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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生51巻12号

1987年12月発行

雑誌目次

特集 訪問看護

医療・保健制度と訪問看護

著者: 前田信雄

ページ範囲:P.812 - P.816

■はじめに
 日本における訪問看護の遅れは,老人保健と医療へのニーズ拡大のなかで,一層大きな問題となってきている.
 訪問看護の発展を阻んだ要因は,いろいろある.その主なことを初めにあげてみると,次のことがらになろう.

行政における訪問看護の動向と保健婦の課題

著者: 金井竹子

ページ範囲:P.817 - P.820

■はじめに
 現在,訪問看護は,寝たきり老人,難病患者・重症心身障害児,母子・精神病患者など在宅療養者を対象に,市町村・保健所・病院・診療所・その他の団体などが実施している.
 その訪問看護のうちで,最も多く提供されている市町村の寝たきり老人訪問看護を中心に,訪問看護の現状と問題点を述べ,その担い手の中心である保健婦の役割の今後の方向を探りたい.

医師会と訪問看護

著者: 橋本欣也 ,   真島恵吉

ページ範囲:P.821 - P.824

■はじめに
 昭和58年の老人保健法制定以来,行政では訪問指導事業を実施していますが,中野区医師会(会長,菊田能敬先生)は,区保健衛生部のこの事業に協力して,今日に至っています.さてわが国の高齢化のテンポは非常に速く,世界有数の長寿国となり,必然的に老人人口の上昇を招き,ひいては寝たきり老人の増加を伴ってきています.14年後の21世紀の初めには,現在の50%以上も増え,100万人を超えるものと予測されています.一方国民総医療費は,高度な医療技術の発達,医療機器のめざましい開発とともに,昭和61年度は約18兆円に達しています.そのうち老人医療費は4兆8千億円でありますが,10数年後の昭和75年度では,国民医療費は44兆1千億円,そのうち老人医療費は16兆3千億円という,膨大な数字を厚生省は試算しています.このような,人口構成の急速な変貌と,経済面での著しい医療費の増加は,厚生省をして,62年6月に在宅医療環境整備に関する検討会を企画・発足させたものと思われます.ここで,寝たきり老人の主治医として,在宅ケアの一翼を分担する医師会と,行政が企画する訪問指導との連携の実態などを紹介し,若干の考察とその問題点について述べてみることにします.

病院の訪問看護

著者: 川田哲子

ページ範囲:P.825 - P.830

■はじめに
 社会福祉法人恩賜財団静岡済生会総合病院は,昭和23年6月1日に開院し,39年の歴史をもっている.ベッド数865床,診療科24科.病院の周囲には済生会が運営する医療福祉センター(児童部・肢体不自由児施設・成人部・重度身体障害者更生援護施設・ライトホーム・盲人センター及び研修所),重度心身障害児通園施設いこいの家,病院附属看護専門学校,そして,10月1日より開設された特別養護老人ホームを有し,福祉を前面に打ち出し,活動している.
 筆者の所属する保健福祉部健康管理科は,保健婦4人,看護婦2人,放射線技師1人,事務員3人の構成である.健康診断活動(人間ドック,地域住民集団検診,乳幼児健診)と保健指導活動(家庭訪問,衛生教育,乳幼児育児相談,一般健康相談)を業務としている.部にはもう一つ相談科を有し,医療ソーシャルワーカー4人,栄養士1人,心理判定員1人が在籍している.訪問看護にはそれぞれの立場で加わっている.

保健所と訪問看護

著者: 杉浦芳子

ページ範囲:P.831 - P.837

■はじめに
 政令指定都市である川崎市では,昭和53年度に在宅寝たきり老人及びそのおそれのあるものについて,市保健所保健婦の訪問による実態調査を実施し,翌54年度から保健所保健婦及び在宅の保健婦・看護婦を訪問指導員として委嘱し,訪問看護事業を実施してきた.また寝たきり化予防という観点から,集団ケアとしてリハビリテーション教室を実施してきた保健所もあり,それは老人保健法施行後も,訪問看護指導と機能回復訓練教室として,拡充を図りながら継続実施している.
 本稿では,川崎市における訪問指導事業の概要を紹介しながら,主として多摩保健所における実践を通して,保健所の地域保健活動としての訪問看護と,今後の課題について考察したい.市の人口,老齢人口は図1の通りである.

