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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生5巻4号

1949年02月発行

雑誌目次

論説

輸血による梅毒傳播問題

ページ範囲:P.187 - P.188

 輸血は出血者及び重症者の起死囘生の術で,醫療に不可缺の法である。然しながら輸血により梅毒或はマラリヤ等の感染を起した不幸な事例は過去に於て内外に尠くないのである。米國に於ては今次世界戰爭中本問題に關する學術的研究の長足な進歩(1)を見,且つその成果は實際に應用され,民衆はその餘慶を鹽に享受して居るのである。
 過般東大分院に於て輸血による梅毒感染事件があつて,これが爲め國を被告として訴訟事件が起つたが,本事件は本號所掲の緖方氏の報告(2)の如き機轉によつて發生したものである。憲法改正により今は廢止せられて居るが戰時下の爆傷者の輸血の多かるべき事態の衞生對策として昭和20年2月施行された輸血取締規則では給血者は6ヶ月毎に血液檢査を課されて居つた。然しながら梅毒は感染後6週間は血清反應陰性であるので1ヶ月毎に給血者の檢血を行つても尚感染當初の血清反應陰性期の給血者からの感染は完全には防止出來ないものである。輸血による梅毒感染の絶對的な豫防は米國に於て今次世界戰爭對策として早期から採用された血液金庫制Blood Bankによらなければならないものである。それは0℃に3日間保持すれば梅毒血液中のスピロヘータは死滅する(1)ので,血液金庫を設け採血後3日を経過した後に初めて血液を輸血に供するようにすれば梅毒感染を完全に防止出來るのである。今囘の事件の對策として東京都では初め輸血取締規則を制定し給血者に毎1ヶ月の檢血を課せんとした。

綜説

日本腦炎病毒の同定に就て

著者: 安東淸

ページ範囲:P.189 - P.196

 私は此處に,所謂濾過性病原體のうちの日本腦炎病毒の同定と云う比較的狭い範圍の事柄について,實際我々が日常研究室で行つて居る方法並に考え方に就て具體的に解説して見たいと考える。從つてこの日本腦炎病毒が新しい意味でのウイールスの範疇に這入るものであることは當然の事として直ちに同定についての解説を進めたい。
 1)病毒の出所及系統 如何なる材料からその病毒が分離されたかと云う事は一應病毒の同定に對しての一つの手懸りを與える。例を擧げて説明すれば,今我々が臨床的に日本腦炎と診断され死亡した患者材料,即ち腦,脊髄液,血液等を材料として型の如くこれを廿日鼠腦内に接種して一定期間の後に一つの病毒を分離し得たとすれば,先ずこの病毒は日本脳炎病毒を第一に疑う可きではあるが,日本腦炎患者材料から分離されたもの必しも日本腦炎病毒であるとは限らない。こゝに以下述べる樣な嚴密な同定に對する手續を踏む必要が生じてくるのである。ましてその病毒が一見日本腦炎患者と何等關係のない材料から得られた場合には前の場合に比して一層嚴重な批判に堪える丈の根據を必要とする事は勿論である。

