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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生44巻8号

1980年08月発行

雑誌目次

特集 自然保護—特に人間生態学的立場から

健康と生態系

著者: 鈴木継美

ページ範囲:P.528 - P.531

■生態系の人間化
 ある場を特定し,そこでの動物・植物の集合と非生物的部分とが作り出している系を生態系と呼んでいる.この系は太陽エネルギーのみに依存し,それ自体としては閉じた系で,その内部において,生命の維持に必要な諸元素を循環させている1).植物は太陽エネルギーを直接用いる生産者であり,動物は植物に依存して生きる消費者である.動物・植物の集合は生物群集と呼ばれるが,その内部構造は食物連鎖によって組み立てられている.
 人間が生態系内部で,生物群集の一つの構成要素として生きているとみなしうる場合がないわけではない.人間の歴史を考えれば,そのようにして生きていた時間が圧倒的に長かったはずである.しかし,その後,太陽エネルギーが食物連鎖の秩序に従って流れていく状態を人間はいろいろに修飾し,改変している.たとえば,植物を燃やして熱エネルギーを取り出したり,動物を輸送に用いて機械的エネルギーを利用したりすることから始まって,近年になると,太陽エネルギー以外のエネルギーを利用するところまで事態を変えた.この経過を生態系の人間化と呼んでいるのだが2)(表1参照),上述の生態系の概念からみれば,人間化された生態系は全く別種の系だと言わざるをえない.この点に関連して自然生態系と人間生態系という用語を用いているアメリカの人類生態学者もある.

地球生態系のなかの人間

著者: 只木良也

ページ範囲:P.532 - P.536

■地球の新参者,ヒト
 地球が誕生したのは約40億年前だといわれている.この上に生まれ進化してきた生物は,地球上の環境を徐々に変化させてきた.そして現在,ヒトという生物の活動は,かつてなかったほどの急激な環境変化を地球上にもたらしている.
 地球の年齢40億年を1年間に圧縮したスケールで考えてみよう.1月1日零時に地球が誕生したとすると,その上に生物が発生するのが4月はじめごろである.陸上植物が発達するのはようやく11月下旬,陸棲脊椎動物の出現が12月5日ごろのことになる.下等哺乳類が高等哺乳類へと発達するのは12月26日,類人猿から人類へと進化するのは12月も28日になってからである.そして人類がようやく発達しだす約100万年前は,なんと12月31日大晦日の21時49分ごろに当たるのである.キリストは大晦日23時59分45秒に生まれ,産業革命はこの年の終わる2秒ばかり前のことであった.最後の1秒間に,人類という生物集団は全く異常なほどの大繁殖を遂げ,その繁栄のために自然を食い荒す.そして,気の遠くなるほどの永い間かかって築き上げられてきた地球上の環境を急変させるのである.こんな急激な環境変化をもたらした生物が,かつて存在しただろうか.もし,それに近い生物がいたとしても,その生物は自らのもたらす資源条件や環境の改変のために,自滅の途をたどっていったのである.

新しい自然利用への戦略—社会化された自然を問う

著者: 大井道夫

ページ範囲:P.537 - P.541

■はじめに
 本誌の編集者から内々筆者に提示されたテーマは,「自然保護と新しい自然利用」というものであった.おそらく,編集者は自然利用を自然開発の意味に限定してこのテーマを決められたのだろう.それはそれでよいのであるが,筆者はあえて,「新しい自然利用への戦略」というように変更させてもらおうと思う.その理由は,自然利用という言葉には,もちろん自然開発という概念が含まれるが,自然保護という概念も含まれなければならない,と考えるからである.それゆえ,変更した標題で,編集者が意図したであろう自然保護の考え方についても,また自然開発のあり方についても,十分論述することができると判断したわけである.
 されば,この小論の展開は,まず,自然利用の意味を検討することから始めなければなるまい.そして,自然開発と自然保護との2つの概念の関係を,なるべく明確なものにしなければならない.つづいて,自然開発も,また自然保護も含めた自然利用について,そのあり方を模索することにしたい.そのためには,当然のことながら,わが国で行なわれてきた自然利用のあり方について,反省してみなければなるまい.そして,その反省をふまえて,新しい自然利用のあり方を考えねばならないが,それはなかなか筆者の手に負えることではなさそうだ.それゆえ,ここでは,それに至る戦略の幾つかについて論述する程度にとどめたいと思う.

