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公衆衛生人国記
千葉県—戦後公衆衛生の流れ
著者: 長井和行1
所属機関: 1千葉県立衛生短期大学
ページ範囲:P.641 - P.643
文献購入ページに移動昭和22年吉田亮,中島博徳両氏(共に現千葉大医学部教授)がリーダーとなって,社会医学研究会なるものを創り,千葉医大の学生十数名が参加,夏休みを利用して市原郡五井町4部落の結核と寄生虫の集団検診をはじめた.当時の五井町長相川久雄氏が熱心に肩入れをしてくれて,農業会の二階に合宿,女子青年団が炊き出しをするという力の入れようだった.当時の千葉県は未だほとんどが農漁村でもちろん結核と寄生虫が多く,村の鉤虫卵保有率は40%を超え,顔色の悪い人が目立って多かった.五井保健所は未だ粗末な木造平屋のスレート葺きである.「保健所の屋根の瓦の二つ三つ崩れてありぬ寂しき日かな」は吉田亮さんの歌である.若い青年たちの情熱が燃えて生き生きと集団検診の仕事をしながら,ふっと寂しくなる時がある.あれがあの時代の憂愁だったのであろうか.私は今でもこの歌が忘れられない.アルコールをカフローゼという鎮咳剤と水で薄めて飲んで酔い,保健所の廊下で所長の田中正一郎さん(慶大卒元厚生省保健所課長)を真中にしてストームを踊った.今なら当然市民や県庁から叱られるところであるが,当時はそのエネルギーだけが讃えられていたのだと思う.千葉医大第一内科石川憲夫教授が,時に小学校に出張して村人を診察してくれた.その頃大学教授は神様の如き存在で,暑い青田の道に長い受診の行列が出来たものである.
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