icon fsr

雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生49巻8号

1985年08月発行

雑誌目次

特集 死と公衆衛生

死と医学

著者: 山本俊一

ページ範囲:P.500 - P.504

■死の予防医学
 言うまでもなく,医学は人間の生を守るためのものであるがゆえに,人間の死とも深くかかわり合っているのであるが,これまでの医学は,まともに死の問題と取り組むことをせず,これを回避してきた傾向がある.ところが最近になって,このような従来の医学のあり方に対する反省として,一部で「死の臨床」,「末期医療のあり方」などについて真剣な討議がなされるようになってきた.喜ばしいことである.しかしながら,われわれ予防医学に従事する者としては,患者が自らの生に対して絶望し始めた時点で,死を受容するよう勧める末期医療のやり方に対して,いささか疑念を抱かざるを得ない.そのようなおそい段階で対策を始めたのでは,目的を達するために時間が十分あるのだろうかという心配があるし,また心筋梗塞などで急死する人たちで,死の受容という問題はどんな形で解決されるのだろうかという懸念もある.死は予防できないが,死の恐怖を和らげるため何らかの予防手段を講ずることは可能なはずである.そして,それは予防医学者の責任であろう.

死亡診断基準をめぐって

著者: 曲直部壽夫

ページ範囲:P.505 - P.512

 生命あるものは必ずその終焉,即ち死を迎えねばならない.これは生物における自然界の法則である.万物の霊長を自負する人類においては,古代よりその死の到来を可能な限り遠ざけるべく,その時代,時代の科学の進歩に応じて,いろんな手段が探求されて来たのである.しかしながら,あらゆる手段を尽くしても死の到来を回避できないという時には,従来は比較的容易にまた円滑に死の確認がなされて来たのである.
 これは生物学上生体の機能の停止の確認を,医師たる者の裁量に委ねることが一般の社会通念となっていたからである.ところが最近,医学の進歩と医療技術の発展によって,従来の死亡確認に至るまでの段階における,ある特異的な状態が人為的にもたらされるようになった,即ちこれが脳死というべき状態である.生物学的見地からすれば明確にその状態の客観的表現と把握は可能であるわけであるが,複雑多様化せる昨今の世相と価値観の下,また最近の生と死に対する哲学,倫理,宗教,法律,社会など各方面の考え方が錯綜し,絡み合って脳死の問題が昨今非常に論議されている現状である.本稿においては医学の立場から,これらを整理して読者の参考に資したい.

ターミナル・ケアの概念

著者: 池見酉次郎

ページ範囲:P.513 - P.517

■ターミナル・ケアとは
 ターミナル・ケアといわれる期間は,研究者によってさまざまである.アメリカでは,治療の見込みがなく,余命6ヵ月以内と考えられる場合を「ターミナル」とよぶのが通常である.日本の国民感情,社会事情,医療状況を考慮すると,日本におけるターミナル・ケアの期間は,2〜6カ月と考えられ,この時期における包括的なケアをターミナル・ケアという.末期癌とは,余命が3ヵ月以内で治療不能であり,転移をもつ進行癌で肉体的ならびに精神的な苦痛を伴うものである.この時点では,もはや治癒(キュア)は望めず,ケアが必要になってくる.かといって,医療者である以上,キュアをあきらめてよいはずがなく,最後までキュアの望みを捨てずに,あらゆる手段を尽くしてキュアをはかることはいうまでもない.近頃,末期患者という言葉が,「医療に見すてられた患者」と誤り解されやすい風潮は,是正されねばならない.末期においても,そうでない場合と同様に,キュアとケアは,最後まで併行してなされねばならない.実際には,ターミナル・ケアでは,キュアよりもケアの比重が高くなるのは止むをえないことである.このような視点から考えると,末期患者に対するケアも,本質的には,何ら異なるものではない.
 ここで,ケアの意味について考えてみよう.ケアの目的は,身体の病変のみに限定せずに患者を全人的にとらえ,患者の個別性を尊重しながら,個々の患者にふさわしい生を全うできるように援助し,患者が人生の総決算をするのに協力することである.

