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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生47巻5号

1983年05月発行

雑誌目次

特集 救護システムと救急医療

救護システムの現況

著者: 岡村正明

ページ範囲:P.272 - P.277

■はじめに
 事故災害で傷ついた国民の生命身体が1人でも救われ,しかも少しでも多く社会に復帰できることを願わない国はない.しかし一方事故災害は,時と所を問わず発生することから,傷ついた国民にとって,その場所や時間で運不運がないように努めようとすると,国としても地方行政府としても相当の努力が,人的にも物および金の面からも必要となってくる.
 従って,世界の主要文明諸国では,それぞれの国情に応じ,どのような対策をとることによって効率的にその目標に達しうるかについて,各方面の意見を求め,また研究調査を行って,これを救急医療サービス・システム(E.M.S.S.)あるいは救護システムという形でとりあげ,それを強力に実施し,また効果をあげている.

医科大学における救急医学教育—国立大学の立場から

著者: 三井香児

ページ範囲:P.278 - P.282

■はじめに
 救急医療の推進については様々な点から議論されてきて久しいが,近年ようやく1つのシステムとしてその整備が実現しつつある.しかしながら,救急医療の地域医療としての側面と,医学の専門分化に伴う細分化された領域の,単なる応用技術としての側面が強調されすぎたきらいがあり,救急医学そのものの認識と,医科大学における救急医学教育に関しては,無視に近い扱いを受けてきたといえよう.
 大学病院をはじめ各種の医療機関において,内科,外科,整形外科,小児科,脳神経外科の如く,細かく分れた診療科が,それぞれの決められた日常業務の片手間に,救急診療を行うことが救急医療であるとする考え方が,医学関係者の間では,未だ支配的であるが,この考え方こそが,救急医学と救急医学教育を思考の外に追いやってきたのである.一般の人々は,すべての医師が救急医療を行えるものと観念的に信じているが,適確な救急治療の知識と技術を持つ医師は,極めて少ないのが実情である.このことは,医科大学において,救急医学の講義や実習も行われなかった,従来の医学教育と救急医療に非協力的といわれた附属病院での卒後研修を考えれば,驚くに値しない.それでも最近は,各地の医科大学の病院に救急部門が設置され,その活動をもとに救急医学教育が実施されはじめた.本稿では国公立大学における救急医学教育として,東京大学医学部の例を述べ,あわせて今後の方向につき検討を加える.

医科大学における救急医学教育—私立医科大学の立場から

著者: 小濱啓次

ページ範囲:P.283 - P.290

 救急疾患の歴史は古い.しかしながら,救急医学の歴史は新しい.このことが,今日の救急診療の現状を物語っているように思われる.

大都市における救護システム—東京都における救急搬送システム

著者: 清水齊治

ページ範囲:P.291 - P.295

■はじめに
 東京都のほぼ全域をカバーする東京消防庁の救急業務は,昭和11年に6台の救急車で開始され,当初は,火災・交通事故等の災害対応的な色彩の強い業務として行われてきたが,昭和38年,消防法により業務の法体系が確立され,さらに,昭和48年,救急業務に関する東京都条例が制定されて,屋内における緊急性のある傷病についても業務とすることが明確化されるとともに,昭和39年には救急病院等を定める厚生省令が制定され,知事が告示する,救急告示医療機関制度がとられ,現在東京都における救急病院,救急診療所は502施設に整備された.
 また近年,救急事象は,都市構造の変ぼう,生活環境の変化等に伴い,傷病の形態も複雑,多様化の傾向を示し,急性期の循環器系疾患等を主体とした急病救急の比率がたかまっており,救急隊員による現場および搬送中における救命のための必要な処置が要求され,二次的なプレホスピタル・ケアを担当することから,専門的な知識,技術を有する資質の高い隊員の養成が必要条件となり,昭和53年に政令により救急隊員の資格が定められている.

大都市における救護システム—救急医療システム

著者: 上野幸一

ページ範囲:P.296 - P.298

■都市化と救急医療
 農業文化を中心とする文明の時代においては,武士による戦争を除いて「医療の救急・救護」という概念はなかったのではなかろうか.我が国では明治維新の文明開化によって,工業や商業を中心とした産業文明が急激に拡大した.その結果,農村に拡散していた人々は,アルビン・トフラーのいう6大原則によって,ますます都市に集中し,親子孫を中心とした大家族は,次第に核家族化するとともに単身生活者も多くなって来た.
 その中で,病気になれば家族が面倒をみ,重症者は医師に運ぶか医師の方から往診するというコミュニティ・ケアーも次第に姿を消していった.さらに都市化は,火災や交通事故に加えガス爆発,工場災害事故等の大規模災害を増大させた.そのため,突発不測に発生した傷病者を救護し,搬送するシステムと,これらを収容・治療する医療機関を整備する必要が生じて来た.

