連載 戦後の公衆衛生

【Ⅱ】ヘルス・マンパワー

著者: 麦谷眞里 ,   北井暁子

ページ範囲:P.222 - P.225

 「国民の健康」あるいは「医療環境の整備」などというようなことを論じる場合,その基礎資料としてヘルス・マンパワー(医療従事者)の把握が重要であることは,論をまたない.今回は,そのヘルス・マンパワーをテーマに取り上げ,戦後の推移と将来の展望とについて概観した.

発言あり

難民

著者: ,   ,   ,   ,  

ページ範囲:P.153 - P.155

国際社会人としての日本人に「踏み絵」
 戦争やクーデターが起きる度に,難民として居住地を追われてさまよい歩く人々の生活が報道されることは,何ともやりきれない人間の罪深さを感じさせる.
 私たちの日常の会話の中でも,「この余った米を,ベトナムのあの,骨と皮ばかりになった子どもに送ってあげたら」と繰り返さざるを得ない.しかし,経過を追って伝えられるところによると,わが国は難民救済に対しては消極的な態度を示しているようであり,世界各国から非難を浴びているとのことである.

日本列島

第36回全国保健所長会指定都市部会について—新潟

著者: 園田真人

ページ範囲:P.195 - P.195

 毎年,公衆衛生学会(昨年は10月17〜19日)の前日に,全国保健所長会総会がおこなわれることになっており,もうひとつの分科会として指定都市(札幌,川崎,横浜,名古屋,大阪,京都,神戸,北九州,福岡)の所長会が,今年は京都市(岸田裕爾所長)のお世話で新潟市でおこなわれた.各都市の保健所は,人口とか地域の特徴が似ているためか,共通する問題点も多く,毎年の会議は有意義であり,多くの意見が交換されている.
 第1の議題は,札幌市から出されたもので「モーテル類似施設に対する規制について,①条例あるいは要綱などを設けているか,②規制がある場合,建築できない地域指定などを設けているか,あるいは,③構造上も規制を行っているか,④なんら規制がない場合,どのような取扱いで指導を行っているか,⑤モーテルの名称を使用している場合,規制しているか」というものである.

保健医療対策協議会の活動—岐阜

著者: 井口恒男

ページ範囲:P.199 - P.199

 昭和52年9月発足以来,岐阜県保健医療対策協議会では救急医療対策専門委員会およびへき地医療対策専門委員会をもうけ,当面の緊急課題にとりくんできたが,昨年1月,両委員会の中間報告をまとめ,意見書として知事に提出した.
 当面の救急医療体制として,初期,2次,3次のレベルごとでの体制整備を提言し,初期体制は休日・夜間の診療所および在宅当番医制を中心とした体制を,2次体制には原則として広域市町村圏を2次圏域とし,2次病院の共同体制により診療科全科を確保することが必要としている.3次体制は救命救急センターを県内ブロックに必要としている.また,1次,2次,3次の体制の確立のほか,これらの相互間と住民と1次医療機関を結ぶ医療情報システムの整備が必須であるとしている.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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