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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生52巻2号

1988年02月発行

雑誌目次

特集 公衆衛生と危機管理

公衆衛生と防災活動

著者: 篠崎英夫 ,   大井秀夫 ,   小林浩三

ページ範囲:P.76 - P.81

■はじめに
 静岡県は,伊豆半島を除けばおおむね海岸線を底辺として,北方の南アルプスと富士山を頂点とするほぼ三角形の地形をし,多くの大河川を有しているため,過去には幾多の水害に悩まされてきた.また,地質的には糸魚川—静岡構造線があり,山崩れも発生しやすい地帯となっている.行政としては種々の防災対策を講じているが,東海地震を始め災害を予期・予測することは非常に難しいので,ここに防災行政の困難性がある.
 昨年11月,伊豆大島三原山の大噴火に伴い,東京都より静岡県に対し,大島住民等の避難に関する応援要請があった.静岡県は直ちに庁内関係各課,出先機関,関係市町とで連絡体制を作り,避難住民の受け入れ準備を整え,輸送のための交通手段の確保,保健所,日赤を中心とした応急医療の確保(救護本部の設置,毛布の手配等),非常用食糧の確保等の対策を講じた.避難住民は延べ3,156人にのぼり,収容施設32カ所を数えた.避難住民は,入院治療を必要とする者を除き,ほとんどの者が避難した日の翌々日までに東京都へ移送された.静岡県の救護本部等の動員状況は,県関係73人,県警関係97人,市町839人の計1,009人であった.三原山噴火のケースでは,比較的円滑に救援体制がとられたが,これも平時における具体的防災対策によるところが大きいと考える.

災害時の情報伝達と住民の対応

著者: 田崎篤郎

ページ範囲:P.82 - P.85

■伊豆大島噴火災害時の住民の対応
 昭和61年11月15日,伊豆大島の三原山は12年ぶりに噴火した.年々観光客が減少していくなかで,最大の観光資源である三原山の噴火は,島民にとっては久しく待ちわびていたものであった.事実,噴火後の数日間は,伊豆大島は噴火見物の観光客で大いににぎわい,島民は「御神火様」の到来を大いに喜んだ.大島観光協会は,東海汽船とタイアップして御神火見物のナイトツアーを開始し,外輪山の展望所には1,000人以上もの観光客や島民でにぎわうほどであった.伊豆大島の人々にとっては,数日後に大噴火が起こることなど,思いもよらぬことであった.
 しかし,一時鎮静化した三原山の火山活動は,11月21日午後4時15分,大噴火というかたちで再開した.この大噴火は,カルデラ内の割れ目噴火から始まり,北西外輪山外側の北山腹での割れ目噴火と広がっていった.そして,島の東部には多量のスコリアを降らせ,割れ目からあふれた溶岩は島最大の集落,元町へと向かって流れ出した.また,震度5の地震2回,震度4の地震13回をはじめ,242回の有感地震がこの1日に集中的に発生した.このような事態に見舞われた大島島民は,わが国火山噴火災害史上初めての全島民の島外避難と,約1カ月にわたる避難所生活という過酷な試練を経験することになったのである.島外避難は,21日の夕刻から22日の早朝にかけて行われた.

三原山噴火と保健所活動

著者: 友松栄二

ページ範囲:P.86 - P.90

はじめに
 昭和61年11月15日に始動した大島三原山噴火は,11月21日の夕刻4時ごろから565年ぶりの大噴火となり,溶岩が流れ出し,元町に迫った.予期せぬ大噴火であり,この危機から逃れるために大島町は全島民の避難命令を出し,島民は着の身着のままで島外へ避難した.約1カ月の避難生活を過ごした後,島に戻り,現在住民は三原山御神火と共存し,生活している.大島町住民と共にこの大噴火を体験した島しょ保健所大島出張所の三原山噴火災害に直面した保健衛生活動について報告する.

災害と避難生活—三原山噴火と大島島民

著者: 前田孝正

ページ範囲:P.91 - P.95

■はじめに
 「大島ニュース」の「最終号」は1987年11月21日,『三原山大噴火と私たち』と称し,84ページの冊子として発行された.
 それには,209年ぶりの御神火大爆発によって,全島民避難という歴史的な体験をした大島島民の,様々な思いがこめられている.大島町長植村秀正氏は,発刊によせて「この冊子が,生きている歴史的証言として永久に残り,綴られている事柄が教訓として生かされることを期待する.」と,述べている.

