icon fsr

雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生49巻1号

1985年01月発行

雑誌目次

特集 公衆衛生の歴史的発展と将来展望

日本における公衆衛生発展の特質と将来展望

著者: 橋本正己

ページ範囲:P.4 - P.9

■緒言-主題の背景
 新しい世紀に向かって,世界の歴史は今日転換の大きなうねりを経験している.これは,米ソに代表される東西関係もさることながら,主として第二次大戦後,長年の列強の支配から脱して民族の独立を勝ちとった,おびただしい数の南の新興諸国の国際政治舞台への登場によるものである.健康問題の領域におけるその典型的な現れが,Alma-Ata宣言(1978・9)によるPrimary Health Care(PHC)推進の全世界に対する激しいアピールであり,これによって在来の保健・医療・福祉の姿が根源的に問われているが,筆者はPHCこそ近代公衆衛生活動の原点に対する歴史の問いかけであると理解している.
 わが国の近代的な意味での公衆衛生は,その出発点とされる医制76条の公布(明治7・1874)以来すでに110年を経過し,また明治16(1883)年,官民一体の公衆衛生推進を目的として発足した大日本私立衛生会を前身とする日本公衆衛生協会も,昨年創立100周年を迎えている.この間わが国の公衆衛生は,とくに第二次大戦後の平和・民主国家への新生の基盤である日本国憲法をバネとして,その後内外の激動下の40年近い歳月の間に,注目すべき発展を示したことは特記すべき事実であろう.

公衆衛生行政の現状と今後の課題

著者: 北川定謙

ページ範囲:P.10 - P.16

 ■はじめに
 厚生省は59年4月,健康保険法改正案の国会審議の過程で,「今後の医療政策の基本的方向—21世紀をめざして—」と題する厚生省としての考えを公表した.公衆衛生行政の重要な課題は今後,この路線の上に展開されることになろう.
 ここで,まず断っておかなければならないのは,59年7月の機構改革で,公衆衛生局の名称がなくなったことである.この点については後に言及することとするが,厚生省における理解は,「公衆衛生」とは,より上位の概念(憲法第25条参照)としてとらえ,21世紀へ向けての要請として,予防と医療の体系を,より密接なものとして,施策の展開がはかられるべきであるという基本的考え方に立っている.

公衆衛生と高齢化社会

著者: 大和田國夫

ページ範囲:P.17 - P.23

■はじめに
 戦後の疲弊にあえいでいた頃のわが国の衛生状態は,欧米諸国に比して決して良好とはいえなかった.誰もが公衆衛生の発展を願い,努力してきた.衛生状態の一端を示すものとして,表1のごとき資料について,その変遷をみると,確かにわが国の今日における衛生状態はすばらしく良くなり,今や世界のトップレベルを占めるに至ったことは事実である.
 わが国における公衆衛生の発達は,出生率の減少,乳幼児,青年期における死亡率の極端な減少という型で現れ,その結果,生命の延長を実現させ,ひいては老人人口の増加となって,欧米なみの高齢化を迎えようとしている.65歳以上人口の全人口に占める割合は現在9%であり,昭和75年(2,000年)には約15%に達するであろうと考えられているから1)2),21世紀のはじめには,現在の欧米諸国と同じレベルになるわけである.しかし,欧米の高齢化はイギリスをのぞき,100年あるいはそれ以上の時間をかけて今日のレベルに達しているわけであるから,わが国の高齢化は実に急速な速度で実現しつつあるといわざるを得ない.

保健・医療と福祉との統合をめざして—老人保健法を中心として

著者: 辻義人

ページ範囲:P.24 - P.27

■はじめに
 第二次世界大戦に惨敗した日本は,多くの人命と財産を失ったが,一つの大きな教訓を得た.戦争の愚かさを知るとともに,人の幸福とは何なのかという深い反省であった.思えば高価な犠牲であったが,明治以来の軍国主義的,膨張主義的傾向から一転して,福祉国家を目指すことになったのはその表れである。憲法第25条に述べられている「すべて国民は健康で文化的最低限度の生活を営む権利を有する」は,主権在民を示すとともに,国民全部の福祉についてうたいあげているものである.そしてそのために国は社会福祉,社会保障及び公衆衛生の向上,及び増進に努めなければならないとある.つまり保健といい,医療といい更には福祉という三つの分野に分けられてはいるが,この分野は国民の幸せという共通目的のための手段,方法としてあるのであって,理念的には三位一体であって,今更その統合について論ずることはおかしいともいえるものである.
 しかし現実には保健,医療,福祉は別々に一人歩きをし,その恩恵を受ける国民にとって,ちぐはぐな点がないではなかった.

