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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生55巻4号

1991年04月発行

雑誌目次

特集 町づくり健康づくり私たちのノウハウ—保健婦からのレポート

わが国の保健婦活動

著者: 湯沢布矢子

ページ範囲:P.224 - P.228

◆はじめに
 人生80年時代を迎えている今日,健康の価値は一段と重みを増している.そして国民の健康づくりを推進し,在宅療養者や寝たきり老人などのケアを推進する上で,保健婦の果たす役割が大きく期待されつつある.
 現在,日本全国では約24,000人の保健婦が働いているが,この特集では地域における保健婦活動が対象になっているので,ここでは保健所と市町村の保健婦の現状と課題について述べる.

町づくりの中での保健婦活動

著者: 荒尋子

ページ範囲:P.229 - P.232

◆鷹栖町の概況
 鷹栖町は北海道のほぼ中央に位置し,北海道第2の都市旭川市に隣接する総面積139km2,人口7,200人の町である.四方を山に囲まれた水稲農業を中心とした農村であるが,農業人口は徐々に減少し50%弱となっている.世帯数は2,000戸で,そのうち農家戸数は862戸である.人口の年齢構造では0歳から14歳までの人口が減少し,65歳以上の人口は17.4%(平成2年11月末)である.10年後には21%と推計され,速いテンポで人口の高齢化が進んでいる.町内の医療機関は,昭和43年に国保診療所を民営に移管した際に開業していただいた内科小児科医院1カ所と,町立歯科診療所1カ所である.両医療機関の医師はともに町民のホームドクターとしての医療活動を行っている.
 保健婦活動は昭和33年,1名の保健婦から始まり,現在は5名体制である.

住民ニーズの把握—甲府市における一つの試み

著者: 深沢公子

ページ範囲:P.233 - P.236

◆はじめに
 甲府市は山梨県人口の4分の1弱を占め,人口20万人,世帯数72,000戸,老齢人口は12.9%で,全国平均よりは高齢化が進んでいる県都である.平成元年の出生は1,711人(出生率8.6),死亡は1,291人(死亡率6.5),自然増加は前年比-164と,人口は横ばいかやや誠少傾向である.
 本市では昭和59年度に,20万市民が幸せの条件“健康であること”を手にするためにはどうしたらよいか,すべての市民一人ひとりが行政と一体となって考え,健康増進への実践努力をしていくために,「市民総合保健計画」の策定を行った.それと同時にこの保健計画を推進していく中での一つの試みについて述べてみたい.

地域における母子保健活動

著者: 倉本尚美

ページ範囲:P.237 - P.240

◆はじめに
 近年,わが国の母子保健レベルは向上し,乳児死亡率・周産期死亡率が減少の傾向にある.しかし,新宮保健所管内では,昭和57〜59年にかけてこれらの母子保健指標が全国・県平均よりも著しく高く,市町村保健婦・保健所保健婦共通の問題として取り上げられていた.そこで,管内全保健婦が協力しあい,低体重児出生・周産期死亡の原因追求と,その削減対策についての検討を重ねた.そして,管内で一貫した母子保健管理を実施していけるようマニュアルを作成した.その経過を報告する.

循環器疾患集団健診後の管理—兵庫県市川町

著者: 宇野小百合

ページ範囲:P.241 - P.244

◆はじめに
 兵庫県市川町では,脳卒中が虚血性心疾患よりも多いことから,脳卒中の予防を目的として,高血圧対策を積極的に講じてきた.ハイリスク者である高血圧者の早期発見のための健診と高血圧者に対する健康教育,保健指導を展開してきた.しかし,高血圧は定型的自覚症状を示さないし,潜在的に進行する疾患だけに,保健指導は困難で,保健指導の効果が得られたと自信をもって言えないようである.
 一方,食生活,労働状況などライフスタイルの欧米化により,高血圧の減少が認められるようになってきたが,高コレステロール血症や肥満の増加が観察され,将来,虚血性心疾患が増加するかもしれないと思われるようにもなってきた.
 このような理由から,健診後の健康教育,保健指導の体系とそのあり方を検討する必要性を感じ,成人病健診のデータを解析した.この解析では循環器疾患のリスクファクターである血圧値・血清総コレステロール値・肥満度の近年における推移を解析し,今までの保健指導の評価を行うと共に,今後のあり方を探ってみたい.