エイズパニックとその対策

著者: 井上明

ページ範囲:P.96 - P.101

■はじめに
 情報の不明確な遠いアフリカでのエイズはともかく,とりわけわが国と交流の多いアメリカからのエイズ情報は,その主要感染者がゲイや薬物静注者であるとはいえ,対応の難しい性行為感染症というわが国の公衆衛生上の難問題として,俎上に乗せられるであろうと予測された.具体的には長野から「ジャパ行きさん」として予告がなされ,ポスト・ジャパ行きさんは風俗営業関係女性と目されていたものの,いまだ市民生活とは無縁の,のぞき見る興味の対象程度の認識が支配的であった.そして,まず発生するとすれば首都圏から,との大方の予想を裏切って,不特定男性との性的接触?を行った女性エイズ患者は,神戸から報告された.唯一人の女性患者によって,単なる医学や公衆衛生上の問題としてではなく,学校教育あるいは人権と,たちまちにして国民的課題と化し,さらには貿易摩擦や売上税法案を押しのけて,緊急かつ最高度の政治課題にまで上った.
 性行為感染というエロチシズムと,先端医療もお手上げという恐怖の新型感染症の対比は,国民的のぞき趣味の興をそそるに十分であった.一部とはいえ,たちまちこれと迎合したすさまじいマスコミ報道は,患者や関係者のプライバシーを暴き,エイズをさらに恐ろしい疾病にしていった.

結核の集団発生と対策に向けて

著者: 中川喜幹

ページ範囲:P.102 - P.107

■はじめに
 平穏無事な日々が続くと,かつて世間を騒がせたもろもろの事件のことも忘れられ,社会の関心も薄れがちになるのは世の常であり,患者の減少に伴う結核や伝染病に対する関心の低下も例外ではない.
 一般の住民の場合にはこれもある程度やむをえないとしても,公衆衛生活動に携わる者は,ひとたびこれらの疾病が多発した時の社会不安に的確に対応できるように,常に「治に居て乱を忘れず」の心構えを養っておくことが必要である.

53年福岡大渇水とその後の対策

著者: 三角寛治

ページ範囲:P.108 - P.112

■はじめに
 市民生活や都市活動をするうえで,水道の蛇口をひねればいつでもすぐに水が出るという,ごくあたりまえのことがままならなかったのが,昭和53年の福岡大渇水であった.それは水を確保するための百万人を越える福岡市民の前代未聞の戦いであり,実に287日にも及ぶものであった.今では渇水の発生時や水に関する書き出し文章のたびに,必ずといっていいほど引合いや枕詞として登場してくるほどの,実に厳しく貴重な体験でもあった.5月20日から始まった制限給水の中でも6月2日には,決められた5時間の給水時間帯に一滴の水さえも蛇口から出なかった世帯が4万5千世帯にも及ぶ大混乱であった.この状態が6月10日まで続いた.
 その後,一時水源は回復したものの,早々の梅雨明け宣言により再び制限給水が強化されて,百万人を越える市民が,真夏日や熱帯夜の続く乾ききった福岡砂漠のなかで,くる日もくる日もひたすら雨を待ち,制限給水の下で不自由をしのいでいった.秋が過ぎ,さらに年が明けてからも福岡市民の窮水生活は続き,やっと3月25日に終止符を打った.この異常渇水は大変な災害であったと同時に,市民や行政に対して,水の貴重さと福岡市を取り巻く水問題の厳しさを真剣に問い直させる契機にもなった.

トピックス

母子間感染予防—最近の動き

著者: 平山宗宏

ページ範囲:P.113 - P.117

■はじめに
 人類は何千年かにわたる病原体との戦いの後に,痘そうを地球上から根絶するのに成功し,またペスト,発疹チフスなどの伝染病を制圧することができた.しかし一方では,新しいウイルスによる新しい感染症も次々に発見されている.
 これらの新しい病気の発生地(発見地)はアフリカが多く,ラッサ熱,エボラ熱などの致命率の高い熱帯性出血熱は幸い局地的発生でおさまっているが,出血性結膜炎(エンテロウイルス70型・学校伝染病)は短期間のうちに全世界に広まっている.手足口病も30年ほど前から気付かれた新しい病気で,その病原体の一つエンテロウイルス71型は発生地は不明であるが,これも新しいウイルスである.
 

フォーラム

地域医師会と公衆衛生活動

著者: 箕輪真一

ページ範囲:P.118 - P.124

●はじめに
 最近のある開業医(保険医)集団の新聞の主張欄に,"地域医療は開業医の診療を機軸に"の見出しがあり,その文中に「地域医療は公衆衛生ではない.あくまでも医療であって,医師の診療が中心であり,診療を中心としてその周辺(健康教育,疾病予防からリハビリ,ターミナルケアまで)を固めて行く形でなければならない」と述べられていた.筆者はこれを読んで途端に違和感を覚えたが,立場によっては用語の解釈も,ものの考え方も異なるものだと心にとどめることにした.
 つまりこの主張は,開業医は診療を本領とする臨床医であり,その多くは公衆衛生は行政であると心得ていることを示すものであり,医師会を構成する医師会員(主として開業医)を理解する上で留意しておかなければならない側面であると考えている.