情報化社会と公衆衛生

著者: 大島正光

ページ範囲:P.28 - P.33

■はじめに
 人間社会は始めは,自然との戦いから始まったといってよいであろう.それは農耕民族であれ,狩猟民族であれ,自然を相手にしていたことには変りはないであろう.しかし人間社会はそのままで終ることはなかった.やがてエネルギーを求めて工業化社会に移り,その間いろいろの産業が生まれて来たのである.しかしやがて,それが情報化社会へと変って来ているのが現在である.情報化社会においては,いわゆる公衆衛生上の問題はないのかどうかを考えてみると,決してそんなものではなく,むしろ情報化社会に特有の種々の問題があるといわなければならない.工業社会においては,職業病の原因などが問題の中にあったが,情報化社会においては,man-computer systemの問題が生じて来ているといった,問題の転換がみられるわけである.

臨床医学の進歩と公衆衛生—リウマチ熱と膠原病を例として

著者: 塩川優一

ページ範囲:P.34 - P.39

■臨床医学と公衆衛生
 臨床医学は,個々の人の疾病を治療するという目的で発展してきた.そしてその方向は,今なお変っていない.しかし,医学の進歩に伴って次のようなことが認識されるに至った.
 疾患の原因として原因因子の存在は当然重要である.また,宿主因子,たとえば遺伝とか素因などの重要性は無視することは出来ない.しかし,疾患は個人的であるとともに,より社会的な現象である.あたかも個人の病気のように見えても,同時に環境因子に支配されている社会的疾患である.そこでその背景をよく理解することにより病気の対策,治療はより一層容易になるのである.

地域保健・医療の変遷と将来の動向

著者: 田中恒男

ページ範囲:P.40 - P.48

■はじめに
 現在,日本の人口構造は,高齢化の方向に進みつつある.この事象を生んだのは,単に医療技術や医薬品の導入によるものではなく,生活環境や食糧事情などの改善によるところが大きいと考えられている.こうした事情を生んだ原因としては,日本が世界にさきがけて行われた科学技術の開発が主要なものといってよい.
 戦後約10年の間は,伝染病や栄養失調が目立っており,疾病構造も今日の社会での疾病構造と極端に異なっていた.しかし,その後,30年代になってから,生活条件も著しく改善され,経済事情も急速に向上してきた.特に朝鮮戦争をきっかけとして,第二次産業の発展が見られ,神武景気と呼ばれた状況を生んだ.こうして日本全体が急速に都市化し,農村でもサラリーマンが居住するようになり,また情報産業の普及につれて都市化が拡大していった.都市の周辺には,工場が集中し,農家の人々が農業を兼業として工場などに勤務し,生活も都市並みの生活に変っていった.こうした状況の中にあって,保健や医療がどのように変化していったかを,本論で説明する事としたい.

