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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生46巻5号

1982年05月発行

雑誌目次

特集 難病対策と福祉

わが国における難病対策

著者: 佃篤彦

ページ範囲:P.292 - P.298

 昭和30年頃から全国的に散発しはじめたスモンは,東京オリンピックの行われた昭和39年には全国各地で集団発生が続き,昭和44年の年間発生数はついに2,400例にも達した.その原因がわからなかっただけに大きな社会問題になったのは当然のことである.
 厚生省はこれに対処すべく,それまでにない大型の研究班を組織し,調査研究に着手した.その結果,昭和45年にキノホルム剤病原説が提唱されるにいたり,同剤の販売が停止され,スモンの発生が激減したことは周知の事実である.

主な神経系難病の臨床的知識

著者: 廣瀬和彦

ページ範囲:P.299 - P.307

 難病は,1)原因不明,治療方法が未確立であり,かつ後遺症を残すおそれの少なくない疾病,2)経過が慢性にわたり,単に経済的な問題のみならず,介護等に著しく人手を要するために,家庭の負荷が重く,また精神的にも負担の大きい疾病,という2つの条件で規定される疾患群を指す.これに該当する神経疾患は,神経難病とよばれている.
 神経難病にはいくつかの特徴がある.1つは,主要症状として運動障害を呈することである.この運動障害には,運動ニューロン障害による筋萎縮,筋力低下(運動麻痺),痙直,大脳基底核錐体外路系障害による振戦,硬直,寡動〜無動,小脳系障害による運動失調などがあり,いずれも日常生活動作に支障をきたす.筋萎縮,筋力低下は筋自体の病気(ミオパチー)や神経筋接合部の障害によっても生じ,運動失調は脊髄後索障害などによっても発現する.次の特徴は,慢性進行性経過をとり,次第に障害度が増し,日常生活上介助を必要とするに至ることである.この進行パターンには2つの型がある.1つは常に進行性過程をたどるもので,作用的に同一系統に属する神経細胞や神経線維が,選択的に退行性変化をきたす系統変性疾患とよばれる群であり,他の1つは,緩解,病勢停止,再発,再燃などを繰り返しながら悪化傾向をとるもので,特定の組織(例えば髄鞘,終板など)が選択的に(免疫)反応性に障害される疾患群である.

主な膠原病系難病の臨床的知識

著者: 稲葉午朗

ページ範囲:P.308 - P.313

■膠原病の概念
 膠原病という概念は,全身の結合組織,とくに間質のフィブリノイド壊死を共通な病理所見として持つ疾患を一括するために,Klempererら(1942)によって提唱されたものであり,これに該当するものとして,まず全身性エリテマトーデス(SLE)と進行性強皮症(PSS)の2疾患,ついで慢性関節リウマチ(RA),リウマチ熱(RF),皮膚筋炎(DM),結節性動脈周囲炎(PN)の4疾患が加えられた.
 しかし,フィブリノイド壊死は膠原病とされる疾患だけの特有所見とはいえないので,この所見を概念のきめ手にするわけにはいかない.また,膠原組織はたしかに結合組織の主要な成分で,Klempererらが結合組織の炎症像からこれを病変の主座と考えたことは当時画期的なものであったが,その後,いかにも膠原線維だけに病変が限定されるような表現は好ましくないという意味で,結合組織病(connective tissue diseases)と呼ぶことが提案された.現在も結合組織病の呼称が膠原病と同義に使用されていることがあるが,結合組織の病変を主とする疾患はこれまた非常に多岐にわたるので必ずしも適切ではない.そこで,膠原病という名の持つ歴史的な意義も含め,結合組織の系統的炎症疾患と理解してこれを継承しようという考えが一般的のように思われる.