脳卒中の予防とリハビリテーション—15年間の活動を振り返って

著者: 前山和子

ページ範囲:P.245 - P.248

◆はじめに
 松阪保健所では,昭和45年から成人病対策への取り組みが始まり,その中から昭和51年に「脳卒中後遺症者在宅リハビリテーション活動」が開始された.
 在宅後遺症者の社会復帰という大きな目標を掲げ,活動の重点は,家庭訪問による個別ケアから仲間づくりへの支援,そして,昭和58年に老人保健法が施行されてからは,市町村の機能訓練事業の調整と大きく変化してきた.この15年間の活動を振り返るなかで,保健婦の果たしてきた役割について考えてみた.

在宅ケアシステムづくりの試み—神奈川県相模原保健所の実践から

著者: 岩崎ミツエ

ページ範囲:P.249 - P.252

◆はじめに
 神奈川県在宅療養者訪問看護事業(以下在看事業という)は,ニーズ調査や実証検討などを経て昭和第61年度から事業化された.この在看事業は,年齢や病名等の制約をなくし,訪問看護を必要とするすべての人を対象に,県と市町村が協同して援助をすすめていく主旨のものである.
 相模原市においては,すでに昭和55年度から寝たきり老人福祉対策として,訪問看護を市独自で実施していたが,平成元年度には神奈川県の在看事業へと移行し,これを機に総合的なケア体制へと大きく発展した.ケース検討やシステム検討の会議が置かれ,医療や福祉関係者,ボランティア等との連携による総合的な支援が行われ,現在では常時100名前後の在宅療養者に訪問看護が提供されている.保健所でも難病や精神障害者(痴呆を含む)等を分担し,また専任保健婦も訪問看護婦の教育や会議の企画にも参加する等,市役所と保健所が共に取り組んでいる.
 筆者も,在看事業の初年度である昭和61年に,20日間にわたる神奈川県在宅ケア専任保健婦研修を受講した.以来5年間,当保健所で在宅ケア専任保健婦として相模原市が在看事業へと発展する過程にかかわることができた.

痴呆性老人の在宅ケア—在宅ケアシステム機能の分析

著者: 二位ゆかり ,   小亀正昭 ,   橋本和子 ,   梶孝江

ページ範囲:P.253 - P.256

◆はじめに
 わが国は,世界に例をみないスピードで人口の高齢化が進み,特に75歳以上の後期高齢者が増えつつある.和田山保健所が所管する南但馬は,県下でも高齢化の著しく進展する地域で,年齢65歳以上の高齢化率は20.0%に達し,県平均の11.5%を大きく上回っている.
 このような高齢化社会にあって,住み慣れた地域で最期まで人間らしい生活を送りたいという願いは,すべての人々に共通した願いであり,そのためには,たとえ障害があったとしても,在宅生活の継続を可能にする多様な援助体制「地域ケアシステム」の確立が必要不可欠である.しかし実際には,家族が困難を訴えても,それに対応する援助メニューが希薄であったり,サービスを提供する側の体制整備も十分でないのが現状である.
 今回,管内の生野町で訪問を継続している痴呆性老人について,在宅ケア支援のための機能を評価し,その結果を通して,生野町における援助体制について考察した.

難病患者会への取り組み

著者: 金子由美子 ,   難波邦子 ,   中野千恵美 ,   長谷川富美子 ,   吉田起久子 ,   内川恵美子 ,   香川裕子 ,   三本利枝子 ,   永幡玉枝 ,   菱川寿江 ,   矢野純子

ページ範囲:P.257 - P.260

◆はじめに
 守口市は,淀川沿いに大阪市に隣接する人口約16万人,府下第1位の人口過密都市で,二つの大手弱電メーカーと小零細企業を中心とした産業構造である.守口保健所では,昭和59年より特定疾患公費負担申請時に面接指導を,昭和63年春に実態調査アンケートを実施した.そこからの声を反映するかたちで,神経筋難病患者と家族のつどい(つたの会)を開催し効果をあげてきたので,その援助の経過を報告する.

