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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生51巻11号

1987年11月発行

雑誌目次

特集 救急医療システム

救急医療の行政的対応

著者: 松村明仁

ページ範囲:P.740 - P.745

■はじめに
 救急医療は,古くて,新しい問題である.不慮の事故による負傷,突然に襲ってくる循環器系や中枢神経系の疾患による苦痛などは人類の誕生とともにあったであろうし,またこれらの苦痛に対する処置としての救急の医術も,その歴吏は極めて古いものであろう.従って,救急医療は,医療の原点であり,また,苦痛を除くことが,今日でもなお医療の重要な役割であることを思えば,救急医療は現代においても,医療の基本であることに異論をはさむ余地はない.
 このように,救急医療は医療の中で自然発生的に,当然のものとして行われてきたものだが,行政的に,組織だって救急医療が問題になったのは,昭和30年代の後半のことである.

わが国の救急医療とくに救急救護システムの歴史的発展とその実態

著者: 都築正和

ページ範囲:P.746 - P.751

■はじめに
 医療とは疾患(疾病と外傷)に陥った患者の診療,すなわち診断と治療を意味し,医療機関(病院または診療所)において順序を踏んで行われるべきものとされている.一方,救急医療は医の原点とされ,医療に当たる者の最も尊重しなければならぬものとされてきた.しかし,医学・医療が進むとこのような状況に大きな変化が見られるようになった.この点について歴史的に考察し,将来のあるべき姿についても考えてみたい.

救急医療システムの現況—交通事故を中心に

著者: 魚谷増男

ページ範囲:P.752 - P.756

■交通事故の発生推移
 わが国のモータリゼーションの波は,昭和30年代後半から,経済の高度成長に伴って急激に押し寄せてきた.それに同調するように,交通事故も著しい増加を示した.毎日,交通事故による死傷者が大量発生する悲劇をとらえ,マスコミでは「交通戦争」という言葉を生み出した.
 昭和45年には,交通事故件数72万808件,死者は,1万6千人を超え,負傷者も百万人近くに達し,史上最高を記録した.

救急医療システムの現況—救急医療情報システムを中心に

著者: 青山松次

ページ範囲:P.757 - P.762

■はじめに
 昭和42年より,神奈川県医師会と同病院協会は協力して地域医療活動1,2)を開始し,昭和43年度には,救急医療について県知事の諮問を受け,調査活動を行い,年末には答申するとともに3),横須賀市医師会が電話コントロールを主にして,臨時休日急患診療所の実験を開始した4).その後休日急患診療所は,本県における地域医療開発の拠点として進められ,現在ではほとんどすべての郡市医師会の近代化につながっている.
 電話コントロール方式は,その後鎌倉市医師会の努力により,わが国で初めてのコンピュータによる救急医療情報システムとして昭和49年に完成を見た4,5)

救急医学教育の重要性

著者: 大塚敏文

ページ範囲:P.763 - P.768

■はじめに
 昭和52年「救急医療対策事業実施要綱」が厚生省により発表されて以来,わが国の救急医療体制は急速に充実して来ている.救急医療施設の整備状況をみると,昭和60年3月現在では,休日夜間急患センター466施設,在宅当番医制712地区,二次病院群輪番制・共同利用型病院339地区,救命救急センター92施設となっており,急病や外傷を始めとする救急患者に対する診療面での対応は,一昔前のように救急診療に手を染めたくないという時代からみれば,格段の進歩がみられる.
 しかし,一方現在に至るまで,わが国のほとんどの医科大学,医学部において救急医学に関する教育に対し,卒前および卒後教育の過程で,系統的な救急医学の講義はもとより,実施修練の場さえ与えられていないのが実情である.その結果,各地に開設されているこれらの救急医療施設のほとんどすべてにおいて,来院する救急患者はその疾患別の診療科の医師により診療されているのが現状である.

札幌市における救急医療体制の沿革と札幌市医師会夜間急病センターの現況

著者: 若山曻明

ページ範囲:P.769 - P.774

■はじめに
 わが国の救急医療体制作りは,昭和30年代後半より毎年急増する交通事故の負傷者対策から始まったといっても過言ではない.
 一部地域では,日曜休日当番医制を実施していた医師会もあったが,救急医療体制が全国的に組織されたのは,昭和39年8月,救急告示医療機関が制度化され,外科系外傷患者の診療が開始されたのが最初である.

