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活動レポート
豪雪と過疎のなかで—岩手県湯田町の保健活動
著者: 越後谷栄二1
所属機関: 1元湯田町保健課
ページ範囲:P.125 - P.128
文献購入ページに移動東北新幹線・北上駅でJR北上線に乗り換える.奥羽山脈を横断し,秋田県横手市に至るローカル線である.いくつかの小さな駅を過ぎ,ゴトゴト40分もゆられると,無愛想な山々が列車の前に立ちはだかる.初めて訪れる人たちは「この先に人家はあるのか」と,いぶかる.列車はやがて山腹を貫く長いトンネルを登りはじめる.そして五つ六つのトンネルを抜けると突然目の前が開け,車窓に人造湖がとびこんでくる."湯田ダム・錦秋湖"である.この湖岸に立ち並ぶ集落が,湯田町の中心地をなす陸中川尻である.
昭和39年に湯田ダムは完成したが,当時はダム建設の景気もあって1万3千の人口を数えた.しかし,水没約600世帯,その半数は町を去った.なお,町内10指に及ぶ銅鉱山(鉱山関係者は人口のほぼ3割を占めていた)は,貿易自由化の波を受けてバタバタと閉山に追いやられた.その後の高度経済成長時代に続く人口流出は20数年を経て5千数百人という大過疎地に変貌させた.
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