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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生44巻4号

1980年04月発行

雑誌目次

特集 公衆保建モラル

公衆保健モラル—その例と考え方

著者: 西川滇八

ページ範囲:P.230 - P.231

■医師の倫理
 保健医療を担当する医師にとって倫理つまりモラルが必要であることは,Hippocratesが科学としての医学を確立したギリシャ時代から強調されてきたことである.今日でも,Hippocratesの「医箴」といわれる自戒文を欧米においては医師となる際に誓う,ということである.
 直接医療に携わる医師のモラルに関する最近の集大成の1つは,昭和43年に第1版を刊行した日本医師会編『医師倫理論集』であろう.ここには,小川鼎三東大教授の「医史学上からみた医師倫理」,大江精三日大教授の「統一文化史の理念による医師倫理」,マリオ・カーニャ在日教皇公使の「医師と倫理について」,大谷大学名誉教授金子大栄師の「仏教よりみた医師の倫理」,大阪大学において医学概論を講じてこられた同大学文学部長・澤瀉敬久教授の「医道の根本問題」と題する講演が収録されている.さらに日本医師会医師倫理委員会(永沢滋委員長)の「中間報告」も掲載されている.本書に盛られている医師倫理の重要性に対する認識は,多くは患者と医師との人間関係というか,患者個人に対する医師の倫理観,いわゆるDoctor-Patient Relationshipである.

民族・文化と保健行動

著者: 辻達彦

ページ範囲:P.232 - P.236

■はじめに
 現在の日本人の保健行動がいかなる由来によるものかを反省し,検討するのが,本論文のねらいである.もとより,保健行動という考え方も新しいので,歴史的にさかのぼって考察する場合,類似の行動あるいは行為から推量するほかはなさそうである.とくに明治以前は,科学の未発達の社会環境下にあったことを終始念頭に置く必要がある.例えば「伝染」というコトバを取ってみても,微生物の役割を知らぬ昔と今とでは受け取り方が違うことである.近代国家として成立した明治以降とそれ以前とでは教育の普及状況からみても格段の差があり,健康とか病気とかに対する庶民の意識や態度には士農工商という身分制度の影響も無視できないものがある.
 いわゆる礼儀作法のように不文律となっているもののほかに,病気を含む生命の危機に対処する行動がいかにして育成され,日本人の深奥に定着していったのか極めて興味があるが,考察があくまで断片的な資料からの仮説的論証であることを覚悟してかかるべきであろう.

健康と宗教

著者: 柳澤利喜雄

ページ範囲:P.237 - P.241

■健康とは何か
 1.WHOの健康の定義
 健康を定義することは,常識的には至極簡単である.だが学問的な立場に立つと,そうはいかない.それは,健康には体験的要素が加わっていて,理性だけでは表現できにくいからである.
 筆者のように生涯,健康問題一本で生き抜いてきた者にとっては,一層健康の深さが感じられる.その層の厚いことも理解できてくる.自分の生涯を顧みると健康法一本で終始した感があるが,そのような生き方をどのように批判されても,それが筆者の生きてきた真実だったからどうにもならぬ.

学校教育と保健モラル

著者: 黒丸正四郎

ページ範囲:P.242 - P.246

■はじめに
 本誌が「公衆保健モラル」を特集されるに当たって,筆者に主題のような課題で執筆を依頼されたが,実は非常に戸惑った次第である.というのは,筆者は精神医学を専攻する者で,公衆衛生とは直接関係がないからである.ただ,よく考えてみると,筆者の専門とする〈精神衛生〉の立場からみて,これは全く無関係の課題ではなく,考えようによっては非常に重要な関連を持っものとも考えられる.あえて筆を執ったのは,以上のような次第からである.
 多少耳新しい言葉であるが,〈公衆衛生モラル〉とは「公衆モラル(道徳)の保健に関する側面」といってよいであろう.保健というのは元来,われわれ個人が自己の健康を保つために必要な知識や実践のすべてをいい,その場合,自己を守るためには他者一般をも含めて,お互いに健康が保てるような手立てが大切で,そのためにはお互いの間に必要な知識や実践があるが,そこには一般公衆道徳にも似た〈道徳性〉が貫いていないと,実のある実践活動にはならない.