聖隷ホスピスのケアの実際

著者: 原義雄

ページ範囲:P.518 - P.521

■聖隷ホスピスの歩み
 わたしどもは,昭和56年4月からホスピス・ケアを開始したが,今日までの歩みを,三つの段階にわけることができる.第1期は,56年4月から11月までの間で,院内に分散している末期癌患者を診て回っていた.しかし,この分散形では,1)チーム・アプローチが難しいこと,2)ケアの濃度が他と不平等となることなど,様々な不便があった.第2期は,昭和56年11月からで,結核病棟の半分を空けてもらい,改造して,30ベッドの自分たちの病棟を持つことが出来た.第3期は57年11月からで,その病棟をホスピス病棟と呼称を改め,58年5月には新病棟が出来上がり,60年3月31日までに,計224名の患者をケアして来た.
 現在のホスピス病棟は,平屋建で,個室22,2人部屋2,4人部屋1で,計30ベッドで,どの部屋からも庭が見え,歩くか,車椅子に乗れる人なら,すぐ庭に出られる構造になっている.この新病棟は,全国からの善意の寄付金によって建ったので,個室料の差額は取らないことにしている.そして個室は8畳位の広さで,家族が寝泊り出来るようになっている.また,家族が患者の好みにあったものを自由に作ってあげられるファミリー・キチンが設けられ,大変喜ばれてよく利用されている.また家族が休憩したり,自由に宿泊できる男子用,女子用1室ずつ,6畳の和室があり,布団,敷布などが備えつけられている.これを家族室と呼んでいる.

淀川キリスト教病院のターミナル・ケアの実際

著者: 柏木哲夫

ページ範囲:P.522 - P.525

 ホスピスが,日本で一般の人々に対して初めて正式に報道されたのは昭和52年であった.この頃からターミナル・ケアや死の問題が,医学や看護の分野で働く人々の間のみならず,一般の人々の間でも関心をひくようになった.
 死をタブー視し,忌み嫌う傾向の強い日本人の国民性を考える時,日本においてホスピスがはたして根付いていくのかどうかは今後の課題である.しかし,1984年4月に淀川キリスト教病院にホスピスがオープンしてから1年後の現在,ホスピスケアは今後ますます必要になるというのが私の実感である.一人の患者の場合を通して,具体的にホスピスケアについて述べてみたい.また当院のホスピスの簡単な歴史にもふれてみたい.

地域のなかで死を看とる—8年間の歩みを通じて

著者: 鈴木荘一

ページ範囲:P.526 - P.532

■はじめに
 第二次大戦の連日空襲下という熾烈な環境の中で民俗学者柳田國男は,日本人の本来いだいていた「死」の問題を,「先祖の話」として書き上げた.その中で彼は,「死の親しさ」の項1)で,次のように述べている.
 「どうして東洋人は死を怖れないかということを,西洋人が不審にし始めたのも新しいことではないけれども,この問題にはまだ答えらしいものが出ていない.怖れぬなどということはあろう筈がないが,その怖れにはいろいろの構成分子があって,種族と文化とによってその組合せが一様でなかったものと思われる.生と死とが絶対の隔絶であることに変わりはなくとも,これには距離と親しさという二つの点が,まだ勘定の中に入っていなかったようで,少なくともこの方面の不安だけは,ほぼ完全に克服し得た時代が我々にはあったのである」.

看護とターミナル・ケア

著者: 植村美代子

ページ範囲:P.533 - P.539

■はじめに
 癌の治癒率は上昇傾向にあるが,なお年間17万人以上が癌で死亡する現実を直視しなければならない.日本の全死亡の65〜70%が病院死で,九州がんセンターでも年間300人を越える.
 毎日,誰かが死ぬ医療の現場では,死は日常的なできごとであり,患者は死と背中合わせの一日一日を生きており,医療者は,死に至る過程(末期)で,患者及び家族にどうかかわればよいかを模索する.

チーム医療とターミナル・ケア

著者: 岡安大仁

ページ範囲:P.540 - P.543

■はじめに
 チーム医療の必要性が強調されるようになったのは,ICUやCCUあるいは,心臓外科手術の発達と普及に伴っている.それは,これらの救急でしかも高度の技術を要する医療が,外科医・麻酔医・内科医さらに看護婦(士),医療技術者,その他の多職種の協力なくしては,万全には行われえないからである.一方,ターミナル・ケアは,最近20年の間に急速にその特質が強調されるとともにその組織も急速に発展しつつあるが,ロンドンのst.JosephsならびにSt.christopherホスピスが,近代的医療の欠陥を補うべき医療の代表として知られ,現在北米では約2,000を数えるホスピスないしホスピス・チームが存在するといわれている.また,一昨年ライフ・プランニング・センターの国際セミナーに来日したB.M.Mount1)が,総合病院におけるpariative care unit(PCU)を紹介している.これは多職種による充実したケア組織であり,筆者は,これをintensive pariative care unit(IPCU)というべきものと感じている.
 慢性疾患の臨死患者は,高齢化社会とともにますます増加すると思われるので,医療の中で占める比重は今後さらに増大するであろうし,どのようなチーム医療の形態がありうるか,そしてその実施に向かってどのように努力しなければならないかは,今日医療に携わる者の避けて通れない問題といえよう.