コンピュータ管理による訪問指導—摂津市

著者: 前野さゆみ

ページ範囲:P.261 - P.264

◆はじめに
 摂津市は,人口約87,600人,面積15.7km2,大阪府の中央やや北部に位置し,大阪市に隣接した核家族の多い,人口過密の衛星都市である.
 本市では昭和51年以来,市,保健所,医師会の有機的な協力システムのもとに市民総合健診を実施してきた.
 さらに,老人保健法が施行された昭和58年には,地域保健事業の実施計画の策定に必要な事項について調査研究をすすめていく「健康づくり推進協議会」およびその専門部会として「判定部会」,「保健調査部会」,「地域ケア部会」の三部会を発足した.そのうち判定部会では,健診の効果的な実施方法や判定基準等を検討している.保健調査部会では,健康教育や相談事業と合わせて健診事後フォロー事業を中心に検討している.
 昭和59年度には,健診から事後フォローまで包括した体制を確立すべく市の大型コンピュータ(NEC・ACOS 250)の利用を開始した.これにより,従来保健婦等の手作業で行ってきた健診の結果通知や集計関係の業務は,コンピュータにより出力され,保健婦業務の中心が健診事後フォローへと移り,重要な訪問活動が可能となってきた.

活動レポート

地域を動かした保健所調査研究—兵庫県鉢伏高原の生活排水処理対策

著者: 小亀正昭 ,   橋本幹也 ,   楠田正勝 ,   久木田正行

ページ範囲:P.265 - P.268

●はじめに
 兵庫県の北部に位置する鉢伏高原は,昭和30年代からスキー場としての開発が進み,近年は夏期の林間学校,キャンプ,テニス等による利用が増加し,年間入山客60万人を越える四季型観光地として発展している.しかし,観光客の増加にともなう宿泊施設の大規模化で,生活雑排水による河川の汚濁や開発による森林の伐採が進み,現在進められようとしている「但馬リゾート化構想」のもとで,さらに魅力あるリゾート基地となるためには,豊かな自然環境の保全に配慮した地域の基盤整備が急務とされている.そこで,地域における生活排水処理対策の推進に資すべく,近年,汚れが目立ち始めた高原周辺地域を流れる八木川の水質について,その現状を把握するため,調査研究に取り組んだ.
 約1年にわたる水質調査の結果を取りまとめた調査報告書を作成し,保健所から各方面に対して生活排水処理施設の整備実現に向けての働きかけを行ったところ,地域住民をはじめ関宮町議会,関宮町行政など多くの機関や団体を動かし,わずか1年のうちに施設整備に向けての大きな展開をみた.

現代の環境問題・13

食品汚染—飼料添加物と動物用医薬品

著者: 中澤裕之

ページ範囲:P.270 - P.274

1.はじめに
 休日の食事時ともなると,どこのファミリーレストランも順番待ちの列が見られ,外食産業の盛況さが目につく.そのメニューもハンバーグ,ステーキ,焼肉などの肉製品が好まれるように,日本人の食生活は,生活スタイルの欧米化と相まって乳肉製品の需要量が年々増加し,その増産が要求されている.その結果,図のブロイラーに代表されるように,多頭集団飼育や密飼いを伴う大規模経営に移行している1).豚,乳牛,肉用牛,ブロイラーなどの飼育形態も同様の傾向である.
 畜水産経営におけるこのような生産性の向上を目的とした密飼いでは,ひとたび感染症が発生すれば直ちに蔓延し,その被害も甚大である.被害防止対策の一つとして,消毒,ワクチンの使用のほかに,予防や治療および飼料の品質の安全性確保等を目的として飼料に添加される「飼料添加物」と獣医師の処方または指示により使用される「動物用医薬品」などの薬剤による方策がある.
 わが国における現代の畜産業は家畜の品種改良,飼育技術や飼料の質的な向上に加えてこのような飼料添加物,動物用医薬品の利用も大きく貢献していると言えよう.

保健所機能の新たな展開—飛躍する保健所

保健所活動の活性化に期待を

著者: 河内孝明

ページ範囲:P.275 - P.277

◆はじめに
 保健所は,疾病予防・健康増進・環境衛生改善など公衆衛生活動の中心的な機関として,時代の要請に応えながら地域住民の健康増進に大きな役割を果たしてきた.しかしながら近代の経済社会は,人口の高齢化・情報化・国際化などにより大きく発展し,個人の価値観の多様化および疾病構造の変化等に見られるように保健環境を著しく変化させた.
 こうした中で老人保健法の制定により保健サービスの実施主体が都道府県から市町村へと移行され,新たな精神保健対策,長寿社会の健康対策など,各種対人保健サービスの充実強化が求められている.一方,厚生省の地域保健将来構想検討会から,平成元年6月に地域保健の将来構想が提言された.広島県では広島県保健所長会が中心となり,昭和61年から2年間にわたり「保健所のあり方」を検討した経緯がある.これらを基に当保健所の状況なり課題について考察し,当海田保健所の活性化につなげたいと考えている.