生物社会の秩序と公衆モラル

著者: 宮脇昭

ページ範囲:P.247 - P.252

■はじめに
 現代は自由の時代である.特に日本は,世界の他の国々に比べて最も自由な国といえる.単に肉体的な自由ばかりでなく,社会的にも,精神的にも,我々は,かつて考えられなかったほどに自己を主張し,自己の権利が主張できる社会に生きている.
 戦中,戦後の厳しさを体験しなかった若い世代の現代日本人の過半数は,民主主義を一面的に理解し,子供時代から家庭でも学校でも厳しいしつけを忘れた甘い両親や教師に育てられ,教育されてきた.そのために無制限なほどの自己中心の,いわゆる自由な生活の中で,しばしば人間社会も地球もすべて自分中心に回っているような錯覚にとらわれている.日常生活において自分中心の思想が,自分に邪魔な生物は新しい薬剤で皆殺しにしている.現在の自分の,また自分の属している家族,集団,派閥のあらゆる生理的,感覚的,さらには経済的な欲望を満足させるためには,神を忘れ,自然を無視して,自然開発や地域開発に走り,都市や工場地の造成に山を削り,谷や海を画一的に埋め立てた人工環境を造り出すのが,進歩のすべてと誤解されやすかった.

保健モラルと精神衛生

著者: 逸見武光

ページ範囲:P.253 - P.255

■はじめに
 精神衛生に関係する研修会などに参加した際,筆者がしばしば取り上げるエピソードを,ここでも先に紹介しておきたい.「あなたはどのような理由で子どもたちがタバコを喫煙することをやめるように指導されているのですか」という質問をした場合,一般市民や学校の教員はいうまでもなく,養護教員や保健婦など保健の最前線で働いている人たちからさえも,「法律で禁じられているから」,「喫煙は非行の出発点だから」などの答えが返ってきて,「喫煙は健康に害があるから」という答えはほとんどない.実態としてこれを素直に受け止める反面で,保健の仕事をするものとしてはいささか気になることではある.

諸外国における公衆保健モラル

著者: 杉戸大作

ページ範囲:P.256 - P.261

■はじめに
 アラブの国で,日本人が食物にしつっこくたかるハエを追い払っていた.それをアラブ人が奇異な目で眺めながらつぶやいた.「日本人はお金持ちだと聞いていたが,吝嗇なんだな——.ハエが食べる量は知れているのに,少しも食わせてやらないんだから」.

交通環境と走行マナー

著者: 播磨荘一郎

ページ範囲:P.262 - P.265

■クルマ社会の発展
 わが国の経済社会が戦後の復興期から,ようやく高度成長期に入ろうとしていた昭和30年代の初め,自動車の保有台数は180万台に達していなかった.輸送機関別の輸送分担比率をみても,旅客輸送量(億人キロ)は,自動車が19%,鉄道が81%で,圧倒的に鉄道の方が多かった.また,貨物輸送量(億トンキロ)でも,自動車の11%に対し,鉄道が50%といった状況であった.
 だが,その後の産業構造の変化,自動車産業の発達,道路整備の拡充などによって,これらの輸送分担比率は逆転してしまった.旅客輸送は,東名高速道路の全線開通(昭和44年5月)によって,名神高速道路とともに長距離高速交通が本格的に機能し始めた昭和46年に,52:48で逆転している.

講座 公衆衛生従事者のためのソーシャルワークの手引き

【Ⅱ】危機介入(下)

著者: 荒川義子

ページ範囲:P.275 - P.279

■はじめに
 前回は,危機介入の基礎である危機理論の歴史的な流れ,危機介入と伝統的な援助法との相違点,危機の定義と危機回復過程,危機介入の適用の基準および技法について概観した.
 今回は,これらの理論,介入技法が医療および公衆衛生領域において具体的にどのように適用されるか,すなわち危機状態にある患者,家族がどのような段階を通って危機から回復し再適応していくか,という過程,そして,その各段階で示す対処機制,反応を理解することにより,どのような対処課題を設定して援助することが可能かを二,三のケースを通して検討してみよう.

臨床から公衆衛生へ

インターフェロン

著者: 伊藤康彦

ページ範囲:P.272 - P.273

 近年,インターフェロン(以下,IFと略)という新しい物質に注目が集まっている.発見されてから二十数年の歴史があるにもかかわらず,その実体についてはウイルス学専攻者の間でも案外理解されていない.そこで,簡単にIFについて紹介してみたい.