活動レポート

豪雪と過疎のなかで—岩手県湯田町の保健活動

著者: 越後谷栄二

ページ範囲:P.125 - P.128

●湯田町の状況
 東北新幹線・北上駅でJR北上線に乗り換える.奥羽山脈を横断し,秋田県横手市に至るローカル線である.いくつかの小さな駅を過ぎ,ゴトゴト40分もゆられると,無愛想な山々が列車の前に立ちはだかる.初めて訪れる人たちは「この先に人家はあるのか」と,いぶかる.列車はやがて山腹を貫く長いトンネルを登りはじめる.そして五つ六つのトンネルを抜けると突然目の前が開け,車窓に人造湖がとびこんでくる."湯田ダム・錦秋湖"である.この湖岸に立ち並ぶ集落が,湯田町の中心地をなす陸中川尻である.
 昭和39年に湯田ダムは完成したが,当時はダム建設の景気もあって1万3千の人口を数えた.しかし,水没約600世帯,その半数は町を去った.なお,町内10指に及ぶ銅鉱山(鉱山関係者は人口のほぼ3割を占めていた)は,貿易自由化の波を受けてバタバタと閉山に追いやられた.その後の高度経済成長時代に続く人口流出は20数年を経て5千数百人という大過疎地に変貌させた.

調査報告

3歳児の母親の養育に関する意識・態度について—昭和48年と昭和61年の比較

著者: 栗栖瑛子 ,   中村通子 ,   古川明美 ,   吉岡京子 ,   永田素子 ,   藤木久江 ,   宮下暁子 ,   鈴木智子 ,   木の内るみ ,   小笠原美弥子 ,   井上恵美子

ページ範囲:P.132 - P.136

●はじめに
 我々をとりまく生活環境は,時代とともに激しく変化している.その中で,女性が初経を迎え,さらに母になっていく過程で,女性の意識はどのように変わっていくのであろうか.
 昭和40年代後半,新聞をはじめとするマスコミは,子殺しや捨子などをする母親の問題をしきりに報道した.当時の識者たちはこれらの原因を「人工乳のせい」であるとか,「母親のモラルの低下」,「戦後の道徳規範の喪失」等としていた1)

発言あり テクノストレスと精神衛生

精神健康を解くキーワード,他

著者: 梅澤勉

ページ範囲:P.73 - P.75

 産業社会に生きる人々の心の健康を本質的に左右している因子はなにか.それは,これからのメンタルヘルスの動向とストレスの対応にとり重要な課題である.この課題を解くキーワードは次の三点に集約できると,私は考えている.
 産業ルネッサンスからの工業化機械化はマスプロダクションをもたらし,物質的な豊かさと効率を求める実績主義を作り上げた.しかし,その実績主義から生まれた産業社会の構造と機能は,ハイテクノロジーの急速な普及により崩壊しつつある.この現状を実感し理解しながらも,人々は,実績主義が築き上げた年功賃金や終身雇用制に回帰する。その感情はいまもなお根強い.実績主義の崩壊の認識と過去への回帰との葛藤から生じる「無常感」がキーワードの一つである.

公衆衛生人国記

新潟県—新潟県出身の公衆衛生人を中心に

著者: 渡辺宏

ページ範囲:P.129 - P.131

 新潟県は本州のほぼ中央の日本海側にあって,本州をそのまま縮小したような形のいわゆる本土地域と,日本海に浮かぶ佐渡ケ島及びその北にある,墨滴のような粟島から成り立っている.広さは東西の最大幅198.9km,南北202km,面積12,578.62km2で,長野県に次いで全国第5位である.総人口は2,478,470人(昭和60年国調)を数えるが,これは昭和30年の人口とほぼ同じで,それ以降減少を続けていたが,昭和45年を最低とし漸増に転じて回復したものである.過去の人口を調べて見ると,明治26年の新潟県の人口は1,706,400人で全国第1位で,第2位の東京都を10万人余り引き離しているが,5年後の明治31年になると,日清戦争後の工業急成長の影響による人口の都市集中のせいか,17万人余り引き離されて第2位に転落している.これに関連して,新潟県の産業別従事者の割合を調べてみると,第一次産業14.1%(全国9.3%),第二次産業35.7%(全国33.1%),第三次産業50.1%(全国57.3%)と第一次産業従事者の割合が高く,依然として第三次産業従事者の割合の低い農業県,特に米作県である.農業は冬季の積雪のため単作であるが,米は年間82万2千トンを産出し全国一である.米作には殊に灌漑用水が重大な要件であるが,県内には大小の河川が多数存在し,灌漑用水不足をきたさない.県内の一級河川は34もあるが,水系別には10系を数える.

