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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生47巻2号

1983年02月発行

雑誌目次

特集 公衆栄養のストラテジー

健康面からみた栄養と文化

著者: 佐々木直亮

ページ範囲:P.64 - P.70

 人々が,ここでは地球上に生まれ,育ち,生活してきた,また現在生活している人々を頭におきながら考えたいが,この人々が口から毎日とり入れている食物,それを含めて全体を食生活というと,この食生活が何か,その人々の健康とかかわりあっているものがあるか,を考えてみたい.
 現在までに,医学が主な研究の対象としてきた疾病について,食生活が関連があり,との証拠が示されてきたものは数々あると思われるが,その中で,日本における研究で,また栄養学上一つの大きな階段を上るきっかけをつくることになったと考えられ,また現在の疫学研究の例題として最も理解しやすいものとして,"脚気"についての話題があげられると思う.

公衆栄養の今昔

著者: 大礒敏雄

ページ範囲:P.71 - P.76

栄養学の位置づけ
 栄養に関する学問は,各系統の学問領域に広く股がっているので,国際栄養学会も,IUNS(International Union of Nutritional Scienccs)と称して栄養に関連のある学問の綜合体系としている.そしてICSU(International Council of Scientific Unions)傘下の一分科をなしている.専ら栄養に関する学問を研究する栄養研究所(Institute of Nutrition)と称する研究所はわが国では,大正9年(1920)に創設されたもので,世界でも早い方であるが,現在では,同一名称或いはこれに類似した名称の研究所はいろいろな国々に設立されている.北米合衆国では,医学・保健の研究所を一纒めにしたNIH(National Institute of Health)という壮大な研究所群があるが,この中には独立した栄養研究所というものは無い.だが,栄養学の研究は各研究所に夫々分散されて,そこの研究の一分野としての部門として成り立っているところを見れば,如何に栄養学というものが広く夫々の学問研究の中で重要に取り扱われているかが理解される.それだけ各方面に亘る基礎的学問ともいえる.

地域における栄養行政の問題点と課題

著者: 園田真人

ページ範囲:P.78 - P.82

国民栄養調査のすぐれている点と問題点
 戦後の日本の栄養行政の中でめざましい仕事といえば,第1に国民栄養調査をあげることができる.
 食生活の統計としては,世界のレベルではフード・バランス・シートがあるが,日本のレベルでは,農業経済調査,家計調査,学校給食調査,国民栄養調査があげられる.

「食べること」と「生きること」の結びつきの復権を求める試み

著者: 宮川芳昭

ページ範囲:P.83 - P.87

私たち生活クラブは,生きることの表現として共同購入活動を大切にしている
 このような主張を掲げている生活クラブ生協について,本題に入る前に簡単に紹介しよう.
 生活クラブ生協は,1965年6月,牛乳の集団飲用活動を契機に,女性主体の組織として発生した.全日制市民である主婦こそ地域社会の主役であるとし,その自主自立の組織形成が民主主義を前進させる,との運動目的で出発したのである.17年の歳月を経過した現在,5都県(東京・神奈川・埼玉・千葉・長野)を中心に組織され,約10万世帯,総供給高210億円の規模となっている.

長野県の栄養ストラテジー

著者: 岩波篤雄

ページ範囲:P.88 - P.95

 長野県は,東西120km,南北212kmに及ぶ広大な山岳県で,県民の食生活も地域差があり,一概に論ずることは出来ない.
 長野県人に対する「信州人のいかもの喰い」という表現も,はちのこ,さなぎ,ざざ虫等を食べることに対する揶揄的呼称であるが,海なし県の先人が生み出した,動物性たん白質を補給するための生活の智恵の一つであろうといわれている.と同時に,他県から転勤等で県内に在住するようになった人々から数多く耳にするのは,外食の味つけの塩辛さに対する苦情である.これも海なし県,山国の食品保存という生活防衛の名残りであるかもしれない.

学校給食を基にした栄養(食)教育

著者: 吉田真理子

ページ範囲:P.96 - P.104

 私が,学校給食にたずさわって20数年になる.この間にどんな変化があっただろうか.最初の頃の給食では,ホワイトシチュー類,ケチャップ味のもの,サラダではドレッシングのものの残りが多かった.しかし,高度成長の波にのってアメリカナイズされた食形態が定着するにつれ,醤油味の和風的煮物類や,味噌などを使った料理などの残りが目立つようになり,肉食,食べやすいもの(やわらかいものなど)が好みになって来ると,魚料理,生野菜の残りが著しく増加して来たのである.
 また,料理の好みだけでなく,子どもらしい生活が失われていることと比例して,食欲の減退傾向も見られ,食事に対する関心度や楽しむ・喜ぶ・味わうなどという「人間として生きる」という基盤まで失われそうな現実が生じて来ている.このような社会的変化は,私の指導・実践の視点を大きく変えた.

