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人と業績・9
高木兼寛(1849-1920年)
著者: 山本俊一1
所属機関: 1東京大学衛生学
ページ範囲:P.256 - P.257
文献購入ページに移動高木兼寛は1849年(嘉永2年)9月15日,宮崎県東諸県郡穆佐村の下級鹿児島藩士の家に生まれたが,1866年(慶応2年)に鹿児島へ出て医師石神良策の門に入り,医学を修業した.1868年(明治元年)には軍医として東北征討軍に従軍し,翌年に帰郷して再び鹿児島藩立開成学校に入学して医学を修めた.
翌1870年(明治3年)には英医ウイリアム・ウイリスが同校の校長として着任したが,この人との出会いが高木兼寛の将来を決定するうえで重要な出来事であった.ウイリスは英国エジンバラ大学医学部の出身で,1861年(文久元年)25歳で英国公使館付医官として来日した.彼は外科医としての能力にすぐれ,1868年1月4日の鳥羽伏見の戦いののち,薩摩軍戦傷兵治療のため兵庫から着任してその手腕を発揮した.それが高く評価されて戌辰の戦いには官軍側の軍医として従軍し,その後も東京大病院に移って活躍した.しかしながら,明治政府がドイツ医学採用の方針を固めたこともあって,1年ばかりで東京大病院を辞職して薩摩藩立開成医学校の校長となった.ウイリスは高木の才能を認め盛んに英国留学をすすめたが,当時の高木にとってはその目的を達するための手がかりは何もなかった.
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