生態系からみた望ましい大気環境

著者: 三浦豊彦

ページ範囲:P.542 - P.547

■都市の発生
 都市の大気環境の最近の変化には著しいものがある.そこでまず,大気環境を考える場合,都市それ自身から考えてみることとしたい.
 古代社会で都市が生まれてくるについては,技術進歩によって生産物の余剰を集め,たくわえ,人々に分配できる特別な形の社会組織ができてくることが必要であった.こうした古代の社会組織には,支配階級に指揮されたいろいろな専門家がすでに存在していた.支配階級のエリートたちは数は少ないが,文字を読み,書くことができた.彼らは都市生活者を養うに足りる農業生産物を農民から集めるだけの政治力を持っていなければならなかった.

生態系と人類社会を支える水

著者: 桜井善雄

ページ範囲:P.548 - P.553

■地球・水・生物
 太陽系の地球以外の星にも,水があるかもしれないという予想は,最近の科学的な探査によって次々に否定され,地球だけに豊かな水があることは,疑いのない事実となった.しかも,その水は地球の上で,固体,液体,気体という3つの姿で存在することができる.これは,地球がたまたま,太陽からちょうどよい距離に誕生した,適当な大きさの惑星であったことによるものである.すなわち,そのために,地球はその表面に水をつなぎとめておくのにちょうどよい質量と温度条件を持つことができたのであり,これはまさに,太陽系の奇跡と呼ぶにふさわしいことである.
 地球上の生命は,原始の海の中に始まり,進化を遂げ,やがて陸上にも生活の場を広げた.したがって,生命現象にとって,最も基本的なところで水の存在が不可欠なことは,当然である.細菌のような簡単な生物から人類に至るまで,あらゆる生物の個体の生命を維持し,成長を可能にする生物化学的反応は,すべて水を媒体として行なわれる.

自然保護教育と新しい価値観の形成

著者: 小川潔

ページ範囲:P.554 - P.559

■はじめに
 自然保護というと従来,ともすれば情操的側面でのみ扱われたり,自然の知識だけがとりあげられたりしがちであった.もちろん,自然の知識を増やすことは自然を具体的に管理していく上で必要なことであり,情操教育も自然を媒体として行なうことのできる分野であろう.しかし,自然保護という議論が出てきた背景にある環境問題に目を向けない自然の扱いは,たとえばテレビでカタクリやギフチョウの生息地が紹介されると翌日には採集家がどっとつめかけるといった現象にあらわれているように,自然破壊に組みすることはあっても,そのままでは自然保護には結びつかない単なる自然趣味でしかない結果を招いている.
 では,自然保護の教育とはいかなるものかと問われると,必要十分な解答は用意しがたい.つまり,自然保護教育の分野はいまだ確立した体系を持っていない.にもかかわらず,多くの人々が共通して,自然保護の実現は究極的には教育にその解決を求あているのが事実である.

講座 公衆衛生従事者のためのソーシャルワークの手引き

【Ⅲ】患者の心理

著者: 荒川義子

ページ範囲:P.560 - P.564

■はじめに
 患者はどのような気持ちで,病院や自宅で療養生活を送っているのであろうか.病気や障害から生じてくるさまざまな感情をどのように受け止め,対処しているのであろうか.
 医師と協力して,患者の看護,訓練,食事,その他の療養生活上の指導にあたっている医療従事者は,患者の心理,すなわち病人や障害を受けた人の心の動きに沿って,彼らの訴えや要求に耳を傾け,適切に対応していかなければならない.