講座 臨床から公衆衛生へ—感染症シリーズ・4

マラリアの疫学とその対策

著者: 鈴木守

ページ範囲:P.49 - P.52

■近年におけるわが国でのマラリア流行の歴史
 今世紀のはじめには,日本全国で約20万人の土着マラリアが存在した事が推測されている1).土着マラリアはその後減少の一途をたどったが,それでも毎年2万程度の発生数はあった模様である.わが国のマラリア流行が大きな問題としてクローズアップされたのは,戦後,多数のマラリア罹患者が帰還した時であった.1945年秋−1946年春までの半年間で,マラリア原虫保有者は60万人いたものと推測される。しかしながら,戦後の混乱期にもかかわらず国内でのマラリアの2次流行はごく軽度であり,原則的に帰還マラリア患者の治癒と同時に陰をひそめていった模様である2),マラリアが大流行し,多くの犠牲者をだした事件は,戦後の八重山群島,宮古島において起こっている.もともと八重山においては毎年,全人口の3〜5%にあたるマラリア患者が発生していたが,戦後の悪条件のもとで,一挙に爆発的流行をみた訳である,八重山群島において昭和20年には,全人口31,671名のうちの53.3%にあたる16,884名がマラリアに罹患し,3,648名が死亡した.宮古島では,昭和22年に7万の人口のうち4万6千人がマラリアにかかり,428名の死亡者が記録された.しかし住民参加による強力かつ組織的なマラリア対策と,その後行われたDDT散布を主軸とした撲滅計画により,昭和30年前半にはマラリアは姿を消した3,4)

精神障害者福祉へのアプローチ・2

老年期患者の援助

著者: 今井典子

ページ範囲:P.53 - P.57

■はじめに
 ここでいう老年期患者とは,おおむね65歳以上の者で,精神医療との関わりをすでにもっているかあるいは必要とする者,としておきたい.その上で,年齢の条件と精神医療適用の条件の二つの側面をどうみるかの視点から考えてみたい.

調査報告

第一線離島医療と公衆衛生—離島医療の現況からの報告

著者: 長嶺敬彦

ページ範囲:P.58 - P.64

■はじめに
 卒後2年間の臨床研修を終え,昭和58年6月より離島の診療所に赴任した.第一線の離島医療を実際に担当してみて,離島のかかえている数々の問題点に遭遇した.それらの多くのものは,現在日本の医療がかかえている問題であり,特別に離島ということにこだわるべきではない.しかし離島は海という境界線によりはっきりとしたテリトリーを形づくり,生活圏ひいては医療圏をも分析しやすい環境にあり,現代医療のかかえている問題の縮図としてとらえることもできよう.今まであまり目の向けられなかった地域であるが,疾病構造や医療制度を検討する上でのモデル地域としては,純粋性を保ち解析しやすいことから,研究対象としては非常に興味深い.離島医療は,慢性疾患の管理,老人医療,救急医療,学校保健などを包含し,公衆衛生活動を基盤にしたprimary careの実践の場としては,これ以上理想的な場所はあり得ないとさえ思われる.当診療所における実際の統計や症例を提示し,離島医療の現況を考察してみたい.

職場における勤務者の精神身体健康度—CMIによる調査の8年間の変化

著者: 小椋力 ,   中久喜克子 ,   渡辺武夫 ,   森田昌功 ,   春木宥子 ,   国元憲文

ページ範囲:P.65 - P.71

 1)全国に職場を有する1企業の中国地区職員のうち,昭和58年10月現在,管理職者である2,574人のうち2,387人(92.9%)に対して,CMI健康調査表を用いて精神身体の健康度を調べた.一部の者には精神科医が面接し精神医学的診断を行った.今回と同一の調査を8年前に,同一の職場の管理職者を対象にして行っているので,8年間の変化を検討した.
 2)CMIの成績を深町の判別図でみると,神経症に罹患していると考えられる領域IVは56人(2.3%),神経症の可能性のある領域IIIは226人(9.5%)で,領域III+IVは他の職階に比較して係長に多い傾向が(P<0.1),部(局)長に明らかに少なかった(P<0.005).
 3)各質問ごとにみると,「疲れ易い」については841人(35.2%),「くつろぐ余裕がない」は530人(22.2%),「死にたい」は65人(2.7%)がそれぞれ肯定しており,これらは係長に高率に認められた(P<0.05〜0.005).
 4)CMIの成績を8年間で比較した.深町の判別図による判定では差はなかったが,「疲れ易い」は9.3倍,「死にたい」は6.8倍と著しく増加し,「いつもくよくよしている」,「決断困難」なども有意に増加していた(P<0.005).これらの増加は,課長,係長で目立った.

発言あり

医学教育

著者: 川口毅 ,   河内卓 ,   権平達二郎 ,   橋田学 ,   橋本正明

ページ範囲:P.1 - P.3

病気があるのではない人間がいるのだ
 私が学校を卒業してMSWとしてはじめて勤めたのは16年前のことでした.まだ早い春に,山里の風は身を切るように冷たかったことが着任の第一印象でした.
 そこの病院は群馬県榛名山の中腹に位置し,かつての結核療養所から老人リハビリテーション中心の医療と,老人福祉施設群に脱皮しているときでした.

