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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生51巻8号

1987年08月発行

雑誌目次

特集 公害とその後

地球規模の環境破壊と自然環境の保全

著者: 三浦豊彦

ページ範囲:P.508 - P.511

■夏目漱石とロンドンの大気汚染
 イギリス留学中の漱石は,「倫敦ノ町ヲ散歩シテ試ミニ啖ヲ吐キテ見ヨ.真黒ナル塊リノ出ルニ驚クベシ.何百万ノ市民ハ此煤烟ト此塵埃ヲ吸収シテ毎日彼等ノ肺臓ヲ染メツゝアルナリ」と書いている.明治34年(1901)のことである.20世紀のはじめに当たる.しかし,漱石はこんな汚染空気を吸っているのにイギリス人の顔色があれほど美しいのは,大気の汚染によって,太陽光線が弱められるからにちがいない,日本のように強い太陽光線によって,彼らの肌がやかれないからと考えたようである.
 1700年のGreat Britainの人口は600万から700万人の間で,当時1人当たり1年に0.5トンの石炭産出にすぎなかった.1世紀たった1800年の人口は1,000万人から1,100万人の間で,この時期の1年間の石炭産出量は1,000万トンから1,500万トンの間になっていたというから,1人当たり約1トンということになる.それ以後,人口も石炭産出量も急増し,1900年のGreat Britainの人口は3,700万人で,これに対して1年間の石炭産出量は22,000万トンとなり,1人当たりでみると年約6トンにも増加していたのである.

大気汚染による健康影響

著者: 吉田克己

ページ範囲:P.512 - P.515

■戦後の大気汚染問題
 大気汚染の問題は戦前においてもいくつかの事例があり,有名なものとしても東京・浅野セメント事件,大阪アルカリ事件などいくつもの例がある.しかし,大気汚染の問題,特にその健康影響の問題に,大きな社会問題としての強い関心が向けられるようになったのは第二次大戦後のことであるともいえよう.
 このようなことの背景には,第二次大戦における「技術革新」ということがある.この技術革新は,内容的には,今日のいわゆるハイテクとよばれる革新技術の展開とは違って,生産力の巨大化を中心としたもので,例えば,発電機1基当たりの出力は長い間せいぜい4万kw程度までで特別の出力上昇はなかった.戦後はまず米国よりその出力の大幅増大が始まり,日本においても昭和20年代後半頃より,その一基当たり出力の急激な上昇,巨大化が起こり,30万kw,50万kwになり,昭和40年代には100万kwを突破するなど,20〜30倍に及ぶ巨大化がみられるようになった.鉄鋼産業においても,あれだけ生産力増強が叫ばれた第二次大戦中で,最大の生産をあげた時(昭和17年)でも,粗鋼年産700万トンまでであったが,これは今日の1製鉄所での生産可能な範囲となっている.

水俣病とその後

著者: 二塚信

ページ範囲:P.516 - P.522

■水俣病の現況
 水俣病の公式発見は昭和31年5月,経済白書が「もはや戦後ではない」とうたった年である.以来31年,本年2月末の水俣病認定患者は熊本,鹿児島両県で2,158人(うち死亡780人)を数える.このほか,水俣病かどうかの判断を求めている認定審査申請者が5,440人にのぼる.
 図1は患者発生地域の八代海沿岸集落別の水俣病患者の有病率を示す.当初,劇症患者の多発をみた湯堂,茂道など水俣湾周辺の漁村集落の有病率は20〜40%で,集落ぐるみの地域集積性を物語っている.この地域を中心にほぼ南北40km,東西15kmにわたる沿岸部のほぼすべての集落は1〜10%の有病率を示し,水俣病がとりもなおさずこの地域の,最も重要な地域保健の課題であることを示唆している1)

イタイイタイ病とその後

著者: 石崎有信 ,   城戸照彦

ページ範囲:P.523 - P.529

■はじめに
 富山県神通川流域に多発したイタイイタイ病(以下イ病)の原因が,上流の鉱山から流出したカドミウム(以下Cd)であると指摘されてから既に久しい.昭和42年以降61年までに,富山県の認定審査会で認定されたイ病患者は,148名である.このうち127名が死亡し,61年12月末現在の生存患者数は21名である.要観察者は386名(その中には一度要観察を解除された後,再び判定されたものが含まれているので実数は319名)であり,115名が要観察の間に死亡し,さらに,イ病と認定された者,要観察を解除された者を除くと現在の生存者は23名である(表1)1).このようにイ病とは,現在も闘病生活を続けている患者が存在している疾患であることをはじめに明記しておきたい.
 さて,これまでにイ病に関する研究論文は,多数発表されている2〜9).ここでは昭和50年以降今日までの研究結果の概要を述べて,現在の到達点と今後の課題について明らかにしてみたい.