ドクターカーの実情と課題

著者: 小林久 ,   大井利彦 ,   石田浩司 ,   高須朗 ,   山下豊 ,   藤田彰一 ,   杉野達也 ,   谷口積三 ,   岩澤利典 ,   堀下隆二郎 ,   岸本正

ページ範囲:P.775 - P.779

■はじめに
 近年,救急医療体制は三次救急医療機関としての救命救急センターの設置や,広域的な救急医療情報システムの整備などによって著しく充実され,その結果,多くの心肺危機状態にある重症患者が高度医療機関に収容され,救命されている.このような救急医療体制の進歩に伴い,各施設とも重症患者の中に来院時心肺停止dead on arrival(DOA)例が多く経験されるようになり,救急搬送の問題点が大きくクローズアップされるようになってきた.しかし,救急現場から病院搬送までの間の医療行為(prehospital care)については,現状ではほとんど手がつけられておらず,その主体となるべき一般市民や救急隊員に対しては,心肺蘇生法(CPRと略す)をはじめとした救命処置について,十分な対策が講じられているとは言いがたい.
 そこで,われわれは「救急現場からの医療」の確立を目的として,prehospital careの主体者である救急隊員には救急現場で一次救命処置を実施してもらい,その間現場へ医師を搬送して医師による二次救命処置を継続するという,ランデブー方式によるドクターカーの運用を行っている1),2).本稿では,その実情と課題について述べる.

諸外国の救急医療システム

著者: 石田詔治

ページ範囲:P.780 - P.787

■はじめに
 救急医療システムの整備でprehospital careが重要視されている.たとえば,院外で心停止が発生した場合,良く整備されたシステムを有する地域では,蘇生に成功し患者を社会復帰させられる確率は25%1)である.ところが,十分なprehospital careが行われなかった場合は5%1)に低下することがわかっている.この事実より,諸外国ではprehospital careに重点をおいて救急医療システムの整備が進められてきた.本稿では,現在,最も良く整備されたシステムを持つアメリカ合衆国,ソビエト社会主義共和国連邦を中心に,独自のユニークなシステムを持つヨーロッパ諸国などを加え,prehospital careを主体として諸外国の救急医療システムを紹介する.国としてのデータが入手できなかった場合は,代表的な郡,都市のものを紹介する.

講座

栄養疫学—4.食物消費構造と食物消費の二次元空間図

著者: 豊川裕之

ページ範囲:P.788 - P.796

■栄養疫学の分析論
 本号から栄養疫学における分析論に入る.そもそも疫学は調査論(または調査の段階)と分析論(または分析の段階)から成り,調査と分析は一貫した考え方によって企画・実施されなければならない.したがって,本来ならば本講座でも,幾通りかの調査方法と分析方法の組合わせを設定して,それぞれの事例を挙げて,一貫した説明をすべきであるが,1回当たりの紙面に制限(400字詰め原稿用紙×25枚)があるので,本講座にはなじまない.いきおい調査論と分析論を別々に号を改めて説明しなければならない.そのうえ,同じ理由で,具体的事例をいくつも取り扱えないので,たった一つの具体例を,それがすべてに当てはまるものではないという言い訳付きで説明をしなければならない.科学的方法は,本来,普遍的なものでなければならないので,先の条件(制限)が付くと,具体的事例から普遍性を導き出すという無理をしなければならないわけであり,そこには"一事が万事…"式の短絡的説明がまかり通る危険が生じる.そのような過誤を犯さないように注意を払いながら記述をするけれども,筆者の側だけの自覚だけでは不十分であって,読者諸氏の協力とモニタリング・システムが機能してはじめて,そのような過誤から逃れられるので,以下,十分にチェックしながら読んでいただきたい.

発言あり

覚醒剤

著者: 鈴木治子 ,   田中平三 ,   揚松龍治 ,   佐野正人 ,   庭山正一郎

ページ範囲:P.737 - P.739

子供たちを薬物中毒に追いやるまい
 戦後の街を野良犬のように走りまわっていた浮浪児の群に,ヒロポンを打っていた子供たちがいた.チンピラの手先になっていた小4の孤児が,青くなった腕を誇らしげに見せてくれたことを思い出す.喰うや喰わずの時代を生きたあの頃の子供たちも,今は50歳前後か.ケース研究会などでみる大人の記録に,過去の生活歴の中で覚醒剤を使用したことのある人も散見される.いずれも子供の時や,生活上の危機に陥った早い時期に,適切な専門家たちの援助の手がさしのべられていたならば,と思われる人たちであった.覚醒剤の噂が身近に出てきたのは,貧しさが豊かさの中に埋もれて,貧しさがありながら見えなくなった,あの消費革命達成頃からであろうか.経済的繁栄の裏で社会不安が増大し,社会病理が進行した.そして覚醒剤は主婦たちまでもまきこんでいった.今,ことに気になるのは,高校生や中学生までも覚醒剤に染まり始めているということである.つまり,戦後の子供たちの次の世代,そのまた次の世代へと,問題が拡大再生産されているのである.