論考

「疫学」の定義をめぐって

著者: 丸井英二

ページ範囲:P.280 - P.285

■疫学の定義
 ある学問領域の定義をするという試みは,きわめて困難である,たいていは,さまざまな議論の末に立ち消えになるのが落ち,ということになっている.確かに,定義をすることが,すでに存立している学問分野に制約を与え得るはずもなく,定義が先行してその定義の枠内だけで学問が生長する姿も想像し得ない.そのような学問があるとすれば,奇形としか言いようがない.
 これから取り上げようとする「疫学」についても,同様のことが言えよう.疫学は教科書によれば,古くヒポクラテスに遡り,あるいは近代疫学は19世紀半ばのJ.Snowのコレラの研究にまで遡ることができる.わが国でもすでに森鷗外が「疫理学」として紹介していることからも知られるごとく,少なくとも移入以来1世紀近くになる学問分野である.とすれば,いかなる形にせよ,「疫学」は現実にそれに従事する人材を有し,それ相応のコンセンサスの上に成立していると考えて無理はない.しからば,そのコンセンサスはどのようなものであるか,定義のされ方という面から探ってみることができる.

病院と技術集積単位—北海道南空知地区における実現への展望

著者: 竹内四郎

ページ範囲:P.286 - P.290

■はじめに
 情報化社会と高度医療技術社会に対応じて,各地で医師自らの手によって医師会立病院,医師会立臨床検査センター,医師会立調剤センターなどを設立し,それぞれ実績を挙げている.しかし,北海道は広域的な特性,経営主体別の病院が点在,あるいは密集しているために,他府県のようにこれらの設立は必ずしも容易ではない.
 ところで,当医療圏には人口の割には病院群が密集しており,特に岩見沢市を中心とした30分以内の地区に公的性格を持つ200床以上の病院が7つもある.このように南空知地区は比較的医療資源に恵まれた地域ではあるが,高度の医療を必要とする患者数は自ずと限定され,また医学・医療機器の発達によって施設・設備には莫大な資金を要することから,当地区は1市町村単位で医療施設を考えるよりは,広域的な取り組み方をするのがより効果的であると思考した.

調査報告

一農山村における高血圧の医療費

著者: 関龍太郎 ,   森広美恵子 ,   川崎かなえ ,   内藤閑 ,   岩田佳代

ページ範囲:P.291 - P.294

はじめに
 日本において脳卒中は昭和26年以来死因の首位であり,その行政的対策はますます重要になっている1)2)
 筆者らも,松江保健所管内において,行政的施策を進めるなかで,脳卒中予防対策の現状について報告してきた3)〜6).とくに「脳卒中予防対策」の評価を行なう過程で,脳卒中予防対策にとって「労働」の指導の重要性を感じている5).同時に,「労働」をしないと賃金の得られない現状のなかで,「経済」の問題にしばしばぶつかってきている.
 今回は,高血圧の医療費について検討を行なったので報告する.

発言あり

薬剤の自己負担

著者: ,   ,   ,   ,  

ページ範囲:P.227 - P.229

高福祉・高負担のバランス
 健康保険改正法案が今国会で話題を呼んでおり,その中に,医療費(とくに薬代)の自己負担の問題が含まれている.それらは,医療保険制度の根本に関する問題であり,単独で論ずることは困難である.
 医療制度のあり方については議論の分かれるところであり,先進国といえどもその制度に一長一短があり,わが国がそのまま直ちに取り入れられるものはないといってよい.むしろ,部分的欠点はあるにせよ,平均的にみて高い水準の医療を受診者が選択の自由をもって受けられる点で,わが国の方がすぐれているといえる.しかし,利用者にとっては具合のよい制度といえるが,これを悪用するものも多いと聞いている.たとえば,自己の満足できるまで医療機関をハシゴする重複受診がある.また,自己負担に関係のない健保本人などでは,薬剤を指定して投薬してもらうものもあるように聞いている.薬はもらわなければ損のように考えているものもあるようである.ごく一部であろうが,これに迎合する医師がいることも情ない.しかし,やはり病院・診療所の交通整理の混乱,出来高払い制など制度そのものの検討が必要であろう.

医師会の地域活動・11

全会員の参加による広範な地域活動の展開—鹿児島市医師会

著者: 久留克己

ページ範囲:P.268 - P.269

はじめに■
 鹿児島市はもと島津氏(72万8千石)の城下町として栄えた.明治22年には市制を敷き,南九州の政治・経済・文化の中心地として発展してきた.
 鹿児島市医師会は,幕末から明治にかけて多くの偉人を生んだ加治屋町の一角にあり,会員数は591名(うちA会員405名).その歴史は,新制医師会創立30周年を記念して発刊された『鹿児島市医師会30年史』に詳しい.