地方都市における救護システム—医師会病院と救急医療

著者: 西島昭吾

ページ範囲:P.299 - P.302

■はじめに
 地域医療の向上を第1の使命として,大宮市医師会会員の総意により,昭和47年7月に医師会市民病院が開設された.これにより,大宮市の医療体制は大きく変貌し,救急医療体制も今日の体制を作る基礎となった.医師会の地域医療推進に対する熱意と見識は,行政の理解を産み,両者のコンセンサスの結晶として,大宮広域救急医療センターの設立となった.広域救急医療センターは,図1に示した埼玉県救急医療圏の中央区に属する5市2町1村の自治体が,医師会病院の機能を基盤として,医師会病院に接続した形で,新しく広域の2次・3次救急の受け皿として設備した施設である.これにより,地域救急医療体制の輪が広がり,質的にも一段と飛躍した.
 さらに,未熟児から成人までの救急患者の治療搬送のための救命救急車(Mobile Intensive Care Unit,ドクターズカー)が昭和57年2月より始動し,より機能的な地域救急医療の展開となった.

厚生省の救急医療対策

著者: 矢野周作

ページ範囲:P.303 - P.307

■はじめに
 我が国の救急医療対策は,昭和30年代後半から昭和40年代にかけての急激な自動車普及に伴って生じてきた交通事故傷病者に対する対策から出発している.このような傷病者に対しては可及的すみやかに,傷病の態様に応じた適正な治療を施す必要があることから,主に外科系の初期治療を担当する「救急告示病院・診療所」が「救急病院等を定める厚生省令」に基づき都道府県知事から告示され(表1),さらにそれらの中から,脳外傷等の重症患者にも対処できるような高度の診療機能をもつ「救急医療センター」の整備が行われてきた.
 しかし,昭和40年代から,社会的経済的要因による核家族化の進行に伴って増加してきた内科・小児科系疾患に対する救急医療対策も望まれるようになり,とくにこれらの一般傷病患者に対する休日および夜間のいわゆる診療時間外の医療の確保と「重症患者のタライ廻し」防止対策が重要になってきた.このため,新たに救急医療対策を策定し,昭和52年度からその計画的整備を推進してきたところである.

救命救急センターの現状

著者: 太田宗夫

ページ範囲:P.308 - P.311

 昭和53年から改良が進められた本邦の救急医療体制は,総合的には一応の評価を獲得したといえよう.
 その中で,救命救急センターは全体に大きな影響を与える存在である.在来の体制では救命できなかったと推測できるケースの報告や2次救急医療機関に浸透してきた安心感などはその証左である.

日航機事故における救急活動

著者: 鬼頭直温

ページ範囲:P.312 - P.313

 昭和57年2月9日,精神病の操縦士運転による日航機墜落事故という,あってはならない事故が発生したことは,既に御承知の通りである.この事に関しては以来新聞報道等で詳細に述べられている所であり,私の医師会でも都医師会雑誌等に詳細に報告した所であるが,1年たった今,また当時を振りかえり救急活動の必要性を再強調するのも意義があることと思う.まず第一にその日の大森医師会のとった対応,経過を述べる.

発言あり

五月病

ページ範囲:P.269 - P.271

自我の芽生えと心身のアンバランス
 五月病,久しく忘れていた言葉である.一時期,マスコミを賑わしていたことを記憶しているが,昨今は余りお目にかからないような気がする.五月病なる言葉は熾烈な受験戦争を経て狭き門をみごと突破,入学式の感激もうすれる五月,ゴールデンウィークの連休明けあたりから,勉強への興味も意欲も失って,すっかり無気力になってしまった大学生の状態をいったもので,症状は"第三教室"即ち,マージャン教室などのプレイゲームにうつつを抜かす.入試一本槍の教育制度と,つめこみ教育,テストの連続,予備校に代表されるマスプロ教育等々の影響が大きく,その根は深いようである.しかし昨今は,大学生の五月病は昔の問題として,中学生の校内暴力,高校生の殺人事件,その他もろもろの非行問題が社会面を賑わし顕在化している.五月病とその症状の表れ方は異質のように見えてその実,根は1つのような気がする.
 人生には三度の危期があるという.まず第一反抗期といわれる幼児期,この時期の育ち方が一生を左右するともいわれている.第二は,疾風怒濤の時代,といわれる自我の芽生えと,心身のアンバランスが自己自身を脅かす思春期,そして第三は初老期.この第二の時期が少し前の時代では,五月病として出現し,昨今では急激な社会の変化と環境に影響された少年少女の早熟が,中高校生の非行へと暴走させているのではなかろうか.