ヒ素による健康影響とその後

著者: 常俊義三

ページ範囲:P.530 - P.537

■はじめに
 ヒ素,あるいはその化合物は,1800年代より,急性感染症,喘息,乾癬の治療薬(ホーレル水),梅毒の治療薬として用いられ,また,近年では殺虫剤,殺菌剤として用いられたことにより農作物,家畜のヒ素化合物の検討が行われ,更には,半導体素子の材料として使用されていることから,半導体素子製造に従事する従業員の毛髪中のヒ素含有量についての測定が行われている.
 ヒ素暴露による人体影響については,医薬品服用者にみられた影響,ヒ素製造工程に従事する従業員についての影響,食品製造過程での食品汚染による影響,台湾,アルゼンチン,チリ等でみられた井戸水汚染による影響など数多くの報告がみられている.

森永ヒ素ミルク中毒事件と被害者のその後

著者: 山下節義

ページ範囲:P.538 - P.543

■事件の経過
 1955年,西日本一帯で発生した森永ミルク中毒事件は,12,131名(そのうち死亡130名,1956年厚生省調べ)の乳幼児が被災したという大規模なものであった.この事件は,粉ミルクに混入していたヒ素などの化学物質(以下に「ヒ素」と表現する)により引き起こされたものであった.心身の発達が未熟な,抵抗力の弱い,生後間もない乳児を主体とする集団に発生したという点で,また,主食である粉ミルクに混入していた毒物による中毒で,古今東西に類例を見ない事件であり,事件の背景や事件発生後の経過等に問題点を多々内包していたという点で,特異な出来事であった.
 「ヒ素」によると原因が明らかにされて後,森永粉乳の使用停止や未使用缶の回収が行われた.BAL等を用いた治療により,被災児たちの臨床症状は急速に消退し,年内にほとんどが治癒したと判断された.そして,翌年の一斉「精密検診」の結果,「後遺症として認むべきものなし」として,この事件は処理され,医学的にも行政的にも社会的にも忘れ去られていった.

油症その後

著者: 吉村健清

ページ範囲:P.544 - P.549

■はじめに
 油症事件は,昭和43年に福岡県,長崎県を中心として,汚染食用油の摂取によって起こった食中毒事件である.この事件が単なる食中毒事件にとどまらず,世界的に大きな衝撃を与えたのは,油症の原因物質と考えられていたPCBが,世界的に重要な環境汚染物質として注目されていたからである.
 本稿では,油症についてこれまでの経緯を簡単に述べ,油症にかかわる問題点のいくつかについて言及する.

交通騒音の健康影響

著者: 吉田敬一

ページ範囲:P.550 - P.556

■はじめに
 騒音は良く知られている通り,「好ましくない音」であり,特別な測定器がなくても,耳で聞いただけで判断される事などから,公害の苦情の件数としては最も多い.
 またわれわれは,生活行動に伴って直接または間接に音を発することが多いので,騒音源も多種多様である.騒音の種類別に苦情件数を分けると,表1のようになる.この表から自動車・航空機・鉄道などによるいわゆる交通騒音による苦情は,全体の7パーセント程度であり極めて少ない.しかしこれは交通騒音の特殊性を物語っているもので,件数は少ないが,飛行場周辺,新幹線沿線,主要道路沿道など,騒音が問題となっている地域では深刻な社会問題となっているのである.

放射能による環境汚染

著者: 市川龍資

ページ範囲:P.557 - P.562

■環境放射能の歴史
 太古の昔から自然放射線や自然放射性物質が地球上に存在したことはよく知られているが,人工放射性物質が環境に存在するようになったのは比較的新しい時代のことである.
 わが国では昭和20年8月の広島および長崎への原爆投下により,それらの地域に核分裂によって生成された人工放射性核種がばらまかれたはずである.これが国内での環境放射能汚染の最初ということができる.しかし当時は原爆による強大な破壊力と,熱および直接の強力な放射線照射による人間の被害がすさまじいものであったから,環境にばらまかれた放射性物質についての調査は望むべくもなかった.半減期が30年ほどもあるストロンチウム90(90Sr)やセシウム137(137Cs)は今でも残っているわけであるが,その後に米ソの核爆発実験がはげしく行われたので,それによる放射性降下物(フォールアウト)が広く世界全体に沈着し,広島や長崎の土壌中の90Srと137Csを分析定量しても,その中から昭和20年の原爆に由来するものを弁別することが出来ない.

発言あり

医の倫理

著者: 揚松龍治 ,   田中平三 ,   佐野正人 ,   鈴木治子 ,   庭山正一郎

ページ範囲:P.505 - P.507

公平・献身を旨として
 医学は霊魂と肉体との二つより構成される人間を対象にしており,他の科学とは趣きを異にしている.
 昔は医療と宗教とが結びついていたが,そのうち医療は神の手を離れ,職業人としての医者が現われてきた.そして医療は時代と共に次第に進歩してきた.特に最近の医療の進歩はめざましく,以前には想像もできなかった新しい医療の試みを生み出すこととなった.すなわち,臓器の移植や人工臓器の開発といった例,試験管ベビーの誕生や遺伝子操作といった例である.このような実験的な要素を持った医療の試みに対し,医の倫理を逸脱するものであるという批判や異論が持ち上がっている.これには精神的なものをおきざりにして技術だけが進み過ぎることに対する畏れもあると思う.このような倫理的に検討されなければならない新しい医療の試みは,医学が急激に進歩している今日,これからも増えることが予想される.