研究と資料

極東各地に於ける日本腦炎の地理的分布について

著者: 三田村志郞 ,   北岡正見 ,   三浦悌二

ページ範囲:P.197 - P.203

 我が國に於ける腦炎の歴史は古い(柿沼1)三田村2))。しかし我が國の多くの學者が腦炎に對し注目し始め,多くの臨床報告や實験を行つたのは,1917年歐洲に於てEconomoが嗜眠性腦炎に關する輝しい業績を發表して以來の事である。しかし腦炎の各分野に亙り,廣範圍な本格的の研究の始められたのは1933年以後である。即ち1933年日本學術振興會内に設置された稻田龍吉先生を委員長とする第三(腦炎)小委員會の各委員竝に委員會に屬していない多くの研究者逹の渾身の努力によつて日本腦炎の研究は長足の進歩を遂げた。其のうち病原體に關しては,1933年の流行に於て先ず岡山醫大の林3)が猿えの移植實験に成功し.次の流行(1935年)に於て各研究者逹はそれぞれ各地(福岡,岡山,兵庫,大阪,京都,新潟,東京)に於てマウスを用いて病毒分離に成功した。かつ日本腦炎は獨自性のものであり,セントルイス腦炎及びその他の既知の腦炎と異る病であることが明らかとなつた(川村,4)三田村,5)高木,6))。因みに日本腦炎病毒は株相互の間に於てその抗原構造に於て多少の差異が認められるとしても,今日までに我が國で識られている唯一の病毒株である(三田村2))。
 さて日本腦炎は極東各地に於ていかなる程度と瀕度に散布されているものであろうか。この答は唯に學問的興味に止らず,本病の防疫對策を樹立する上にも極めて重要なことである。

昭和23年夏東京都に流行した日本腦炎の疫學的觀察

著者: 與謝野光 ,   山口與四郞 ,   山下章 ,   難波諄士 ,   池田和雄 ,   細井輝彦

ページ範囲:P.203 - P.213

緒言
 東京都に於ては昭和10年に本病の大流行を見たが,當時は未だ届出制の實施がなかつたため,その詳細を正確に把握出來なかつたが,今夏の大流行は本病が法定傳染病に指定されて以來最初のものであるのに鑑み,茲に本課に蒐集せられた資料に就いて行つた疫學的調査の結果を報告し,諸賢の御批判を乞うものである。

ソ連抑留邦人間に發生せるロシア森林腦炎に就いて(第1報)

著者: 北岡正見 ,   三浦悌二

ページ範囲:P.213 - P.218

 ロシア森林腦炎または春夏腦炎と呼ばれる疾患は1937年から1939年に亘りソ連の學者達(Smorodimtseff(7))の努力によつて確定されたもので,シベリア及びヨーロツパの森林地帯だけに限局して發生する疾患であり,本病がソ満國境の森林地帶にまで浸淫していることは1944年北野(2)によつて明かにされた。
 昭和20年終戰以來ソ連に抑留され森林作業に從事していた者の中から,春夏腦炎が發生していることは,昭和22年ソ連からの引揚精神疾患者の檢査によつて明かにされた。即ち腦炎に罹患したとの既性症のある患者2例(立川病院1例,武藏病院1例,の血清檢査の依頼を受け日本腦炎,春夏腦炎東部型,西部型,West Nile腦炎,St. Louis腦炎,米國馬腦背髄炎東部型,西部型の病毒を抗原として補體結合反應を行つたところ,春夏腦炎に罹患したことが明かにされた。こゝに於て國内防疫上,ソ連からの引揚者のうち腦炎罹患の既往症並にその後胎症あるものに就き一通り檢査する必要が生じて來た。

小兒日本腦炎の臨床所見

著者: 森重靜夫

ページ範囲:P.219 - P.225

 日本腦炎の大流行は昭和10年以來見られなかつたが,本年7月中旬發生せるものに引き續いて日を追うてその數を増し大流行となった。而して現在に於ても尚1日數名の患者發生があるが,罹患者の大部分は小兒で,5,6歳を中心として最も多く,日本腦炎は正に小兒期に於ける重要なる急性傳染病の一つとして重視せられるべきものである。