医の倫理と死

著者: 高島學司

ページ範囲:P.544 - P.548

■問題の所在
 およそ,人間の倫理は,良心のほかに社会の慣習やコンセンサスを基盤として,人間の行為や社会関係を支配するものであり,宗教・思想・政治・経済などの影響を受けながら,社会規範として機能しているといえよう.いわゆる医の倫理は,このような普遍的な倫理の延長上にあるのではなかろうか.しかし,科学技術の急激な進歩などから社会の価値観の多様化を招き,社会規範としてのこれまでの倫理そのものが問い直されつつある.すなわち,倫理規範もその基盤の変動に応じて,変化してゆく面と変化しない面があるということである.
 医の倫理には,大別して,昔からの倫理的基準をもって足りるか,ときに顧みてその原則に戻ることが求められる場合,および未経験の新しく医学上発生した問題に対して,医師その他の医療関係者だけでなく広く専門外のものとともに,積極的に推進するか否定的な立場をとるか,その解答を求めて模索しなければならない場合とがあると考えられ,これらに沿って検討してみたい.

特別寄稿

Experience of Primary Health Care Development in Japan—With special reference to the community health involvement

著者: 橋本正己

ページ範囲:P.559 - P.567

 公衆衛生分野の国際交流が盛んであるが,戦後の日本におけるPHCの経験が,WHOの"Health for All"の推進のため,広く国際的に,特に東南アジア諸国のリーダーから強い関心を持たれている.本稿は筆者が一昨年及び本年2月BankokにおけるタイのPHCプロジェクトに関連する「ASEAN Consultative Conference」の際に,基調報告として講演した内容を中心に若干加筆し,敢えて英文のまま読者各位のご参考に供するしだいである.日本の紹介としてご活用頂ければ幸甚である.

発言あり

脳死

ページ範囲:P.497 - P.499

万人の納得のもとで
 最近,脳死に関する議論がさかんであるが,このことは臓器移植と密接に関係していると思われる.
 昭和60年5月13日に,厚生省の「脳死に関する研究班」は最終的な研究報告をまとめて公表した.それによると,全国から集まった症例のうち718例を検討.脳死判定後,家族の同意で人工呼吸を停止したケースは2割近い142例で,すでに脳死が医療現場で死の確認手段として日常化している実態が初めて裏付けられた.また日本脳波学会の判定基準を十分満たしていた症例は全体の6割足らずであって,現場での脳死判定に大きなバラつきも見られた.研究班はこの分析結果をふまえて,今秋早々にもさきの日本脳波学会の基準枠を手直しして,国レベルで初めての脳死判定基準を作成する方針だという.

レポート

高齢化社会の健康問題(1)—高齢化に関する日米国際会議

著者: 小泉明 ,   森本兼曩 ,   熊谷文枝 ,   小川直宏 ,   松本信雄

ページ範囲:P.549 - P.552

会議の全容とオープン・フォーラムの概要
●ハワイ日系人の高齢化と長寿―会議開催に至る経緯
 ハワイ大学のDr. Satoru Izutsu(公衆衛生学教授・学長補佐)から黒田俊夫博士(日本大学人口研究所名誉所長・元厚生省人口問題研究所長)への連絡をきっかけとして,高齢化を主題とした日米の国際会議を開催することについて,私を含めた3名でとりあえずの意見交換を行ったのが1982年であった.
 そのとき,Dr. Izutsuから伝えられて驚いたことがある.それは,ハワイ在住日系人の平均寿命が日本の平均寿命を1〜2年上回っているということである.当時すでに,日本の平均寿命は世界で1,2位を争う水準に達していたが,現在広く認められているように,真に世界最長というには至らなかった.したがって,ハワイ日系人の平均寿命はおそらく世界最長ではないかと思われた.なお,日本の平均寿命が国として世界最長となった現在でも,ハワイ日系人はさらにそれを上回っている模様である.