研究

老人の呆け症状の出現と生活習慣との関連についての研究—第1報.郡部における老人死亡者の生活実態

著者: 稲垣裕子 ,   伊藤光代 ,   大崎夏子 ,   金川千鶴子 ,   小倉君子 ,   谷林真寿美 ,   平岡千恵子 ,   田中幸代 ,   岡本ひろみ ,   淡路サダエ ,   池脇政子 ,   西川恵子 ,   佐野晴美 ,   佐竹康秀

ページ範囲:P.315 - P.319

 出生率の低下と死亡率の改善に伴って,わが国は国際的にもその例を見ない速度で急速に高齢化社会を迎えることとなり,その対応が焦眉の国民的課題となっている1,2,3,4,5,6)
 このような状況の中で,老人保健法が施行され,保健と医療の統合化された新しい保健・医療の対応が要求されていることが数多くの識者によって指摘されているが3,5,7,8),老人保健法の施行に伴って公表される国の施策については,必ずしも老人の保健・医療要求によく対応し得ているものとは言い難い9,10)

調査報告

岡山県における子宮癌検診法の検討—自己採取法と医師検診法の比較

著者: 角南重夫

ページ範囲:P.320 - P.323

 子宮癌の集団検診には医師による検診(医師検診法)と自己採取によるもの(自己採取法)があるが,後者は検診会場へ行く必要も,診察を受ける必要もないため,一般に受け入れられやすく,現在でも地域によっては多数行われている1〜3).ところが,この場合擦過スメア法に劣らないとの報告4〜6)もあるが,器具の使用に不慣れな場合や,器具そのものによっても検診成績にかなりの差がみられ,必ずしも十分でないとの報告7〜9)もある.このような中で,岡山県では医師検診法のほか,自己採取法が昭和42年度から行われ2),昭和55年度ではこれが子宮癌集団検診の約14%10)を占めている.しかもこの場合の癌発見率は医師検診法によるものより低い傾向10)にある.これには検診対象,検診精度などの差が関係している可能性があるが,この面の検討はあまり見られない.現在子宮癌は初期であれば100%治癒11)するとされているので,この原因が検診精度によるのであれば問題であろう.そこでこの原因を明らかにするため,昭和50年度から昭和55年度にわたって岡山県で行われた自己採取法および医師検診法について,対象者の年齢,地域,訂正罹患率,訂正死亡率などの面から比較検討した.

地域保健活動とその成果—山口県菊川町における場合

著者: 岩本晋 ,   芳原達也 ,   小林春男 ,   酒井恒美 ,   上田悠美子

ページ範囲:P.324 - P.326

 菊川町では,昭和42年以来共同保健計画書に基づき,町全体で組織的な運動が他に類をみないほど積極的に続けられていることは良く知られている.保健活動の成果が具体的な数字として現われるには,多大な努力と長い年月を必要とするものであるが,このたび,菊川町の保健に関する指標を県下56市町村と比較検討し,その成果を明らかにすることが出来たのでここに報告する.

随想

老化にたち向って生きる

著者: 園田真人

ページ範囲:P.330 - P.330

 戦争が終ったとき19歳だった私は,自分が老人になるまで生きるなど思いもしなかったし,いまだに,心のすみに,戦場に散った先輩や友人たちに申しわけないという心情がある.しかし,いつまでも若くはなく,老化と対決しなくてはならぬ年齢にさしかかってきた.
 老化とはなにか,学生たちに質問すると,精神的にも身体的にもおとろえることなどと,WHOの健康の定義をまねたり,白髪になって歯がぬけることとか,体が動かなくなることなどを答えたりするものが多い.世界の老人学を学ぶ学者は,第一に「老化とは環境の変化に対応できなくなること」をあげている.

日本列島

「ヘルスボランティア活動の育成とその役割に関する研究報告書」について

著者: 堤隆信

ページ範囲:P.314 - P.314

岡山
 岡山県は先頃,「ヘルスボランティア活動の意識とその役割に関する調査研究報告書」を作成公表した.
 この報告書は,国の第3次全国総合開発計画に基づく定住圏構想のひとつとして,国の指定を受けた「津山モデル定住圏計画」の一環として,同圏域における住民の自主的保健活動をより一層推進する方策を見出すことを目的として,(厚生省の補助事業として),いわゆる保健衛生活動を推進するための,ボランティアの実態と今後のあり方についての実証的研究結果である.

仙台圏の健康教育に関する報告書

著者: 土屋真

ページ範囲:P.329 - P.329

宮城
 健康教育には,人々の態度を変え,行動への動機づけとなるような働きが期待されている.仙台市・泉市・宮城町・秋保町の2市2町,大学・医師会・衛生団体他で構成される,仙台圏地域医療対策協議会の健康教育部会(部会長 久道東北大学教授)では,このたび「仙台圏における健康教育のあり方」と題する報告書を,図表と共にまとめたので概要を紹介したい.
 昭和57年3月以来,部会および小委員会では計11回の討議を重ねたが,この間,先進地である愛知県・神奈川県・北海道・岐阜市・他のすばらしい業績も,視察してきた.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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