文献詳細
特集 大学の公衆衛生50年
文献概要
講座の沿革(表1)
公衆衛生学講座の呼称は昭和29年から使われているが,講座の歴史は昭和15年12月10日付で新設された民族衛生学植民衛生学講座に始まる.初代教授は衛生学講座を担当していた水島治夫教授である.水島教授は大正12年に東京帝国大学医学部を卒業し,京城帝国大学教授(衛生学予防医学講座)を経て,昭和15年から衛生学講座(明治37年設置)を担当していた.
二代目の倉恒匡徳教授は昭和19年九州帝国大学医学部卒業で,水島教授の指導を受けたあと,米国国立がん研究所での約5年間の研究生活を経て,水島教授の後任として昭和35年から20年あまりにわたり公衆衛生学講座を担当した.
公衆衛生学講座の呼称は昭和29年から使われているが,講座の歴史は昭和15年12月10日付で新設された民族衛生学植民衛生学講座に始まる.初代教授は衛生学講座を担当していた水島治夫教授である.水島教授は大正12年に東京帝国大学医学部を卒業し,京城帝国大学教授(衛生学予防医学講座)を経て,昭和15年から衛生学講座(明治37年設置)を担当していた.
二代目の倉恒匡徳教授は昭和19年九州帝国大学医学部卒業で,水島教授の指導を受けたあと,米国国立がん研究所での約5年間の研究生活を経て,水島教授の後任として昭和35年から20年あまりにわたり公衆衛生学講座を担当した.
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