東京都における老人保健事業による訪問指導事業の現状と課題

著者: 金子靖子

ページ範囲:P.838 - P.844

■はじめに
 老人保健法が施行されて5年目を経過した.東京都においては,法施行以前から訪問指導事業を実施していた地区もあったが,昭和61年度から全区市町村で事業が軌道に乗った.
 65歳以上の老年人口割合は8.9%(昭和60年10月)と全国(10.2%)に比較してまだ低いが,昭和75年には14.9%と高齢化が急速に進むと推計され,家族の介護力の低下から在宅ケアに対するニーズは日に日に増大し,その充実が迫られている.また,これらのニーズを充足させるための新しい職種(社会福祉士・介護福祉士)が生まれることも決まり,現行の実施体制の中での共働,あるいは役割分担等の検討が必要となってくると予想される.

難病・障害者と訪問看護—在宅頸髄損傷者の調査から

著者: 松井和子

ページ範囲:P.845 - P.848

■はじめに
 本論は,筆者の調査データを基に在宅頸髄損傷者を具体例として,難病・障害者と訪問看護の関係を考察した報告である.
 脊髄損傷者の在宅生活が日本で一般化したのは昭和40年以降である.今日,その社会復帰は対麻痺者や軽度の四肢麻痺者が職業復帰に対して,重度の四肢麻痺者は,なお自宅退院が目標という現状である.

重症心身障害児の訪問看護—巡回訪問療育相談事業

著者: 末光茂 ,   村下志保子

ページ範囲:P.849 - P.855

■はじめに
 「重度の精神薄弱と重度の肢体不自由を重複している」重症心身障害児(以下,重症児と略す)は,人類の歴史とともに存在していたはずであるが,人権思想の未成熟,社会福祉や医療の制度,さらには医療技術の未発達などにより,体系的に取り上げられることはなかった.昭和20年代から30年代のはじめになって,当時の社会福祉制度のいずれからも重症児がはみ出て,適切な処遇が用意されていないことが指摘され,ようやく社会福祉の立場から注目されるようになった.昭和42年の児童福祉法の一部改正によって,重症心身障害児施設が,児童福祉施設であるとともに病院であるという性格の二面性を有する施設として法的に位置づけられるに至り,その後の行政上の対策は飛躍的改善をみることとなる.ただし50年代中頃までの重症児対策は,重症児福祉イコール施設整備の立場で,ベッドの拡充に力が注がれた.
 重症児の出現率は,幼児期(3〜7歳)での悉皆調査結果で1.24‰,学童年齢の悉皆調査で0.99‰であり,全国的にみるとその数は約30,000人と推定される1).昭和42年の公法人立重症心身障害児施設は13施設であったが,昭和62年には58施設となり,国立療養所重症心身障害児病棟80カ所を加えると,そのベッド数は14,000余りに達した.

患者家族から訪問看護にのぞむもの

著者: 石川左門

ページ範囲:P.856 - P.859

■地域指向と在宅ケア
 筋萎縮症の患者運動20数年の歩みを通じて得た,患者の生と死とに関わった多くの体験は,自分の人生をいかに終わるかという問いを,常に自分自身に投げかけてくる.
 死は悲しみではあれ,死はだれにも訪れる人生最終の関門であり,従って,死それ自体は,極めて自然な出来事に他ならず,問題は,その迎え方にある.そして,いかに終わるかという人生の課題は,具体的な問題として,更に二つの問いを投げかけてくる.一つは,今までをどう生きてきたか,これからの残り時間をどう生きるかであり,一つは,どこで終わるかという,死を迎える場の選択の問題であるが,いわば前者は人生哲学の問題であり,後者は社会学的課題となる.