臨床から公衆衛生へ

小児の肥満

著者: 土屋裕

ページ範囲:P.570 - P.572

はじめに
 成人の肥満と心血管系の障害あるいは糖尿病との関連は既に周知の事実であり,成人病予防の見地から成人の肥満は治療ないしは予防すべき対象とされている.成人の肥満症に対する関心が一般化するにつれて,小児肥満症も注目され,また恵まれた食料事情を含めた種々の社会的環境下にあって,近年,小児肥満症が増加していることも事実である.しかし,成人病の対象としては年齢的に程遠い位置にある小児では,同じ肥満症でも成人のそれと全く同様に認識し,把握するわけにはいかない.
 小児肥満症についても,広範囲の研究がなされているが,なおさまざまな考え方が交錯し,定まった見解を得るに至っていない.すなわち,一方の極端は小児肥満症のすべてを治療の対象とすべき病的状態として把握し,他の極端は,小児肥満症を単に精神衛生上の問題としてのみ捉えており,後に述べるような劣等感の原因にさえならなければあえて治療を行なう必要のない状態と考えている.この問題を最も単純に考えるなら,非生理的状態である肥満は生理的状態である正常体重に戻すことが望ましいといえるかもしれない.

研究

一企業における健康管理活動の研究—〔第1報〕自動化総合検診施設を利用した活動のあり方とその効果について

著者: 木村英道 ,   宮田昭吾

ページ範囲:P.577 - P.581

Ⅰ.緒言
 企業における安全衛生活動は,そこで働く従業員の健康を保持・増進させるために企業自身が自主的かつ積極的に実施するとともに,従業員が快適に労働できる作業環境の形成をも促進するよう事業主に責任が負わされている1).しかし現実には,理想とする健康管理活動には程遠く,健康管理活動の第一歩である健康診査の実施のみで終わることが多く,事後措置が十分なされているとは思われない.ことに,自分の企業内に健康診査を行なう施設を持たず,社会資源として外部の検診機関を利用する企業では,この傾向は著しくなる.しかも我が国の企業の大部分(99.7%)は従業員数300名以下の,いわゆる中小企業であり,さらに従業員50人未満の事業所では健康診査さえ実施されていない所もあり,その労働者数は約1,822万名に上るといわれている2)
 我が国の健康管理活動が検診業務のみに終わっていることの原因には,小沼3),小山内4)らが述べるように結核中心の健康管理が考えられ,そのために患者の早期発見に力が注がれた健康診査中心の健康管理が習慣化されていることがある,といわれている.

論考

日本公衆衛生学会保健所問題委員会「『地域保健のあり方』についての中間報告」の監視業務についての考察—80年代の保健所の進むべき道

著者: 長島芳昭

ページ範囲:P.582 - P.585

Ⅰ.「中間報告」1)を読むにあたって
 現在置かれている保健所の業務は大きく二つに分かれており,二つの業務のあり方および接点について数々の議論がなされている.「対人保健」,「対物衛生」とそれぞれ呼ばれているが,今後のあり方について分離する傾向の報告が数多くみられた.そこで,両者の総合性をめざすものとして「中間報告」を考えてみたい.
 現在施行されている保健所法では,第一条〔設置〕に「保健所は,地方における公衆衛生の向上及び増進を図るため……」とある.第二条で事業内容を列記している.その第1として,両者に共通な衛生思想の普及および向上に関する項目を挙げている.これは公衆衛生の重要な目標であり,その結果は最終的に二番目に挙げている人口動態統計に現われてくる.第三号以下では「対物衛生」,「対人保健」を列挙している.対物衛生と対人保健とは目標と結果が共通しており,両者の相乗作用によって公衆衛生の向上および増進が高められるだろう.