日本列島

ある殺傷事件について

著者: 伊波茂雄

ページ範囲:P.27 - P.27

沖縄
 昭和59年7月,那覇市内の市営住宅内の路上において,果物ナイフを持った若い男が通行人を次々と襲う殺傷事件があった.この事件で,たまたま同団地を訪ねた49歳の男性が左胸を刺され出血多量で死亡し,また5歳の男の子が背中を刺されて重傷を負ったほか,中学生(女子)2人,4歳男子1人,57歳と33歳の女性がそれぞれ背中,腕,胸などを刺された.この若い男は傷害の現行犯(のちに殺人と殺人未遂に切り替えられた)で逮捕されたが,新聞報道によると「テレビ」を見ていて幻覚を生じ犯行に及んだという.その後の警察の調査によると,逮捕された男は22歳で,4年ほど前から精神病院への入退院を繰り返しており,昨年も4月から約4ヵ月入院していたとのことである.また,自宅でもテレビとけんかし,母親や兄にも暴力をふるったことがあったという.病院に行くことを嫌がり,家族も対応に苦労していたようである.病院から逃げ出して看護士に連れてゆかれることもあったという.
 この事件は関係者に大きなショックを与え,県当局では精神衛生関係者による対策が協議され,実態と問題点の究明と,今後の発生防止策が検討された.

岐阜県保健衛生大会

著者: 井口恒男

ページ範囲:P.52 - P.52

岐阜
 岐阜県では全国保健衛生大会の県版である県大会を毎年開催している.本大会では,結核予防推進大会やガン制圧大会,さらに食生活改善大会も合同で催しており,それぞれ個々に大会が実施される全国大会に比べ,合同大会として簡素化されている.59年度は9月12日に行われたが,各主催者の代表のあいさつがなされた後,知事表彰をはじめ県公衆衛生協議会長,結核予防会県支部長,県対ガン協会長,県食生活改善連絡協議会長のそれぞれの表彰が行われた.大会宣言として.「県民のすべてが健康で明るく生活できるまちづくりを推進するべくまい進する」と宣言した.
 記念講演として,がん研究振興財団の山本二郎氏が「健康なライフ・スタイル」と題し講演された.氏はまず「健康」についての考え方が変ってきたこと,WHOの定義に加え,生活の中の一環としての健康,ライフ・スタイルに関連したもの,変化する社会に対する適応能力で,ダイナミックなものとして考えるべきであると述べられた.はるか昔の,ルネ・デュボスの「健康とは自由であり,毎日の生活の上で変化に適応させて行動する個人の状態」に一致するものであり,先人の偉大さを思い知るものである.WHOのマーラー博士の言「多くの先進国では豊かさからくる副作用(過食,煙草の吸い過ぎ,運動不足など)により病気や障害を起こしている.

一般健康診査の判定基準と事後指導の手引

著者: 土屋真

ページ範囲:P.71 - P.71

仙台市
 「瓢箪から駒」が出たといわれるように,老人保健法として医療以外の保健事業が加わり,成人病対策が強化されたことは,全く関係者の努力の賜物である.昭和57年8月公布,翌58年2月1日より全面的施行になったが,厚生省は時間的にも細かいところまでは手が回らなかったと聞く.
 その後,日本循環器管理研究協議会(日循協)その他から,具体的なマニュアルが示されたものの,より具体的な指針が必要な第一線市町村では,どのようにすべきか困ったのも事実である.仙台市衛生局でも同様であって,活路を見いだすための種種の委員会がもたれた.その対応の一端を紹介したい.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

雑誌購入ページに移動

バックナンバー

icon up

本サービスは医療関係者に向けた情報提供を目的としております。
一般の方に対する情報提供を目的としたものではない事をご了承ください。
また,本サービスのご利用にあたっては,利用規約およびプライバシーポリシーへの同意が必要です。

※本サービスを使わずにご契約中の電子商品をご利用したい場合はこちら