レポート

WHOの「ヘルス・プロモーションに関する憲章」

著者: 郡司篤晃

ページ範囲:P.797 - P.802

1.オタワ憲章の経緯と位置づけ
 1986年11月17日から21日まで,WHO及びカナダ政府,カナダ公衆衛生協会の主催による国際会議が開催され,「ヘルス・プロモーションに関する憲章」を採択した.この憲章の位置づけは次の通りである.
 現在WHOは「2000年までにすべての人に健康を」というスローガンの下に諸活動を展開しており,1978年9月には,アルマ・アタにおいてプライマリー・ヘルス・ケアに関する宣言を行った.しかし,これは主として開発途上国を対象としたものであったのに対し,今回のヘルス・プロモーションに関する憲章は,その前文にもある通り,主として先進工業国を対象にしたものである.そして,これこそが,これらの国々における新しい公衆衛生であるとするのである.

保健所は今

保健所における思春期精神保健の取り組みについて

著者: 高野正子 ,   坂井芳夫 ,   原田正文 ,   松岡朋子 ,   坪井真喜子 ,   北村栄一

ページ範囲:P.803 - P.807

■はじめに
 近年,社会や人口構成の急激な変化に伴い,「こころの健康」の課題及びニーズが多岐にわたっている.思春期においても心身症,家庭内暴力,登校拒否等の不適応症状を示す児童,生徒が急増しており,これら青少年への対策が早急の課題となってきている.厚生省は昭和59年10月から思春期に関する相談,指導を総合的に行い,母性の健康の保持増進を図る目的にて「健全母性育成事業」をスタートさせた.現在大阪府を含む14都道府県市にて実施されている.また「思春期精神保健懇談会」の答申を受け,昭和60年より「こころの健康づくり運動」として思春期精神保健事業を推進することになった.大阪府でも昭和61年度より思春期精神保健事業を,衛生部の事業として府下に3モデル地区を設定し開始した.そのモデル地区の1つである「大阪府立高校第2学区」(三島地区)では,昭和57年より大阪府吹田保健所を中心に思春期保健の取り組みがなされてきた.ここに過去5年間の取り組みについて報告する.

衛生公衆衛生学史こぼれ話

43.イヌの箝口令

著者: 北博正

ページ範囲:P.768 - P.768

 その昔,英国では狂犬病予防のため,飼主はイヌに口輪をはめて,他のイヌを噛まないようにと箝口令(muzzling law)なるものを制定し好成績であったが,第一次世界大戦後,動物愛護団体等の猛反対運動に押し切られて,遂にこの法律は廃止された.
 ところが,大戦後しばらくして英国に狂犬病が発生し,大騒ぎとなった.それではこの狂犬病の病毒はどこから来たのだろうか?

日本列島

長寿社会に向けて—岐阜

著者: 井口恒男

ページ範囲:P.751 - P.751

 急速に進んでいる高齢化の現象は,日本での緊急に取り組むべき課題であり,国においては総合的な対策をとるべく「長寿社会対策大綱」を昭和61年6月閣議決定している.
 岐阜県においても,県下の学識経験者,医療福祉,企業,行政の代表等からなる県長寿社会対策懇談会や,県行政の各関係課よりなる県長寿社会対策連絡会議を設置し,国に呼応して県として総合的に取り組み,基本施策を作成することとなった.

梅毒血清反応の陽性者について—宮城

著者: 土屋眞

ページ範囲:P.762 - P.762

 近年,性病は「性行為感染症」として,かつての梅毒・淋病等の4大性病に加えて,AIDSやトリコモナスなども含まれた概念で論じられるようになった.ことに人命を脅かしているAIDS増加の前では,梅毒のかげも薄くなった感さえする.
 筆者はだいぶ以前に,宮城県衛生研究所等で実施した梅毒の定量成績から,実態を検討し報告(保健の科学8(6),昭.41,公衆衛生33(11),昭.44)したことがあり,ときどき頭をよぎる,その要旨を述べたい.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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