講座

栄養疫学—1.栄養疫学の視点

著者: 豊川裕之

ページ範囲:P.563 - P.567

■はじめに
 栄養疫学の概念は未だ確立しているわけではない.単に,"集団の表面に現われた栄養現象の学"であるに過ぎない.それは"栄養に関する集団現象の学"であり,"栄養状態や栄養問題を集団レベルで取り扱う学問"である,つまり,細胞や組織,あるいは個人の栄養現象を取り扱うことは栄養疫学の研究対象とはなりにくい.しかし,ここで用いた"…とはなりにくい"ということは,"…とはならない"と区別しなければならない.栄養疫学の立場で,細胞・組織・臓器レベルの生理学的現象を取り扱うことはできるが,むしろ,人間集団のレベルで生起している健康現象を取り扱うほうが著しく効率的にできる,という意味である.

講演 大阪大学医学部 朝倉新太郎教授退官記念講演より

社会と健康—公衆衛生の立場

著者: 大谷藤郎

ページ範囲:P.568 - P.573

 30年近く前に,大学は違いましたが,時々大阪に来て同じ公衆衛生,社会医学の道を志す後輩として関悌四郎,丸山博両教授の聲咳に接しました.そのころは,朝倉先生は若き助教授でしたが,今日,ご退官にあたり記念講演のご指名を受けましたのは,光栄に存じますとともに歳月の早さにただ感無量です.

保健所は今

脳卒中予防対策における保健所の役割

著者: 関龍太郎

ページ範囲:P.574 - P.578

 ◇はじめに 今,保健所は地域を対象に何をなすべきか,問われている.保健所の歴史の中で,結核対策,伝染病対策における保健所の果たしてきた役割は大きかった.しかし,保健所は,細菌学が優先となり環境対策が遅れたこと,地方自治の確立が弱いこと,経済優先であり健康の意義,公衆衛生活動の重要性の認識が弱いこと,等の日本の公衆衛生の短所をそのまま持って,現在に至っている.
 現在,脳卒中予防対策,癌予防対策,精神保健対策,AIDS予防対策の時代と言われながらも,保健所の役割は何か,改めて問われると答えに窮している人が多いと聞く.

地域実践レポート

都市部における保健所の減塩運動—脳卒中,高血圧対策の一環として

著者: 柳尚夫 ,   逢坂隆子 ,   高濱佳世子 ,   松本洋子 ,   上島弘嗣

ページ範囲:P.579 - P.583

 ●はじめに 大東市は,人口約12万人の大阪市に隣接した新興のベッドタウンである.昭和40年代に人口が激増したが,この数年は人口の増加も止まっている.そのために老年人口の占める割合がまだ低く,粗死亡率では近隣の市と比べても高くない.しかし,標準化死亡比(以下SMR)で比較すると,近隣の市町村より脳卒中による死亡が多い.具体的な数字では,昭和59年の厚生省保健医療局老人保健部の全国市町村別保健マップ数値表1)によると,脳卒中による男子のSMRは,大東市98.6で,大阪府83.2や,近接の四条畷市78.4,守口市76.2,交野市73.8,東大阪市97.3,大阪市86.5と比べて高い.
 減塩運動が,脳卒中死亡率が高く食塩の摂取量の多い,秋田を始めとする東北の農村地域においては,活発に展開されている2,3).しかし,まだ都市部においては,減塩運動の評価も具体的対策の進め方も十分に確立されているとは言いがたい状況である.本市は大都市大阪の衛星都市であるが,前述のような脳卒中多発地域という現状を踏まえて,高血圧対策として,都市部に合った減塩運動を保健所と市が協力しながら模索しつつ取り組んでいるので報告する.

衛生公衆衛生学史こぼれ話

40.冷奴チフス

著者: 北博正

ページ範囲:P.522 - P.522

 冷奴は夏の食物として喜ばれるが,これが原因となって,腸チフスが流行した1例を記そう.
 たしかシナ事変前のことであるが,東京新宿の住宅地で腸チフスの流行があった.患者発生曲線や患者の住居を地図の上にプロットして行く等の種々の調査の結果,この地区に営業する豆腐屋の主人が発生源と決定された.

日本列島

エイズ講演会—岐阜

著者: 井口恒男

ページ範囲:P.562 - P.562

 米国や中央アフリカでは爆発的発生ともいえるエイズは,わが国においても連日,日刊紙他マスコミを賑わしている.有効な薬剤や免疫学的予防治療策のない現在,感染防止策しかなく,関係者をはじめ一般市民がエイズを正しく理解し,感染しないよう行動することが唯一の策のようである.
 岐阜県では,62年2月に,保健所医師,保健婦,臨床検査技師など100数十名の衛生行政関係者を対象に,鳥取大栗村教授,順天堂大松本講師による研修会を実施した.また,4月上旬には県医師会と共催で,診療従事医師を対象として,栗村教授,塩川順天堂大名誉教授(エイズサーベイランス委員長)による研修会を県医師会館ホールで実施した.400人以上が参加し超満員となり,従来の講演会にはみられない関心の高さであった.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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