昭和23年傳染病流行概況

著者: 野邊地慶三

ページ範囲:P.225 - P.227

 次表は厚生省豫防局衞生統計部の衞生統計速報第1號所掲の昭和23年,全國傅染病届出患者數及び死亡者數と前年同期間のそれとの比較表である。但しこれは週報に基く數値であつて昭和23年の數値は第1週(昭和22年12月28日)から第53週(昭和24年1月1日)までの届出數であり,昭和22年の數値は第1週(昭和21年12月28日)から第52週(昭和22年12月27日)迄の届出數である。又昭和22年の計數のうち,ましん,百日咳,流感,黄熱,破傷風,肺炎,産じよく熱,狂犬病,炭そ,鼻そ,結核,らい及びトラコーマは第9週から,急性灰白脊隨炎は,第36週から届出ることになつたので,これらは夫々の週からの累計であつてその比較をするために昭和23年の計數にも( )を附して對應して表示してある。なお傳染性下痢症は昭和23年27週から掲げることにしたので( )を附してその他のものと區別してあるのである。
 赤痢,腸チフス及びパラチフスは昭和22年は21年に比して約半減したのであつたが,昨23年も亦22年に比し同樣にほゞ半減して居り此等級數的に激減しつゝあることを示して居る。痘瘡及び發疹チフスは昭和22年は21年の大流行の餘波で尚發生が多かつたが昨23年は著減し流行漸く終ろうとして居るのが見られる。ヂフテリヤは昭和20年以來,毎年半減して來て居つたが,昨23年度も前年に比し大體同率で遞下を績けて居る。

最近集團檢診よりみたる結核侵襲状況

著者: 岡捨己 ,   菅野巖 ,   小野塚隆男 ,   新津泰孝 ,   丹野三郞 ,   和泉昇次郞 ,   及川芳雄 ,   佐藤良助

ページ範囲:P.227 - P.230

(本論文要旨は昭和23年11月第3回東北結核病學會に發表した。)
 過去十數年以來われわれは,主として仙臺地方の學校工場會社等の所謂集團檢診を定期的に行い,それにつき,たびたび報告して來た。
 昭和23年に抗酸菌病研究所及び仙臺市小兒保健所で集團檢診を行つた成績の一部即ち,約2萬4千人の觀察から最近に於ける各集團の結核患者發見率殊に各年齢層の患者發見率を觀察してみよう。

論述

血液金庫の創設

著者: 宮本正治

ページ範囲:P.231 - P.234

 身に覺えのない一婦人が,大學病院で輸血した際梅毒に感染したことから,が俄然社會問題となり世間の冷嚴なる批評をあびせかけられたわれわれ醫人は,かねてより輸血文化の向上を絶叫しながらも終に今日まで無策に終つたことは眞に殘念であるが,この機會に從來のわが國輸血施設の缺陷を補い,再びかゝる禍を繰返さない樣にいたしたいものである。この病氣が人に知られたくないためにこれまではごく内密に處理されていたことはこの事件によつて相つぐ輸血性病患者が名乘をあげていることでも明であり,私共が事件直前東京都内の職業給血者883名に就て血液檢査を行つた結果34名の陽性者を發見したことによつてもその被害は決して少くないものと想像される。なにしろ輸血は緊急を要する場合が多いのは,われわれ專門家にとつても必要な試薬を入手するのに多大の労苦を要する現状にあつては一般醫家の醫療施設の完璧を今早急に望むことは甚々困難が伴うので,寧ろ輸血施設の社會化を計り日常近所の藥局からビタミン劑と治療血清を取り寄せて患者に與えるのと同じ氣安さで血液金庫から血液を取り寄せて輸血が出來る樣になれば眞に幸である。

公衆衞生關係の研究課題の動靜

著者: 前田陽吉

ページ範囲:P.234 - P.238

 公衆衞生の部門では目下どんな研究題目が問題になつているだろうか。このことは勿論公衆衞生に關係する人々には大きな關心のある問題であり,學會,雑誌等でも絶えす話題になることであるので,大體は知られている所であるが,研究に直接從事する人々は專門を深く進んでゆくので,案外他のことに氣が付かないことが往々ある樣であり,又國の研究費がどんなテーマに對して支給されているかを知つて貰うことも大いに意味があることと思われるので,此處に文部省科學試験研究費にあらわれた研究題目を例にひいて,科學試験研究費の紹介旁々説明してみたいと思う。
 文部省の豫算に計上されている科學試験研究費は,産業復興,生産の増強,國民生活の安定等現下急速に解決を要望されている諸問題の解決を計る爲に,研究補助金として官民を問わず,實行力のある研究者に交付されるものである。言葉を換えれば,所謂現在及びごく近い將來のわが國に必要缺くべからざる應用研究を對象としたものであり,この意味から科學試験研究費にあらわれた課題を見れば,大體國が必要としている研究の傾向(純基礎的研究以外の)が察知出來るのではないかと思われる。純基礎的な研究は別に科學研究費(昭和23年度豫算1億4,400萬圓)というもので扱われることになつている。