主な内臓系難病の臨床的知識

著者: 奥村英正 ,   上田征夫 ,   荒牧琢己

ページ範囲:P.314 - P.319

1.再生不良性貧血
 本症は,骨髄の機能低下により末梢血の赤血球,白血球,血小板の3要素が著しく減少し,造血剤に反応しない貧血症である.これは原因不明の特発性と続発性と先天性の3群に大別される.続発性とは,放射線や薬剤(クロランフェニコールなど),化学薬品(ベンゾールなど)などによって,二次的にくるものをいう.先天性はFanconi型,Erstren-Dameshek型などあるが稀である.本邦では特発性が多い.成因として幹細胞障害説と,骨髄の造血stromaの障害説とがある.
 貧血は徐々に進行するので比較的貧血に耐えるが,やがて顔面蒼白,息切れ,倦怠感,浮腫などがあらわれ,また血小板減少による出血傾向すなわち紫斑,鼻出血,歯肉出血,生理出血が長くなるなどがくる.時に脳出血をおこすと死亡する.

難病患者の福祉対策のあり方

著者: 山手茂

ページ範囲:P.320 - P.324

 現行の難病対策の基本方針を示している「難病対策要綱」(昭和47年)においては,難病対策の「柱」として,(1)調査研究の推進,(2)医療施設の整備と要員の確保,(3)医療費の自己負担の解消,があげられ,「このほか福祉サービスの面に配慮していくこととする」とされている.
 この方針にそって10年間進められてきた難病対策によって,(1)難病の治療技術は着々と進歩し,(2)専門医療施設がかなり整備され専門医も増加し,(3)医療費公費負担の対象患者は増加してきた.しかし,難病患者に対する福祉サービスは,まだ極めて不十分である.

患者会・保健所・医療機関の連携—地域での試み

著者: 角田英昭

ページ範囲:P.325 - P.330

 難病患者の地域ケアは全国的にはまだ緒についたばかりであり,その状況は神奈川県においても全く変わりはない.保健所の活動をみてもつい最近までは,難病患者に対する働きかけはまだまだ個人的な域を出ておらず,制度的,組織的な対応はできていなかった.「確かにやる必要はあるかもしれないが,今の業務を整理しなくてはできない」「予防活動をする保健所でなぜ実際的な看護指導を要する難病患者の問題に取りくまなければならないのか,釈然としない」などという声が支配的であった.問題の性質は幾らか異なるが,このような傾向は医療機関における在宅ケアの取りくみについてもあった.「家に戻ってどうやっているか心配だが,現状では訪問看護に人手をさくことはできない」「病院内でのコンセンサスが得られない」と.
 しかしその一方で地域では,積極的な医療ケアはもう必要ないとのことで退院になった難病患者は,多くの場合相談するところもなく,医療と福祉の谷間で悪戦苦闘しながら不安な日々を送っており,時には力尽きて老人病院に入院してしまう人もいる.

難病患者のための福祉制度

著者: 磯部博明

ページ範囲:P.331 - P.340

 いわゆる難病患者に対してどのような福祉制度があるかという問いに,即答することは困難である.
 難病対策は,スモン・ベーチェット病を中心とする患者・家族・医療関係者等の幅広い国民の努力に答えるかたちで,昭和47年に難病対策要綱が定められた.

講座 公衆衛生学の最近の進歩・17

環境保健—上水・下水を中心とした最近の研究から

著者: 秋山高

ページ範囲:P.344 - P.352

 昨年,この講座で釘本教授は「公衆衛生の立場から考えて戦後の著しい環境変化は,人口の増加と移転に基づく都市化現象であり,この現象が環境保健のあらゆる部分で新たな問題を提起してきた.」という基盤に立って環境保健の主要事項について,最近の状況を論述されている.
 私は釘本教授と同じ立場から,上水・下水を中心にしてこの稿をまとめて見たい.

発言あり

国試浪人

著者: ,   ,   ,   ,  

ページ範囲:P.289 - P.291

むしろ歓迎すべきことかも
 「このところ急増しているのは私立医科・歯科大学の留年である.昭和53年度の2,204人が昭和55年度は3,019人.2年間で1.6倍にふくれ上がっている.最終学年在籍者に占める留年学生の比率も35%から45%に上昇した」とある日刊紙が報道していた.慢性的な医師不足を補うために無医大県の解消と定員増をめざし,年次計画に従って医師養成がはかられている.このようななかで最終学年の留年が急増していることは問題である.留年以外にも,大学によっては卒業延期の制度をとっているところもあると聞く.
 医師になるためには絶対条件として国家試験をパスしなければならない.この合格率も年々減少の傾向にある.優秀な人材,学生が集まった医学部は,今ではその数と定員増のために,その質が低下していることは確かなようだ.困ったことである.