保健・医療と福祉

聖隷福祉事業団にみる保健,医療,福祉の連携の構造と協力の実態

著者: 中山耕作 ,   大塚暢

ページ範囲:P.270 - P.271

はじめに■
 現在,わが国には疾病に苦しむ病人が900万人,肢体不自由の障害者が143万人,重い知恵遅れの精神薄弱者は35万人,寝たきりで手厚い介護を要する老人が36万人,そのほか育児に恵まれない乳幼児が200万人以上いる.聖隷福祉事業集団は昭和5年,1人の自殺しようとしていた結核の青年を救済する仕事に取り組んでから半世紀,一貫して不幸に見舞われた人々に援助の手を差し延べてきた.
 そして今日,静岡県浜松市を中心に,全国に医療,教育,福祉に関する数々の施設を設置,経営し,積極的な事業活動を展開している.その事業の内訳は総合病院が2,健診センターが1,看護短大が1,高校が1,保育園が6,特別養護老人ホームが4,有料老人ホームが4,軽費老人ホームが1,精神薄弱者施設が5,身体障害者施設が4,救護施設が1,難民収容が1,教会が3である.

学会だより 第26回日本学校保健学会

人間形成に学校保健はいかに関与していくべきか

著者: 武田真太郎

ページ範囲:P.296 - P.297

■はじめに
 近時,全国的に子どもたちの体力・気力の低下が問題となり,一方では,子どもの自殺の増加,学校内外の暴力事件や少女売春などの非行行動の若年化が目立つ.
 都会の子どもの生活は,路地の遊び場を侵入する自動車に奪われ,近所の空地は資材置き場になっていて危険だから,神社の境内は誘拐されるといけないから,と親や学校が遊ぶことを許さない.やむなく狭い自宅に閉じこもり,テレビの画面にみずからを埋没させて,山野を駆けたい欲求を満たす.これに比べると,はるかに多くの遊び場が残っている農山村でも,子どもに課せられていた農作業の手伝いが,作業の機械化とともに足手まといの邪魔なものとして敬遠され,怪我でもされるとかえって困るので,自宅で留守番をさせられる羽目になる.こうして,子どもたちの自発的行動の発露である「遊び」を知らない子どもたちが誕生した.冒頭に挙げた現代っ子の問題の背景には,「生活様式のアーバニズム」の浸透によってもたらされた生活の変貌が複雑にからみあっているのであろうが,1つの共通した要因として,この遊びを知らない子どもたちにみられる「人間としての発育・発達」の阻害が憂慮されている.

スポット

1980年の最優先課題は「喫煙対策」

著者: 平山雄

ページ範囲:P.274 - P.274

 1980年のWHO(世界保健機構)のスローガンは「喫煙流行の制圧」で,4月7日の世界保健デーのテーマは「喫煙か,健康か,あなたの選択」となっている.
 1979年,WHOは,痘瘡の根絶を声明した.それにつづく標的として,「喫煙」という名の流行病が選ばれたのである.

エボラ出血熱

著者: 杉下知子

ページ範囲:P.298 - P.298

 エボラ出血熱(Ebola haemorrhagic fever)は1976年6月から11月にかけて,スーダン南部およびザイールに突然発生した."エボラ"とは流行地を流れる川の名にちなんでつけられたものである.高熱と頭痛,胸痛,関節・筋肉痛,それに鼻出血・口腔内出血,血性下痢,嘔吐などを主症状とする,ウイルス性の疾患で,経過がやや長い.1976年のスーダンでの流行では患者280人中死者が147人で致命率は53%1),ザイールでの流行では患者330人中死者が157人で致命率は48%2)と致命率が極めて高いのが特徴である.病原体はウイルスであることが確認されているが,1979年に再び本疾患がスーダンで発生した.本誌43巻12号で北林敬が触れているが,さらに詳しくここに紹介する.
 最近,再び出血熱患者がスーダン南部で発生したことが報告された.直ちにスーダン保健省とWHOコンサルタントの共同作業でサーベイランスが計画され,69人の疑似患者(うち27人の死亡)を把握した.臨床的・血清学的・疫学的データに基づいて真性患者は33人と判定され,このうち22人が死亡した.患者発生は,本症の第1号患者が1976年に確認された地区に近いYambio-Nzara地区に限定されていた.

日本列島

カイロプラクティックは有罪か—宮城

著者: 土屋真

ページ範囲:P.252 - P.252

 chiropractic(カイロと略される)はアメリカで発達した民間療法で,脊椎矯正療法と訳されている.しかし,わが国では,法律で認められていない.このたび有罪判決を受けた療術師が出たが,地方で違法性が証明されたという意義は大きい.
 カイロに有罪判決 さる昭和55年1月,宮城県北の某町でカイロ療法に従事するS氏が,地方簡易裁判所から罰金1万円の略式命令を受けた.「あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゆう師・柔道整復師等に関する法律(あはき法という)」違反で,無免許で指圧を行なったことなどによる.