調査報告

健診受診者の生活と循環器疾患のRisk Factor—第2報

著者: 青山政史 ,   大森正英 ,   牧野茂徳 ,   宮田昭吾

ページ範囲:P.553 - P.558

 ■はじめに
 前報では,AMHTS受診者2,076名の生活状況,特に生活時間調査,食品摂取状況,社会的環境などの調査結果につき報告した.
 その中で,特に男女の生活様式の差異が大きいこと,また,生活時間や食品摂取,社会的環境などに対して年齢要因が,大きくかかわっていることなどを述べた.

衛生公衆衛生学史こぼれ話

11.わが国ではどうだったか?

著者: 北博正

ページ範囲:P.512 - P.512

 南蛮人の種子島渡来以来,宣教師を先頭にヨーロッパ人が来日したが,鎖国政策により暫く途絶えたものの,幕末から明治の初期にかけて,カトリックだげでなく,プロテスタントを主とする国の人々も訪日し,いろいろな日本見聞記,旅行記を残しているが,彼等は日本人の生活が,彼等とあまりにもちがっているのに驚き,また貧しいのに驚いている.木と竹と藁の堀立小屋はまさにその好例であろう.しかし連中の中には,日本人は清潔な生活をしていることを見抜いている人もいた.稲作文化の日本人は水田に入り,また夏は高温高湿という悪条件下に,発汗甚だしく衣類は不潔となるが,布地が毛織物とちがって,木綿や麻であるため洗濯を励行し,入浴を頻回行うことができないまでも,仕事のあと行水をしたりして体を清潔にし,屎尿は貴重な肥料となるので,屋外に便所を設け,悪臭が屋内に入らぬよう工夫したりして,随所に生活の知恵がみられ,同一時代の同一水準のヨーロッパ人とくらべると,日本人の方がずっと清潔だといわれている.
 1876年,東大医学部生理学の教授として来日したチーゲル(Ernst Tiegel 1876〜1883在日)は衛生学の講義をも担当したが,江戸名物の大火を衛生学的見地から賞讃している.即ちヨーロッパでは古い家が残ってスラム街を形成し,改築や修理に金がかかりすぎ,放置されることが多く,このため住民は非衛生的生活を余儀なくされる.

日本列島

肺磁界測定装置による住民検診

著者: 土屋真

ページ範囲:P.504 - P.504

宮城
 道路粉じんに悩まされている仙台市では,スパイクタイヤ問題を健康問題としてとらえ,昭和57年に設置された「仙台市道路粉塵健康影響調査専門委員会」(滝島任委員長.大学・市医師会・行政等の委員で構成)でも,討議と研究成果の報告がなされてきた.
 以来,スパイク粉じんの呼吸器系への影響を調べるため,東北大学医学部第一内科の,滝島任教授の研究グループは,全国で初めての,肺磁界測定装置を用いた住民検診を行い,その結果から健康への影響の大きさを警告されている.

市民病院の病床開放

著者: 井口恒男

ページ範囲:P.539 - P.539

岐阜
 医療費の高騰する中で重複検査,重複治療あるいは医療機関の「ハシゴ」など無駄な医療費の節約が強調され,老人保健法における医療費の一部負担や健康保健法の一割負担などが実施されてきた.さらに,総合的効率的な医療のあり方を志向した医療法の改正も進められつつある.
 このような厳しい医療環境の中で医療機関が磯能向上を進めるためには,個々の機関が施設や設備を単独で整備することには限界があり,相互の機関の連携強化が必須となっている.高額医療機器の共同利用や病床の開放(オープンベッド)などが具体的方策として各地域で検討されているようである.病床の開放は医師会立病院による,いわば医師会内部の対応としてのオープン病院は各地にみられるが,公的病院のオープン化したものは全国的にも数少ない.ここに紹介する多治見市民病院は,公立病院としては小樽市民病院に次いで昭和58年10月よりオープン化しており,その状況は雑誌「病院」43巻8号に詳述されているが,概要を紹介する.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

雑誌購入ページに移動

バックナンバー

icon up

本サービスは医療関係者に向けた情報提供を目的としております。
一般の方に対する情報提供を目的としたものではない事をご了承ください。
また,本サービスのご利用にあたっては,利用規約およびプライバシーポリシーへの同意が必要です。

※本サービスを使わずにご契約中の電子商品をご利用したい場合はこちら