保健行政スコープ

今後の健康づくりと課題

著者: 村上茂樹

ページ範囲:P.138 - P.139

 健康づくりの3大要素は「栄養」と「運動」と「休養」であるとされている.従来,「栄養」については「国民栄養調査」,「日本人の栄養所要量」,「食生活指針」,「加工食品の栄養成分表示制度」,「肥満とやせの判定法」など種々の施策・目安が示され,マンパワーについても栄養士・管理栄養士がその専門家としての任を担うとともに食生活改善推進員がボランティアとして各地の地域特性に根ざした活動を行ってきた.が,一方,学問的な遅れもあり,「運動」や「休養」については施策らしい施策はとられておらず,マンパワーも適切な養成がなされていないのが実情である.
 近年,適度な運動が血圧を下げたり,血中HDLコレステロールを増加させるなど,健康づくりのために有効であることがわかるようになり,また,国民の間でも,余暇時間の拡大に伴ってジョギングやエアロビック体操など,健康づくりを目的として運動を行う人が増えてきている.さらに,アスレ・ヘルスクラブといった民間の運動施設も年間200施設のペースで急増するようになってきている.しかし,これに伴って運動中の突然死の問題や,過度の運動による障害など,運動に起因する問題も提起されるようになってきており,しっかりとした健康管理に基づいた適切な運動を普及することが必要となっている.

衛生公衆衛生学史こぼれ話

47.大牟田の赤痢大流行

著者: 北博正

ページ範囲:P.107 - P.107

 昭和12年(1937)9月25日(このとき筆者はすでに軍医として応召中)福岡県大牟田市において赤痢の爆発的大流行があり,終息時までに患者17,000名(推定),死者712名,当時の同市人口103,549の16.7%の患者が出た.これは1982年8月のハンブルグのコレラ大流行(患者数17,955)に匹敵する疫学史上の大記録である.この流行では疫痢様症状を呈する年少者の患者が多く,死亡者も同じ傾向を示した.
 地元の火葬場は酷使のためパンクし,近隣の農家は便所の汲取り作業を拒否し,パニック状態に陥り,流言蜚語(デマ)が飛びかい,戦時中であったので,防諜上の必要から,県警察部の特高,刑事両課に憲兵隊も出動し,厳重な報導管制がしかれたといわれている.

日本列島

第9回日本健康増進学会

著者: 岩永俊博

ページ範囲:P.81 - P.81

 第9回日本健康増進学会が,11月7,8日の2日間,全国のいわゆる健康増進センター関係者約200名を集めて,熊本県健康センターで開かれた.
 第1日目は,貝塚俊樹学会長,南禮三全国健康増進施設連絡協議会長の挨拶や来賓祝辞に続いて,一般発表が行われた.栄養の部,運動の部,休養の部,その他の部として,肥満に対する運動面・栄養面からの試みや,運動習慣や食習慣などと成人病との関連,コンピューターを利用した健康管理システム,そのほか様々な教室活動などについて,興味深い研究の成果が発表された.

自治体病院の課題

著者: 井口恒男

ページ範囲:P.90 - P.90

 地域医療体系の中で救急医療をはじめ,地域医療の中軸となって活動している自治体病院では,住民サイドからはより高度の医療の供給と健全経営という相反するともいえる要望を受け,他方,民間医療機関からは課税もされず税金を使って重装備をし民間機関を圧迫するなと要求されるなど,病院運営は難問山積の状況にある.
 このような中で,全国の自治体病院は互いに研究を重ねより良い運営を進めるべく協議組織を作っており,全国協議会やブロック会議等をもっている.

公衆衛生・保健所運営協議会の開催

著者: 土屋眞

ページ範囲:P.112 - P.112

 結核予防法と保健所法(第六条)の改正によって,政令市保健所においては,ことに保健所運営協議会の統合も可能になり,今まで3カ所の保健所ごとにあった仙台市の結核診査協議会は昭和62年4月から,保健所運営協議会は同年9月から1つになった.従来,当市では各保健所とも年4回運営協議会が開催されていて,全体会議・部会・視察などが行われ,全国でも活発なほうだったと思う.
 このたび新しく統合なった保健所運営協議会は,加藤衛生局長が厚生省の了解をえて,「仙台市公衆衛生・保健所運営協議会」と改称し,公衆衛生の文字が入って,保健所運営だけでなく広範囲のことについて,市長の諮問機関的な役割も担うことになったのが特徴である.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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