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講座 臨床から公衆衛生へ—感染症シリーズ・4
マラリアの疫学とその対策
著者: 鈴木守1
所属機関: 1群馬大学医学部寄生虫学
ページ範囲:P.49 - P.52
文献購入ページに移動今世紀のはじめには,日本全国で約20万人の土着マラリアが存在した事が推測されている1).土着マラリアはその後減少の一途をたどったが,それでも毎年2万程度の発生数はあった模様である.わが国のマラリア流行が大きな問題としてクローズアップされたのは,戦後,多数のマラリア罹患者が帰還した時であった.1945年秋−1946年春までの半年間で,マラリア原虫保有者は60万人いたものと推測される。しかしながら,戦後の混乱期にもかかわらず国内でのマラリアの2次流行はごく軽度であり,原則的に帰還マラリア患者の治癒と同時に陰をひそめていった模様である2),マラリアが大流行し,多くの犠牲者をだした事件は,戦後の八重山群島,宮古島において起こっている.もともと八重山においては毎年,全人口の3〜5%にあたるマラリア患者が発生していたが,戦後の悪条件のもとで,一挙に爆発的流行をみた訳である,八重山群島において昭和20年には,全人口31,671名のうちの53.3%にあたる16,884名がマラリアに罹患し,3,648名が死亡した.宮古島では,昭和22年に7万の人口のうち4万6千人がマラリアにかかり,428名の死亡者が記録された.しかし住民参加による強力かつ組織的なマラリア対策と,その後行われたDDT散布を主軸とした撲滅計画により,昭和30年前半にはマラリアは姿を消した3,4).
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