過去帳が語る天保飢饉の爪痕 否,精緻を極めた衛生統計について

著者: 須田圭三

ページ範囲:P.106 - P.112

我が国の飢饉とその記録
 我が国の主食は稲作による米飯である.したがって一度天災即ち旱魃,水害,蝗等の虫害,台風等に襲われると社会保償制度が整っていなかった明治以前では為政者の救済の方途が徹底せず殆んど凶作即飢饉,更に為政者の救荒対策が十分でないと百姓騒動というパターンを繰り返している.
 飢饉は古くは天平宝宇5年(761)より延暦1年(762)に至る21年間は連年国内の何処かで飢饉があったという.養和1年(1181)の飢饉には京都市内で42,000名の死者を,寛正1年(1460)には京都で餓死者は8万余名を出したという.江戸時代に入り全国的な飢饉として寛永12年(1642),元録8年(1695),享保17年(1732),天明3年(1782),天保2年(1833)から8年(1839)頃までの数年間に渉る飢饉が有名である.特に気候の関係から東北地方では飢饉が多いが,これらの記録としては津軽藩の「耳目心通記」は元録8年,会津藩の「天明救荒録」,八戸藩の「天明三癸卯ノ歳大凶作天明四辰ノ歳飢喝聞書」は共に天明3,4年の,秋田藩の「飢歳懐覚録」は天保の夫々の飢饉について,更に南部藩の「飢饉考」は南部藩凶作記の集大成として宝暦5年,天明3年,天保7年の三大飢饉を詳述している.

世界各国における公衆栄養

著者: 鈴江緑衣郎

ページ範囲:P.113 - P.119

 栄養問題は世界各国に存在する大きな問題である.しかしその型は異なっていて,先進国では過剰栄養やアンバランス栄養による成人病,ことに循環器疾患が大きな社会問題となっているのに反し,発展途上国においてはクワシオルコール,マラスムス,貧血などの低栄養が大きな社会問題であり,世界の一部では飢饉のような状態までいまだに存在している有様である.その理由は,赤道直下の飢饉帯,すなわち中部アフリカやインド,ボリビアなどは食糧の生産量,配分方法,輸入量,保存法などのいろいろの問題点のほかに,栄養教育や栄養訓練の不徹底も大きな問題となっている.低い経済力や不満足な衛生状態は低栄養の状態をさらに悪化させ,ことに発育期の乳幼児や老人にその影響が強くあらわれている.低栄養により起こる下痢や免疫力の低下もアフリカやインドで大きな問題となっている.そこで本文においては,最初世界の人口動態,食糧需給問題,所要量について述べ,栄養が不足している地域における諸問題,過剰気味の各国における栄養問題ことに各国の栄養摂取目標(ダイエタリーゴール)について紹介し,最後にこれらの栄養問題を最も効果的に解決するための,世界各国における栄養士制度,栄養教育,栄養研究について述べてみることとする.

講座 健康被害の疫学—その理論と実際・3

交通災害の疫学—その方法論

著者: 東田敏夫

ページ範囲:P.121 - P.127

〈交通戦争による生存権の危機と疫学〉
「現代の都市生活者は交通戦争に対する不安からのがれることができない.国民の"健康で文化的な生活を営む権利"は,たんに衣食住が足るだけではない.毎日,安全で,平穏に住めることが基本的な生存権に属しており,生命と全生活が奪われるかもしれない恐怖の存在は,生存権の侵害として意識されねばならないだろう」1)
 無秩序なモータリゼイションによる同胞の健康と生活の破壊を防ぐために有効な戦略をたてるには,道路交通災害の実態と発生要因に関する疫学究明は不可欠なとりくみである.

発言あり

ハウス野菜

ページ範囲:P.61 - P.63

植物のブロイラーでなにかが……
 今,私達の食物は,天然自然のものよりも,人類の文明の歴史の中で品種改良や育種によって現在の作物や家畜の姿になったものが多い.犬飼道子さんのヨーロッパ通信によれば,日本のハウス農業による同じ形,同じ大きさ,同じ色の野菜は不気味な作物であって,ヨーロッパではデコボコの,大きさも形もちがう野菜のみが店頭に在るよしである.
 かつて我が国では九州・四国の温暖な土地を除いては,2月を中心として寒冷期の野菜が皆無に近い時代が長く続いた.それで漬け物・乾燥・醗酵等の貯蔵技術が発達・普及されたのであろうが,冬期に野菜を確保するのは主婦のなやみであったにちがいない.

日本列島

スパイクタイヤと道路粉じん公害

著者: 土屋真

ページ範囲:P.120 - P.120

仙台市
 10年程前から,ことに北海道・東北地方の車は,冬の滑り止めにスパイクタイヤを使用している.その後,舗装化・台数増・前後輪とも使用などとともに,市街の埃っぽさが増し,住民の苦情に繋がってきたように思う.
 これに対し昭和57年5月,「仙台市道路粉じん対策委員会」が,市環境公害部および衛生試験所の調査研究成績,さらに北海道や外国の文献をまとめた「道路粉じん問題の中間総括」と題する報告書を出した.ここでは道路粉じんを環境問題として考えたことが特徴的であるという.ことに仙台市の2〜3月の降下ばいじん量は,全国でも上位にある.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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