英米における訪問看護

著者: 島内節

ページ範囲:P.860 - P.866

■はじめに
 わが国では,人口高齢化,慢性疾患患者の増加,障害をもって生きる人々の増加などにより,在宅ケアを必要とする対象者が増えている.老人保健法によって訪問指導の制度化と,低額ではあるが料金化されたことで,訪問看護は在宅ケア体制やこれを支える条件がほとんどないなかでも拡大しつつある.また老人保健施設や訪問看護等在宅ケア総合推進事業としてのモデル事業への取り組みをめぐって,訪問看護は国の政策的な意味でも大きなステップを迎えた時期といえる.今後わが国の訪問看護は保健医療福祉政策に伴って,どのような歩み方をし,どのように歩むことが望ましいのであろうか.これらの示唆を得るために,医療制度を国営化したイギリスと行政・民間のさまざまな組織が入り組んで商業化した部分をもつアメリカ合衆国の訪問看護を中心に,在宅ケアの歩みとその実際について述べる.

対談・連載

公衆衛生の軌跡とベクトル(3)—1960年代を中心に

著者: 橋本正己 ,   大谷藤郎

ページ範囲:P.867 - P.877

人間の健康と社会保障のあり方
 大谷 今回と次回は1960年代を中心に「福祉元年」と言われた1973年までの激動の時代について話し合いたいと思いますが,前回の時代で重要な一つである『厚生白書』を,誌面の都合ではずしましたので,まず話題にしたいと思います.
 昭和32年に発表された『厚生白書』には貧困とは何か,ということが述べられており,読んで非常に感激しました.それが厚生省へ入るひとつの契機になったのですが,昭和20年代では,社会保障は貧富の格差の是正ということを重視してそのために,「すべての人に平等な医療を保障する.更に,すべての人に公衆衛生の恩恵を与え健康生活ができる」ような観点で,国の税金の所得再配分にウエイトがおかれるのが福祉国家の基本ではないかということだったのではないでしょうか.

発言あり

自由課題

著者: 揚松龍治 ,   佐野正人 ,   鈴木治子 ,   田中平三 ,   庭山正一郎

ページ範囲:P.809 - P.811

これからの保健所
 厚生省は,疾病構造の変化や市町村の保健活動の充実などで大きな曲がり角に来ている保健所の在り方を中心として,地域保健の将来構想を検討するため「地域保健将来構想検討会」を9月18日に発足させた.保健所の役割として今後ますます重視されるのは,地域の保健・医療のネットワーク作りの役割と,情報の収集と解析,そして提供という情報センターとしての役割であると思う.現在保健所は十分住民に知られているとは言えないが,その原因として情報の提供が不足していることがあげられると思う.
 住民が健康に関する情報を得る手段は,テレビ,新聞が圧倒的に多いというアンケート結果が出ていたが,ここ奄美大島では,保健所が奄美の地元新聞社2社と連携をとって,住民に色々な情報を提供している.例えば母子関係の特集を組んでもらって,各種健診や養育医療,療育医療等の制度の説明を行ったり,アルコール依存症が多いということで,保健所で行っている酒害相談の利用を呼びかけたり,肥満者が多いということで,保健所が行っている事業の説明や,食生活の留意点を載せてもらったりしている.また,健診の受診率が低い場合に受診勧奨を行ったり,衛生課関係でも,犬の届け出や狂犬病予防注射の呼びかけ,放し飼いに対する注意,その他食品衛生に関すること,浄化槽に関すること等,さまざまな情報を伝えている.

ぷりずむ

健やかに老いること

著者: 園田真人

ページ範囲:P.878 - P.878

 "健やかに老いる"というスローガンがいわれ初めたころは,なかなかいいスローガンだと感じたが,あらたまって,すべての日本人が"健やかに老いる"ことが出来るのだろうかと考えてみれば,甚だ心もとない感じがする.
 呂新吾(中国明の人)は「老いは嘆くに足らず,嘆くべきは,これ老いて,空しく生くることなり」といっているが,老いて空しく生きなかった人も少なくない.斎藤茂吉は晩年に肋膜炎になり重体になったが,歌を作るための気迫によって健康をとりもどし,66歳から69歳の間に20冊の歌集,評論集をまとめ,72歳まで生きぬいた.貝原益軒には多くの著書があるが,農業全書(67歳),大和本草(79歳),養生訓(84歳)など高齢になってからのものである.しかし,すべての日本人がこのような一生を送ることができるものではない.

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基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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