人と業績・23

長谷川 泰—1842-1912年

著者: 西川滇八

ページ範囲:P.342 - P.343

 わが国の医学は古来漢方医学を主流としてきたが,さきにのべた相良知安らの建議によって,明治3年2月にドイツ医学を採り入れることになった1).しかし明治維新直後にはドイツ医学を教える機関としては,わずかに東京大学医学部が設けられたにすぎず,それ以来全国に数ヵ所の医学校ができたが到底早急に社会の医療需要に間に合う見込みはなかった.そこで海軍軍医総監の高木兼寛は慈恵医学校をつくり,かつて長崎医学校長になった長谷川泰は済生学舎を創立して西洋医学を学習した医師の大量養成に尽力した2).あたかも医科大学の過剰設置により医師の養成過多が危惧される今日,長谷川泰の生きざまは頂門の一針として,health man powerひいては医師の養成にも教訓となろう.

調査報告

乳幼児を持つ既婚勤労婦人の保健行動と母と子の健康状態に関する調査

著者: 岸玲子 ,   我妻千鶴 ,   板東香苗 ,   黒田雅子 ,   斎藤丹羽子 ,   御村光子 ,   仲田なぎさ ,   長谷川格 ,   浜松美穂 ,   浜田幸恵 ,   三宅浩次

ページ範囲:P.354 - P.359

 労働力人口に占める勤労婦人の割合は年々増加し,昭和54年には38.6%を占めた.そのうち既婚者は869万人で,婦人雇用者総数の66.8%に達している1).また厚生省の保育需要実態調査によれば,学齢前児童の父母の34%が共働きであるという2).子供を産み育てながらも働き続ける婦人が非常に増えているといえる.
 しかし,これまで,勤労婦人の産科学的問題(妊娠・分娩・産褥に及ぼす影響)についての報告は多くみられるものの,既婚の勤労婦人とその子供の健康や保健管理上の問題についての報告はほとんどみられない.

日本列島

県立結核療養所閉鎖さる—沖縄

著者: 伊波茂雄

ページ範囲:P.319 - P.319

 30年余の長い間,沖縄の結核対策に大きな力になってきた県立糸満療養所(沖繩本島南部の糸満市にある)が昭和57年3月31日で,その歴史の幕を閉じることになり,3月25日午後2時,同療養所で閉所式が行われた.
 同療養所は開所以来5,524人の入院患者を受け入れ,5,321人が健康を回復し社会復帰を果たしたが,203人は病に打ち勝てず無言の退院をしている.閉所式には県環境保健部伊波部長,小橋川県議会副議長,大浜県医師会長,川平結核予防会県支部長ら関係者,来賓及び大嶺療養所長ならびに職員あわせて120人が参列した.

医療資源の共同利用—岐阜

著者: 井口恒男

ページ範囲:P.330 - P.330

 厚生省は昭和56年度より,高額医療機器等について地域での共同利用を推進するため,県レベルあるいは2次医療圏レベルでの協議組織活動への補助制度を開始している.昭和55年度来,救急医療やへき地医療等を進めるための医療協議会を県と2次圏域レベルに設置するべく制度を設けているが,さらに,保健医療全般に関する事項と医療資源の共同利用に関する事項についても,56年度より対象とした訳である.
 岐阜県では,国の制度に先がけて昭和52年度より県レベルの保健医療対策協議会を,53年度にはさらに地域レベルの協議会を設け,救急医療,へき地医療をはじめとし,保健医療全般にわたって協議を進めている.地域協議会は地域毎でその進捗状態に差違がみられ,医療資源の共同利用については岐阜県の場合,飛騨地域保健医療対策協議会がとりくむこととなった.当該地域では,日赤病院がやはり56年度より国の創設した地域医療研修センターにも指定されており,医療機器等の共同利用を進めやすい地域である.医療費の高騰の一要因ともいわれるCTなど高額機器についてはすでに医療機関相互の間で検査の委託受託が行われており,地域としていかにシステム化するかが課題となっている.57年2月には,当該地域の協議会メンバーのうち,医師会や病院長等からなる幹事会で種々協議されたが主要事項をいくつかあげてみたい.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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