進展する地域医師会の公衆衛生活動 在宅ケアモデル事業を進める熊谷市医師会・1

事業に取り組むまでの経緯

著者: 山崎寛一郎 ,   山崎望人 ,   冠木徹彦

ページ範囲:P.278 - P.279

 厚生省は在宅ケアの推進のために「訪問看護等在宅ケア総合推進モデル事業」を昭和63年に開始した.第1期のモデル事業は昨年4月をもって終了し,新たに事業の第2期に入っている.熊谷市は,第1期のモデル地域11カ所のうちの一つに指定され,さらに昨春から第2期のモデル事業を継続して進めている.この事業の中核として市の行政を強力にバックアップしているのが,熊谷市医師会である.今回は同医師会の山崎会長・山崎副会長および地域医療担当の冠木理事の3名の方々に,モデル事業のこれまでの成果と課題をおうかがいした.
 熊谷市は埼玉県の北部に位置し,県北の産業文化の中核的都市として発展してきた.人口は約15万人で,65歳以上の老齢人口は約10パーセント弱.熊谷市医師会会員はA会員が82名,B会員が44名である.

目でみる保健衛生データ

つつが虫病

著者: 須藤恒久 ,   森田盛大

ページ範囲:P.280 - P.281

 つつが虫病は,わが国では古くから信濃川,最上川,それに雄物川など,特定の川沿い地域での風土病という形で知られていたが,現在では広く全国各地でその存在が確認されている.もともとつつが虫病は,西はパキスタンから東はインドネシア,そしてソビエトのカムチャッカ半島と,沿海州を結ぶ広大な四辺形の地域で見られる病気であって,決して日本の特定地域だけにある風土病ではない.その原因は,つつが虫病リケッチア(Rickettsia tsutsugamushi, RT)を保有する特定のツツガムシの幼虫に吸着されることに因るものであり,ヒトからヒトへの伝染は決して起こらないが,昭和25年以降届出伝染病に指定されているので,その年次的推移が衛生統計に現されている.しかしながら,この届出数は,あくまでも医師が保健所に届出た患者数であるから,何らかの理由で届けられなかった場合には統計に現れないので,必ずしも届出数が実際の患者数というわけではないが,ここでは厚生大臣官房統計課の資料に基づいてその変遷と現状を紹介する.
 この制度開始以来,現在までの届出患者数の変遷は三つの時期に大別される(図1).第1の時期は昭和25年から30年代の終わりまでである.

エスキュレピウスの杖

(13)マルチ・バイ

著者: 麦谷眞里

ページ範囲:P.282 - P.283

1.新職務分担
 1991年1月から,各対外調整官の職務分担を児直して,まったく新しい責任分担が割り振られた.その結果,私は,拠出国としてはデンマーク,ノルウェー,日本,アラブ(!)の担当となり,これに,隣のICO(国際協力課)が実施する各国事業の支援および,日本からの任意拠出によって実施されている技術移転事業の管理,そして,緒方さんが事務局長に就任されたUNHCRがその担当となった.この新職務分担は,1月7日から有効となったが,私の担当に新しくアラブ諸国が加わったため,早速,湾岸危機とは無縁でなくなった.具体的には,アラブの石油産出国で構成するアラブ湾岸基金(AGFUND)との連絡調整や会議の設定において,イラク・クウェート問題の推移が当然のことながら影響してくるので,この種のニュースや情報に無関心でいられなくなった.最近は便利になって,ジュネーブでも空港の売店まで行けば,その日の日本経済新聞が手に入るし,朝日新聞も申し込めば購読できる.もちろん値段は高くて,1部600円ぐらいである.それでもお金さえ出せば手に入るのだからすごいことである.