調査報告

喫煙コントロールに関する意見調査

著者: 福田勝洋 ,   石井慶蔵 ,   ,   原田正平 ,   飽津泰史 ,   河瀬典子 ,   日下大隆 ,   小林延光 ,   佐藤和広 ,   深沢雄一郎 ,   藤原成悦 ,   佐藤義治

ページ範囲:P.586 - P.590

はじめに
 喫煙は健康にとって有害なので,喫煙は抑制の方向で対策を立てよう,という国際的合意が成立している1).しかし,たとえば,催奇形性のために薬品としての市民権を失ったサリドマイドなどと違い,たばこは発癌性や虚血性心疾患のリスクファクターであることがわかっても,嗜好品のために対策も複雑である.テレビなどでのたばこ宣伝の禁止,有害表示の義務化,低タール・低ニコチンたばこの開発,学校教育の中での保健教育などの対策が実施され,米国ではほぼ全年齢層で喫煙者率が減少してきた2)という.喫煙対策を比較的よく実施している欧米諸国やアジアの一部での経験は,しかし,決して楽観を許さないものであり,喫煙という八岐のおろちの1〜2の頭をつぶしてみたが,まだまだ退治し切れないというのに似ている.
 喫煙抑制対策に関しては日本は後進国であって,近頃でも,警察,専売公社,国鉄などの連名の「たばこは大人になってから」といったポスターが出回って,未成年の喫煙は悪いが成人のそれは悪くないかのような印象を与えている現状である.こうした状況の中で,国民自身が喫煙抑制についてどんな意見を持っているかは重要な要因であり,喫煙対策を考える上で参考にする必要があるものと考える.

人と歴史

もう一人の"医聖",ベチューンの話

著者: 品川信良

ページ範囲:P.591 - P.595

■はじめに
 資本主義社会,というと話は少々ぎこちなくなるが,欧米や日本の医療関係者なら誰でも知っているはずの,ヒポクラテスやシュヴァイツァーやナイチンゲールのことが,いまの中国の人びとの間には,意外に知られていない.そして,その代わりに,新中国では,"医師の鑑(かがみ)"や"献身的・模範的な良医"といえば,それはカナダ人医師ノーマン・ベチューン(Norman Bethune,1890〜39年)のことになる.新中国では,かなりのインテリと思われる通訳子でもヒポクラテスやシュヴァイツァーのことはよく知らないが,小学生でもベチューンのことなら知っている.そして,彼ベチューンは,模範的な医師よりもさらに昇格して,いわば"医聖"の座をさえ与えられている.彼の功績と崇高なる精神を讃えて,中国政府は河北省の石家荘に「白求恩(ベチューン)和平記念病院」をつくったほどであり,彼の墓地は,すべての中国人が生涯に一度は,弔意を表すべきところの一つとされている.
 ベチューンについては,既にわが国においても,二,三の翻訳ものなどが出版されてはいる.しかし,なぜか,一般の医療関係者の間では,まだほとんど知られていない.

発言あり

サマータイム

著者: ,   ,   ,   ,  

ページ範囲:P.525 - P.527

省エネには机上のプラン--まず身近なところから
 資源エネルギー庁の試算では,4〜9月まで夏時間を導入すると,照明時間の1時間短縮で,1.5%の消費電力が節約できるという.はたして,そのプラン通りになるのだろうか?
 日本は世界でも珍しく四季のはっきりした気候条件にある.その四季に逆らわずに生活できれば,春夏秋冬,別々の時間帯もありうる.しかし,現在の我々の生活が,好むと好まざるとにかかわりなく,いかに自然に逆らっているかをあげれば,枚挙にいとまがない.

人と業績・2

トーマス・シデナム(1624-89年)

著者: 小栗史朗

ページ範囲:P.566 - P.567

 シデナム(Sydenham,Thomas)は,「疾病の特徴を観察し記述したヒポクラテス以後の最初の臨床医」(リースマン;Riesman)であり,英国のヒポクラテスと称された.
 ヒポクラテスが臨床医として"医学の祖"とされるのみでなく,"疫学の祖"ともされているように,シデナムは,その徹底した観察によって伝染病を記載し,疫学史に偉大な功績を残した.シデナムの思想は,「ヒポクラテスの客観的自然史的精神の復回であった」(ウィンズロー;Winslow)のである.

大学とフィールド

朝日村健康村建設活動—〈信州大学医学部公衆衛生学教室〉

著者: 釘本完

ページ範囲:P.574 - P.576

●はじめに
 公衆衛生の原理はむしろシンプルなものだと思うが,これと実際の公衆衛生活動との間には大きな隔りがあって,そこには非常に複雑で困難な問題が未整理のまま残されている.
 われわれが実際に地域に入って感じるのは,それらに十分な検討が与えられないまま,各種の公衆衛生活動が一種の流行現象にも似た社会の要請によって,とりあげざるを得なくなり,次々に単なる公式的な活動の平面的な連続として実施されている,という現状についてである.