国費医学生選抜—ラストチャンス—沖縄

著者: 伊波茂雄

ページ範囲:P.255 - P.255

 沖縄県における国費試験制度は昭和28年にスタートした.
 この制度は,県内において選抜試験を行ない,全国各地の国立大学等に1ないし数名を毎年留学生のような形式で入学させる制度で,国が試験実施の費用等を負担するため「国費制度」といわれている.この制度は第二次大戦で多くの社会的指導者や医師等の特殊技術者を失った沖縄における有能な人材確保を狙いとして,24年から米国(軍政府)がスタートさせた「契約学生制度」がその始まりであった.

栗原地区公的病院連絡協議会の設立—宮城

著者: 土屋真

ページ範囲:P.261 - P.261

 県には公的医療機関協議会があり,全県的な活動として「市町村総務課長及び自治体病院事務長婦長研修会」,「開設者・管理者・事務長研修会」の開催や,県内関係大会の後援,全国会議への出席などを行なっている.
 さて昭和54年12月6日,栗原郡に設立された「栗原地区公的病院連絡協議会」は,すでに52年8月23日に発起人会が終わっていたが,諸般の事情で設立総会が遅れていたものである.県の協議会とは今のところ直接の関係はない.設立の趣旨としては,郡内の公的病院の横の連絡と,病院の役割分担を協議することなどによって運営の合理化を図り,一方,適切な医療が行なわれるように,という目的がある.

胃集検追跡成績の標準化—第9回東海北陸医集検の会

著者: 井口恒男

ページ範囲:P.279 - P.279

 福井市において,第9回東海北陸胃集検の会が昨年11月16日に開催された.本会は毎回,各県の検診機関や精検機関などの従事者の研究成果の発表や討議の場となっている.
 今回は福井県成人病センター・山崎信氏の座長による「胃集検の成果と今後の問題点」と題したシンポジウムと京都府立医大・川井教授の講演が行なわれた.シンポジウムでは,放射線技師,医師,保健婦,行政担当者などから,それぞれの立場から,胃集検のあり方についての提言や研究報告が行なわれた。共通的な事項として啓蒙活動の重要性が挙げられており,その方法についての論議も多かった.

20歳を迎えた岡山対ガン協会

著者: 堤隆信

ページ範囲:P.294 - P.294

 昨年9月30日,日刊新聞の岡山地方版に,岡山市に本拠をおくT百貨店が開店100年を記念し岡山対ガン協会へ,ガン予防のために役立たせてほしいと,100万円寄附したことが小さなコラムとして載った.このことから,協会への寄附を調べたところ,県民からの寄附も年々向上し53年は9,597千円あったと聞いた.この数字が語るように,人類最後の敵であるガンに対して寄せる県民の関心の高さと,対ガン協会への期待も大きなものがあると思った.
 奇しくも,昨年は協会が設置されて20年目に当たる,記念する年であることから,岡山対ガン協会設立20周年記念・第20回ガン征圧岡山県大会が,700名の関係者を集めて,盛大に開催されたのを機会に,わが国で最も長い歴史を持つ対ガン協会の歩みをかえりみたい.

地域医療情報システムについて—岐阜

著者: 井口恒男

ページ範囲:P.299 - P.299

 情報処理の科学はコンピューターの普及に伴って急速な進展をみせており,行政,経営,研究など各分野に応用されている.医療分野においても,各部門にその応用がなされており,診療請求の電算化,自動臨床検査システム,AMHTS(自動化多項目健診),救急医療情報システムなど,その例は多い.
 岐阜県においては,昭和52年に発足した保健医療対策協議会の専門部会として昨年12月,第1回の情報システム専門委員会が開かれた.今回の委員会においては,救急医療やへき地医療などの各々単独情報システムではなく,将来の拡張性も考慮して総合的な地域医療情報システムを検討すべきであるとの意見に基づき,合後の研究・調査の取り組みが論議された.

随想

亡き母と医を思う

著者: 園田真人

ページ範囲:P.267 - P.267

 桜のたよりを聞くころになると,嬉しいたよりと悲しいたよりが交々に訪れてくる.Aさんは,国立大学に合格したそうな,Bさんは,また浪人だそうな,などというニュースである.
 大学進学によって,その人の一生が決められてしまうのをみると,世のさだめとはいえ,本人はもとより,家族の心痛ははかり知れないものがある.そして,20数年も昔の私の試験のことを思い出すのである.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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