保健婦活動—こころに残るこの1例

孤独なT君に出会って

著者: 雑賀恵子

ページ範囲:P.284 - P.284

 3年前,家族に問題のあるケースに出会い,家族のかかわりについて考えさせられたので紹介したい.
 ある日,T君の両親が市役所を訪れ,「息子の様子がおかしい.なんとかしてほしい」と相談に来た.

障害児をもつ母親へのかかわり

著者: 藤沢さとみ

ページ範囲:P.285 - P.285

 「この子が大きくなったとき,私はなんて謝ったらよいのか…」.母親のその言葉は,半年間の育児休暇があけ,職場復帰して間もない私にとって重く響いた.
 U君を知ったのは,新生児医療室のある県立病院より送られてくる“継続看護連絡票”からである.U君の連絡票の内容は以下の通りであった.

発言あり

これからの保健所長

著者: 阿部巴 ,   田中久恵 ,   米山嶢

ページ範囲:P.221 - P.223

「人間把握のスペシャリスト」
 筆者は,昭和30年代の末から4年ほど新潟県の保健所栄養士として働いた経験がある.当時の保健所は,感染症対策から慢性疾患対策へ重点を移す過渡期にあった頃であった.とはいっても結核,赤痢などの感染症対策が華やかなりし時代でもあった.
 当時,ハイカラな言葉(?)として私が感じたのは,地区診断という文言だった.どこの保健所の書棚にも『地区診断の理論と実際』があり,公衆衛生院帰りの若い予防課長さんの座右の書であったようだ.その,予防課長さんから,昭和40年代の保健衛生行政は,まず,地区診断に基づきPlan,Do,Seeを,そして,地域に根ざした草の根のような仕事こそ,これからの公衆衛生に要求されると教えを受けた.従来の感染症対策の手法ではなく,住民の主体的参加に基づく事業へと,新しい発想が求められていた時代でもあったのだろうか.私が尊敬している保健所長さんは,「俺の仕事は市町村長とお茶を飲んで,保健衛生行政への投資は,住民の幸せにつながる基本であることを説くことだ」と言っておられた.このような親分肌の保健所長さんのもとでは当時,職員の志気もすこぶる高かったことを思い起こす.

公衆衛生人国記

徳島県—歴史とフィールドワークを訪ねて

著者: 三好保

ページ範囲:P.286 - P.288

 徳島の近代医学のあけぼのの時期に活躍した1人に,医史学上にもその名をとどめている関寛斉があげられる.関は千葉県東金市東中823の出生で,18歳で当時上総佐倉で蘭学塾を開いていた佐藤泰然の佐倉順天堂で学び医者になっている.万延元年(1860)10月から文久2年(1862)11月まで,長崎に留学.オランダ海軍軍医ポンペ,松本良順などの教授指導で蘭医となった後,文久2年に阿波藩医として徳島に住んだ.明治4年政府軍に移り,徳島の地を離れ官職に就いていたが,明治6年(1872)徳島に帰って開業生活に入っている.明治35年(1902)に北海道の原野を開拓するため夫妻で移住するまで,市民の診療に当たっている.長崎留学中ポンペに接して西洋医学の中にみる博愛精神を知り,富者には診療費を高く,貧者には低く,日清戦役の軍人家族とか傷病兵帰郷患者などは無料にした,と語り継がれている.明治3年(1870)徳島医学校とその付属治療所が11月1日開院し,その医学校教授として開校最高責任者となっていたが,関が徳島の地を離れて間もなく,明治5年医学校およびその付属治療所の廃止により,一時甚だ衰微した.

保健行政スコープ

出生率低下をめぐって

著者: 藤崎清道

ページ範囲:P.289 - P.291

●はじめに
 平成2年6月,平成元年人口動態統計(概数)の概況が発表され,同年のわが国の合計特殊出生‘率が1.57となったことが明らかになった.これは,丙午(ヒノエウマ)の年の影響を受けた昭和41年の1.58を下回る史上最低の値であり,関係各方面に大きな反響を呼び起こした.合計特殊出生率(以下出生率と略)とは,女性がその一生の間に何人の子供を出産するかを当該年の年齢別出生率を基に算出したものであり,わが国においてはその値が2.1を長期的に下回ると人口は減少するとされている(人口置換水準).出生数の減少とそれに伴う長期的な人口減少は,後述するような様々な社会的影響を及ぼすと考えられるが,同時に子供を生む生まないは個々人の判断によるものであり,これらを勘案した慎重な議論が必要である.

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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