スポット

公衆衛生院第1・2回卒業生の集い

著者: 林路彰

ページ範囲:P.568 - P.569

 満開の桜が散りかけた昭和55年4月12日,公衆衛生院医学科第1・2回卒業生の同窓会が院内で催された.昭和13年3月に創立された公衆衛生院が医師に対する1年課程の本格的な教育を開始したのが,翌14年4月からである.昭和15年春には,その第1回生24人が卒業し,入れ替わりに第2回生17人が入学した.今年は両者が卒業または入学してから満40周年ということで,合同の同窓会を行なうことになったわけである.
 これら41人のうち,現在なお元気で活躍しているものは20人にすぎない.戦・病死者,あるいは満州国,その他からの留学生で戦後消息不明のものがあり,第二次大戦の傷あとが同窓生名簿になまなましく残っている.当日40年ぶりに公衆衛生院を訪れた同窓生は12人で,西宮,大阪などからも駆けつけて再会を喜び合った.当時の恩師である川上理一教授と赤塚京治教授を迎え,さらに院側から染谷四郎院長と臼井竹次郎部長も加わった.染谷院長は2回生と机を並べたことがあり,臼井部長は統計学の実習指導をされた関係で1・2回生と顔なじみである.すでに80歳代に達せられた川上先生と赤塚先生が若々しく,40年を経過した今日では学生との区別もつきかねる様子が写真からもうかがえよう.

日本列島

(財)県対がん協会発行の機関紙『ともしび』より—宮城

著者: 土屋真

ページ範囲:P.531 - P.531

 当県の対がん活動については,すでに時々,筆者なりに紹介してきたが,ちょうど入手した昭和55年4月の機関紙第46号の記事から,最近の主なものをひろって要約してみたい.

「保健所業務報告書」に見る40年前の保健所活動(下)—岡山

著者: 堤隆信

ページ範囲:P.573 - P.573

 昭和14年に開所した総社保健所の「年報」をみているうちに,極めて興味深い項目をみることができた.それは,今日でいう地域保健活動である.ちなみに昭和15年の〈序章〉機構の項には,①位置,②面積,③人口,④地勢,⑤気象,⑥交通,⑦警察署管区,⑧職員の動向とつづき,⑨指導方針とその基本的考え方が記されていた.
 地域保健活動といえる部分は⑨の項であって,要約,きわめて幅広い業務を所管する当保健所は,関係諸団体等と密接な関係を保ち,職員は一致団結し,衛生思想の涵養と家庭衛生婦人会の育成に努力すること,とあり,図に示す組織図を掲げていた.太い線で結んである家庭衛生婦人会は,今日でいう地区組織の育成指導であって,「年報」には,次のように記載されていた.

1,051名の食中毒患者発生—沖縄

著者: 伊波茂雄

ページ範囲:P.585 - P.585

 昭和55年4月9日午後11時頃から翌10日午後3時頃にかけて,沖縄本島中部および南部の小学校,中学校の児童生徒から食中毒患者が発生した旨,中南部地域所轄の3保健所に対し,それぞれ届出があった.患者は11日,12日と増え続けた.県は12日環境保健部に対策本部を設置して調査を開始した.その結果,次のことが明らかになった.
 ①食中毒の症状は腹痛が最も多く,嘔吐,発熱,下痢,頭痛などがみられる.軽症者が大部分で,数名の入院者がいる.

随想

目なしダルマのききめ

著者: 園田真人

ページ範囲:P.565 - P.565

 わが家では,毎年の元旦に大分県の宇佐神宮に参拝する習慣になっている.そして,いつのまにか帰途にあまり大きくない目なしダルマを買ってくるようになった.
 あなたは,科学者なのに,目なしダルマのような縁起物を信用するのですか,と質問されるが.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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