文献詳細
文献概要
論説
スポーツ醫學
著者: 齋藤一男1
所属機関: 1日本醫科大學整形外科教室
ページ範囲:P.193 - P.198
文献購入ページに移動幸い昭和2年夏,上海に開かれた第4回極東オリンピック大會へ自分が救護班員として役員に加えられ,選手諸君と共にダラー,ラインのコレア丸にて派遣されたことがある。一行200人以上の大部隊であるが正式の救護班員は自分一人(これ迄は正式の救護班員は問題にならず誰も行つたことがない。即ち醫師等は遠征にはぜい澤のもの位に考えていたらしい)であつた。上海の宿舍一各部毎に異つた場所のホテル—當時傳染病の根源地と云わるゝ位の土地で治安は滿點ではない。それに加えて競技場設備不完全或は競技役員そのものゝ智識も餘り向上していないらしい樣子であつた。そのためハイジャンプの臺の大きさが大き過ぎ,その上バーの距離が短かかつたりしたため,日本選手が跳び降る際に踏臺で腓骨を折つて足關節の脱臼を起した。
掲載誌情報