衞生行政のうごき

ページ範囲:P.239 - P.243

1.ジフテリヤ事件の其後
 既報生物學的製劑についての製造所の査察は相當の進直をみせほゞ完了の段階にあるが,これと併行し,或はこの結果に基いて製造所の基準を引上げこの規準に合致しないものの切捨が一應結論に近づきつゝある。尚既完成品の再検定も製造工程の再査察によつて,一度ふるいにかけた合格品について,豫研で,G.H.Qのポースマン博士立會の下に再檢査をしつゝあり,現在流行の恐れある疾病に對する製劑から優先檢討を加え,一月二十日現在,ヂフテリヤ15立(約3750人分),破傷風27立(約1350人分),痘苗94,650人分,發疹チフスワクチン24立(約9600人分),腸パラ3403立(約136萬人分,の再檢査が完了している.一時中止された豫防接種も以上の處置により相當數再檢査の終了したものから再開しつゝあるようだ。
 なほ檢定規則自體は原液からの直接の抜取檢定を行い,これに合格したものを更に小分容器に小分分注し.このうちから試驗量を抜取檢定するよう改正案が進行中ださうだ。

文獻及び海外情報

冷凍食品は公衆衞生問題たりや

著者: 早川

ページ範囲:P.244 - P.245

 食品を冷凍貯藏することは嚴寒地帯にあつては數千年來行われて來た事實であるが,温暖地帯で人工的に冷凍するのは比較新しいことである。
 1820年Dr. William CullenはScotlandで始めて硫酸冷凍機を作つて生物製劑の冷凍を行つた。食鹽加氷による冷凍は單に局地的に行われたに過ぎない.獨逸のLimdeは19世紀の半頃室氣膨張法による冷凍法を創始した。VilterがMilwaukeeでアムモニア冷凍器を作つてからは同地はビール工業の中心となつた。魚類は1819年Sanduskyで始めて商業的に冷凍し始められた。然しながら之より先き魚は1861年,家禽類は1865年,肉類は1880年,果物は1905年,野菜は1930年,菓子類は1943年より始められた.

國際結核豫防

著者: 早川

ページ範囲:P.245 - P.245

 Mcdical Newsletter(米學醫學協會)國連小兒救濟事業團並にデンマーク,ノールウェー,スエーデン赤十字社主催のもとに國際結核撲滅事業計劃が發表せられた。本事業範圍は本次大戰で荒廢せられた歐洲地域の小兒及び18歳以下の者5千萬人を對照とする。その内萬150入の小兒にB. C. G. を接種する豫定である。之れが費用400萬弗は國連その他の團體に寄附を仰ぐことになつている。世界衞生機關(W. H. O)も有力援助をする豫定である。本企劃は主催者側並に參加國各衞生大臣の間に相互調印される。各醫療班は各國民並に主催者の推薦する醫學者により編成せらる。B. C. G. ワクチンとツベルクリン液は當座の間デンマークの血清研究所が補給する。
 小兒のツベルクリン檢査を實施して陰性者にはB. C. G. を接種する。これ等の技術指導は過去20年最も經驗あるデンマーク,ノールウエー,スエーデン人より選定される豫定,デンマークの1947年結核死亡率は人口10萬對30の低率であつたが,參加國の内には之れに10倍する所もある。既に本事業にフインランド,ハンガリー,チエコスロバキヤ,ポーランド,ユーゴースラビヤの諸國が參加した,中歐諸國では1948年7月1日現在既に200萬の人間のツ反應を檢査し60萬人がB. C. G. の接種を受けた。支那その他の亜細亜諸國イタリー,ギリシャも現に考慮中である。

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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